新年御挨拶  2018年1月1日

update 2018年1月1日

後藤 和光

渋谷区恵比寿の地名は、日本麦酒醸造会社が1890年(明治23)年、この地にビール工場を建て、七福神のひとつである恵比寿様に因み
「恵比寿ビール」を製造したことに由来します。日本のビール発祥の地で製造を続けた東京の恵比寿工場は昭和末年(1988年)に閉鎖され、

エビスビールの生産拠点は千葉に移りましたが、工場跡はサッポロビール本社と恵比寿ビール記念館と、新しい商業拠点である
エビスガーデンレースに生まれかわりました。

この恵比寿ビール記念館では、毎日15回40分程度のツアーが行われており、ビール2種類・おつまみ試飲付き参加費500円で、
ビールに関する色々な知識や、美味しいビールの注ぎ方まで学ぶことが出来ます。早速覚えてきたことをお伝えしましょう。
さぁ、これ今年もビールを楽しく、美味しく飲みましょう。(笑)

(1)初めてビールが日本で販売された時瓶ビール一本の値段は14銭だったが、現在の価格に換算すると約3,000円に相当し、
高価な酒だった。
(2)最初ビールはワインと同じにコルク栓で、ワインオープナーで開けて飲んだ。
(3)ビールの栓が王冠になったのは20世紀になってからで、王冠の溝数は21本である。
(4)日本で最初のビアホール(東京銀座)で、最初に出たつまみは大根スライスであったが、後に佃煮や、
塩茹でエンドウ豆などが人気となった。
(5)缶ビールは買ってきたら冷蔵庫に入れて冷やしてから、注ぐ時はゆっくり時間をかけて、3回注ぎすると最後の泡が
しっかり出来て美味しい。
1回目:缶の容量の1/3位を注ぎ、泡と液体が1:1になるところで止める。
2回目:少しずつ分けて優しく注いで、泡と液体が2:7位になるまでもっていく。
3回目:残りのビール(1/10)をグラスの泡の上に注ぐと泡が安定し、揺すっても崩れず、泡と液体が3:7と、良い比率(黄金比率)になる。

岡田 重道

皆様、明けましておめでとうございます。

昨年の春に、ネパールヒマラヤのカンチェンジュンガのトレッキングに行ってまいりました。
38日間。9sやせました。
小山さんが近日中に、紀行文と写真をHPに載せて下さるそうです。

歩くのは当分満腹ですので、今年の5月頃に、海岸線と低排気量のオートバイにこだわって日本一周をしようかと思っています(^-^)/

『カンチェンジュンガ 8598m 北面とカンチェンジュンガ氷河』 『夕焼けのカンチェンジュンガ南面』
『ジャヌー 7710m 南壁 ミルギンラ峠より』

青目 益博

明けましておめでとうございます。
2016年3月に寄稿して以来2度目になります。現在もゴルフ場で副支配人として頑張っています。
当初は週2〜3日の勤務とゆうことでしたが、今では5日ほど茨城で単身生活を送っており、
もう3年近くなります。圏央道が全線開通し1時間程で帰れるのですが、何故か居心地の良いくて
女房も最近は『亭主元気で留守がいい。』と独身生活(?)を謳歌しているようです。
茨城に来て感じる事は、毎日自然の中にいて四季の移り変わりを肌で感じれることです。
充実した日々を送れて嬉しくもあり、幸せな気持ちです。
同期の皆さん。 ゴルフ場に遊びに来てください。一緒にプレイしませんか。
連絡をお待ちしております。

ゴルフ場:フレンドシップCC 〈開場54年目〉
 0297−43−7311  携帯:090−5494−0704

湊 伸一

あけましておめでとうございます
昨春、電車で1時間ほど離れていた母の居を三鷹近くにした。93歳になる母なのだ。
私は早朝から正午迄中学校の警備用務の仕事(ハードワークを己に課し)をし、昼過ぎコーヒーショップ
で娯楽本を読みながら過ごし、夕方食材を調達、料理して食べ、しばし寛いで就寝の生活だったが、
これに日々母の身の回りの世話が加わった。さらに、同じ頃、校長の要望に応え、学校のホームペ―ジ
の改修更新を引き受けた。目まぐるしい生活の始まりとなった。阿佐ヶ谷から仕事帰りの電車、
夢うつつを往来するのが常だ。所かまわずと言えるかも知れない。しかし夢を見るのは楽しくもある。
少しの寝不足と疲れはかえって心地よいものだ。
今は何より母の安堵の表情が嬉しい。たった今しがたの事を忘れる母、あんまりすぐ忘れる
ので2人で吹き出してしまう。なるべく忘れることを忘れて過ごすようにしたいと願う。
今年も変わらぬ年である事を祈ろう。併せて皆々様のご多幸も祈ります。
忙中閑

渓流の湯 傍に咲く花
ヤングな装いを薦めてくれるYちゃん。もとコーヒーショップにいました

関屋 収

明けましておめでとうございます。

昨年は、「学んで、教えて、旅して、語らって」みたいな生活ができました。
「学ぶ」は、放送大学教養学部で心理学を学んで3年目。茗荷谷校舎で「心理学原書講読」E.Eriksonの“Adulthood”に挑戦。
久しぶりに辞書を引いて予習しました。
「教える」は、六浦南ペガサスのバスケ指導。週4回年間約200日、40名の子供達に楽しくバスケットを教えました。
チームはプロ選手第1号満田丈太郎君(横浜ビーコルセアーズ)を輩出、喜ばしい1年でした。
「旅する」は、7回にわたり国内1泊から2泊の旅行を楽しみました。圧巻は、10月に大泉同期生島元三雄夫妻のお宅を
訪ねできたことです。島元君の故郷周防大島が瀬戸内海の対岸に見える山口県柳井市の小高い丘の上に終の棲家を建てられ、
お2人で地元の皆さんと元気に暮らしておられます。お言葉に甘え1泊、泊めていただきましたが、夜が更けるのも忘れて語らいました。
「語らい」は、大泉20期ミニ同期会はじめ、縁と繋がりを大切にしていると、自ずと貴重な出会いに恵まれ、
笑顔を楽しめること、改めて実感し感謝しました。

2018年、皆様にとって、健康で、暖かく、幸せな1年となりますよう!

「放送大学、茗荷谷校舎」 「六浦南ペガサスメンバーと」
     
 「島元ご夫妻と、山口県柳井市にて」    

青木利道

同期の皆様、明けましておめでとうございます。
ほとんどの皆さんは既に退職され、趣味道楽の世界に遊んでいる羨ましい方も多々おられることと思います。
私は2009年2月にJICA(国際協力機構)を離れた後、現在の小さな事務所に籍を置き、早いもので間もなく丸9年になります。
昔のように残業の日々を送ることはありませんが、加齢とともに少しずつ朝夕の通勤電車の混雑が体力的に厳しく感じられるように
なっています。気持ちとしては決して老け込んではいない積りなのですが、体力は「年相応」ということなのでしょう。
まだ暫くは仕事を続けますが、「寄る年波」を自覚して何事もほどほどに、無理をすることなく新たな1年を過ごしたいと思っています。
今年もよろしくお願い申し上げます。

福原 正和

懐かしい大泉高校20期の皆様、新年おめでとうございます! 私の近況です。
 一昨年春東京練馬区関町で一人暮らしをしていた母を札幌に連れてきて、世話?介護?をしながら、夜の仕事?に従事しながら
過ごしています。
 母は身体障害者1級で、自分一人では着替えも出来ず、転んだら一人では起き上がることが出来ない体で、
ヘルパーさんや近所の人の助けでどうにか一人暮らしを続けておりました。母は東京以外に住んだことがなく、
周りに友人も多く札幌に連れてくるのも話し相手の友人がいない生活は可哀想と思っておりました。
元々リウマチも徐々に進行し、自分では冷蔵庫も開けられず、茶筒も開けられない状況になったのと、ぼや事件や生協の発注を
重ねて行うなど認知症が出現し、近所の施設入所を考え申し込みをしていました。
ただ母の姉が施設に入所しており、その姉を「(施設暮らしは)可哀想」といつも言っておりましたので、色々考えていましたが、
妻の「うちに連れてきたら!」という一言で我が家に連れてくることになりました。
母は嫁さんに世話になるのを気兼ねしてか、我が家に来ることは否定的な様子でした。それで「札幌に1週間位遊びに来てね」という事にして、
一番信頼しているヘルパーさんに同行してもらい、飛行機を含め全て寝てこれるよう手配し(飛行機は9席分をベッドにして連れてきましたが、
プラス5万円の負担のみでした)一昨年3月に札幌に連れてきました。
その後は、7月に「米寿のお祝いをするからいなきゃダメだよ」とか9月には「誕生祝いでみんな集まるからいなきゃダメ」とか言って、
「東京へ帰りたい」と言わせないようにして、今日まで一年九ヶ月経ちました。
先日の会話、母「私はいつここに来たんだい」 私「3月だよ」 母「今何月かい?」 私「12月だよ」 母「えっ 半年もいるの!」 
私「そうだよ(途中の一年は省略)」
 本日食事時の会話 母「ところで私は何歳になったの? 70歳になったのかしら?」 私「息子の私がもうすぐ70になるんだから 
そんなわけないでしょ」 ほぼ食事時に同じ会話を数回繰り返しています。
 先ほど私が母に水を飲ませようとして水をこぼしてしまうと、母「下手くそ!」とお互い笑いながらの会話。ヘルパーさんや
訪問看護師(入浴介助)訪問リハビリに助けられながら、「いつか(私も)行く道」と思い、安定した日々が一日も長く続く事を願いながら暮らしています。
 私は札幌市医師会夜間急病センターで 月に10回程仕事をしており、夜は妻に頼んで仕事しています。
 昨年12月に次女が片付き? 今年は孫が6人になる予定です。
 本日は妻は外出中、これから母と二人妻の作ったおでんを食べますので このへんで・・・
 ちょっとのつもりが長くなってしまいました、ご容赦下さい。
 皆さんが今年も健康で無事過ごされることを祈っています。
 
 追伸 母の年金200万弱あり私の扶養家族にならないと思っていましたが、遺族年金は所得にはならず扶養控除の対象に
なると数年前に知りました、もし同じような親御さんがいる方はご参考に。

源 恭子

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
新年の抱負でもないのですが、今年からは旅行に行ったら必ずその記録を書こうと思っています。
今までも書いているのでは、と思われるでしょうが、時間がない、気持ちが乗らないなどの理由で書いていないことも多いのに気づきました。
最近、夫とTVを見ながら話していて「ここ行ったよね、何時だった?」などの話が出てくるのですが、記録が残っているときは
自信をもって「〇〇年の○○月」と言って、写真もusbメモリから取り出すことができるのですが、書いていないと…。
ということで、老後(もう十分老後かもしれませんが)の楽しみのためにせっせと記録をつけようと思っています。
でもご迷惑が掛からないように、皆さんにHPやメールで見ていただくのはその一部にしますね。

山口 達夫


大泉高校20期の皆様
新年明けましておめでとうございます。

いまだに仕事(企業研修の講師)を継続しつつ、大泉高校同窓会「いずみ会」の会計担当理事(会計部長)として、
また、大泉高校野球部OB会の役員(事務局長)として、母校とかかわっています。

その中で、現役野球部の近況について、以下の2枚の写真でご報告します。

その@ 2017年3月 現役選手はわずか4名のため3校合同チームで大会参加
【写真は、現役選手4名(前列中央)も参加してのOB野球交流・母校グラウンドにて】


そのA 2017年7月 1年生10名を加えて14名で夏の大会予選に臨む
【写真は、西東京大会2回戦 対桜美林高校戦・八王子市民球場にて】


今後も、母校野球部への応援よろしくお願いいたします。

羽生田 博正

土肥暁美

「今年も元気だワン!」

中川 恵

≪新年のご挨拶≫
 新年、明けましておめでとうございます。
 皆様は、どのような一年を過ごされ、新しい年を迎えられたのでしょうか?
 昨年12月に、多くの同期の皆さんがもう入団を済まされている“AKB 68”(アタマもカラダもボケてきそうな68才)に、
私もとうとう入団いたしました。
昨年は、取り立てて旅行に行ったわけでもなかったので、リレー投稿する材料もありませんでしたので、申し訳なく思い、近況をご報告し、
新年のご挨拶といたします。

昨年、何人もの友人・知人からリタイア後の生活で大切なのは、
『キョウイク』と『キョウヨウ』だと聞かされました。私は知らなかったのですが、何人もの人が口にするということは、
結構浸透していることなのでしょうか?
初めて聞いたときは、「教育」「教養」と頭に浮かび、カルチャーセンターを連想しましたが、『キョウイク=今日、行くとこがある』
『キョウヨウ=今日、用がある』という意味だと聞き、「なるほど!」と納得した次第です。
全国高体連事務局退職後みはじめ、今年で5年目に入る中・高バスケットボールチームの練習に週5回行っているのですが、
私にとっては、まさに『キョウイクとキョウヨウ』なのだと、コーチをさせてくれている学校に感謝感謝です。
昨年大きく変わったと思うことは、優先席が空いていると、積極的に座るようになっちまったことです。
そんな今日この頃ですが、本年も、心温まるおつきあいの程、よろしくお願いいたします。

行本 修

明けましておめでとうございます。
 いつ頃からか日本酒ブームが続いてますね。ワインみたいな香りがしたり、スパークリングみたいに泡が出たり、
日本酒とは思えないようなのも多いです。どれもおいしいのですがコップで飲む・・・冷酒が大半です。
ときどき徳利に入った熱燗が、それも大吟醸なんていう高級品じゃなくて、醸造用アルコールや糖類が添加された
昔の2級酒が妙に懐かしくなります。
 先日とある飲み会でウイスキーの水割りをと思ったのにメニューにない、角ハイボールはあるのに・・店のお兄さんに炭酸で割らずに
ただの水で割ってくんない、ってお願いしたら「できません」と、なんでやねんと思ってしつこく聞いたらできあがった「ハイボール」が
樽に入って店に来るんだと、知らなかったー。
 約5,000年前、縄文時代には木イチゴやサルナシ、野ブドウで酒を造っていたとか。弥生時代には炊いたご飯を口に含んでクチャクチャやって、
唾液でデンプンを糖に代えて元祖日本酒を造ってたんだって、いくら酒でもこりゃ作った人が問題ですよ。かわいいお姉さんならともかく、
オッさんだったりしたら要らないよ・・。奈良時代になって唾液の代わりに糀を使うようになったそうで、平安時代には濁り酒だけでなく、
清酒もあったとか。
 下って江戸時代、江戸の人気は伊丹や池田で醸造された下り酒、文政年間(1820年頃)にはなんと120万樽
(4斗樽に3斗半入っていて=63リットル、×120万=75,600キロリットル、計算合ってるかな)も入ってきたとか、
関西の着倒れや食い倒れに対して江戸の飲み倒れと言われたそうです。さてその下り酒、原酒だったらしいのですが、
飲み屋ではこれを水で割って出したそうです。勿論飲み屋もピンキリで、ひどいとこではアルコール濃度5%くらいの酒を
飲ませていたんだって。ビールと思って飲みゃ、いいか。
 熱燗が流行らなくなったり、ハイボールがあっても水割りが無かったり、これも時代なんですね・・。
新年です、さあ飲むぞ・・・ってこの原稿も飲みながら書きました。

比地原 正明

あけましておめでとうございます。

一部の皆様にはご心配をおかけしましたが、一昨年の4月から悩まされていた不整脈からやっと解放されました。
一年間の薬による治療も効果無く、カテーテルアブレーションの手術をする決心がつき、昨年の4月に無事手術が成功し、
心臓が軽くなりました。その間も個人的には山歩き、スキー、テニスと楽しんできましたが、山岳ガイドの仕事は休業していました。
毎年、夏の2ヶ月間過ごしていたヨーロッパアルプスでの仕事ができなくなり溜まってしまったストレスを発散するために
秋に北欧ツアーに出かけました。心配していた寒さは大したことは無く、シーズンオフのため観光地は空いていて、
山は黄葉していて気持ちの良い観光旅行でした。雨の多い北欧なのに毎日晴天の幸運続きでノルウェーの
フィヨルドクルージングも感動でした。

ノーベル賞の授賞式が行われるオスロとストックホルムの市庁舎を見学しました。
恥ずかしながら、平和賞だけオスロの市庁舎だと初めて知りました。ストックホルムの市庁舎はとても豪華で、
授賞式のダンスパーティーが行われる黄金の間でのダンス風景です。

2年間休んでいたヨーロッパアルプスでの仕事に今年は復帰する事にしました。2年間のブランクがあり不安が無いわけでは
ありませんが、健康に感謝しつつスイスの山々を憧れるお客様に感動を与えられるよう頑張っていこうと思っています。

皆様も健康にはくれぐれもご自愛ください。

管理人(小山 恵一郎) 

 「大泉高校20期のHP」も、多くの方の投稿に支えられ、おかげさまで11年半にわたって続けることができました。
 おおぜいの方が集まる同期会は3年に一度ですので、その間、同期の皆さんの情報交流の場として
このHPが活用されると幸いです。
 リレー投稿も続いており、同期会幹事の方から投稿依頼がありましたら、投稿を頂けたらと思います。
すでに2度目のリレー投稿の方もいらっしゃいます。
 「大泉20期のHP」には、リレー投稿のほかにも多くのコーナーが設けてありますので、投稿はどれかのジャンルに
当てはまると思います。。
皆さんそろそろ時間のゆとりもできたことと思います。
ホームページがこれからの人生の過ごし方、健康のことなど、私たちにとって共通の話題や、
趣味や旅行記などの楽しい話題の交流の場になることを願っています。

今年もよろしくお願いいたします。