新年御挨拶  2020年1月1日

update 2020年1月2日

平成から令和に変わる時 後藤和光

新年明けましておめでとうございます。
久し振りに出席した昨年10月の同期会で旧交を温めましたが、携帯電話やインターネットもなかった
50年以上昔の授業風景や、クラブ活動の話をアナログで共感出来るのは、
高校生というまさに心身共に伸び盛りの時代の仲間だったからだろうと思いました。

昨年5月平成が令和に変わる時、イタリア・フランスをワイフ・娘家族達と旅行しました。
16世紀に建てられたため床が少し傾いていた、ヴェネツィアのピサーニ・パレスホテルの部屋のTVで、
令和天皇皇后や平成上皇の姿を見たのは良い思い出になりました。
またローマのコロッセオで剣闘士の話をガイドから聞いて、「人間をライオンと戦わせて、
人間が猛獣に喰われるシーンを見て楽しむという感覚は、日本人には理解出来ないけれど、
現在も続くスペインの闘牛を考えると、ラテン民族にはそういう血が流れているのかも知れない」と思ったりしました。
パリでは焼失直後のノートルダム寺院と、その先のメトロ駅前広場でイエロージャケットデモを見たのも、印象に残りました。

湊 伸一

明けましておめでとうございます。
昨晩秋のころから好きな由比ヶ浜で流れ着く桜貝を拾うようになりました。
三鷹から由比ヶ浜まで自転車で3時間ほど、町並み、野辺、川が流れ、海が展望される
道行き、口ずさむ曲は30曲を超えて、その中に桜貝の唄も加えました。
ケースに詰めた桜貝はひらひらと、クルクルとまるで蝶か花びらのようです。
では皆様、本年もお元気で。

     
     

佐藤 陽子(旧姓荒川)

明けましておめでとうございます。

今年は、オリンピックイヤー、中学時代に観たオリンピックは
もっと気候の良い時でしたね。
今回も時期の選択肢は与えられなかったのかしら?
と不思議に思います。
昨年の古希の祝いの同期会、皆の若々しさに、次に会う時の
楽しさを思いました。またお目にかかる日を楽しみにしております。

幹事の皆様よろしくお願いします。

岡田 重道

皆様明けましておめでとうございます。
10月〜11月に1ヶ月程かけてネパールヒマラヤのマカルー峰8463mのベースキャンプまで歩いてきました。
これでアプローチに時間がかかる8500m以上峰の五つのビッグトレックを済ませた事になります。
マカルートレッキングは人が集まらずプライベートの二人の山行。ポーターは七人雇いました。

トレッキングは前半がとても厳しく、初日から800mの急下降と750mの急登。多くのパーティーがここでダメージを受けました。
翌々日は1600mを急登して3800mのキャンプへ。翌日の三つの峠越え。そして400mの急坂を下ってバルン川へ。
後半は比較的楽だが整備されていないガラ場の連続をベースキャンプへ。
帰りのシプトン峠の下りは前夜来の積雪と悪天が重なり極度の緊張を強いられました。
総じて好天が多かったのと、気温が―5℃でおさまったのがラッキーでした。

今回の目的の一つに「ヒマラヤ最後の課題」と呼ばれているマカルー西壁の詳細写真を撮る事がありました。
西壁は7800mから頂上までオーバーハング帯が続き、一度取りついたら横に逃げるのも懸垂下降も出来ない
厳しい登攀になり、世界中のトップクライマーがことごとく敗退、あるいは見ただけで断念してしまった巨大な壁です。
かなり意気込んでアプローチしたのですが、ルートがグレート・ヒマラヤ・トレイルとは重なっておらず
難路を2日かける必要があり、転倒で肩を強打した事もあり途中であきらめました。
あちこちボロボロになって要修理になりましたが、幸い膝と腰は痛めずに済みました。7㎏やせました。

今は山の事は考えたくない状態ですが、気力がよみがえったらケニア・キリマンジャロ登頂ツアーか
厳しいと言われているダウラギリ周遊トレックにでも参加しようと思っています(^-^)

   
     
     

比地原 正明

あけましておめでとうございます。
昨年もスイスでガイドしてきました。
スキーは私の企画ですが、2012年以来7年ぶりの実施になりました。
日本のゲレンデではガイドは不要ですが、ヨーロッパの広いゲレンデではガイド無しでは効率的に滑れません。
前半はアイガーを眺めながらグリンデルワルト周辺で滑り、後半はマッターホルンを眺めながらツェルマット周辺で滑りました。
1枚目の写真はフィルストの展望台から眺めたアイガー北壁です。下にグリンデルワルトの町が見えますが、
小屋をぬってあそこまで滑るのが気持ちいいです。
冬はツェルマットからイタリア側へ下れます。チェルビニアヘは15kmほどのロングコースでゆっくり休みながら
1時間ほどで下ります。2枚目の写真はチェルビニアヘ下る途中でマッターホルンを背に撮ったものです。
マッターホルンはイタリア側からはチェルビーノと呼ばれ山の形も変わっています。

夏は6月にスイスのエンガディンへ行きました。オーストリアを縦断してドイツでドナウ川に注ぐイン川の
上流地域がエンガディンと呼ばれています。余談ですが、オーストリアのインスブルックはイン河の橋という意味ですが、
インスブルックの橋は何の変哲も無い橋でした。
エンガディンで有名なリゾートはサンモリッツですが、ホテルが高いので近くのポントレジーナに4泊してハイキングを楽しみました。
写真の谷はロゼック谷で、我々はハイキングで登り、馬車で下りました。エンガディンで有名な山はベルニナ山です。
ロープウエーでディアボレッツァ展望台に上がると氷河の上に聳えるベルニナ山を間近に眺める事ができます。

エンガディンは世界遺産のレーティッシュ鉄道も楽しいです。ベルニナ線では精悍な顔つきの赤い電車が
イタリアのティラーノから山登りをしてサンモリッツに到着します。
写真は精悍な電車とティラーノの町を路面電車のように走る姿とブルージオ橋のループ線とアルプラ線のランドヴァッサー橋です。

     
     

7月にはツェルマットの北のグレッヘンというリゾートへ行きヨーロッパ街道を歩いてきました。
街道と言ってもガレ場続きのハードな山道です。グリメンツもスキー場でテレキャビンで上がるとローヌ谷の向こうに
中央アルプスが聳えています。写真の山はビーチュホルンで、この右の方にアレッチ氷河やユングフラウ、アイガーがあります。
山を歩いているとシュタインボックが挨拶に来ました。

長年ガイドをしてきたシャモニからツェルマットまでのオートルートもハードなので最近はハイキングだけにしています。
オートルートの最後の2日はこのヨーロッパ街道を歩きます。その1日目はガレ場続きで緊張の連続で
ヨーロッパヒュッテに到着します。ヨーロッパヒュッテとテッシュアルプの間には下の廊下のような断崖絶壁や
エーデルワイスの谷があり楽しい所ですが、ヨーロッパヒュッテの目の前に大きなガレ場があり落石が危険なので
ランダの駅近くまで下らなくてはなりません。2010年にガレの上の方に長い吊橋ができて楽になりましたが、
そのシーズンに落石で吊橋がやられて元の木阿弥になってしまいました。何年もランダ付近まで下っていましたが、
2017年にガレ場の下の方にチャールズ・クーネンというヨーロッパ最長の歩行者用吊橋ができました。
この吊り橋を歩いてきたのですが、ケーブルがしっかりしていてダンパーも付いているのでほとんど揺れる事は無く快適に歩けました。

翌日はタクシーでテッシュアルプに上がり、ヨーロッパ街道をツェルマットへ歩きました。
ここはのどかなハイキングコースで目の前のマッターホルンに向かって歩く素晴らしいコースですシャモニから15日、
160キロ余りを歩いて眼下にツェルマットの町を見た時の感動はひとしおです。
今回はテッシュアルプからのハイキングなのでそんな感動はありませんが、ツェルマットへ向かって歩く気分は格別です。
このコースも途中に落石帯があり何年もクローズになっていました。
最近、落石シェルターが整備されオープンになったので歩いてきました。天気に恵まれ楽しいハイキングでした。

今年は古希を迎え、定年退職しようと考えていましたが、今年も2月と3月にスイススキーガイドの仕事が入り
まだやれそうなので定年は先送りする事にして頑張る事にしました。今年もまた新しいスイスの景色を眺められれば幸せです。

関屋 収

明けましておめでとうございます。

概略40年を昭和で、30年を平成で、両方足して70年。そして日本は令和を、私たちは古希を迎えました。
98人で共に祝った同期会。会社のバスケOBも、家族も皆が集まって古希を祝ってくれました。
何とも感謝の念に堪えません。
子供達は相談して、“Nike by You”のオーダーメードのスニーカーをプレゼントしてくれました。
大好きなネイビーを基調に、靴のうしろに”OSAMU”&“70TH”と小さく入れておしゃれです。
メッセージは、健康に!行動的に!と受け止めて、70代をスタートしました。

昨年春に、高校入学を迎えた六浦南ペガサスの先輩が訪ねてくれました。
小学校を卒業した時から、毎年会う度に写真を撮ってくれていた保護者が、
年度毎の写真を並べて送ってくれました。
テーマは、「変わらない監督(正月からちょっと言い過ぎかな)と成長する子供たち(これは真実)」
いつの間にか、皆、監督より大きくなっていました。

70代をどう生きるか?結構、楽しみにしております。地球温暖化や、貧困など社会の問題に目をそむけず、
心の安定を保ち、まわりの人たちを適切に激励(Encourage)できるように生きていければと!

皆さんの、ご健康と、ご多幸、心よりお祈りいたします。


土肥 暁美

謹賀新年
米俵のチューくん(水滴) 

山口 達夫

新年、明けましておめでとうございます。
古希として迎えた新年ですが、これまでと大きな変化も無く新しい年を迎えています。

昨年を振り返ると、久し振りの同期会に出席できなかったことが大変残念でした。
同じ10月に行われた、大泉高校同窓会の「いずみ会総会・ホームカミングデー」の写真を何枚か紹介します。
定例の総会の前に、現役高校生の「合唱」や「書道パフォーマンス」を堪能しました。

今年の「いずみ会総会」は、私たち20期も含む「0(ゼロ)の会」が当番の幹事となりますので、
皆さまふるってのご参加をお待ちしています。

ホームカミングデー①合唱部 ホームカミングデー②書道パフォーマンス
いずみ会総会① いずみ会総会②
いずみ会総会③

Shall we dance? その後(老骨に鞭打って) 夜久有滋

 新年あけましておめでとうございます。                      
以前、社交ダンスをゼロから始めた話を写真付きで載せて頂きました。その後の報告です。
なぜ今更、社交ダンスを始めたのか?2011年3月東日本大震災が起こりました。同時に福島第一原発事故が発生しました。
ご存知の通り、今でも全く収束していません。汚染水は太平洋に流れ出ていますし、放射能も大気中に放出され続けています。
本来は「沖釣り」を人生の趣味としていました(他はサボテン栽培もやっていますが)。
しかし、原発事故以来、太平洋の放射能汚染は確実ですので、釣った魚を食べる気にはならなくなりました。
まして、私の居住する千葉県柏市は放射能汚染地域です。
自宅の目の前の2台の「ガイガーカウンター」は今0.11マイクロシーベルトを示しています。
天気や風向きで0.10~0.13くらいで変動します。平均0.12マイクロシーベルトとして、
年間被ばく線量を計算しますと、0.12×24hr×365日=1051.12マイクロシーベルトです。
これは福一原発事故前の国際基準の安全基準年間1ミリシーベルトギリギリです。
後は、如何にして内部被爆を少なくするかです。当然「太平洋の沖釣り」は止めるしかありませんでした。
釣りを止めて、2年程さ迷っていました。何か体を動かしたいな!ある時、柏駅近くのビルの4階に
真っ赤な色の「社交ダンススタジオ」の看板が目に入りました。まるで、映画の「Shall we dance?]と同様の状況で、扉をたたきました。
応対に出てきた女性が今の先生です。「3拍子のワルツを習いたいのですが?」、「どうぞどうぞ、大歓迎ですよ!」と、
話はとんとん拍子に進んで、63歳の12月からレッスンが始まりました。昨年、私も古希になりました(10月29日生)。
社交ダンス歴も遂に、6年と1カ月目になりました。先生はプロのダンサーで、ずっと同じ方です。
医学部(6年制です。)で言えば、卒業して研修に入っている筈ですが、私はまだ留年中です。
社交ダンスにはスタンダード5種とラテン5種の計10種目が有ります。
ところが私は、現在はワルツ、タンゴ、スローフォックストロットのスタンダード3種目とルンバ、
チャチャチャのラテン2種目のみです。単位不足です。まだまだ先は長いです。
レッスンで何度言われても忘れてしまったり、体が思うように動かなかったり、あちこち痛かったり。
ある時、私よりはるかに高齢で、その昔、社交ダンスを慣らしたという男性患者さんから言われました。
「先生、週何回練習してる?」、私「週2回。」、患者さん「男性は女性のリードの練習が必要なので、
週1回では、ただやっているだけ、週2回で現状維持、週3回でやっと前進です。」私ガーン。
週3回か・・・という訳で、水曜日の午後も休診にして、週3回(水PM,木PM、土PM)のレッスンにしました。
確かに効果は実感しています。最近は先生も「以前よりずいぶんと上手になってますよ。」・・・?と言っては下さいますが?
しかし、パーティでの自分のダンスのDVDを観てみますと、踊っていると言うより、音楽に合わせて動いていると言うのが本音です。
ダンスには、まだまだなってはいません。加齢は平等にやってきている筈ですので、老眼は進むし、
カミさんからは「少しボケてきているんじゃなの?」などと言われています。が、確かに、足腰体幹が強くなっている実感はあります。
レッスン後に脚が攣ることはなくなりましたし、以前に比べて「早歩き」も出来てる自覚があります。
お陰様で、耳鼻科開業医も現役でこなせて(?)おりますので、身体を動かし続けるのは本当に大事なことだと、
つくずく実感している次第です。ダンスの先生も最近は、褒めるところは良しと言いますし、ダメなところはダメ出しばかりです。
これが優しい指導だと思って「古希の老骨に鞭打って」、これからも頑張ろうと思っています。
私の父も90歳近くまで社交ダンスを趣味としていました。93歳で亡くなりましたが、私も出来ればそうありたいと思っています。
最近のパーティでの写真ですが、御笑覧下さい。
今は、5月のパーティに向けて、「ルンバ」と「スローフォックストロット」の特訓中です。
今年も宜しくお願い致します。

管理人(小山 恵一郎) 

 「大泉高校20期のHP」も、多くの方の投稿に支えられ、おかげさまで13年半にわたって続けることができました。
 私たちも70歳を迎えました。人生100年時代と呼ばれるようになりましたので、これからも健康に気を付けて
人生を楽しく有意義に過ごしていきたいと思います。
このホームページが、皆さんの健康、生きがい、趣味や旅行などの情報共有に役立つことを願っております。
 私、個人的には、昨年はフランス旅行で、2000年以上昔に設立されたインフラ設備の遺跡や、
ルーブル美術館の絵画などを観て、フランスの歴史や芸術の重みに感銘を受けました。
今年も印象的な旅ができればと思っています。

今年もよろしくお願いいたします。

   
 2000年前に建てられた水道橋、ポン・デュ・ガール。高さ50mある    ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」