新年御挨拶  2022年1月1日

update 2022年7月1日

福原 正和 2022年 正月のご挨拶

 北のはずれ?北海道 札幌の福原正和からの近況報告と新年の挨拶です。
確か2018年の新年の挨拶以来の投稿だと思います。
ただ2019年の同期会には参加したので、その後の経過はその場で
しゃべった様な気もしますのですが、2018年以降の私の近況?です。

 2021年は特別何事もなく?経過したような一年でした。
勿論医師としてはコロナ禍でバタバタしていたことはありましたが・・
孫が現在7人おりますが、それぞれ無事に成長して時々我が家にも来て、
遊び相手になってもらって?いるジジとして過ごしていました。
皆さんからの新年の挨拶には素晴らしい風景写真が添えられていることが多いのですが、
わたしにはその様な(旅行の)写真は一枚もありません。
大きな変化なく、無事に日常が続けられることが「幸せな時間」と
考えなければならないのかもしれませんね。
ただこの年になると1に健康 2に健康 3,4がなくて5に健康という心境でしょうか。

 私は腰に(ヘルニアという)持病を抱えていること、血液検査で
腎機能が低下している事がありますが、
一病息災で大きな病気なく過ごせていることは幸いだと思っています。
私の「断れない性格」というか、頼まれ事にはなんとなく返事をしている内に、結局2021年は9カ所で働いたことになりました
(札幌市医師会夜間急病センター《これがメイン》、千歳市夜間急病センター、石巻市夜間急患センター、赤平市立病院、
札幌の民医連病院2カ所、函館の病院、黒松内・厚賀という小さな町の診療所)それ以外に、
看護学校の講義(わずかですが)、保育園健診6カ所(年数回)、10月11月はそれまでの非常事態宣言で
健診などが延期されていた影響で、24時間仕事がない日は月2~3日のみでした。
まあ「包丁一本」ではないですが、風来坊的な生活でしょうか。
 どこででも眠れる特技?(タクシー内でも信号が3つ位過ぎる間に睡魔で意識がなくなります。
愛用?のタクシーでは枕と毛布を用意していてくれます)のおかげか、夜の仕事もどうにか続けています。
「夜の仕事」というと先日、我が家に来てくれる洗濯屋さんに「夜の仕事をしているので昼は寝ていることが多いので・・・」
と話したら、「夜警さんですか?」と言われました。私の年で夜働くのは「夜警」さんが多いのでしょうかと思いました。
 先日一番年上の中学一年になる孫が、私が昼寝をしている部屋に来て「ジージは毎月いくらもらっているの?」と聞いてきました、
そろそろ将来を考える年になったかと思いながら「それは秘密」(私は女房にも私がいくら稼いでいるか言っていませんし、
女房は知りません)と答えていました。(私の枕のサイズが合わず、枕カバーから中身が飛び出ないために
文具クリップを6つ位並べて止めてあるのを見て)「なんでこんな事してるの、お金あるなら買えばいいのに」と
彼はしゃべって帰っていきました。

 まあこんな感じで日常が過ぎていきます。私には趣味と言うべき事はなく。
ゴルフも麻雀もせず、たまに映画を見に行くこと位で時間が過ぎていきます。
 体重は高校時代から10キロ増え、腹囲も90センチを超え、せめて5キロ減らして高校時代から
増加5キロ以内に済ませたいと思い、ジョギングを考えているのですが、外の景色を見てすぐ「今日は天候が悪いからやめよう」
(本日は札幌は今年初めての積雪でした)等と軟弱な言い訳を言いつつ本日も時間が過ぎて言っています。
 まあそれでも 2日に一回は朝録画したテレビ番組を見ながら四股を踏んでいます。
これは結構負荷がかかり最初30回位で息が上がっていましたが、最近は100回を目処に調子が良いと200回、
夏などはそれなりの汗をかき、冬でも軽く汗ばんできます。その後「てっぽう」を100回やっています。
そのせいでややお相撲さん体型で腹囲が増しているのであればいいのですが・・・
 ここまでどうでもいい駄文に付き合って頂きありがとうございました。
皆さんとまた元気で同期会でお会いできることを楽しみにしています。
 福原正和

金子 研一

あけましておめでとうございます。今年は五黄の寅(ごおうのとら)といって非常に運の強い年になるようです。
子供のころから「おまえはごぉのとら」だと言われてきましたが、昭和25年の五のつく年に生まれたということだと
勝手に解釈していました。
会社に入ったころは60歳で定年になる決まりで、高専なら63歳まで働けると55歳で転職、
その後岩手県の職員に採用され、老人がいつまで働くの?という目でみられていたのですが、
それが会社にいても65歳まで働けることになり、今では国が70歳まで働かせなさいという時代になりました。
会社に「働き方推進室」という組織が誕生し、若手の社員の残業を減らすために現場での作業をリモートで監察するという
しくみを作りました。このため、OBがかりだされ、自宅で週1~2日、モニターの前に座っています。
満員電車に揺られることがないのですが、目が疲れます。今年一年、頑張れるかな。
皆様にとってよい年でありますように。

ひじはら まさあき


明けましておめでとうございます
 コロナ禍も3年目に入りましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 私は一昨年の2月を最後にスイスでの仕事が終わり、平凡な日々が続いています。
スイスでのスキーもこれが最後になり今は懐かしい思い出の一コマになってしまいました。

平凡な一日は朝の体温測定で始まり、皿洗い、入浴後のストレッチで一日が終わります。
平凡な毎日は退屈ですが、このごろは毎日が平凡に過ぎて行くことのありがたさを感じています。
皆さん同じだと思いますが、体力維持のために近所を散歩しています。
八王子には池や山の残った公園が多いので公園歩きを楽しんでいますが、車で町田まで足を延ばすと
自然林や谷戸の田んぼが沢山残っていて新しい発見です。

 3年間通っていた近所のドラム教室がコロナ禍で1年間中断していましたが、とうとう先生の都合で終了してしまいました。
中断していた1年間、散歩帰りに立ち寄って自主練習していたので昨年の12月からヤマハのドラム教室に通っています。
歩けなくなってもできる趣味を増やそうと今年は健康マージャンを始めようかと思っています。
 海外旅行が普通に戻るまであと何年かかるかわからない状況で、スイスのガイドの仕事は諦めて、
昨年ガイド資格を返納しました。日本の山も特に登りたい山も無いので、近郊の山をハイキングしています。
コロナ禍で、低空飛行が続きますが、平凡な毎日を楽しんでゆきたいと思っています。

湊 伸一

皆様明けましておめでとうございます。今年は何事も良き年でありますように。
さて世はコロナで明け暮れですが私は伊豆歩きに月の半分ほど費やす生活で
そもそも人気のない所に足を運ぶせいで実感が湧きません。
しかし母の最后の時期がちょうどコロナの始まり時期だった事を思えば厄病に絡み付かれずに
母が最晩年を過ごし終えたそのことに胸を撫でおろす思いです。
私の近況ですが12月の綴りの中から紹介します。
それと三宝寺池のほとりに生息するオオタカを見かけましたのでお伝えします。

12月9日伊豆 一碧湖
伊豆に来ると寄りたくなる所の一つ。一碧湖。ほんにゆうっくり歩きました。
伊豆に馴染むにしたがってペースはスローに。
人は動きを変えると見えるもんが違って来るのではないかいなあ。ね。^_^ 

12月16日17日 天城
八丁池は薄く凍り、冷涼な気に包まれているのだが太陽から届く温もりが体の芯を暖め気持ちいい。^_^ 
不思議に会わなかったシカだったけど岩尾林道を下り始めたら何とシカだらけ。
とは言っても・・・シカと見た ハートのお尻 遠ざかる 凍てる天城よ また会う日まで ^_^;; 
天城もテッペンは枯れ果て居場所無いものね。
伊豆の今年の締めくくりは天城の懐、皮子平。精英樹と呼ばれる杉の巨木に圧倒される。
その奥に皮子平があり日差しを受けた緑苔が醸す世界は秘境の趣きでありました^_^ 


三宝寺池のオオタカです
 オオタカ子育て

山口 達夫

「2022年 明けましておめでとうございます」

一昨年、昨年と続いてきた新型コロナのため、とにかくいろんなことに我慢を強いられてきました。
そして今年もまだ“オミクロン株”の影響を受けて、不安が続いています。このような経験は、これまでの人生で、初めてのことといえます。

しかし、こんな言葉を見つけました。
「感謝の心は美しい。自らが縁した人を大事にしていこうという心の余裕が、人生を豊かにする。美しくする」

今年は、家族への感謝から始めようと思います。

(写真は、昨年12月、練馬区役所の19階で撮影しました)

関屋 収

「寒中お見舞い申し上げます」

昨年、6月に母が96歳で、父の待つ天国へ旅立ちました。
12年前に認めた遺言(手紙)の中に、①延命治療は不要、②葬式は家族と花に囲まれて質素に、
③父母の教えを守り正しく生きれたこと、④皆で仲良く暮らすこと、⑤心から感謝していること、が綴られておりました。
最後に言葉にしてくれた「ありがとう」と共に、改めて、生き方、死に方を教えられました。

3月末で、会社を退職して丸5年が経ちました。平均余命まであと15年と仮定して、
この5年間をアディショナルの第1クオーター(1Q)と位置づけ、そのゲーム展開を振り返ってみました。
健康(旅、ゴルフ等)、経済(生活等)、社会との関わり(家族、友人、バスケ、放送大学等)に分けて、
何ができたか?楽しかったか?などです。結果は、結構できたし中々楽しかった、と振り返りができました。

次の5年、アディショナル第2クオーター(2Q)を、どのように暮らしていくか「ゆるーく」考えてみました。
活動量、消費量いずれも適度な自然減が想定されます。自然のままに生きていくことこそ、
私の第2クオーターの生き方といきつきました。
それでも、21世紀がディジタルとサステイナビリティ―の時代なら、我々20世紀人はモータリゼーションの申し子。
そうだ、人生最後の車と銘打って自身10代(台)目の車を選ぼう。
80歳まで車を運転できることを目標に、運動能力と認知能力の維持を目指して!ドライブと旅を友として!

本年が、皆様にとり、健康で明るく豊かな年となりますよう!

グレスウェル中川紀代子

20期の皆さん、明けましておめでとうございます。

晴れて日本国在住市民となり、喜びひとしおです。
思えば昨年の今頃は、ロックダウン下のイギリスで、売り出した我が家に買い手がついて、
明け渡しの日まで全てスムーズに行くように祈りながら荷物の処分をボチボチ始めた頃でした。
イギリスでの最後のクリスマスは娘一家と過ごすため、不要不急の移動は禁じられている中、
働いている娘に代わって孫たちの面倒を見る、という大義名分を掲げてガラガラの電車で彼らの住むプリモスまで
10日間の滞在のため行きました。彼らには以後スカイプでしか会っていません。

3月1日に羽田に着いてから、5-6月の実家の耐震及び改修工事、
イギリスから送った自分の荷物の整理と両親が残した膨大な量のガラクタ=ゴミの処分を経て、
やっと落ち着いた夏、熱中症にならないように慣れないエアコンを使いながらどうにか元気に生き延びました。
秋からはコロナも落ち着いたので、精力的に多方面の友達と会い、ランチなど楽しんでいます。
体育館での体操教室にも参加したり、Youtubeを見ながらラジオ体操をしたり、体力維持にも勤しんでいます。

今年もとにかく元気で美味しいものを食べて、楽しいことだけをやって、余生を楽しみたいです。
20期の皆さんには同期会又はいずみ会の懇親会でお会いしたいですが、個別にランチでも、
ということでしたらいつでも乗ります。ご連絡ください。

コロナを取り巻く環境は行方知れずですが、心の持ち方ひとつで人生変わります。
Stay positive.の精神で、貴重な余生の日々を楽しみましょう。

小山さんはじめ世話人の方々にはご苦労様ですが、今年もよろしくお願いします。

グレスウェル中川紀代子

佐藤 陽子(旧姓荒川)

明けましておめでとうございます。

今年も一年健康で過ごせます様に。
コロナになんか負けないぞぉ。
体調管理に気を付けてお過ごしください。

佐藤陽子(旧姓荒川)

森 政一

持病と山歩き
 大泉高校第20期の皆様、
新年明けましておめでとうございます。旧3年8組(担任乙黒 功先生)の森 政一です。
HP管理人 小山 恵一郎さんが、投稿を折角呼び掛けていただきましたので、パソコンを開きタイピングしています。
コロナ禍のため、同期会が開催できず、友人にも会いにくい状況にあります。
本ホームページは、有効な交流の機会だと思っています。以下、近況報告いたします。

昨年秋になって、今までにない体調の変化にみまわれ、加齢に因るものだと実感しました。
10月上旬に風邪をひき、花粉症がひどくなり、11月には気管支喘息が再発し、かなり悪化させてしまいました。
今回は、鼻水とくしゃみが大変多く、重い咳が何回も連続しました。
咳の音が、「コン、コン、コン」から「ゴッホン、ゴッホン、ゴッホン、ゴッホン、ゴッホン」と続き、呼吸がしにくかったのです。
重い咳を頻繁にするので、なんと背筋が筋肉痛を起こし、呼吸器科に加えて、整形外科も受診しまた。
12月に入って、薬が効いて来て、やっと快復しました。
喘息が悪化した原因は、私の過信にありました。体調が良くないにもかかわらず、大丈夫だろうと考えて、
11月11日赤城山へ出掛け、地蔵岳を登ったからです。
八丁峠登山口に着くと、気温は2℃でした。木道には、霜が降りていました。山頂近くには、雪が融けずに残っていました。
北風が大変強く寒かったです。冷気が肺の中に入り込んで来ているように感じました。
コースタイムは上り30分ですが、50分もかかってしまいました。
その晩から今までと違う咳が出るようになり、1週間様子を見ましたが、悪化する一方になりました。
かかりつけ医院に行き、先生に登山をしたことを正直に白状し、聴診器で調べていただきました。
その後、お叱りを受けました。「あなたは、持病になった気管支喘息を甘く見ていますね。
肺炎を発症する寸前になっていたのですよ。酸素吸引が緊急に必要になる手前でした。」と。
教え子にまさか叱られるとは、考えてもいませんでしたので、精神的にもショックを受けました。
例年であれば、この時期は、眺望が良くなるので、毎週のように山歩きをするのですが、今年も来年以降も断念しました。
山道具を見ると、出かけたくなるので、古くなったスキー板と靴及びスノーシュー(西洋かんじき・・・登山靴の下に付けて、
雪の上を歩く)を処分しました。一昨年までは、山行が年間42~48回でしたが、昨年は35回に留まりました。
これからは、春山・夏山・秋山だけにしようと決意しました。
高山植物の写真をたくさん撮って、登山記録にアップしたいと思いました。拙い近況報告をお読みいただき、ありがとうございました。
皆様のご健康とご多幸をお祈りしています。

追伸 今までの登山記録を全てアップしています。
関心をお持ちの方は、「ヤマケイオンラインモーちゃん」と入力し、検索してください。無料で読むことができます。
※モーちゃんはペンネーム。

土肥 暁美

謹賀新年 懐かしい「※※※※サンボ」の香合です。

                          

管理人(小山 恵一郎) 

「大泉高校20期のHP」も、多くの方の投稿に支えられ、おかげさまで15年半にわたって続けることができました。<br>

昨年もコロナ禍で過ぎ、なかなか思うように過ごせない日々が続きますね。
日頃の運動不足解消のため、できるだけ散歩を心掛けまています。
近くに石神井公園があるので、しばしば足を運びますが、四季折々の風景に癒されています。
最近になって、少々テニスを始めました。
脳を使うことも必要と思い、以前の仕事の領域の研究会活動も続けています。

今年も厳しい状況が続きますが、皆さんと知恵を働かせて健康に過ごしたいと思います。
このホームページが皆さんの過ごし方を共有できる場としてお役に立てれば幸いに存じます。

今年もよろしくお願いいたします。