更新 2013年5月3日
関屋さんからバトンというか、メールをもらいました。
二回目でも良いから軽いの書けとの要請でした。
そこで今回は趣味の話をしてみようと思います。
といっても入れ込んでいる様な趣味は無し、酒を飲む事は趣味ではないし、若い女性を好きなのは趣味ではなくて質だし、
あれこれ考えたあげく、まあ人に話せるのは読書くらいかと思い、そこに落ち着きました。
今回はハードボイルドについて書いてみます。そっち系の本はずいぶんと読んできましたし、現在も読んでいます。
大学時代、神戸にいた叔父のところで借りて読んだのが最初です。「棺桶エドと墓堀ジョーンズ」シリーズと言う黒人2人組の
警察モノだった思います。確か、ハヤカワのポケミスシリーズでした。これがすごく面白かった。
それからハヤカワのポケミス、特にハードボイルド系のミステリーを漁るように読みました。
ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドといった古典を、神田の古本街を歩き回って買い続けました。
その内、給料をもらうようになると、現代の作家達、もちろんハードボイルドの新刊本を求めました。
スティービン・グリーンリーフ、ミッキー・スピレーン、マイケル・Z・リューインなどなど。
何をもってハードボイルドと言うのかよく分かりませんが、何となく「ハードボイルだど!」と言っていた内藤陳の雰囲気で選んでいます。
ですからミステリ界の巨匠アガサ・クリスティー、PD・ジャイムスなどは全く読みません。いわゆる謎解きものではなく、
主人公がぼろぼろになって傷つきながら解決してゆくタイプのミステリーが好きなのでしょう。
最近はマイクル・コナリーのハリー・ボッシュシリーズや、ローレンス・ブロックのマット・スタガーシリーズ等を好んで読んでます。
このマット・スタガーなどはアル中でしたが、現在はお酒を辞めています。 AAというアルコール中毒から立ち直るための集会に
毎日のように参加して、脱アルコールを目指しながら、自身の周辺で起きる事件を解決してゆくのです。
ニューヨークが舞台ですが、何とも陰鬱で、暗い内容です。登場するのも売春婦、ゲイ、麻薬密売人、ギャングなど
普通は付き合いの無い連中ですが、だから面白いのかもしれません。
さて、ハードボイルドではないのですが、最近読んだ本でとびきり面白かった本を一冊紹介して今回は終わりとします。
新潮文庫から出ている本で、「警察庁長官を撃った男」鹿島圭介著という本です。
既に時効になってしまいましたが、国松警察庁長官狙撃事件の犯人を追ったノンフィクションです。
この事件はオウムとの関連が指摘されて、元警官などが犯人とされていました。最近自首してきた平田容疑者も、
「自分はこの狙撃に関わっていると思われているので出頭出来なかった」と言っているように、オウムの犯行と思われています。
しかし最後まで起訴できなかった事件です。しかも、オウムの関係者から犯人についての情報が全くない事件です。
要は警察が見込み捜査をして、間違っていたけれど、面子のため方向転換が出来ないまま、時効を迎えてしまったという、
情けない事件なのです。
この事件の真犯人は中村泰(ひろし)という1930年生まれの男だとこの本では言っています。
この男は何と関屋さんたちの先輩です。もっとも、東京大学中退ですが。
詳しくは本を読んで下さい。
この本は、事実は小説よりも奇なりを実感する事が出来る面白い本だと思います。
先日、久々に寺君からお電話があり、何かと思いきや20期のリレー通信を寺君の後、私にバトンを渡したいとの事で。。。
”何を書くべきか。。。?”としばらく考えてしまいましたが、時々の仕事(薬剤師)と家事の他、幸か不幸かさして重大事件も見当たらず。。。
ならば今自分が楽しんでいる事をつれずれに書いてみようかと思います。
今は趣味と言って良いのかリハビリか分かりませんが週1回、クラシックバレエをかれこれ10年以上続けています。
字がやっと読めるようになったころ、”少女クラブ”、”少女ブック”、”リボン”など、などの少女雑誌にはいつも松島トモ子ちゃんや
森下洋子ちゃんのバレエのチュチュとトウシューズ姿のグラビア写真、そしてマンガはバレエの主役目指して意地悪な女の子にも負けず、
頑張るけなげな女の子の話。。。私はすっかりマンガの主人公に成り切って”しゆやく”(主役)を夢見る少女になっていたものでした。
そのころ親はそんな私の気持ちにも気付かず、とうとう私にはバレエはマンガと夢の世界だけで。。。
リアルな現実の生活の中ですっかり忘れてしまっていました。そんなこんなで40代も後半になり、子育ても一段落した所で
家の近くのバレエ教室を見た時、私の心の中で”ハタッ”と何かが目覚めてしまいました!
レオタードにバレエシューズ。。。!そして私は。。。いいえ、現実はそんなに甘くはありません。身体、特に関節の固い事、固い事、
おまけに頭も。。。振り付け、リズム、ぜんぜん覚えられません。。。素敵な音楽が流れているのに全然のって踊る事など夢のまた夢。。。。。
こんな訳で、苦節10数年。。。やっと最近先生の言っている言葉(バレエ用語)が理解可能になり、振り付けもどうにかこうにか
ついて踊れる感じ(自分では踊っているつもり)になってきました。相変わらず身体は固いです。
でも、音楽にのって踊っている自分が楽しくて、(これからはリハビリかもしれませんが)バレエはまだまだ奥が深くて辞められません。
バレエと前後してもうひとつ、大人になった私にはやりたい事がありました。それは”楽器”です。
小さいころ母が”この子は一人っ子だから一人の時も寂しくないように”と言って習わせてくれたピアノ。
そのころは家で練習しなくてはならないのが嫌で嫌で、とうとう楽しくなる前に止めてしまった”楽器”です。でも、
子育てが終わってみると、本当に一人でいる時間に何か自分で楽しめる楽器でも出来たらいいのに。。。と思うようになりました。
ピアノはもうトラウマで。。。そう言えば小学校の時、リコーダーの代わりに横笛を吹いていたのを思い出し、
それならフルートだったら”出来るかも!”と思い迷わずすぐ習う事にしました。フルートは運良く、最初から割と良い音が出て、
楽しくて楽しくてどんどん吹きだして、最初、家の近所のほんの”おけいこ”でしたが、もっとやりたくて4ねん目から
目白の教室へ変わってもう10年以上になってしまいました。
凄くレベルが高くて中学から大学までブラスバンドやオーケストラで鍛えてきた若い人ばかりの教室です。
40代半ばから、全然音楽の基礎が分からない人がクラシックを勉強するのは冗談抜きで大変な事です。
上達は遅々として。。。思い通りに出来ない事ばかりです。
5月6日はソロの発表会、8月10日はフルートオーケストラの演奏会、10月は合宿、12月はまたオーケストラの発表会と
息継ぐ暇も無いスケジュールで、あんなにピアノの練習が嫌だった私も60歳を過ぎて、毎日1時間は家でフルートを吹いています。
最近家の階段の踊り場で音を出すと、玄関からの吹き抜けの天井に反響してものすごく良い音が出る事に気が付きました。
”いやいや、勘違いしてはいけない”と思いながら、自分の音にうっとりしながら練習しています。
こうしてフルートもいつまで続けられるかわかりませんが、”やれるところまで行ってみよう”というのが本気の今の私の気持ちです。
昨年の暮れ、ロンドンの板橋みどりさんが私のアンサンブルコンサート、一日中お付き合いしてくれました。
写真、添付しておきます。
あと、ドレスの三人娘(?)は夏のアンサンブルコンサートの時。
他の写真はお正月、テキサスの娘一家が帰国した時、可愛い可愛い孫と。
![]() |
![]() |
|
![]() |
![]() |
|
山岳部仲間の森政一君からリレー投稿のバトンを引き継いだ小池直行です。
地味なクラブでおとなしく目立たず3年間の高校生活を送ったので覚えていない人も多いと思います。
対外試合の派手な勝利もなく、ファブリーズでも到底消せない悪臭の体操着で学校の周囲を走り、
部室横の銀杏の木に登っている姿しか人の目につかない部活動でした。そんなわけで3年間どのクラスにいたかと言えば
高1の担任は畑野さん(数学)で超真面目な先生でした。
高2は橋本さん(国語)で飄々洒脱、枯れたおじさんで好きでした(3期後輩の妻に言わせると、鶴のような老人で眠い授業だったと辛口評価)。
高3は清水さん(体育)で鬼ガワラの異名ほど怖くはなかった。
振り返ってみれば大泉高校は勉強とスポーツのバランスの取れた良い高校だったなという思い出があります。
サッカーやラグビーは都立高としては強かった(堤さんや清水さんの功績)ですし、隣の部室のボート部なんか都内3位だとえばっていました。
勉強でいえば高1の臨海学校で、消灯時間後に持ち込んだ数学の問題集の解きっこをしているの先生に見つかって怒られている
(確か甲本、大沢、熊坂君たちだったと記憶)のをみて、なんて勉強好きな子たちが集まっている学校なんだと思ったのを覚えています。
大学卒業後は金融機関(現三井住友銀行)に就職、大阪と北九州に勤務したほかは都内各支店を巡り、30才で結婚、
娘二人を育て、これといった特筆する事柄もなく平穏に人生を送っていましたが、44才の時に転機がやってきました。
JAXA(当時は宇宙開発事業団)関連の財団(日本宇宙フォーラム)を作るため出向命令を受け、三菱重工業、石川島播磨重工業(ロケット)、
NEC、三菱電機(衛星)、日産(燃料)といった宇宙開発各社の人と一緒に仕事をすることになりました。
JAXAや科学技術庁の官尊民卑の発想・態度には辟易することも多々ありましたが、資本主義経済の権化であり利潤の極大化を
目指す銀行とは異な、宇宙開発と科学技術の進展を目指す公益財団という全く異なる組織理念のもとでカルチャーショックを受けながらも
楽しく働くことができました。
3年間の出向契約でしたが、7人で始めた財団を切り盛りしながら、組織の歯車に終わらない働き方に魅力を感じ、4年後銀行を退職、
財団に転籍し職員60人、事業規模12億円の組織にまで成長させる事が出来ました。
種子島のロケット打ち上げ基地へ何度も出張したり、岡山県の宇宙デブリ観測施設を立ち上げたり、
国際宇宙センター(ISS)の宇宙実験をする先生方をお世話したりと銀行時代とは全く違う仕事でした。
財団で16年働き、H22年12月、考えるところがあって定年まで1年半を残して退職しました。頭も体も元気で動かせるのは70歳までとすれば、
かねてから夢だった好きなことだけをする自由な生活を早く始めたかったからです。
まずやりたかったことは大学闘争の嵐のなかでまともに取り組めず、社会人になってからは目先に追われてますます先送りにしていた
体系的な勉強をすることでした。今、私たちが当たり前のように享受している自由や平等という価値理念は18世紀西欧市民社会で
どのように誕生し、定着したのか、正義とは、公正な社会とは何かをもう一度学び直したいと思いました。
こう書くと勘のいい方はM・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」のブームにあおられたとお思いでしょうが、
退職7~8年前から考えていたことでした。退職後のH23年4月、早稲田大学政治経済学部に入学、若い人たちと一緒に
週1回「政治思想史」を学び、昨年は放送大学院で「公共哲学」を学びました。年間50冊を目標に関連文献を読む生活を続けています。
次に遊ぶ方では、10数年来妻と週1回のテニスを楽しんできましたが、退職後は妻にせがまれてゴルフを再開、
月1回のゴルフをするようになりました。また昨年の秋からは、これも妻の発案で富士山の裾野(約150km)を毎月1回、1年12か月をかけて
まわるウォーキングに参加しています。
60代以上の人ばかりのツアーですが、山歩きとは全くご無沙汰であった身にとってはちょうど良い運動です。
![]() |
![]() |
|
富士裾野ウォーク(25.1月) | 富士裾野ウォーク(25.2月) |
とはいっても、イギリス貴族のように好きなことをするだけで、1年365日を送れるほどタフな精神を持ち合わせていない者とっては、
何か人のために、期待されることをしていないと安心できないので、ひょんな縁で東京都自動車整備振興会二輪自動車支部という
まことに小さな組織で働くことにしました。街のオートバイ販売・整備工場160店で組織する団体です。銀行とも宇宙開発メーカーとも全く違う
中小企業のおやじさん相手に新鮮な気持ちで働いています。週2回の勤務ですが、これまで専任の人がいなくて本部の人が
片手間で面倒を見ていたため、務処理が杜撰であったので会計処理や規定の整備等組織作りに取組んでいます。財団設立と似たような業務で、
こういう仕事がつくづく好きというか、向いているなと実感しています。実技研修会の企画やイベント出展(東京モーターサイクルショー)等もあって、
事務局は私1人で結構緊張感のある仕事です。
![]() |
東京モーターサイクルショー(25.3月) |
健康面でも、ほどほどの生活をおくるお金の面でも心配なく、妻とスポーツを楽しみ、好きな勉強と多少の仕事を続けることが出来て、
我ながらリタイア後の生活にうまくソフトランディングできたなと自負しています。
娘たちも結婚して妻と二人暮らしている今が一番楽しい時期だなと感じています。冒頭の表題「欲を言えばきりがないが今が一番ええ時」は
尾道を舞台にした名作「東京物語」(小津安二郎)で老夫婦(笠智衆、東山千栄子)が語る口ぐせですが、私の実感でもあります。
しかし、老人特有の現状肯定感に浸りきっていてはいけないという自戒の念も覚えます。小学生の時には60年安保闘争の記憶をもち、
18才で大学闘争に揺さぶられた経験をもつ、戦後民主主義教育で育てられた団塊世代は憲法改正のきな臭い動きには憂慮を禁じられません。
子供たち、孫たちに平和で豊かな社会をリレーしていく義務を果たすためには、インプットの勉強をするだけでなく学会のシンポジウムに参加したり、
外に動くことも必要だと考えています。
最後に森君から依頼を受けた時の躊躇について述べさせて貰います。書くことは嫌いでないので本欄に投稿できた事は喜びですが、
次に誰に書いてもらうかで悩みました。これまで同期会に参加していない人に登場してもらうのが本欄の趣旨に合うと考えて
思いつくままに3人に電話しましたが、いずれも次に頼む人を見つける自信がないからと断られてしまいました。
後続者がいなければ成立しないリレーが抱える宿命的な問題です。
さてそういうわけで次に登場してもらうのは皆さんご存知の寺章夫君です。決して消去法で選んだわけではありません。
中学校から一緒のいい人です。
HP編集者注 リレー投稿は、森さんから小池さん、次が寺さんの順ですが、先に寺さんの原稿が届きましたので、小池さんと掲載順を入れ替えさせていただきました
■中学から一緒だった小池直行君からバトンを受け取った寺です。大学では建築を勉強し、芦原建築設計事務所で17年間設計の実務を積み、
24年前の39歳の時に独立しました。同期の菊池順一さん(飯田)素子さん夫妻邸、中江春人さん宅の改築、山崎(森瀬)晴美さん邸や
二木(松本)あつ子さんのクリニック+自宅を設計させてもらいました。お陰様で私の設計した家を可愛いがってもらっているのはありがたいことです。
定年がないので今も設計事務所を続けています。趣味の方は高校大学とやっていたラグビーを細々と続けていますが、
何と言っても一番楽しいのが “蝶を通して自然にひたっている時”です。
■今から20年ほど前に母が亡くなり、その遺品を整理していて、私の小学校から中学までの絵やら書道などが衣装ケースの底からごっそりと出てきました。
その中に画用紙数枚が綴じられた虫の絵がありました。裏を見ると小学2年とあります。昆虫図鑑を画用紙に色鉛筆で模写して
それを夏休みの宿題として出したもので、小2にしては上手く描けています。それ以来、6年生になるまで図鑑を穴が開くほど眺めては
毎日無我夢中で虫たちを追いかけて、せっせと標本を作っていました。確か桐の箱に3箱の標本があり、2箱は小学校卒業の時に理科室に寄贈し、
もう1箱は自宅の長押の上にしばらく飾ってありました。しかし数年で粉ダニに喰われて虫ピンだけが林立する状態になって、その箱も今はありません。
寄贈したものも同じ運命だった思います。
■中学に進むと虫の興味は消えて鉄道模型や切手、油絵など別のことに興味が移ってゆきました。高校ではラグビーの練習に明け暮れ、
3年になると受験勉強にも集中せず今から考えると何をしていたかよくわかりません。ただ1年の生物の市村順子先生の授業だけはとても楽しかったです。
社会人になり結婚して子供ができた30台半ばの頃、どうした訳か記憶の奥に眠っていたチョーチョがむくむくと目を覚ましたのです。
それ以来現在に至るまで蝶熱は冷めるどころかますます重症を呈してきています。今乗っているフォレスターのナンバープレートも
“1164”(1月1日生まれの虫)を取るくらいです。そしてフィールドに出ての採集だけでなく生態を観察したり、飼育をして記録をとったり、
報文を学術誌に投稿したり、自分で虫のミニコミ誌を編集発行したり、まさしく蝶漬けの毎日です。一番の魅力は自然は真摯に接すれば、
ちゃんと答えてくれるところです。そして一つわかるとまた次の難題をつき付けてきてさらにモチベーションを高めてくれます。
先日は練馬区立稲荷山図書館で「蝶を楽しむ」と題して講演をして、大泉で見られる蝶の標本を1箱寄贈してきました。
また虫を通じていろいろな人と知り合いになり、仕事関係の年賀状は減っていますが、虫関係は毎年増えています。
■今まではあまり将来のことを考えずに標本を増やしてきて、気が付くと標本箱が200箱を超えてしまっています。洋服ダンス5本分くらいの量で
4帖半の部屋からあふれるくらいです。子供や孫たちは全く虫に興味はなく、私が死ねば数年でカビが生えて粉ダニの餌になるのは目に見えています。
西湖のクニマスも京都大学に保管されていた唯一の標本でクニマスと確定できたわけで、実物標本の大切さは十分にわかっています。
そのような折、本郷の東京大学総合研究博物館で昆虫部門のキュレーターをしている蝶友に相談に行ったところ、「寺さんのコレクションなら
お引き受けしましょう」とのことで、嫁入り先が決まり、一番喜んだのは嫁でした。蝶友たちは「標本を片付けると、お迎えがくるよ」などと言いますが、
早いところ整理して、後はゆっくりと野山で蝶たちと一緒に遊ぼうと思っています。そして行く先々で美味いものを食べて温泉に入って楽しみたいです。
■次のバトンは二木(松本)あつ子さんに渡したいと思います。2006年に完成した二木皮膚科クリニックの前には二木さんご夫婦にあやかって、
二本の紅白の花のハナミズキを植えました。ところが最近は二本とも何故かピンク色の花になったそうです。
![]() |
![]() |
|
標本タンスを前に標本箱を持って(2013年3月) | 中国出張の際、1日自由時間をもらい北京市近郊の東霊山に行き 蝶を楽しんだ(2012年7月) |
|
![]() |
![]() |
|
私が表紙を描いた「大人になった虫とり少年」(2012年、朝日出版社) | 盛岡の知的障害者施設「緑生園」の園生たちとの交流試合を 終えて(2009年10月) |
HP編集者注 リレー投稿は、森さんから小池さん、次が寺さんの順ですが、先に寺さんの原稿が届きましたので、小池さんと掲載順を入れ替えさせていただきました
先週、突然地球の反対側、南米パラグアイの伊賀上 知雄君からメールが届きました。
近況と同時に、伊賀上、福原 正和君と続いたリレー投稿のバトンを渡すとのことでしたので、「いいとも」と一つ返事で引き受けてしまいました。
20期の仲間達で、伊賀上の他に、ロンドンの中川さん、板橋さん、、ニューヨークの高橋 さん、パースの原口さんなど、世界に暮らしている人が
沢山いることはHPへの海外便りなどで良くわかっています。20期はグローバルです。そこで、今回は、グローバルに関して思うところを述べさせていただきます。
私は、大学で船舶工学を学んだ後、重機械メーカーに入社し、造船、海洋の製造、開発、管理を26年間勤めました。
途中で足掛け4年間の本社スタッフ部門所属がありかありましたが、その後は、極低音冷凍機の製造販売を中心に精密機器事業を10年、
そして現在携わっているバイオマス発電システムのエネルギー環境事業で2年目を迎えています。
造船・海洋時代は、オナシスなど欧州船主やモービルなど米国船主など世界のお客様の船や石油掘削リグなどを作りました。
しかし、思い出に残るプロジェクトは、入社5年目にマレーシアの造船所に出向し、2隻の貨物船をフルコンテナー船に改造した工事と、
横須賀の米軍ベースの中で、空母ミッドウェーを改造した工事でした。共に、半年くらいの工事で、海外環境の中、海外のお客様との
やり取りをしながらの大規模プロジェクトでした。
精密機器事業の時代は、お客様が米国、欧州 後に中国、韓国と展開が進みましたので、米国の競合会社の買収、各国への営業サービス拠点の設立、
フィリピンの製造拠点の設立など、変化に富んだアクティブなグローバル経験でした。
米国ペンシルバニア州のAllentownという小さな町の70名規模の会社のChairmanも経験することができました。
現在のエネルギー環境事業では、お客様が、エネルギー需要増大が急なASEAN諸国ですので、発電システムの鍬入れ式や、
竣工式に出席したりすることで、現地をたびたび訪問します。それぞれの事業で、場所や仕事も異なりますが、振り返れば、
それなりにグローバルに生きてきたなと感じます。そこで、グローバルに生きるための大切な素養は何かを考えてみました。
海外の皆さんから信頼と共感を獲得する素養は、専門技術(知識)卓越型、コミュニケーション卓越型、パーソナリティー好感型、
努力変貌型の4つのタイプかなと思っています。
①専門技術(知識)卓越型は、イチロー、小澤 征爾、カルロス・ゴーンなどがその好例です。
②コミュニケーション卓越型は、ずばり英語とロジカルシンキングの能力です。
③パーソナリティー好感型は、人柄や対人能力の優れた人。飲みにケーションなどもここに含まれるかもしれません。
④努力変貌型は、その国の文化や人々を心から好きになり、努力して適応して行くタイプです。
私などは、取立てて強い専門技術や語学力があるわけではないので、自ずとノミニケーションに頼る傾向にありました。
身体の大きな欧米人、乾杯乾杯で鍛えられた中国人、ビールにウイスキーを混ぜる爆弾と呼ばれる飲み方の韓国風、
そして、ショットグラスでわさび入りウォッカを何杯もあおるロシア風など、今考えると結構、ハードでリスキーな経験でした。
もう一つだけ大切だと思っていることは、海外のどこへ行っても相互の尊敬(Mutual Respect)と相互の寛容(Mutual Tolerance)が
必須だということです。奢りも卑屈さも無く、あらゆる偏見、差別をなくして、人と人として、お付き合いできることがグローバル人材の
最大の条件と信じています。
こうしたビジネスのお付き合いを通じ、これまで沢山の海外の友人に恵まれたことは、私の人生にとって大きな宝となりました。
一昨年、3月11日の震災の後に、沢山のお見舞い、激励(Encourage)のメールをいただきました。その中で、3月15日、米国人の
D.L.氏からいただいたものは心底私を力づけてくれたものでしたので、最後にここに紹介します。
Dear Sekiya-san,
During the past several days I have watched with horror on TV the shocking devastation in the Sendai area,
and have heard from several of my former schoolmates still living in Japan
the many stories about continuing severe aftershocks,
blackouts, cutbacks in trains, shortages of supplies and other inconveniences,
even in Tokyo.
Of course the extraordinarily difficult time that the people in the Sendai region are experiencing and the great loss of life
that has occurred is heart-wrenching. The one thing I can absolutely say
with conviction, however, is the Japanese people
have set a shining example to the rest of the world regarding preparedness
for and appropriate behavior
and action in the aftermath of a crisis such as this.
A former classmate living in Japan said it best in an e-mail I received
over the weekend:
My respect for the Japanese has done nothing but increase with this disaster.
They are magnificently well prepared, prudent, organized,
cooperative, generous, unselfish and behave beautifully and responsibly
in the face of severe trauma and tragedy. Americans have a great deal
to learn from them.
I sincerely hope and pray that everyone at SHI and their families and friends
are safe
and that SHI's operations have also not suffered great damage due to the
earthquake and tsunami.
Warmest regards,
大泉高校20期の皆様、お元気ですか。来たる7月6日(土)同期会でお会いできることを楽しみにしています。
須沼 洋君からリレー投稿を引き継いだ 森 政一です。所属学級は1年2組(畑野先生)2年?組(小山先生)3年8組(乙黒先生)でした。
山岳部に入っていました。顧問の小山先生には大変お世話になりました。今では高い山には登りませんが、山歩きを楽しんでいます。
近況報告は、仕事のこと、山歩きのこと、身辺整理のことです。
まず、仕事のことにふれます。教員養成系大学を卒業し、小学校に37年間勤めました。定年退職して、現在は非常勤教員として
教育委員会に勤めています。教育アドバイザーとして、初任者教員の指導・育成にあたっています。
小学校を訪問し、授業参観して、指導技術を助言したり、悩み事の相談にのったりして、初任者を支えています。
若手教員の力になれますので、仕事にやりがいを感じています。また、月16日勤務も魅力があります。月曜日を休みにあて、
土日月と三連休にして、余暇を楽しんでいます。
今、夢中になっているのは、スノーシュー(西洋かんじき)をはいた低山歩きです。スノーシューは、だれでも簡単に使えます。
登山靴を履いて、スノーシューに載せ、ベルトを締めます。急斜面には向きませんが、緩斜面であれば少し沈み込むだけで、
雪面を自由に歩くことができます。2、3万円で買えますが、レンタルなら1日千円くらいで借りられます。
高い山が展望できる山を選んで出かけています。先日群馬県赤城山へ出かけました(写真)。車を小沼駐車場に止め、小地蔵岳を経て長七郎山に登り、
凍結している小沼を横断し、戻って来るコースです。長七郎山頂からは、360度の絶景に恵まれました。
はるかかなたに富士山、南アルプス、八ヶ岳、浅間山、北アルプス、谷川・尾瀬・日光の山々。高い山ほど冠雪しているので、山座同定しやすいのです。
登ったことがある山を見つけると、次々と思い出が蘇ってきます。
妻が高山植物に関心をもっていますので、春夏は、湿原を抱えた山や残雪が多い山に出かけています。
その中でも、尾瀬ヶ原、八方尾根、栂池自然園、秋田駒ヶ岳には、毎年足を運んでいます(写真)。時期を変えるとさまざまな高山植物に出会うことができます。
何回見ても、花の美しさに感動します。ただし、帰りの車の運転は、睡魔との戦いです。コーヒーを飲んで、音楽を聴きながらハンドルを握ります。
静かな曲では、眠くなってしまうので、大好きな「新世界より」や「ラデッキー行進曲」をかけています。70歳までは、山歩きを続けたいと考えています。
今困っていることは、身辺整理が進まないことです。古い本と写真がたくさん残っています。節目で整理し、廃棄したのですが、
仕事の拠り所にしてきた本と学生時代にアルバイトをして購入した本は、どうしても手放せないのです。開いてみると文字が細かくて、読めそうもありません。
退職して時間ができたら、もう一度読み直したいととっておいたのに…。本を捨ててしまうと当時の思い出まで消し去りそうでつらいのです。
写真も、アルバムから1枚ずつはがし、処分するものと保存するものに区分けしたのですが、迷ってしまいました。子供や教職員の写真を見ていると、
走馬灯のように記憶が蘇って来るのです。卒業アルバムや卒業文集は、保存しておきます。その他は廃棄しようと思っていますが、なかなか決断できません。
今乗っている車も同じです。「10年過ぎたら買い替えて良いわよ。」と妻に言われたのですが、16年間も乗っています。
走り回った時の喜怒哀楽もたくさんのっています。買い替える予定が、次の車検まで、また次の車検までと延ばしてしまいました。
途中の部品交換は高くつきましたが、まだ走っています。
以上のように、私は使い古した物に愛着を感じています。自分が生きて来た歴史が刻んであると思っているのです。これも、年をとった証拠ですね。
まだやりたいことがあるので、健康に留意したいと思っています。毎日薬を服用し、アルコールも控えめになりました。これからも定期的に健康診断を受け、
毎日の食生活に注意し、自重自戒して、生活していきたいと思います。
「リレー投稿」の次は、小池 直行君に頼みました。教室に貼り出された「新入生よ、来たれ、山岳部へ!」のポスターを見に行くと、
いつもそこには小池君がいたのです。「しごかれるかもしれないからやめた方がいいぞ。」という忠告を振り切って、小池君とそろって入部したのです。
2年生に進級すると小池君が部長を引き受けてくれ、私は副部長で楽をさせてもらいました。また、二人だけで登った残雪の大菩薩峠、
真夜中にやっとたどり着いた雲取山、最終バスに乗り遅れ通りかかったトラックに載せてもらって駅に向かったこと等々、辛くても楽しい思い出がたくさんあります。
写真は、強風と寒さで着膨れした?私で、後ろに赤城黒檜山と駒ヶ岳が見えます。高山植物は、尾瀬のニッコウキスゲ、八方尾根のシモツケソウ、
栂池自然園のキヌガサソウ、秋田駒ヶ岳のエゾツツジです。では、皆様、お元気で!またお会いしましょう。
![]() |
![]() |
|
エゾツツジ | キヌガサソウ | |
![]() |
![]() |
|
シモツケソウ | ニッコウキスゲ | |
![]() |
||
着膨れした私 |