リレー投稿 その2     

更新 2010年1月1日

ゆく年くる年 山口達夫 2010年1月1日

大泉高校20期同期の皆さん、2010年、明けましておめでとうございます。
昨年12月に、力丸裕さんからリレー投稿のバトンを受けました。年末のクリスマス頃まで仕事でバタバタしていましたので、新年のあいさつを兼ねて投稿させていただきます。

ゆく年(2009年)のオンとオフ

オン:仕事の話です。年間34回。
この1年で、研修の関連で地方に出張した回数です。2泊3日が多いので、およそ100日ぐらいは出かけていた計算になります。
富士ゼロックスに過年度入社後、一般企業向けの社員教育(販売分野、リーダーシップやマネジメント分野)に携わるようになって27年。いまでは、こういうパターンの方が多いと思いますが、11月に定年を迎え、そのまま再雇用契約で会社に残っています。給与は大幅ダウンしましたが、仕事の内容はほとんど変わっていません。というか、コストダウンのためこれまでキャッシュアウトが発生していた外部講師への依頼を減らし、安い人件費(!)の我々再雇用社員の登壇機会が増えているので、かえって出張などが増えているというのが実情です。けっしてうれしい状況ではありませんが、あまり気にしないようにしています。その理由の一つは、いつもではありませんが、行ったことのない場所での研修もあるということです。たとえば10~12月には岩手県八幡平に毎月出かけました。
また、12月には同じ東北ですが、研修の合間に20年ぶりに仙台市内の見物をしてきました。こんな楽しみがなければやっていられません・・・。

なんか、仕事の話か、余暇の話かわからなくなりました。

「紅葉の八幡平から岩手山を望む」 「仙台・伊達正宗の墓所・瑞鳳殿」
 「仙台・光のページェント」    

オフ:ほんとの余暇の話です。年間59回。
12年前、勤続20年の長期休暇取得の際に始めたおじさんテニスを、以降、肉離れの時以外休むことなく週1回以上のペースで続けています。
スクールでは1コマ90分を2コマ連続で参加、別のサークルでは平均して4時間ほどゲームばかり行うという、かなりのテニスフリークになっています。
上達することについては半ばあきらめていますが、毎週汗を流すということは健康維持には欠かせない有酸素運動であり、ストレス解消にもなります。一見激しい運動のようで躊躇する人は多いと思いますが、体力に合わせて少しずつ体を慣らしていけばいいのです。試しに、近くのテニススクールで3カ月~半年くらい通ってみてはいかがでしょうか。週1回2時間のチャレンジをお勧めいたします。
ただ、本当の意味で健康維持のためには、週1回の激しい運動よりは、毎日のウォーキングのほうが効果はあるようですね。

くる年(2010年)

「自分がやるべきことを明確にする」ことを大切にしたいと思います。
まだまだ企業を取り巻く環境は厳しい状況が続きます。ある意味、還暦を迎えた私たち世代は恵まれているほうかもしれませんが、さまざまな構造改革などの大きなうねりにいつ飲み込まれるかわかりません。このような変化に負けないように、体力・知力をさらに磨く必要があると実感しています。
そのために、「仕事の面でさらなる挑戦をする」ことを考えています。

さて、新年の挨拶はこれくらいにして、次の方へバトンタッチしたいと思います。
ご本人の了解は得ていませんが、きっと了解してもらえることと確信し、荒井(高尾)真理子さんへお願いしたいと思います。

編集者注 原稿には写真が張り付けてありましたが、処理ができないために、写真をお送りいただいています。届きましたら掲載いたします

日本語雑感 力丸 裕 2009年12月9日

力丸と申します。川口章子さんからバトンを渡して頂きました。皆様とは、本年(2009年)7月4日に、1968年3月に卒業して以来初めてお目にかかりました。現在、京都にある同志社大学の生命医科学部・生命医科学研究科で、教育と研究を行っています。音声、音楽など音の聴こえの仕組みの神経機構を扱っています。本日は、私が最近感じております日本語における、カナ表記についての雑感をお話致したいと思います。
皆様もご存知のように、現在の表記では「自信」と「地震」は、共に「じしん」です。「自信」は「じしん」で、「地震」は「ぢしん」ではありません。人名で、静子さんは「しずこ」、志津子さんは「しづこ」ですが、パスポートでは、両方とも「Shizuko」と表記されます。「しづこ」が「Shiduko」や「Shidzuko」ではなく、「Shizuko」なのです。しかし、アルファベットからカナへの変換では、「Shizuko」は「しずこ」になりますが、「しづこ」にはなりません。では、「ちぢむ」はどうでしょう。「chidimu」や「chidzimu」でないことは勿論ですが、「chizimu」でもないのです。何と「chijimu」です。私の発音する「ちぢむ」は、「chijimu」ではありません。たぶん、「chidzimu」でしょう。現在のカナ表記やアルファベット表記では、「だ」「で」「ど」以外の「た行」の濁音を極端に嫌っています。異常です。そのため、外国語を輸入してカタカナ化する場合でも、本来の音が失われています。多くの日本人がカタカナ化した外国語を正しいと信じてしゃべるために、間違った発音になっている場合が多くあります。たとえば、「AIDS」です。「エイヅ」と表記すべきですが、新聞でも雑誌でも「エイズ」と表記しています。これでは、カリフォルニアのプロ野球チームの「A’s」です。日本語話者は、「AIDS」を「A’s」と発音してしまうのです。このような表記方法が発音だけではなく、結果的に「AIDS」と「A’s」や「Cards」と「Cars」を音としても弁別ができない脳神経構造を創り上げてしまうのです。さらに、自動車製造業のマツダは、Mazdaとアルファベット表示をしております。そのため、外国人は、「マズダ」と発音します。「マツダ」ではありません。外国人と自動車の話をするときに「マツダ」と言っても通じません。しばらくして、「オウ、マズダ!」と気づくのです。「ラヂオ」radioが「ラジオ」rajioになったのは、かなり前でした。公文書に耳慣れないカタカナが氾濫する現在では、ここでお話しました傾向は益々強くなり、外国語の不得意な日本人が益々増大しそうな予感がします。このようなことを考えているのは、私くらいなのでしょうか。
次のリレー投稿を山口達夫さんに引き継ごうと思います。

 次は・・・京都から渡されましたバトンを、再び京都へ返したいと思います。
同志社大学でコウモリの聴覚の研究をされています力丸裕さんにお願いします。きっと、面白いお話が聞けるものと楽しみです。

イスタンブールからアテネへ 木村(旧姓佐々木)邦子 2009年10月19日

木村(佐々木)邦子です。リレーエッセイのバトンが須藤君から廻ってきました。同期のホームページを覗いてみると、楽しい原稿ばかり。みんな文章旨いですね。私は2002年に27年間勤めた東レ㈱を退社して、京都大学の研究員をしています。私事では、3年前から1回/年のペースで夫と海外旅行に行くことにしています。今回は9月21日~10月3日に行ったイスタンブールからアテネへのトラブル満載の旅行について書きます。
  旅程は関空→フランクフルト→イスタンブール(4泊)→テッサロニキ(ギリシャ)(2泊)→アテネ(4泊)→フランクフルト→関空(イスタンブール・アテネ間は列車の予定)で、航空券とホテルだけ予約して出かけました。イスタンブールは塩野七生さんが「コンスタンチノープル陥落」に書いている1450年当時の雰囲気を今も残す魅力的な街でした。到着して最初に、テッサロニキ行きの国際列車の切符を買いに駅へ。トルコ国営鉄道のホームページでは1日1本走っていることになっています。しかし、切符売り場では、列車は当分運休で、鉄道でギリシャへ行くのは不可能だと告げられました。困ってinformationに駆け込むと、列車は無いからバスで行けと言われ、バス会社の名前と場所を2つ、自身満々で教えてくれました。電車に乗ってその場所に行ってみると、1つはモヌケの空、もう1つは確かにバスのターミナルではあったのですが、ギリシャ行きのバスはないと言います。Informationがガセネタを教えるなんて・・・。困り果て、ホテルに帰ってフロントにバスの切符を手配して貰おうとしました(米国資本のホテルなのでフロントは英語を話します)が、フロントの男性は客の到着・出発の対応に追われ、そんな面倒なことはやりたくないのでしょう、「バスはない」と言い張ります。Informationと言い、フロントと言い、なんていい加減な人たちでしょう。翌日、フロントはくだんの男性から有能そうな女性に替わっており、何とかバス会社を見つけてくれました。タクシーで切符を買いに行き無事に入手できましたが、切符1つ手に入れるのに1日半以上費やしました。
  テッサロニキ行きのバスは大型の立派な車でしたが、お客は10人程度(殆どがトルコ人で、一部ギリシャ人)。所要時間11時間の長旅です。運転手が2人いて交代で運転しますが、トルコ語以外喋りません。3時間ほど走った後、休憩なのでしょう、乗客がバスから降りるので私と夫も降りました。バスに鍵が掛けられ、みんな何処かへ消えてしまいました。近くで昼食を食べているらしいのですが、トルコ語が判らない私たちは置いて行かれるのが怖くてバスの前を離れられません。結局1時間ほどしてみんな戻って来ました。さらに3時間ほど走った後トルコ側の国境に着きました。バスから降りて、パスポートにトルコ出国の印が押されます。同時にギリシャ入国の印も押して貰えるものと思っていた私は運転手さんに英語で聞いたのですが、英語は「yesとOK」しか喋らないようです。とりあえずバスに乗ると、数100 m先にギリシャ側の国境がありました。そこでは、全員のパスポートが集められ検問所の中へ。乗客は外で2時間ほど立ったまま待たされます。その間に全ての荷物が開けられ検査されました。やっと終わってパスポートが返されたのですが、今度もギリシャ入国の印が押されていません。変だなと思いながらバスに乗り込み、ふっと窓の外を見ると検問所の役人が私に向かって慌てて「降りて来い」と手招きしています。パスポートを持って行くとギリシャ入国の印を押してくれました。理由は判りませんが、私と夫のパスポートだけ入国印が押されていなかったのです。それにしても、検問所の人はよく気付いてくれたものです。そのまま通過していたら不法入国で大使館行きでした。
  テッサロニキはアテネに次ぐギリシャ第2の都市ですが、観光化されていなくて美しい港町でした。テッサロニキからアテネまでは列車で5時間。生憎の曇り空で、車窓からオリンポスの山は見えませんでした。
真っ青な空に浮かぶアテネの遺跡はさすがにどれも圧巻でした。アクロポリス神殿は垂直高さ100m程度の丘の上にあります。足の悪い私は折り畳みの杖を持参してそれを頼りに登りました。上に着くと、車椅子の人が居るではありませんか。下山してから丘の裏側に周ると、なんと、ロープが1本付いた工事現場の荷物運搬の箱の様なものが空中を上下しています。車椅子の人はこれに乗って上まで行けるようです。それにしても、乗るには勇気のいる代物です。
  アテネの港から1時間ほどフェリーに乗って近くの島に行きました。エーゲ海の色はエメラルドグリーン。島の中を半日散策して、戻りの船の切符を買いましたが、待てども船が来ません。
1時間遅れてやっと来た船は、乗客を降ろすだけで乗せてくれません。待っている人たちに船長がギリシャ語で何やら説明しています。英語で話してほしいと頼むと、「大丈夫。もう少し待て」とのこと。さらに待つこと1時間、船長の言葉を合図に、待っていた乗客たちが一斉に切符売り場へ走って行きます。遅れては大変と後を追うと案の定、別のフェリー会社の切符に振り替えるから5分後に出航する船に乗ってくれとのこと。港を駈けずり廻って何とかアテネに帰れましたが疲労困憊でした。
英語圏でない国へ土地の言葉も勉強せずに行った罰で、ヒヤヒヤものの旅になってしまいました。でも、帰ってみると楽しい思い出です。

   
 ホテルの屋上から望む夕暮れのブルーモスク(イスタンブール)    アヤソフィア(イスタンブール)
     
     
 パルテノン宮殿(アテネ)    パルテノン宮殿(アテネ)
     
     
 エーゲ海船の中    エギナ島の港(水深が浅いので本当にエメラルドグリーン)
     
     
 エギナ島にあるアフィア神殿(BC5世紀ごろのもの)    エギナ島の港と町並み
     
     
 エギナ島(原稿にある島)の港にある教会