更新 2011年2月20日
この冬は厳寒!との昨秋の予報どおり、先月からは想定外の豪雪が各地を襲い、被害の状況がニュースにならない日はありません。とはいうものの、立春も過ぎ、空の色や木々には少しずつ春の気配が見えてきました。
若いころはこういった季節の移ろいに余り関心がありませんでしたが、蠟梅の香りに心和んだり柳の新芽に清々しさを感じることができるのも、還暦を過ぎ、ハチャメチャに働き回った時から一段落したからかもしれません。
50才を過ぎてからの手習いの一つに「茶道」があります。嘗て20代に一度入門しましたが、すぐやめてしまいました。しかし今回はもう10年以上も続いており、毎回その奥深さと楽しさに嵌っています。
茶道の中でも「濃茶」を一客一亭(つまり二人)で頂くのが最も楽しいです。季節を少し先取りして、お招きした方のお祝い事などにあった趣向を考え、道具を揃えます。勿論高価な物や由緒のあるものなど手持ちにあるはずがなく、それでも自作の茶碗や季節のお菓子を用意して、少し綻んだ侘介などを庭から切り、炭を熾して待ちます。その微かな匂いが日本人だなぁと思わせます。
挨拶のお辞儀もいつもよりゆっくり。一言三言挨拶した後は殆ど無言でお茶を点てます。湯の沸く音や炭の弾ける音、外の音が聞こえてきます。テレビをつけっぱなしの生活とは別の世界です。そのうちお茶を練るにつれて小さな茶碗から香りが立ちます。いかがでしょうか。おいしいですねぇ。というやりとりの後は、ほっと一息、ひとしきりお喋りがはじまりますが、これが難しい。お茶の席では他人の持ち物や家族の私的なこと、また宗教などは戒められていますし、こんな私に拡張高く豊富な話題があるはずがないのに、そこを、季節や伝統芸術の話題でなんとかゆったりとした時間と空間を保つのが難しくもあり、楽しくもあり。そう、「お茶」でありながら日常とは違った舞台を楽しむわけです。
そもそも「茶道」のお稽古は季節ごとに趣向が変わり、毎週毎週違った手前の練習になります。春から夏へ気温が高くなれば火を客から遠ざけるべく釜が風炉になり、少し涼しくなれば中置になり、秋風が吹けば火が見える位置の炉になる。夏は平茶碗と水差しも大ぶりのものを使い、冬は口の小さく冷めにくい筒茶碗。思いやりの心。お茶碗を回して頂く作法も作者を敬い道具を大切にする心。それにしても単調な儀式的なことが多い!と敬遠する方が多い「茶道」ですが、やってみるとそれぞれの動作には理屈に適った自然な流れからおこる約束事があることがわかります。そして頭のトレーニング!と思うととても愉快なのに、教本もあるし昨年同じことをしたのに、もう忘れちゃって出てこない。うじうじすることも度々。ああ巨大なパズルなのです。
「お茶」って実はシルバーに好適な遊びだと思うのです。ゆったりとした時間が持てる。人に接する。季節を感じる。掛け軸をみて古文や漢文を思い起こす、茶花をみて野の花の名を覚える。香道もちょこっと入門。器を手にして各地の焼き物を訪ね、茶杓や茶筅、古布から伝統工芸を知る。勿論緑茶は日本の誇る健康食品。要は美味しいひと時のため根気よく飽きずに手前を覚えるだけ。
それでも、正座がどうも・・・という方、勿論胡坐をかいても結構ですが、それより1~2キロ体重を落とされると正座がグンと楽になります。背筋もシャンと伸びます。着物や袴もカッコ良く着られます。
どうです?敷居が高いとか恥ずかしいとか言わないで「お茶しませんか」
内藤、清水、小笠原君からヒマラヤの報告でも書けや、との事ですので、簡単に。
大学時代は山岳部でしたので、ヒマラヤへのあこがれは残っていました。
「足立たば 北インヂヤの ヒマラヤの エヴェレストなる 雪くはましを」 子規
というわけです。
30年ぶりの山行なので、最初は楽なアンナプルナ周遊あたりからとも思いましたが、まだ動けるうちに一気に、と決めました。
「エヴェレスト山群3大ピーク登頂トレッキング29日間」。ゴーキョピーク(5360m)、カラパタール(5545m)、チュクンピーク(5550m)を周遊する21日間テント暮らしというビッグトレックです。
10月21日に成田発で11月18日に帰ってきました。
色々な出来事があった上で、最後は悪天候下カトマンズへの脱出で、ドイツ人グループとのヘリコプター奪い合いまであって、面白い展開が続きました。
体重が6㎏減り、低温・低酸素・乾燥・栄養不足などが原因の咳が2ヶ月程残りました。
山は男のロマンだなんて言うけれど、とんでもない話で、単独行orポーター一人やとってヒマラヤを好きなように歩き回っている欧米・日本の女性に数多く出遇いました。
僕はあなた達の事を決して忘れない。
帰ってきて、何か腑に落ちたような、納得したような心持ちが、今でも続いています。
有名な高峰が20以上、顔見世興行のように次々と展開して、思っていた以上の満足感でした。
それを大事にしたい気持ちがまだ強く、この夏には勢いで、K2・バルトロ氷河に行くつもりでしたが、先に延びそうです。
行ったら、また報告します。
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アマ・ダブラム6,856m | アマ・ダブラム① 6,856m | |
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アマ・ダブラム② | エヴェレスト8,848m | |
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カラパタール5,545m山頂から(奥エヴェレスト、手前クーンブ氷河) | カラパタール5,545m山頂から(奥エヴェレスト、手前ヌプツェ7,879m) | |
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ゴーキョピーク5,360m山頂からの眺め① | ゴーキョピーク5,360m山頂からの眺め② | |
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ゴーキョピーク5,360m山頂からの眺め③ | コンデ・リ 6,011m | |
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チュクンピーク 5,550mにて | ナムチェ村3,440mからエヴェレスト遠望① | |
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ナムチェ村3,440mからエヴェレスト遠望② | プモ・リ 7,165m① | |
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プモ・リ 7,165m② | ホテル・エヴェレストビュー | |
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ローツェ ① 8,516m | ローツェ ② |
20期の皆様、こんにちは、小笠原信一です。
前回、次の投稿者として岡田重道さんにお願いしていましたが、岡田さんはヒマラヤに1カ月トレッキングに出かけており、連絡がなかなかとれませんでした。
私自身も、12月に24日間マダガスカルに出張しており、タイムリーに動くことができず、HP管理者の小山さんにはご迷惑をおかけしました。(反省)
ようやく清水さん経由で岡田さんとコンタクトができ、1月22日に練馬でトレッキング報告会兼リレー投稿執筆打ち合わせを行いました。当日は岡田さん、清水さん、内藤さん、小平田さんを含む5名で岡田さんの撮影した素晴らしいヒマラヤ写真集を肴に酔いしれていました。
岡田さんにはヒマラヤトレッキングの話題で投稿いただきます。ご期待ください。
さて、次回の予告はこの辺にして少しマダガスカルのことを書きます。
マダガスカルは南アフリカの東にある島国です。島国といっても日本よりも面積は大きく、希少生物(キツネザル、カメレオン等の固有種が豊富)が住む島としても有名です。また、腹が出ている(エンタ先生みたい)バオバブの木も有名です。最近ではNHKで福山雅治が現地を探検してレポートをしていましたのでご存知の方も多いかと思います。
しかし、軍部によるクーデターで不安定な政権のまま国際社会から孤立しており、これと言った援助もなく国民一人当たりのGDPは400ドル/年です。私が出発する1週間前にも空港が一部の将校によって封鎖される事件が起こりました。
今回の出張は治安の問題からキャンプの外には出ぬよう釘を刺されており、(掟を破る度胸のあるドライバーがいなかったので)残念ながら国立公園に行く機会もなく、サイトサーベイ中に通った市場でアンモナイトの化石を購入したくらいの限られた行動でした。(ワクワクするような話をご紹介することができず、残念です。)
リレーの襷をつなぐのに日本/ヒマラヤ/マダガスカルで追いかけっこをしていたなんて、後でわかれば面白いですね
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アンモナイト | 乾杯 | |
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岡田さん報告会 |
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20期の皆様、お元気ですか。
こんにちは、小笠原信一です。ご無沙汰しています。小平田 正行さんがリレー投稿の指名を受け、高校時代のバレー部仲間ということで一緒に投稿しようということになりました。
普段はそれほど付き合いがなく、高校バレー部OB/OG会つながりで連絡を取る程度でしたので、練馬駅界隈で投稿作戦会議を開きました。これには小平田君を指名した清水さんも参加してくれ、大いに盛り上がった結果、主旨から外れてほとんどが単なる飲み会になってしまいました。
なんとなく術中にはまったような気がする(失礼)のですが、気軽に書きたい事を書けばよいとの指令ですので、当日の思い出話と近況報告をします。
小平田は高校卒業後、大学生の4年間、大泉高校の男子バレー部のコーチをしてくれたのが印象に残っています。私は大学で自分がバレー部に入っていたので高校にコーチに行く機会があまりなかったのですが、高校のバレーコートに行けば必ず彼がいました。ついでに言うと尾崎彰夫という男も女子バレーのコーチをしていて連日大泉高校のバレーコートにいました。(彼ら二人はいつ勉強をしていたのだろう。謎?)
思い出話:ある日バレーコートに行ったら珍しく小平田がいなかった。現役部員は“ややお楽しみモード”で練習していると、桜並木から下駄の音が聞こえた。とたんに現役の顔から笑顔が消え、“大真面目モード”に瞬間ワープ。もちろん下駄の音は小平田の登場BG音だったのであります。(鬼の小平田。自称:仏の小平田。どちらが正しいか。真相は当時の部員に聞くしかないですが、本当のことは誰も言わないでしょう。もうみんな大人ですもの。)
小平田の近況ですが、2年前に長年務めてきた堅い会社からネット金融関係の会社に転職。ますます元気というところです。可愛いお孫さんもでき、携帯の待ち受け画面はお孫さんの写真です。(孫のいない私としてはうらやましい限り)彼の元気で若々しい姿は写真を添付しましたので見てください。
さて、私、小笠原ですが、大学卒業後、電機メーカに入社し技術屋として働きました。今年4月から畑違いの商社に移り、技術アドバイザーをしています。転職時の健康診断で「血圧が高いのでトレンドをとること」と、「運動をすること」を指導され、血圧の測定とWalkingを毎日しています。1日11,000歩(10,000歩+こだわりの1,000歩)クリアで頑張っています。通勤だけでは不足しますので、夜もWalkingするのですが、徘徊と間違えられないよう歩数計を持って歩きまわっています。(家族曰く;あなたは歩数計の奴隷!)
3人で久しぶりに会って話したことはやはり大泉高校と関わる話題でした。小平田とはバレーボールでのつながりで、そういう切り口しか見てきませんでしたが、彼の別な面/人脈を今回の作戦会議(?)で知りました。清水さん、アシストありがとうございました。
次回のリレー投稿者には岡田重道さんという意見がありましたので岡田さんに期待します。
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再開 | 小笠原さんと小平田さん | |
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清水さん | ||
大泉高校20期の皆様お元気でしょうか、木村徹です。
岡本謙蔵君よりリレー投稿の以来を受け、軽い気持ちで引き受けてしまい、苦労して作っています。
3年の時には4組にいましたが、あまり目立たない存在でしたので、覚えている人も少ないのではないでしょうか。
現在の写真から思い出すことができるでしょうか?
高校を卒業以来あまり同期の人とも会わなかったので、これまでの人生を軽く振り返ってみたいと思います。
高校のときは文系のクラスにいましたが、大学は農業土木を卒業し、パシフィックコンサルタンツという会社に就職しました。23才の時でした。
一般の人には馴染みのない会社ですが、土木の設計を主としてやっている会社で、この業界では日本で1、2位を争う規模の会社です。
私は下水道関係の設計を担当する部門に配置され、主として下水処理場やポンプ場の設計に携わり、北は北海道から南は九州まで飛びまわってきました。
24才で社内結婚し、3人の子供に恵まれましたが、今ではその子供たちも、33才、30才、25才となり、皆それぞれの生活を忙しく過ごしています。
40代後半に系列会社のパシフィックコンサルタンツインターナショナルという会社に移り、今度は日本政府の海外援助(発展途上国に対する)の仕事に携わってきました。
仕事は下水道の計画、設計、環境保全などを担当してきましたが、ちょっと変わった仕事としては、旧日本軍が中国に遺棄してきた化学兵器の処理の仕事などにも参加してきました。
これまでに仕事で行った国は、ハンガリー、ルーマニア、インドネシア、ベトナム、タイ、パキスタン、中国、アメリカ(横田基地内の仕事)などです。
私が海外の仕事をやってきたなどと聞くと、知っている人はちょっと驚くかも知れませんが、多分体が丈夫だったのと、あいつなら現地食しかないところに行っても大丈夫だろうと思われたためと思っています。
事実、仕事では日本人が行かないような地方都市へ行くことも多かったですが、風を引く程度の病気しかせずに過ごしてきました。
まあ、どこへ行っても仕事は程々にして、夜は酒を飲んで現地の食べ物をおいしく食べていましたが。
酒では、ハンガリーとルーマニアではワインと果物から作ったお酒、ベトナムでは米から作った焼酎、中国ではやはり紹興酒と白酒がおいしかったですね。
ベトナムでは、鳥インフルエンザがはやっているときにちょうどホーチミンに滞在していたり、中国では、2005年に対日感情が悪くなり、日本大使館に石が投げられたりしていたときに北京に滞在していたりしたのも、今では良い思い出となっています。
57才のときに、会社の業績が思わしくなくなり、給料カットなどがあったことや、かみさんからそろそろ日本にいて2人でいる時間を多く作って欲しいという要望があったこと、ストレスの多い仕事に嫌気が差し始めていたことなどもあり、思い切って退職し現在に至っています。
リレー投稿者の菊地さんも書いていましたが、私も現在は入間市に住んでおります。西武線の入間市駅より徒歩12分くらいのところです。
入間川と霞川に挟まれたところと言えば、近くの人にはよく分かると思います。
入間市は菊地さんも言っていましたが、自然環境に恵まれた素晴しいところです。散歩やジョギング、自転車乗りといった運動をするところはすぐそばにたくさんあり、年をとったら住むのにはいいところですよ。
だいぶ田舎といった雰囲気の多いところですが、病院も多く、映画館もありますからね。私はとても気に入っています。
話は変わりますが、20期の同期会には30台前半ころに原宿やったときにしか出席せずにいましたが、去年の同期会には出席すればよかったと思っています。だいぶ盛会だったようですね。
今皆の顔を見ても、半分くらいは分からないのではないかと思っています。
女の人たちも変わりないのか、会ってみたい気がしています。(特に好きだった人には)
私自身もずいぶん変わったとは思いますが、自慢できることは高校時代とウエストサイズが変わっていないこと位かな。
髪の毛も薄くなったし、白髪も増えてきたし。
皆さんは何か健康にいいことをしていますか。
年をとったので何かやっている人は多いとは思いますが。
私は毎朝冷凍の青汁に野菜ジュースを混ぜたものを飲んでいます。そのほかはゴマの栄養分のセサミンの摂取、ヨーグルト等のカルシウムの多い食べ物を多く摂ること、野菜を多く摂ることなどを心がけています。
運動ではとにかく歩くこと、自転車乗り、週1回の筋トレといったとろですかね。
こう挙げてみると結構やっているものですね。
もちろん毎日の晩酌も欠かさずに楽しんでいますが、このところさすがに量は減ってきていますね。
もしもう一度人生をやり直せるとしたら、迷いなく大泉高校の時からと言えるほど充実した楽しい3年間でした。
今度の同期会には必ず出席しますのでよろしく。
さて、次の投稿者は誰に頼もうかな。
池田裕二郎君あたり覚悟しておいてね。
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皆さん ご無沙汰しております。 菊池久さんのご指名によりリレー投稿します。
過日、大泉学園駅側の居酒屋で一杯やっていた際、内藤君・菊池君よりリレー投稿の話があり、酔った勢いでバトンを受けてしまった次第です。 今回は昔からの良歌の紹介です。
小生は先月をもって、長いサラリーマン生活に一区切り。丁度今、サラリーマン卒業の余韻を楽しんでおります。
さて、その会社生活でしたが、高校時代の部活でサッカーボールを少し蹴ったというだけで、半ば強制的に、勤めた保険会社のサッカー部に入れられ、加えてラグビー部まで加入した結果、会社生活の半分、ボールを蹴るはめになりました。そのような中で、リーグ戦が終わった時の飲み会やメンバーの転勤・退職時に、必ず肩を組み歌うのが「古い顔」という歌です。(元々は歌声運動で流行ったものらしく、ご存知の皆さんもおられると思います)
「古い顔」を学生寮や会社独身寮で寮歌としているところもあると聞いています。還暦を過ぎたくらいでは、この歌詞は早すぎるかもしれませんが、良い楽曲と思います。本稿で改めて紹介させていただきます(インターネットで曲名を検索するとメロデイも分かります)。
「古い顔」 チャールス・ラム原詩・西條八十訳詞
○子供の頃に 遊んでた 学生時代に つき合った
いろんな友が いたけれど みんなみんな 今はない
ああ なつかしい 古い顔
○夜おそくまで 座り込み 笑って飲んだ ものだった
あの仲良しの 飲み仲間 みんなみんな 今はない
ああ なつかしい 古い顔
○恋もしたっけ 素晴らしい 美人だった あの人も
今じゃ 会えない 人の妻 みんなみんな 今はない
ああ なつかいい 古い顔
心知った 友達は 兄弟よりも なつかしい
おんなじ家に なぜ君は 生まれ来ては くれなんだ
○そうすりゃ今でも そばにいて 亡くなった友 去った友
うばわれた友 いろいろな 昔の友を 語ろうに
みんなみんな 今はない ああ なつかしい 古い顔
尚、次のリレー走者は小平田さんにお願いします。