お便り その5

更新 2011年2月13日

日銀見学 源(旧姓関根)恭子 2011年2月11日

今晩は。
横浜でも雪が降りました。寒さがぶり返しましたが、お元気ですか。

先月、日本橋高島屋で開催する戸塚刺繍展を見に行く際に、日本銀行を見学しようかという話になりました。
早速ネットで調べると予約が必要とのこと。電話で、2月10日に見学したいというと午後3時の回しかあいていないというので、
その時間に予約するとすぐに見学申込書が送られて来ました。
代表者だけでなく、一緒に見学する人全員の住所氏名を書いて1週間前までに、提出。
当日は送られて来た書類と自分の身分証明書(運転免許証等)を持参し、見学時間の10分前までに西門前に集合とのこと。
刺繍展を見て、友人とランチをとった後、日本銀行西門前に行くと、守衛さんに名前を聞かれ、
中でお待ち下さいと案内され見学者待ち合わせ場所に。
表で見かけたサラリーマン風の団体も入ってきたので、一緒に見学するのかと、びっくり。
行内は撮影禁止、液体の入ったペットボトルと刃物の持ち込み禁止。また、入り口には空港同様に金属探知機?があり、
携帯電話やカメラ等はトレイに出してから通るという厳重ぶり。
面倒なので、バッグはロッカーに預けて講義室に。
日銀は、明治29年に建てられ、関東大震災にもびくともせず、太平洋戦争でも戦火を免れた建物。
(聞き忘れたけれど、GHQに接収されなかったのかな?)
最初にビデオで、中央銀行としての日銀の役割を見てから、3グループに分かれて見学開始。
「杉並からお越しの27名様(サラリーマン風団体)」次いで、「作家クラブの20名様」そして最後が私たち含めて残りの20人足らず。
2階まで、格調高いエレベーターで、上り、まず歴代の頭取の肖像が飾られた廊下を歩きます。
最初に目に入ったのが渋沢栄一の孫16代頭取「渋沢敬三氏」。
彼だけが戦後の荒廃を忘れないようにと日本橋付近の焼け跡を背景にしているとか。
歴史の教科書に出てきた2.2.6事件で暗殺された「高橋是清氏」は、ゆったりした風格で達磨さんと呼ばれていたとか。
初代頭取は元薩摩藩士、「吉原重俊氏」。
資料展示室には、建築当時発掘したナウマン象の化石や出勤簿、金塊用の秤等。
そして地下にある平成16年まで使っていた金庫とのご対面。
建築当初より需要が多くなり拡張し、通路も金庫室にした為、昭和7年にアメリカに発注したという重さ10t、幅1m位ある金属製扉。
業務用の厨房施設のように光り輝いていました。毎日誰かが磨いているのかしら。
中に入ると、「監獄みたい」と友人が漏らした檻の中には、札束や金塊のレプリカが入った箱や、貨幣の入った袋が・・・。
関東大震災の時、もらい火でドームに火が入り、上の方が燃えたとか。消火作業の痕跡が白い筋となって残っています。
お札のデザインの最終決定者は外務大臣、日銀本店の建物を上から見ると円の形に見える・・・等の豆知識を得て見学は終わりました。
手続きがちょっと面倒だったけれど、この年になっての社会見学、結構楽しかったですよ。

センチメンタルウォーク 源(旧姓関根)恭子 2010年9月25日

10年ぶりの母校、周辺もすっかり変わりました。
中高一貫校としてのスタートを切った今年、私たちの通っていた時代の校庭に校舎が建つとのことで、
正門から校舎に通じる道の両側は工事中のフェンスに覆われていました。
(工事中正門は閉ざされ、西門(赤線に通じる門)が使われているとのことでしたが、文化祭当日は特別に開けて下さったようです。)

校舎に近いところで、灰色の制服を着た女学生が、こんにちは、と声を掛けてくれます。
高校生にしては幼い・・・、あ〜そうか、今年から中学生がいるのだ、と不思議な感じで校舎内に入って、いずみ会の部屋へ。
PTAの部屋の奥で、来てくれる人がいるかなぁ、と0の会の人々が心配していたのが嘘のように、多くの方たちが訪れてくれました。
中高一貫校、と言うことで、小学生の親子も多く、中学生の男の子達の中には、マイカップを持って冷たい麦茶を飲みに来たり・・・
土曜日の午後しかお手伝いできない申し訳なさで、他の場所を見に行かなかったのは今にしてみるとちょっと残念。

終了後、西門から出て、赤線はあの辺だったかな、と思い出しながら、せっかくだから来る時とは別の道を行ってみようと
歩いていると、3年の時同級だった松本寛さんの表札。
駅の方へ曲がらずにまっすぐ行ったら、学芸大学附属中学校が・・・。
懐かしくて覗きこんでいると、守衛さんが出てきたので、中を見せて頂いて良いですか、と尋ねると、
丁度文化祭だから誰でも入れますよとのこと。中学も「東京学芸大学附属国際中等教育学校」と名称を変え、
高校の一部を抱えている様子。少子化で、生き残りを模索している母校を二つも抱えているなんて、とちょっと感慨にふけってしまいました。

昔は麦畑の中を人に見つからないようにかがんで歩いたっけ、ナンテ思いながら整備された道を通って線路沿いの道へ。
クラブ活動の帰り、友人達と立ち寄った伊勢屋さんがまだあったので思わず入って豆大福を買ってしまいました。
ご主人は今でもお元気で、昔良くお店で煮込みうどんを食べたのですが、と話しかけると、「おじさんは変わらないね、
と言われるけれど・・・」と嬉しそうでした。

来る10月24日は、大泉高校の同窓会総会、是非皆さんも参加して、私のようにセンチメンタルウォーク?をして、
40数年前を思い出してみては如何ですか。

10年前の0の会の同窓会がきっかけで、ハイキング同好会が生まれました。
今年の同窓会で何が生まれる???

大泉高校でまたお会いできるのを楽しみにしています(^^)/~。

伊賀上智雄 さんへ 福原正和 2010年6月30日

 日本・パラグアイ戦 最後まで目を離せない行き詰まる試合でしたね。どちらが勝ってもおかしくない試合でした。 
パラグアイの史上初のベスト8おめでとう。
 「地球アゴラ」 仕事があったのでビデオで見ました。(試合の直前に)(ほんとに最後の数分でしたね・・・ 
ビデオでよかったです LIVEなら延々神田うのたちのおしゃべりを聞いている羽目になるところでした)
 伊賀上氏 人の良さそうなおじさん(失礼 でもわれわれはみなおじさん世代ですね)パワーが全開している感じで 
パラグアイで(古き?良き?)日本人が元気に現地に溶け込み活躍している雰囲気が 非常に良く出ていました。
息子さんも素直そうで感じが良かったです。
 大泉の同級(同期)生が 世界で活躍しているのを見るのは嬉しいものです。
 伊賀上さん 通信いつもありがとう 地球の反対側でのご活躍と ご家族のご健康をお祈り致します。

 またいつか 今度は パラグアイで一緒に飲める日を 夢見ている 札幌 福原でした。

大泉高校ワールドカップ事情 小山恵一郎 2010年6月26日

ワールドカップ、日本代表目覚ましい活躍でしたね。決勝トーナメント進出で、次の相手は何と伊賀上さんのいるパラグアイですね。
伊賀上さんから連絡があり、「夢の対戦」の実現とのことです。
伊賀上さんは、急遽、NHKTV BS−1、「地球アゴラ」に6月27日午後10時より出演する話が決まったそうです。
番組を変更して、最後のほうで、現地パラグアイの様子を少々レポートするようです。
放送は、6月27日、午後10時から10時49分、NHK BS−1です。
「地球アゴラ」の詳細については以下をご参照ください
地球アゴラ

母校でお花見同期会 小山恵一郎 2010年4月4日

4月のさくらの季節は恒例の大泉高校のさくらの写真を撮りに行きます。ひととおとり写真をとり終わり、
正門を出ようとしたら、「小山くーん」と呼びかけられました。
見たら、三東恵利さんとグレスウェル紀代子さんがいるではないですか。そして、その横に吉川悦子さんもいました。
びっくりしました。紀代子さんはお忍び帰国の折、母校のさくらを見に来たとか。吉川さんは写真を撮りに来たそうです。
ほどなく二木あつ子さんも合流しました。
ということで、思いがけず母校でお花見同期会となりました。
なお、本編の公開はしばらくお待ちください。

貸し切りクルーズ同期会 源(旧姓関根)恭子 2010年3月28日

三寒四温、とはいうものの、まだまだコートが手放せない今日この頃、お元気にお過ごしでしょうか。

肌寒いながら晴天の3月27日土曜日、貸し切りクルーズによる中学の同期会がありました。
両国国技館前から船に乗り込み、6人掛けの席に思い思いに座り、船が動き出しました。
窓外には、ライトアップされた2,3分咲きの桜が・・・。
東京スカイツリーの傍を通る時には、武蔵の国だから634mに計画されたと、同席者の説明もあり、
景色を楽しんでいる内に、同期会幹事長の挨拶があり、還暦同期会が始まりました。

中央のテーブルに並べられた大皿から料理を取り、席に戻る頃には、あちらこちらで笑い声が・・・。
小学校では喧嘩が日常茶飯事だったのに、附属中学に来たら先生に注意されてしまったとか、
臨海学校で遠泳して陸に上がったら足ががくがくしてうまく歩けなかったとか、中学時代の思い出に花が咲きます。
私の中に物静かな人という印象があった、ハワイから駆けつけてくれた人は、ゴルフ部を立ち上げました、とお誘いの声に、
ゴルフでなくサーフィンをやっているとの返事。
中学時代は自分の事に精一杯で、周りを見渡す余裕が如何になかったのか、改めて思いおこされます(今も変わらない?)。

中学時代には、クラスが違い話したことのない人とも話す機会が出来、記憶の彼方に行っていた思い出を引っ張り出し、
少し脳の活性に役立ったかな?
かちどき橋、ベイブリッジの下をくぐり、ネオンに輝く東京の夜景を眺めながら、話が弾みます。
ふと気づくと多数の人が船室外に・・・。
えっ、どうしたの、と行ってみると、ビールの飲み過ぎか、話にあつくなったのかで、涼みに来たとのこと。
立ち話をしている内にあっという間に両国に戻ってきてしまいました。

今朝、テレビを見ていたら、気候変動対策への関心を世界的に高めるために企画されたアースアワー、
昨夜8時半から東京タワーも消灯したとのこと。
私が見ていた後に消灯したとのかな、と思うとなんだか感慨深いものがありました。

気温の変化が一段と激しい今日この頃、お体お大切にお過ごし下さい。

石神井公園駅が高架になりました 小山恵一郎 2010年2月7日

西武線の石神井公園駅が今日から上り線が高架になりました。
多くの方は、昔高校に通ったころのイメージしかないのではないかと思います。
つい最近までは、確かにほとんど昔のままでした。西武線は10年ぐらい前から、
桜台と石神井公園間を高架複々線化の計画があり、練馬高野台まではすでに工事が完成しています。
今回の上り線の高架化は、その延長工事の第一期にあたるものです。

ホームに上がって見ると、ずいぶん高いところにあり、大泉学園側は奥武蔵の山々を眺めることができ、
練馬側は新宿の高層ビル街が眺められます。
幅もずいぶん広くなり、日差しがよく入るとても明るいホームです
私は10年ほどこの街に住んでいますが、北側と南側が分断されています。私は駅の北側に住んでいますので、
南側の石神井公園に行くのは、幾分か不便を強いられていました。
開かずの踏切も、半分だけ便利になるのではないかと思います。
この工事は今後下り線も高架化され、西側は大泉学園駅近くまで高架になります。2013年度に竣工の計画です。
その時には、わが大泉高校は西武線から見下ろすことになるのではないかと思います。
尤も、そのころには、きっと今のグラウンドに中高一貫学校の校舎が建っていると思います。
そう思うと、あと数年もたつと、我々の大泉高校の姿は見られなくなってしまうかもしれません。
そういえば、いよいよ今年4月から、中高一貫学校の一期生が入学するそうです。

     
     

明けましておめでとうございます 夜久有滋 2010年1月7日

 20期の皆様、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
 人生には何が起こるかわからないものです。
昨年の12月17日木曜日、何か心が惹かれる思いがあり、また仕事が休みなのに孫のお守りをさせられそうな予感もあり、
AM3:30起床で日立久慈港までヒラメ釣りに行きました。
当日の夜はPM7:00から東京で私の還暦祝いの宴席が予定されているにもかかわらずです。この無謀な行動に感心してくださったのか、
釣り開始早々に竜宮城の乙姫様から還暦祝いの大プレゼントを頂きました。
93cm、9.5kgのモンスターヒラメを釣り上げました。
自分でもビックリで(過去の最大記録は3年前の70cm、3.3kg)その後はボーッとして釣りになりませんでした。
スポーツ ニッポンの紙面をも飾ってしまいました。
2001年から人生500回釣行の願をかけていますが、217回目の出来事でした。
帰宅して獲物を我が家の昔の乙姫さまに見せると、「あんたは本当にいい趣味をもっているね。」と久々にお褒めの言葉を頂きました。

「今が幸せ。そう思えば、本当の幸せはすぐやって来る。」

夜久有滋

文化祭 金子研一 2009年11月11日

ご無沙汰しています。
ボート部のメールで、関から
11月27日(金)8:00からNHKの「ご近所の底力に出演するよ」という知らせが届きました。
ということで、連絡する次第です。
ついでに、学生からお菓子をもらい、良い気分になっているので、近況を投稿します。

 7組の金子です。第二の人生を福島工業高等専門学校で送っています。
 11月7日に磐陽祭(文化祭のこと)が開かれました。私は部活の顧問として硬式野球部と女子体育愛好会を引き受けているのですが、
写真は模擬店で女子体育愛好会の学生たちと写したものです。元気でしょ、高校2年生にあたる年齢です。
あやしげな名前の愛好会ですが、それなりに運動しています。模擬店ではアメリカンドックを売りましたが、
たくさん利益が出たということで、「研究室で食べて下さい。」と菓子折りをいただき、ほろっとしているところです。
 もうじき60ですが、若い人のエネルギーをいっぱいもらい、頑張っています。

讃井優子さんからのお便りによせて 比地原正子 2009年8月19日

先日の同期会の少し前に故讃井正光さんの奥様の優子さんからお便りとともに、生前に正光さんがご家族のために書かれた
日帰り旅行の紀行文と、優子さんの気持をつづった2つの小冊子をお送りいただきました。

お便りによると、早く逝ってしまった正光さんが残してくれたものや、生前にはあたりまえで気付かなかった存在の大きさを今感じて、
それが今の自分を励ましてくれていると思えるのだそうです。そして、悲しいだけでは夫に申し訳ないと思えるようになって、
楽しかったことや、心から良かったと思うことを書いてみました。
また、正光さんの紀行文については、読んだ方が元気な讃井さんを文の中に見つけていただけると思いますとのことです。

お手紙の中にあった、悲しいだけでは申し訳ない、楽しかったことや心から良かったことを想っていこうという姿勢は
素晴らしいと思いました。今讃井さんのご両親のお世話をなさりながらの毎日はその姿勢のなかで、
彼が残していった大きな深いものに包まれての毎日だと思います。

今そのお二人の小冊子は同期の方の間を回っています。そのうちに讃井さんと親交の深かった方のお手元にも届くことでしょう。

ふと、ご遺族のかたも投稿できるコーナーがいつかできたらいいなと思いました。