リレー投稿 その12     

更新 2013年7月28日

ニチジョー(日常) 山岸 明 2013年7月28日

こんにちは。私の名前はティアラ、4才のゴールデン・リトリバーです。

おっちゃん(飼主:山岸明)へバトンが飛んで来ました。テニス部リレーの一番手とか。
恐ろしいことに、高校時代は団体戦の一番手で出ると、必ず負けてチームの出鼻を挫かせていたそうです。

それはともかく、おっちゃんが言うには『オレには文才が無い。文材も無い。
オマエ、オレのニチジョーでも代筆しとけ』とのことでした。


おっちゃんの一日は私の襲撃で始まります。体内時計が5:50を告げました。
眠ているおっちゃんの顔をペロッ、あれっ起きない・・・では、軽くバシッ。ありゃ?・・・しょうがない、今朝もダイビング・ボディプレス!ドサッ。
あっ、おっちゃんが起き上がりました。さぁ散歩です!ワ~ン

カンレキというのを過ぎたのに、おっちゃんはまだ働いています。私との散歩だというのにケータイをいくつも持って家を出ます。
カイシャから持たされたり、お客さんから預かっているのだそうです。たまにこれらが一斉に鳴りだします。
『エッ!サーバがおちた・・・#%&@$!#(意味不明)』。おっちゃんは慌てて引き返します。小走りになりました。
わ~ぃ、今日は走れるぞ。おっちゃん走れ走れ、おっちゃん息切れしてます。あっ、おっちゃんが後ろで転んでいます。

家に着くなり、おっちゃんは着替えてカイシャへ飛んでいってしまいました。おっちゃんが食べるはずだったトーストとコーヒーは、
私と奥さんのお腹へ入ってしまいました。いってらっしゃ~い、ワンワン。

おっちゃんは毎夜8時頃、不機嫌な顔で帰ってきます。サーバが直らなかったのか、お客さんに怒られたのか、
くるくるぱ~の若造とやり合ったのか、そもそも若いときからこんな人相だったか・・・さぁ機嫌を直して散歩行こ!ワ~ン

日曜日のお昼です。今日は朝晩と違い駅前へ散歩に来ました。いやな予感がします。
来ました来ました、女子高生集団です。『ヴァ~ッ 可愛っ!きゃぁきゃぁがやがや。
ペタペタ。わぁわぁ。。ボコッ。。』。おっちゃんはニタニタしています。ふ~、女子高生は行ってしまいました。
私、ペタペタされるの嫌いです。マックのケチャップ塗らないで下さい。

あっ、また来ました。綺麗なおねぇさんです。『写メいいですか?』、おっちゃんは嬉しそうです。おねぇさん爪が長いです。
シャッター押せないでしょ・・・ピンぼけ写真を撮って、おねぇさんは行ってしまいました。
おっちゃんが言います。『やっぱり散歩は休日の昼間がいい。朝の散歩ですれ違うのは、公園のラジオ体操へ行く爺さん婆さんばかりだ。
(おっちゃん、爺さんだろ。。)夜の散歩は気味悪いにいちゃんねえちゃんばかりだ(おっちゃんの昔だろ。。)』
おっちゃん、そろそろ行こ。散歩は歩くものだ。上野のサイゴーさんじゃないんだから。。。


      八ヶ岳高原

私の生まれ故郷は八ヶ岳高原。おっちゃんは毎月、私を故郷へ連れていってくれます。
『オマエも都会へ来てしまって、ろくに走る場所も無くつまらないだろう。故郷の草原をおもいっきり走れ!』。さぁ、出発です。ワンワン。

   中央フリーウェイ~♪ 右に見える競馬場 左はビール工場~ ♪♪

そういえば、おっちゃんのカイシャってこの辺だよね。サーバってここに有るの?
えぇっ秘密、セキュリティ?何それ?食べられるの?

おっちゃん、今日は八ヶ岳に福山雅治が来てないといいね。この前はプロモーション撮影とかで大撮影団が占領していて、
追っ払われたね。空はへりコプターがやかましかった。


     春夏秋冬

いかん!おっちゃんが窓を開けて何か投げようとしています。ダメダメ。ウゥ~ワン。
あっ、投げようとしているのはバトンです。井口(児玉)和子さんへ渡すのだそうです。井口さ~ん、うまく受け取って下さいねぇ~

リレー投稿 茶室秀夫 2013年7月13日

初めて投稿します。つい先日、バスケットボール部の小川さんから突然、電話があり、リレー投稿しないかと誘われた。
最初は、昔よくあった電話をリレー形式で人から人へ繋いでいくものかと思い、引き受けても次に電話する相手を見つけるのが大変なので、
お断りするつもりだった。しかしよく聞いて見ると、電話ではなく、ホームページに投稿することであって、また、
次の相手を捜す必要がないことを知り、それではやってみようかということになった。翌日同じバスケット部の田中さんから電話があり、
詳細説明を受けた。朝早かったので、あまりお話ができなかったのだが、昔同様元気な声であった。また今回のことで、
同期のホームページがあることをはじめて知った。

まずは、すこしばかり、勤め先と仕事の話をします。
勤務先は、日本信号(株)で、自動列車制御装置(ATC)、列車の運行管理装置、自動出改札機等交通に関係する機器を製作しています。
事業所は埼玉県久喜市にあって、(本社は丸の内)JR宇都宮線と会社のシャトルバスを利用して、事業所まで片道2時間、
往復で4時間もかけて通勤している。この4時間をなんとか有効に活用できないかと読書等試みているが、
目が疲れるためせいぜい20分程度で、読むのを止める。数年前に、目の血管に血栓がつまり、右目の一部が一時失明した。
幸い治療が速かったので回復したが、そのときの後遺症は残っていて、失明した部分は、白く膜を張ったようでよく見えない。
失明とは、単に目が見えないというだけでない、明るさまで失うのだ。読んで字のごとく、失明である。そのため、
特に小さい文字で書いてある文章を読むことがつらい、パソコン等は文字を拡大してみることができるが、新聞や書籍物等はだめだ。
これからは電子書籍にしようかなと思つている。3週間ほど入院し、そのときタバコを止めた。それ以来一本も吸っていない。
唯一入院した成果だ。それまでは、タバコなんて絶対止められないと思っていたが、やはり、
失明という大きな病気をすると健康の大切さが身にしみ、止める気になれた。
仕事は、長年、鉄道信号機器の設計をしていたが、定年の5年前にカスタマーサービスといって、誰もが嫌がるクレームを処理する部署に移った。
今でもその仕事を継続している。うちの会社の取引先の多くが鉄道事業者であり、公共性が高く、信号機器にトラブルがあると、
昼夜問わず電話が掛かって来る。そのため睡眠不足になることもしょっちゅうあった。しかし、60歳の定年を迎えてからは、電話が激減した。
別にトラブルの件数が減ったわけではない、自分の責任が軽くなったのだ。定年後再雇用という形で65歳まで働ける。
あと一年半だけど、最後まで頑張るつもりでいる。
それにしても、時が経つのが速い。定年になるとゆっくりとした時が流れるものと思ったが、その逆でますます時の流れが速くなった。
だけど時間の進み方が速くなったわけではない。毎日、同じことを繰返しているから、記憶に残らないのだ、
記憶に残らないから、過去を振り返ってもなにもない、だから時間が経つのが早く感じられるのだろう。
子供の頃、時間が長く感じられたのは、毎日が新鮮で記憶に残ることが多かったのだろう。だから毎日何か新しいことをすればよいのだけど、
完全リタイアまであと一年半、どうなるのだろう。先日、同期会に参加した。4年ぶりで、懐かしい顔に出会った。
中には卒業後初めて会う人もいた。名札を見て、学生時代を思い出す。当時の面影と経験を積み重ねた現在の顔がオーバーラップし、
その人の生きてきた証が感じられる。みんな頑張って生きてきた。同世代としてうれしく思う。同期会の後、しばらくは、電車の中で、
同じ年代の人を見ると、もしかしたら大泉高校の同期生かなと思うようになってしまう。
このたび、同期会を企画していただいた関屋さん初めとした幹事さんたちに、この場を借りてお礼申し上げます。
どうもありがとうございました。おかげ様でこの一週間は時間が長く感じられました。

リレー投稿 小川 泰志 2013年6月29日

地球・・・銀河系宇宙に浮かぶ小さな星。
宇宙から見ると、とても美しいという。
この星に70億を超える人々が暮らしている。
人々は皆それぞれに幸せだろうか。
人は幸せを願ってこの世に生を受けるのだから、すべての人が幸せであってほしい。
しかし、新聞やテレビの報道を見聞きしていると、幸せな人は少ないように思える。
とても少ないように思われる。

ごきげんよう。
バスケットボール部繋がりで引っ張り出された小川泰志です。3年1組でした。中村中学校出身です。
田中保君から突然電話があり、趣旨の説明を受けて、快諾しました。
懐かしいことをやっているなぁ。是非、私も参加したい。
田中君と6月19日(水)の夜、渋谷で1杯やりました。
たぶん、彼とお酒を飲むのは初めてのことだと思います。高校を卒業して初めて会うのですから45年ぶりに会う待ち合わせ。
うまく会えるだろうか不安でしたが、ハチ公前に立った田中君の顔は面影を残していました。

私は60歳で定年退職した会社に、嘱託の身分でお世話になっています。
6月6日が誕生日なので、サラリーマン生活はあと1年も残っていません。早すぎるかもしれませんが、何か感慨深いものがあります。
月曜から金曜日まで、9時から5時半まで、フルタイムで働いています。
残業は無しなので、6時半ごろには帰宅して。女房にわかしてもらった風呂に入ります。
温かいお湯につかりながら時々思うことは、自分はこうやって毎日必ずお風呂に入ることができるけど、この地球上で、
毎日お風呂に入れる人ってどれぐらいの数なんだろう。
温かいお湯につかって汗を流せる幸せ、そんな幸せな人は極めて少ないだろう。もちろん、入浴を好まない人も多数いるでしょうが・・・。
その後、食事をするが、やはり、必ず毎日、満足のいく食事をとれる人はそんなに数多くないと思われる。
寝ることに関しても、安心して朝までゆっくりと眠ることができる家屋に住んでいる人は多くないだろう。
考えるに、日本という国は幸せになるチャンスが沢山用意されている国なんだ。
かなり幅広く、かなり公平に、幸せになるチャンスがある国なんだ。
日本に生まれてよかった、そう思う。
不満足なことや心配なことがまだ沢山あるが、日本に生まれたことに、ただ感謝したい。

私には好きなことが2つあります。囲碁とサッカーです。
囲碁は、現在(2013年6月29日)、第68期本因坊戦7番勝負が、井山裕太本因坊と高尾伸路9段との間で争われています。
6月25日に第5局の勝負がつき、井山本因坊が勝ち、対戦成績を3勝2敗としました。
24日から25日にかけての2日間、それぞれが8時間ずつ考えてよい(持ち時間)で対局します。私にはとてもすごいことに思われます。
自分では、8年前から「将碁友の会」というインターネットの対戦型ゲームソフトを使っています。
入会した時はこの会での級位は10級でした。そして今も10級です。
対戦相手は全国から申し込んでくるのですが、約9割は私より年齢が上です。
今まで対戦した中でもっとも高齢の方は「大正9年生まれ」でした。当時、90歳ぐらいと思われます。
最も若い方は「平成9年生まれ」です。対戦した時は小学5年生だったと思います。どちらにも負けました。
なぜ強くならないかというと、勉強しないからです。
「定石」「死活」などの基本を勉強して覚えなければ強くなれないのです。
あと、酒を飲みながら対戦するので、最終的な極めて緊迫した局面で、少し酔ってくるので、判断ミスをしてしまう、というのが主な言い訳です。
一念発起して、今年の5月3日に日本棋院(囲碁の公的な機関)の級位認定大会に参加しました。
3,000円と丸1日という時間を投資して、4人の方と対戦して、3勝1敗で、見事10級の認定を受けました。
本当は10級であるということは(なんだ、そんなに弱いのかということで)恥ずかしいことなのです。
人様に言えることではないのですが、私の中ではとても嬉しいことなので、つい言ってしまうのです。
サッカーはスペインリーグを見ます。バルセロナの試合を楽しく見ます。メッシに喝采を送ります。
桁違いのメッシのプレーを見るのは本当に楽しい。もちろん、日本代表の試合は必ず見ます。
マイケルジョーダンの頃はバスケットボールをよく見ていました。長嶋さんが引退してからはそんなにプロ野球を見なくなりました。
やはり、スーパースターが魅力なんだなと思います。
そして、バルセロナにブラジルのネイマールが移籍しました。これからのメッシとネイマールのコンビが演じる、
桁違い×桁違いのサッカーをとても楽しみにしています。

田中保君、関谷収君、中川恵君、私のことを思い出してくれてありがとう。感謝しています。
貴方達の心の片隅に自分が存在していたことが、とても嬉しく思われます。
「どんどんリレーして、次に回ってくるのが何年後であっても、必ず投稿するからね。それまで元気でいるからね」と、
みんなでそう考えたいですね。
年齢を重ねると、肉体的に不都合なことが増えてきます。仕方がないことだと思います。
不都合と上手く付き合って、生きて行きたいと思います。
皆様、必ず健康で楽しい毎日を送ってください。
それでは、ごきげんよう。

<写真用のコメント>
小川一族の写真です。
少し以前のものですが、この後にこれを上回る写真を得ることができませんでしたので、これでお願いします。
なお、田中保君の孫は6人なので5人の私が負けです。しかし、一族の人数は私の方が13人なので勝ちです。
すみません、つまらないことを言いまして。ご勘弁。

大泉20期リレー投稿 堀 勇良 2013年6月13日

 去る5月17日、四十五年ぶりに田中保さんと横浜で旧交を温めた。同じバスケットボール部(私は半年しか在籍しなかったが)で、
横浜に住む関屋収さんも一緒に。田中保さんとは、年賀状のやりとりをしており、毎年のごとく、会いましょう、と書き添えていたのであるが、
リレー投稿のお蔭?で、あっさり再会を果たした。このリレー投稿なるもの、引き受けることはなんとか出来そうだが、
渡し手を見つけようとすると相当に厄介だ。そんなことで、かつて土金徳太郎さん(大学で同じ学科でした)からのリレーを辞退したことがあり、
今回もお断りしたのではあるが、それはそれとして、責任感の強い(高校時代のイメージです)田中保さんが、
バスケット仲間で回す変則リレーを提案され、そういうことであればということで、お引き受けした次第。

 まずは自己紹介。出身中学は石神井西中、高1小山先生、高2杉田先生、高3乙黒先生のクラス、一浪後、
京都大学工学部建築学科(正確には建築学第二学科、夜間ではありません)に入り、入学後半年間授業が全くなく、
勉学しそびれてしまい、建築家への道からも外れて、東京に舞い戻り、六本木の東京大学大学院
(生産技術研究所、現在の国立新美術館のところにありました)に進み、<建築探偵>稼業に現を抜かすこと8年、
縁あって横浜市役所に入庁、横浜開港資料館勤務16年半(何時だったか寺章夫さんが訪ねてくれたことがありました)、
この間横浜市の<歴史を生かしたまちづくり>に関係し、平成9年国家公務員に転じ、文化庁主任文化財調査官として
建造物の文化財登録及び文化財指定に従事(良く知られている建造物では、現在世界遺産に推薦されている
富岡製糸場の重要文化財指定を担当しました)。
 五十路を過ぎた頃、某大学某教授の「五十を超したら何か遺ることをしないといけない」との言葉に促され、
大学院時代の遣り残し(日本近代建築人名総覧づくり)をまとめてみるかと思い立ち、休暇を見出しては図書館通いを始めてみたものの、
遅々として進まず、(経緯は略して)、文化庁勤め10年を区切りとして早期退職し、エンドレスの作業を本格化させて5年、
今日に至るも道遠しといったところ。
 こんなことがありました。その筋では良く知られた、関西某ゼネコンの建築デザイナー某氏の没年が知りたくて、
某ゼネコンの知人を煩わして遺族を紹介していただき、ようやく空白欄を埋めることができたのであるが、或る日、中学の同期会の折、
高校でも同期の黒田(旧姓石川)一枝さんが「堀君知ってる、有楽町にあった東京宝塚劇場の設計者、わたしの伯父さんなのだけれど」と。
なんのことはない、石川さんに尋ねれば、没年などすぐに判明したものを(その建築デザイナーは“モダ純”の名で知られた
石川純一郎という建築家です)、燈台もと暗し、ということになろうか。

 それではお次は、田中保さんが手配してくれるはずのバスケつながりの方へ。

リレー投稿 木村 徹 2013年5月25日

大泉高校20期の皆さんご無沙汰です。
3年4組にいました木村徹です。
今回小学校、中学校、高校と一緒だった寺君からのたってのお願いにより、2回目のリレー投稿となった次第です。
と言ってもそんなに書くこともなく、面白い出来事もなく、どうしようかなと悩みながら、書いています。
私は1月生まれなので今年で63歳になりました。
大学を出て就職した会社は既に退職し、今はマンションの通勤管理人をやっています。
元気で働けるところがあって、よかったと思っています。
毎日何かと出来事や出会いがあり、結構忙しくやっています。
昨日は月に1回実施する屋上の点検をしたところです。
航空公園駅に近い7階建てのマンションで、天気が良ければ屋上からスカイツリーを見ることもできますよ。

そういえば60歳を過ぎて出来事がありましたよ。
なんとラグビーを始めてしまいました・
60歳を過ぎてしばらく経った頃、テレビを見ていたら、78歳で現役でラグビーをやっている人の話をやっていました。
キズナのチカラという番組でした。
確か新潟のクラブだったと記憶しています。
その番組を見ているうちに、78歳より相当若いのに打ち込めるものを持っていない、何もしていない自分が情けなくなってきました。
週2回ほど入間市の体育館に行き、多少は体を動かしてはいましたが、これは個人でやっていたこと。
仲間と一緒に苦労や楽しみを共有できるスポーツをやりたくなってしまいました。
(高校時代は練習がきつくて辞めたラグビーでしたが・・・・・情けなし)

近くに60歳の私でも参加できるラグビークラブがあるといいなと思い、捜したところ、
川越市でやっている川越ファイターズというクラブを見つけました。
川越ファイターズは若手と不惑のチームがあり、不惑は40代から70代までが会員となっている、
結構所帯の大きいチームでした。70代も3人いました。
入間川の河川敷の東京国際大のグランドを毎週日曜に借りて、午前中に練習していました。
練習を見に行ったら早速その翌週より練習に参加させてもらい、なんとその翌翌週の試合にフル出場させてもらいました。
ポジションはフォワードの3番でした。(まあ15人ちょうどしかメンバーが集まらなかったという幸運もありましたが)
不惑(40歳以上)のラグビーの試合は、年代別に試合をするので、40代同志、50代同志、60代以上は
いまのところ70代が各チームともに少ないので、一緒に試合をしていますが、神奈川不惑クラブは70代で15人以上そろえ、
我々の60代、70代の混合チームと対戦してくるから、すごいものと感心していますが。
我がチームは70代は3人ですが、40代から60代はそれぞれ25人以上はメンバーがいる。かなり人数のまとまったチームです。
定期的に試合をしている相手としては、不惑(東京)、神奈川不惑、房総不惑、栃木不惑、新潟不惑、くるみクラブ、
都庁クラブ、東京マスターズ、稲城ナッシング、曼荼羅クラブなどなど、またその他申し込みがあれば都合がつく限り
対戦しています。
定期的な行事としては、7月最初の土、日に開催される菅平不惑大会への参加、9月に開催される関東甲信越大会への参加などです。
ラグビーというスポーツの持つ特殊性(体をぶつけ合うという)なのでしょうか、試合が終わった後は両チームが集まってお互い頑張ったなと、
アフターファンクションと称して飲んで騒いで親交を深めています。
こんなチームに所属してラグビーを楽しんでいますが、興味がある方、一緒に練習してみたい方、またはどこかのチームに所属していて、
対戦してみたいなという方がおられましたら、木村まで連絡してください。
練習も、疲れたら適当に休んでも何も言われませんが、休む人はあまりいないようです。
私は今チームの主務(マネジャー)をしていますので、いろいろ便宜を図れますよ。
練習グランドは関越高速の川越インターを下りて20分ほどのところです。
ホームページもありますので是非見てください。

以上、なんだか自分のやっているスポーツの宣伝になってしまったみたいですが、こんな63歳もいるということで、よろしくお願いします。

ということで、7月6(土)、7(日)は菅平の不惑大会へ参加するため、大泉高校の同期会は不参加とさせていただきます。
今後も同期会が7月の最初の土、日ということであれば、ずっと参加できずということになってしまうのか?
それもちょっとさびしいいこととは思いますが。

リレー投稿 田中 保 2013年5月14日

田中 保です。高校時代は3年生の夏の大会までバスケットボール部に所属し、クラブ活動に充実した日々を過ごしました。
その後、バスケットボールとは1年間の浪人生活ブランクもあり、大学の体育授業で触れただけで無縁となりました。

私にとっての大泉は、父親が西大泉に自宅を構えることがきっかけで、大泉小学校に3年生二学期に転入した時からです。
父親の勤務の関係で3校目とはいえ、初日の教室での挨拶が恥ずかしく嫌だった思い出があります。
6年生の練馬区連合運動会では100mを13秒9で走り、当時の恩師、現在「一枚の絵」でご活躍されている向山遼一先生から
「君はオリンピック選手になると思っていた」とお会いすると今でも言葉をかけていただき恐縮しています。

中学校では何をしようと、小学校時代に石神井警察署子供柔道教室に通っていたこと、足が速かったことなどいろいろ考えた結果、
お袋が女学校時代に選手だったバスケットボールに、私も熱中した事がスポーツの原点です。2年生3月の自習時間中のサッカーで、
右足首を複雑骨折、中学校近くの柔道整復師の先生にお世話になり、約2ケ月間自宅療養しました。丁度季節の変わり目でもあり、
庭木の新緑の美しさ、久しぶりに足をついて歩けるようになりバスケットボールができるようになった感動は、今でも鮮明です。

高校へは中学校と同様、自宅から徒歩での通学で、電車組にあこがれていました。現在も西大泉に実家があり、
94歳のお袋と兄夫婦家族が同居しています。高校時代はクラブ活動三昧でした(男3人兄弟はそれぞれ別の都立高校に進学し、
同じくバスケットボール部でした)。このリレー投稿も、当時の繋がりで関屋、中川両氏から声をかけていただいたことによるものです。
感謝申しあげます。

大学卒業後、結婚して長女が6ケ月になるまで両親と同居、大泉との縁は繋がっていたものの、就職後は都内、神戸、大阪、横浜、
都内と国内の限られた地域内の勤務で、関西から戻った横浜勤務時代に現在の横浜に居住することになり、
大泉へは実家に戻るだけとなっています。同窓会、同期会、バスケットボール部OB会にも永年ご無沙汰し、失礼しています。
こんなこともあり、高校時代を振り返ってみようか、その後のことにしようか、自分の関心事とみなさんの関心事との調整を
考えないままの状態です。お許しください。

団塊世代の典型で終身雇用制にどっぷりと漬かったサラリーマン生活は、金融機関に約29年間、その縁で現在の宝くじ販売業務に
約11年間と長きにわたり、いよいよ残りもあとわずかで、ゴールを目指しているところです。

まず、現在従事している宝くじのことを、次に簡単な近況報告をいたします。「宝くじの収益金(全国都道府県及び全指定都市へ
納付され公共事業などに使われる)」の使途は、教育施設、道路、橋梁、公営住宅、社会福祉施設の建設費などがおもなものです。
みなさんの身近なところで使われています。記憶に新しいところでは、東日本大震災復興、口蹄疫復興などを目的とした
宝くじが発売されました。「宝くじの種類」です。おなじみのジャンボ宝くじは、グリーンジャンボ、ドリームジャンボ、サマージャンボ、
オータムジャンボ、年間最大の年末ジャンボがあり、2012年4月以降は法律改正により高額化しました
(2012年の年末ジャンボは1等6億円〈前後賞各1億円合わせて〉でした)。次に通常くじ、各ブロックくじ(含むスクラッチ)などです。
そして幅広い層に人気の数字選択式宝くじ、ナンバーズ、ミニロト、ロト6、2013年4月から発売のロト7です。
特にロト7はキャリーオーバー時には史上最高金額の1等8億円と好評を博しています。是非お試しください。
宝くじは、みなさんに明るい夢をご提供すると同時に、収益金は広く地域社会に役立てられています。

次に簡単な近況報告です。
家族は独立している娘夫婦家族(8歳長女、6歳長男、4歳次女、1歳次男)と息子夫婦家族(3歳長女、1歳長男)で、
今は私と妻と猫2匹です。それぞれ車で15分足らずのところに住んでいます。休みの日は集まって賑やかに過ごし、
彼らからエネルギーを貰いなんとか仕事を続けています。私は、ただただ体力維持のために、60歳を過ぎてから、
土日には近隣を10kmずつ、ランニングとジョギングの中間の走りをしています。当面はこれが最大のリフレッシュとなっています。
時間ができたら、太極拳3段の妻の指導を受けたり、図書館通いをしたり、レシピ通りの料理をしたり、
やりたいことしたいことが一杯あり、それを楽しみに仕事を続けています。

それではこのあたりで、次の投稿者へリレーします。

同窓会について思うこと 中川 惠 2013年5月5日

現在、37年間の教員生活を終え、(公財)全国高等学校体育連盟というインターハイを主催する財団事務局にフルタイムで
務めて4年目になりますが、勤続疲労もだいぶ溜まってきたようです。最後は、どこかでバスケットの指導に携わりたいと思っています。

関屋氏から『リレー投稿を書くように!!』と下命されたものの、なかなか筆が進みません。が、お断りするのも悔しいので、
現在ひょんなことから理事として係わらせていただいている『同窓会』について、書いてみたいと思います。
昔は高校卒業時に積立金から同窓会入会金が自動的に支払われていましたので、納入率は100%でした。
しかし、今は授業料や学校徴収金(教材費など)以外のPTA会費などは、学校が集めてはいけないことになっています。
したがって、入会金も各卒業生が『同窓会』の口座に振り込んでくれないと徴収できないのです。
同窓会を否定したり、入会を拒否する卒業生が増えた訳ではないでしょうが、納入率は50%弱という状況です。
高校を卒業してしばらくは、あまり『同窓会』を意識することもないのではないかと思います。自分自身を振り返ってみても、
母校に10年間勤務したとはいえ、40才の時に始まった同期会が『同窓会』を強く意識するきっかけだったようにも思います。
「同期会をやろうか」と思う年代になったときのために、きちんと入会金を納入しておいてほしいものです。

以前、卒業式の式辞の中で生徒たちに、『人生には、失ってほしくない3つの『間』がある』という話をしたことがあります。
失ってほしくない3つの『間』とは、時間・空間・仲間の3つなのですが、『同窓会』というのは、まさにこの3つの『間』が
詰まっているものなのではないかと、今つくづく感じています。

一つ目の時間・・高校時代という『時間』の流れを共に過ごした同期生たち。
『時間』には、多くの意味があると思いますが、『時間』の流れからは、継続の大切さ、今を大切にという生き方、
チャンスを逃すなというタイミングなどが、思い浮かびます。
野球の強い関西(カンゼイ)高校という関西の学校に『人生、見逃しの三振をするな』と書かれている石碑があるそうです。
自分の高校時代を振り返ってみると、何度も『見逃しの三振』をしていたかなと思うこともありますが・・・。

二つ目の空間・・時代が違っていて、顔を合わせたことがなくても『大泉』という『空間』を共有した同窓生たち。
共に過ごした訳でもなく、校舎も何度か増改築や建て替えもしていますが、『大泉』という空気を共有している先輩や後輩たちに
感じる親近感は、何なのでしょうね。

三つ目の仲間・・同じ『時間』と『空間』を共有した級友に始まり、直接名前や顔を知らなくても、『大泉』という空気を共有した先輩たち、
そして後輩も含めた同窓会。
その中には、人生や生涯の『仲間』となる、『仲間』と言える人たちがきっといると思うのです。

大泉に勤めていた時、こんなことがありました。
バスケット部のOB・OG会で、S病院で看護師をしている教え子のOGが、「先生、何でここにいるんですか?」とⅠ君に話しかけた。
Ⅰ君は、S病院のドクターだったのです。
社会に出て経験することだと思いますが、出身大学は結構知っていても、出身高校についてまでは知らないことも多いようです。
OGの次の一言は「なんだ、後輩か!」でした。Ⅰ君は次の日からやりにくかったかもしれませんが、お互いに一つの繋がりが
広がったのではないでしょうか。

『大泉』の同窓生(いずみ会会員)は、約2万4千名います。そんな『同窓会』は、実は宝物の箱なのかもしれません。そこには、
繋がりの芽がたくさんあるはずなのです。それを見逃さない後輩たちであってほしいと思います。
卒業していく後輩たちには、「君たちは、一生『大泉』卒業なんだよ。」と伝えたいと感じる今日この頃です。