お便り その6

更新 2012年6月2日

津軽へのお誘い−春 三上 森丸 2012年6月1日

12年前に津軽三味線を始めました。
最初は趣味程度で楽しめればと思っていましたが、思いのほかすっかりはまってしまいました。
大泉高校でろくに勉強もせずに、エレキに熱中していた時と何も変わっていないのかもしれません(笑)。
今ではボランティア、ライブ、ディナーショウ、弟子育成と結構忙しい日々を送っています。

数年前から弘前の津軽三味線全国大会に出てまして、すっかり弘前の街に魅了されています。
母校の桜も素晴らしく未だに桜のある景色を思い出しますが、弘前城の桜は日本一かと思います。
りんごの剪定技術のせいか、花の密度が違います。

弘前では桜をはじめ、夏のねぷた、秋の紅葉、冬の雪灯籠まつりと、四季を通じて楽しめます。
これらのイベントにあわせて、それぞれ1週間ほど弘前にいます。
「あどはだり」という三味線居酒屋で毎晩演奏しています。

温泉、お酒も素晴らしいですよ。
東北の復興も兼ねて是非遊びに行ってみてください。

万歩会 源 恭子 2012年6月1日

曇り空の中、5月31日、大泉高校同窓会のサークル、万歩会に参加、荒川を舟で下ってきました。
11時半赤羽駅集合。赤羽は子供の頃、大宮の叔母の家に行く時に乗換駅として使ったほか、高校生の時、級友と『くまさん』(児島先生)のお宅へ
伺ったときに降りた経験しかなく、その時は地味な町という印象でしたが、駅前に大きなビルが建ち並ぶ都会になっていたのにはびっくりしました。
駅の近くでお弁当を買って行くことになりました。お弁当だけでなく、量り売りのお総菜が並んでいてゆっくり選べたら楽しそうです。
荒川と隅田川の分岐・岩淵水門まで、車は乗り入れ禁止?の長いアーケードを歩いて行きました。昔ながらの対面式の魚屋さん、
お惣菜屋さん、衣料品店、花屋さん…。
その間にダイエーもあって、お店を見ながら歩くのも楽しく、こんな所に住みたいね、の声も。
岩淵水門の近くで川を見下ろしながら、買ったお弁当を食べました。「さっきのお店でおはぎを買ったけれど食べない?」の声に、一口お味見。
五穀米のおはぎは食後の甘味にとても美味しかった。
近くに立っていた錆だらけの建造物は昔の遺跡?後で調べたら、平成8年「第2回荒川リバーアートコンテスト」での特賞受賞作品とか…。
うーん、よく分からない…。
荒川知水資料館で、荒川について学びます。
明治43年の豪雨で荒川、隅田川、江戸川等の堤防が決壊、大きな被害があったことから、明治44年から19年の歳月をかけて東京湾から
岩淵水門まで幅500m全長22kmの荒川放水路が完成。昔の大規模治水工事に偉大さを感じました。また、ロンドンのテムズ河は陸地よりも
低いところを流れているのに、荒川は旧中川沿いの陸地より高いところを流れているなど、断面図で分かりやすく解説してありました。
1時半、乗船。景色がよく見えるので甲板に、と思ったら全員船室へとのこと。
アナウンスを聞きながら左右の景色を見たり、もらったパンフレットを参照し、現在地を確認したり、隣の人たちとおしゃべりしたり…。
しばらくすると、「あっ、スカイツリー!」の声に窓から外を見ると…。東京タワーが見える方がワクワクするのは、青春と重なるから?
1時間半の船旅の終点は荒川ロックゲート。水門があき、舟が中に入ると徐々に水面が下がっていきます。側壁にぶら下がっていた鎖が
半分水につかっていたのに、今はもう上の方に…。水門を出るときに上から水がざぁっと落ちてきて、船室にと言われた意味がやっと分かりました。
中川に入ったと思ったら、もう一度ロックゲートをくぐって荒川に戻り下船。
ロックゲートの操縦室も見学させていただき、中川番所跡へ。遠くから見て分かるようにと、海側に立てかけられた長い槍が目印の番所と
その前横付けしている俵を積んだ舟。後ろの書割りには遠く筑波山も描かれています。
大人の社会見学の一日。小名木川、中川等、時代小説に出てくる川が身近になった一日にもなりました。

月を射る・荒川リバーアートコンテスト1996年特賞

東京の花見と放送博物館 源 恭子 2012年4月7日

4月4日、前日の台風並みの風雨から一転した青空のもと、大泉高校同窓会のサークル「万歩会」に参加しました。
NHK勤務の小林さん企画の都会の花見とNHK放送博物館見学、新橋の焼肉屋でのランチ。
77歳を最長老に同窓会員としては私たちが一番下とさらに若い現役PTA役員2名の総勢37名。
六本木一丁目駅集合。今年は寒かったから桜は…と思いながら駅を出ると一本の桜の木が…。「あっ咲いている!」4,5分咲きの桜に
皆の眼が集まります。アークヒルズの周りをまわった裏道は思った以上に車の通りもなく4,5分咲きの桜並木に目をやりながら、
のんびり霊南坂教会のわきを通り、泉ガーデンへ。
あれがアークヒルズ、あちらの方にアメリカ大使館、ホテルオークラ…と教えてもらいながら、階段状に斜めになった建物は何かと思っていたら、
スウェーデン大使館。
暖かい日差しで歩いていると汗ばむほど。
オランダ大使館の隣が、配水池上部が公園になっている東京都水道局芝給水所。
東京タワーが間近に見え、「子供のころ都庁の官舎がありそこに住んでいた」という先輩の話を聞きながら、たどり着いた愛宕神社。
鳥居をくぐると見上げるような石段が。
一、二、三…息切れしそうになりながらも一気に登った85段。
振り返ると、先輩たちも負けずに登ってくるからすごい!
神社の隣、NHK放送博物館の前に濃いピンクの桜?(後で陽光桜と判明)が満開に。
NHK放送博物館は大正14年から昭和13年に内幸町に移転するまでNHKが使用していた建物とのこと。
ガイドの社員さんが、「今日は、14と28を覚えていってください。」
大正14年にラジオ放送、昭和28年にテレビ放送が開始したとのこと。
戦前「幻の東京オリンピック」に合わせテレビ放送開始に向けた準備が既に始まっていたとのこと。
ブラウン管が上を向き、鏡で大勢に見えるようにしたが、左右逆になり、機械が大きく重すぎて一般家庭には設置できないと
実用化されなかった試作のテレビや、子供の頃、家にあったような家具調テレビ、鉱石ラジオに始まる歴代のラジオ等が展示されています。
玉音放送・原盤の隣に展示された昭和天皇が玉音放送を聞いたラジオは何とアメリカ製。
「笛吹童子」や「君の名は」等、昔懐かしい放送のさわりを聞いたり、楽しいひと時でした。
誰でも入れるということですので、一度訪れてみても面白いですよ(予約が必要かな?)。
食後は、旧新橋駅のプラットホームを見に行った後、カレッタ汐留の電通ビル46階展望スペースから浜離宮や隅田川を見下ろし、
東京散策の一日を楽しんできました。

結構咲いています 東京都水道局芝給水所
ビルの谷間に昔ながら家とお稲荷さん 後ろが陽光桜
テレビに映っているでしょ!

初詣ツアー 源 恭子 2012年1月7日

1月2日、酔いやすいのでバスツアーは敬遠していた息子も参加し、二俣川から家族全員バスに乗り込む。隣の三ツ境で残りの参加者が乗り込み、
総勢39名の『身延山久遠寺・三嶋大社 初富士眺望ドライブ』のバスツアー。
富士山の眺望を楽しみながら・・・と書いてあるが、雲が厚く富士山は今日は駄目かな。「本当はこの辺りで正面に富士山が見えるのですが」と
添乗員さんが済まなそうに言ってから10分も経たないうちにくっきりと富士山が見えてきて、添乗員さんもホットした様子。
沼津インターで東名から降りて三嶋大社へ。行列を覚悟していたのに、何これ?という位すいている。お参りが楽にできたのは良いけれど、
混雑を考慮した時間配分だったので後は何をしようか・・・。宝物館の下のお土産屋さんを覗き、本堂右脇の鹿苑を覗き・・・そうこうしている内に
弓道場を発見。人の姿が見えたので行ってみると、女性1名を加えた3名が的場に入ってきた。まず座り立ち上がって右足を後ろに引いて
弓矢を構えたと思ったらまた座り・・・、「すぐに引かないのね」というと源が「弓道という位だから作法があるのだろう。」弓道場の脇で見ていたら、
そこは屋外の的場(遠的)だった様で二人の人が出てきて「危ないから出て下さい。」後ろ側に下がって、年配の男性に「何年位やっているのですか」と
聞くと「長いけれど腕の方はね」と照れたような返事。外の的場は60〜70m?「これは難しいよ、放物線を描くように引かないと届かないし」と言う
夫の言葉を聞きながら見ていると、頭の上の方で上向きに構えそのまま平行移動して胸元に持ってきて弓を引く。
最初の矢は的の下の方に当たったが後は・・・。的の中に当てるだけでも大変そう。
三嶋大社の次は、11時過ぎでまだお腹は空いていないのに昼食会場へ。着いたのは湊寿司。食べ放題を売りにしているお店。中は広く、
料理カウンターが3箇所。座席近くのカウンターを見ると寿司だけでなく、うどん、唐揚げ、サラダ、きんぴら、煮物、蟹の味噌汁やデザートも。
他の所には焼きそばやシーフードカレーもあってびっくり。お腹いっぱいになって、身延山へ。
添乗員さんの話では、神社は『困った時の神頼み』のように縁を繋いでおいた方が良いのでお賽銭はご縁があるようにと5円、
二重にご縁があるようにと25円、始終ご縁が、で45円。お寺は死後にお世話になるので、遠い縁で10円がよいのだとか。お寺さんのお賽銭については初耳。
正月中は自家用車の乗り入れは時間制で規制しているとかで、すいすい登っていく。今ならすいているので奥の院まで参観できるというので、
歩くと2時間半のところをロープウェイで7分。さすがに上は風が冷たい。日蓮上人の像を左手に見て奥之院思親閣へ。
雲が出てきて富士山は無理と思っていたら、上は雲に隠れていたものの見えてきたので、にっこり。ロープウエィの下りは混んでいて
時間がなくなったので、久遠寺本堂は急いでの拝観に。途中呼び込みをしているお坊さんの「甘酒の代金はお気持ちで」というのが面白かった。
薄暗くなった帰りの東名でも、ちょっとだけ、白い姿が見える。新春から富士山が見えて今年は何か良い年になりそうです。

東名からの富士   三嶋大社の遠的
身延山奥の院 身延山久遠寺、甘酒を売っていました

神田明神での結婚式 源 恭子 2011年12月2日

姪が先週の土曜日、神田明神で結婚式を挙げました。
神社での挙式に参列するのは初めての経験。ちょっと面白いこともあったので読んで下さいね。
寒いながらも秋晴れの空の下、留め袖を着付けてもらうので、挙式より2時間以上前に到着。
着物一式と草履は1週間前に届けておいたので、ちょっと気楽。
本殿右手の会館に同時に着いた兄嫁達と着付けの場所、地下2階の衣装部へ。待っている間、午前中挙式の花嫁さんが戻ってきて、
ウエディングドレスやお振り袖に着替えて出ていくのを見るのは楽しい。
留め袖に着替えて、1階の控え室に。白無垢の打ち掛け、綿帽子の姪、丸い顔にいつも以上に大きく開けた目が可愛い。
控え室での親族紹介が終わり、会館入り口に整列。
赤い日傘を差し掛けられた花嫁を先頭に本殿へ。雨の場合は、屋根のあるところをショートカットするのだとか。
参拝に来た人達が私達を興味深そうに見ているのが分かり、面映ゆい。中央に新郎新婦が向かい合いに座り、
それぞれの後ろ側に親族が座るが、折りたたみ式布椅子は不安定で座りにくく、時々気をつけて姿勢を正す。三三九度、指輪交換も終え、式は無事終了。
境内右手の明神会館で披露宴。地味にとの新郎新婦の希望で、親族と親しい友人達だけのごく内輪の披露宴。
仲人もなく、新郎自ら知り合った経緯など語り、新郎元上司による乾杯で披露宴開始。お決まりのスピーチもなく、
お料理を食べながら周りの人達と歓談。前方のテーブルに何か白く丸い物が・・・と思っていたら、お色直しで戻ってきてから
ウエディングケーキ入刀ならぬ饅頭(直径25cm高さ12cm位)入刀。後で各自の席へ配られたものをみたら、
1cm厚さの薄切りで中心から黄、緑、茶、ピンクの餡、白い皮の変わり玉のような饅頭。後半はカラオケありの和やかな雰囲気の中無事終了しました。

行ってきました、パラグアイフェスタ 小山恵一郎 2011年10月2日

伊賀上さんお勧めのパラグアイフェスタに行ってきました。場所は光が丘公園のケヤキ広場。
午後遅くに訪れましたが、東京は10月の声を聞くと、急に涼しくなり、ケヤキも少し秋の気配です。
ハープのようなきれいな音色の楽器の連弾、そして頭に瓶を1本、2本、3本、4本と載せて踊るダンスで盛り上がっていました。
周りは、刺繍などの即売、マテ茶の試飲、パラグアイと日本の関わりの展示のテントがあり、にぎわっていました。
日本にいるパラグアイの関係者の皆さんが集っていたようです

行ってきましたパラグアイフェスタの記事を見てお便りします。
あのハープのような楽器とあるのは、別名ラテンハープとかパラグアイハープとも言うアルパという楽器でしょうか。
そして演奏しているのはもしやルシア塩満さんでは?やさしくて力強くまさに滝のような音色のアルパ。
パラグアイでは男性のアルパ奏者が多いとのこと、いつか皆でパラグアイにアルパを聞きに行くのもいいですね。(比地原正子)

小林君の展覧会 小山恵一郎 2011年5月5日

ゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか。5月5日、小林君が通うアトリエの展覧会へ行ってきました。
すでに大泉20期の同期生も何人も訪れたということでした。
アトリエの展覧会は4年ぶりだそうで、小林君の作品は10点以上あったと思います。
風景画が多いのですが、静物画、自画像など、ずいぶんとジャンルが広がっているようです。
私は絵画には素人ですが、たぶんジャンルごとに描き方が違うのではないかと思います。
そこには、小林君が絵画に時間を掛けてきた経緯を見るような思いがあります。
この歳になると、じっくりと時間をかけられる趣味がほしいものですが、「絵画」はその点いい趣味の1つだと思います
いまだ仕事を持つ身で、そのような趣味をもち、いっとき趣味に没頭できる時間を持てるというのは、とてもいいものだと思います
趣味の世界は、その人なりのありようで良いと思います。
皆さんはどのような趣味をお持ちでしょうか

災害時の通信手段 小山恵一郎 2011年3月13日

今回の地震については、想像を超える大災害になりました。同期の方々も、自宅へたどり着くのに苦労された方が多いようです。
また、東北地方など震源に近い個所にお住まいの方、ご親戚がある方には、心からお見舞い申し上げます。
きょう13日、関東地方でも、たびたび余震を感じる状況です。午前中に近くの大型スーパーへ行きましたが、防災グッズは、乾電池まで売り切れです。
明日以後も油断を許さない状況のようです。勤務や用事で外出される方も多いのでないかと思いますので、通信手段について一言述べます。
11日の地震発生以後、長時間にわたって固定電話、携帯電話ともにつながらなくなりました。
電話は、固定電話も携帯電話も、日常時とピーク時の使用頻度の差が大きく、ピーク時の使用をすべて対応するようには設備が作られていません。
従って、今回のように大勢の方が、電話を使おうとすると、電話会社が規制をかけます。このことは理解しておく必要があります。
使用量のピークが下がってくると、次第につながりやすくなります。
今回の私の経験では、相手の携帯電話と通信するとき、携帯電話から発信するとつながらないが、固定電話から発信するとつながることを、何度も経験しました。
このこともお試しください。
また、携帯の相手が必ずしも出るとは限らないので、携帯のメールあて連絡を残すことも良いと思います。会社では、この方法を推奨しています。
ただし、自分からメールを発信できても、相手が直ちにメールを読めない場合もあります。今回、私の経験では、6時間ぐらい遅れてメールが読めるようになっています。
携帯電話もいろいろなケースと特徴を覚えておいて使いこなしが必要と思います。

さて、電力事情が心配になっています。
東京電力では、発電所や変電所の障害のため、需要量を満たす供給ができないとのことです。
すでに11日から、会社では東京電力の要請で節電を始めています。きっと大規模企業では同じことと思います。
さらに、14日夕方から、家庭においても3時間程度、順番で停電になる可能性が報道されています。家庭でも停電対策が必要なようです。

そして、よくわからないのが、原子力発電の影響です。私の周りからは、報道されているレベル以上の重大な関心事でとらえるべきとの
アドバイスを何人かの方から頂いています。
原子力発電については、これ以上、リスクが拡大しないことを祈ります

関屋さん宅訪問 小山恵一郎 2011年2月27日

早春といえどもまだ寒さが残る日々ですが、2月19日、関屋さん宅を訪れました。
その前に、ご近所にお住まいのお母様を訪ねました。私にとっては30年以上のご無沙汰です。お母様は大変お元気でお過ごしで、
日ごろから健康に留意されている様子がうかがえました。
訪問したのは、山下さん、菊地さん、比地原さんご夫婦と私です。みな、高校の若かりしころにはお母様にはとてもお世話になりました。
お母様とともに、すぐ近くの関屋さん宅に向いました。逗子に近い椰子の街路樹がある高台にあり、景色がいいところです。
その日はたまたま関屋さんの奥さんのお誕生日でした。関屋さん自慢のワインセラーから取り出したワインや山下さんご持参のたこ焼き、
比地原正子さんご持参のアサリごはんなどでにぎやかな夕食パーティで過ごしました。
気づくと9時を過ぎており、また皆さんとお会いできる日を楽しみにして別れました。