更新 2014年3月9日
吉川さんからテニス部のリレーということで、高校時代の軟式庭球部の頃を思い出しました。
入学すると部活は迷わずテニス部を選びました。母校の校門からの長いアプローチ沿いにテニスコートが何面かあり、
心地よいボールを打つ音と応援する声は青春そのもの、願書を持っていった時から決めていました。
1年生の時はすらりとした上級生にあこがれ、彼女は「お蝶夫人」のような静かでしなやかな人でした。
隣のコートの男子チームのキャプテンも人気がありました。放課後の練習には大学生の男性コーチが来て下さり、
前衛になった吉川さんや私たちは、ネットの前に立ちラケットを顔の前に立て、コーチのボールを受けるボレーの練習をしました。
余り楽しくなく、そんな日の翌日は腕が震え鉛筆が持てなかったのを覚えています。
コーチに連れられラケットを購入しに数人で確か渋谷のショップに行ったこともありました。時には対外試合があり、
富士見台の高校に行きました。早朝に集合した駅の売店で、同期の1人が新聞を購入し連続小説を夢中で読んでいました。
確か「氷点」でした。きっとクライマックスだったのでしょう。日頃新聞を読むことも少なく、自分で購入することなど皆無だった私は、
その大人っぽい姿をよく記憶しています。添田さんとコンビを組んで出た試合はすぐに負けてしまったため、
後はお弁当を楽しく食べてその高校を探検して帰ってきました。ラリーは楽しいですが、私には素早い判断で相手の
取れない所に球を打ち込む!という優れた反射神経もなく、試合に対する熱意も少なかったのでしょう。
校内の試合でも勝った記憶が余りありません。テニスの試合は難しいです。
体育館裏に有ったうす暗く狭い部室もワイワイと楽しいスペースでした。帰りには校門近くのラーメン屋や駅前の
煮込みうどんやバス停前の大判焼きをこっそり食べたものです。それでも夕飯はちゃんと一人前に食べられたのですから若かったですね。
ビートルズの映画を見に連れて行ってくれたのもテニス部の仲間です。それまでも何人かは武道館のコンサートに行ったり、
部室でその魅力を熱く語っていたのですが、それまでは全く関心が無かった私も、映画館のスクリーンを走り回る4人組に圧倒され、
世の中とはなんと刺激的なのかびっくりしました。
卒業後、進学した時もテニス部に入部したかったのですが、部室からあふれんばかりの入部希望者に入部が叶わず、
たまたま隣にあったという理由で全く未知の競技舞踏の部室に入部を申込みました。今でこそ「華麗なるステップ」としてテレビ放送もあり
シルバー世代の公民館講座も賑わっていますが、それを学生のクラブとして活動しているのです。名前のとおり競技ですので試合がありますが、
こちらは点数を競うのではないことと、その頃としては贅沢な生バンドで踊るのが楽しかったです。きっと性分にあっていたのでしょうか、
どんどん勝ち進み東部戦、全日本戦などで優勝するようになりました。きっと運動神経とは別のリズム感は少し有ったのかもしれません。
その数年後、大阪にしばらく暮らして東京の社宅に戻ってきましたが、その社宅には建物に囲まれるように4面の硬式テニスコートがあり、
また私のテニス熱が再燃してしまいした。その頃は朝の掃除もそこそこにコートに入り夕方までテニスウエアを脱ぐ暇なしの生活でした。
子供たちはみんな放し飼い状態でしたので、流石に少々気がとがめて、大学生のコーチを雇い小学生の息子達のスクールを企画しました。
もう30年も前の話ですが、今でも錦織プロをテレビで見るとあの時からテニスを続けさせていたら・・・・・と夢見心地になったりします。
その後、西武線沿線に転居してからも市のコートや勤務先のコートを使い、時々ラケットをにぎっては相手に上手にボレーをしてもらう
ヘボテニスを続けてきました。今は介護生活でラケットを握ることもありませんが、時々青空を眺めては、
母校のテニスコートを思い出してにやにやしているこの頃です。
次は木村(佐々木)邦子さんにリレーします。
比地原さん(関野さん=お関)からバトンを受け取りました。2月に銀行員生活を退職というこの時期、振り返ることがたくさんあります。
大泉高校では、関野さんと本当にいいコンビを組んでいました。真夏の強化練習で、真っ黒に日焼けし、
バケツに足をつけて冷やしながらコートを駆け回っていました。ラケットの真ん中にボールがあたった時のあの風を切る感覚。
今でも覚えています。午後は、校舎の裏のパン屋さんのお座敷で汗ビショビショのまま昼寝。ご迷惑おかけしました。
勉強のほうは、超低空飛行で、すっかりしょげていましたが、英語のReadingの時間、授業で教科書を読んだ時、
杉田先生がかけて下さった一言が支えとなりました。「いい発音ねえ。もう少し読んで頂戴。」
高校生活後半からは、P.P.M.に夢中になり、女性ボーカル、マリーさんの音に惹かれ、どうしたらあの音がでるか必死に真似したのに、
同じ音がでない。じぶんの声を録音しても、似ても似つかない。で。ある時気付いたのが、彼女の口の大きさと、頑丈な顎でした。
それが英語の音声学に興味をもったきっかけでした。
大学では、ヒゲの五十嵐新次郎教授の音声学の授業に学び、サークルは、W.E.S.A. という英語のサークルで、
文化系とはちょっとちがう体育会のようなサークルで、有意義な学生生活を送りました。
英語を使う職場と友人に誘われ、東京銀行に入行。退職まで外国為替を専門として過ごして来ました。
銀行員でありながら、お札の勘定はまったくできず、お金も貯まりませんでした。
お給料とボーナスで即出かけたのがスコットランド。往復の飛行機のみ予約し、B&B(Bed &Breakfast)に泊まり、
フランスパンとマヨネーズをリュックに相棒と歩きました。
何故って?大自然が待っていたから。見知らぬ土地で、見知らぬ人との語らいが魅力だったからです。
広い草原に寝転がって、胸いっぱいに空気を吸い(時に牛や羊の匂いも一緒に)ちいさな町で出会った人達との会話は、本当に暖かいものでした。
夕食もデザートも食べ終わったあと、シェフが一言。「どうして日本人はデザートにチーズを注文しないの?」
「お腹がいっぱいでこれ以上食べられない」というと、シェフが大きなお皿に、1cm にカットしたチーズをもってきて、
「デザートにチーズを注文したはじめての日本人として登録します。」と言いました。
今でもあの小さなレストランには、私の名前が登録されているのでしょうか。 確かめに行かなければなりません。
次は土肥暁美さんにバトンを渡します
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エディンバラ城、国立美術館 | エディンバラ城 | |
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バターミア湖の羊 | ケズイックの羊 | |
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テニス部の後半期にペアを組んでもらった源さんからバトンを受け取った私は今も高校時代同様にのんびりとゆっくりと生活する一方で、
夫の第二の仕事の山にも少し影響を受けた結果、知らなかった事にも出会えたりで変化もあり納得できる日々を送っています。
私が初めて海外に行ったのは当時は飛行時間27時間のブラジルで、一人で1歳と3歳の子を連れて夫の赴任先へ向かいましたが、
途中飛行機のトラブルでカリブ海のサンファンという所に緊急一泊しました。が不安を感じるよりも貴重な体験ができたと言って
心配した人たちを呆れさせたそうです。ブラジルでは貧富の差や治安の悪さにびっくりしたものの、困ったことはあまり覚えていなくて
楽しい事ばかりが思い出されるのですがそれも性分かなと思います。
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イグアスの滝 | タンゴ発祥の地ブエノスアイレスのボカ | |
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ペルー |
帰国後小中学生のための英語教室を開いて来年でちょうど30年をむかえますが、そんなに長くやっていたとは自分でも驚きです。
引越時にも新旧教室を行き来して何とか29年間一ヵ月も休むこと無くやってこれました。巣立った生徒さんは300人を超えますが
今でもほぼ全員の顔を思い出すことができて、外で声をかけられたりすると本当に嬉しくなります。それも夫が平日単身赴任や
インドネシア勤務などで普通の主婦なのに夕方からの時間が自由に使えたお陰だと思って感謝しています。
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バリ島 |
スキーは全然だめだったのですが8年前に乗鞍在住のカービングの先生に教えてもらうようになり毎年通って、
4年前にやっとのことで2級検定に合格しました。といっても必死にがんばる母親のようなおばさんを、息子のような若い険定員は
不合格にはできなかったのでしょう。乗鞍には今でも毎年シーズン初めに行ってレッスンを受けています。
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イタリア側へ | マッターホルンの前で | |
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マッターホルンの前で | オーストリア |
テニス(硬式)も地元のクラブ等で30年以上うまくはなくても大好きで続けています。友達もたくさんつくりました。
一番嬉しかったのは実業団でテニスをやっている次男が母の日のプレゼントにと市のファミリーダブルスにペアで申し込んでくれて優勝した時です。
写真は大量のうれし涙を拭いた後。どんな時にも私を支え育てともに歩んできたテニスをこれからもずっと続けられたらと思います。
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優勝カップ |
そして山登りでもたくさんの思い出をつくりましたが、でも私は初めから山が好きだったわけではなく何となく夫について行くうちに
こんな素晴らしい世界があったのかと少しずつ惹かれていったようです。連れて行ってもらうだけでは登山とは言えないのですが、
それはそれとして、感動の場面に出会えた経験は心の財産でとても大切な宝物です。これからも感謝を忘れずに生きていきたいと思います。
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モンテローザの前で | ブライトホルン山頂 | |
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ボルネオ島キナバル山 | カナディアンロッキー | |
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チロル地方 |
さて次にこのバトンを手渡すのは私とペアを組んでくれていた名前衛の吉川さんです。
刺繍を習っているせいか、手作りが好きな友人に恵まれ、ビーズのアクセサリー作りが流行り始めた時、刺繍の先生がしていたスワロフスキーの
ハートのペンダントに心惹かれ、友人から作り方の載ったパンフレットを貰ったのが切っ掛けで、ビーズをテグスで編むアクセサリー作りにはまりました。
今思えばおかしいのですが、立ち読みで気に入ったネックレスの作り方を頭に入れ、帰宅したら忘れない内に紙に書き、はっきりしないところは
また本屋さんに行って…と2,3回本屋通いをして作品を仕上げたことがあります。本来、本を買うのは大好き人間なので、
中に作りたい作品が2,3個あれば買ってしまう方が多いのですが、その時は、他には特に気に入ったものがなかったので一冊買うのは…という
けちな主婦感覚に襲われたのでしょうか。
最初は本に出ている作品と出来るだけ同じビーズでなくてはと思っていたのですが、同じものが手に入らない事もあり、本とは別の種類や色の
ビーズを使って作ってみると、全く違った味わいが出てくるのが楽しくてしかたなくなりました。道を歩きながら、今度はこういう風に
作ってみようかとアイディアがわいてきた時もあります。手芸材料店の参考作品からヒントを得たり、友人の身につけている物を見せてもらって
作ったりもしました。
しばらくはビーズ編みが主だったのですが、友人が知人に頂いたというビーズ織のラリエット(留め金のない長いネックレス状のアクセサリー)を
していたのを機にビーズ織をしてみたいという気持ちが強くなってきました。織機が小さい割に値段が高いので躊躇していたのですが、
手ごろな値段の簡単な織機を見つけたことで、本を買い込み挑戦してみることにしました。本に出ていた作品通りビーズを揃え、
途中から2つに別れ最期を繋いで作るロングネックレスを仕上げた時は嬉しくて自慢して回ってしまいました。その後、針と糸で織ったように
作れるビーズステッチの本を見つけ、ブローチやイヤリングを作りましたが、本に出ている作品だけでなく、クロスステッチの図案を利用して
作ってもみました。
フレンチリリアンに出会ったのは何年前だったでしょうか。子供の頃に夢中になったリリアンに似た技法でビーズを編みこみながら筒状に
編んで行く手法で、NHKのテキストに載っていました。数年後、東京の越前屋(手芸材料店)でフレンチリリアンの道具を見つけた時は
本当に嬉しかったです。編み始める前に使うビーズすべてを編み糸に通しておかなければならないのが一寸厄介ですが、細いワイヤーを
折り曲げて針のようにしてビーズを通せばよいことに気付きました。ラメ糸で直径3mm位のビーズを中心に規則的にビーズを配列して編んでみると、
軽くてちょっとおしゃれなネックレスが出来上がります。また、山吹色のレース糸に色々な色のビーズをランダムに編みこんでみたら、
ビーズの輝きでレース糸が金糸に見えたのは面白い効果でした。レース糸ではなくテグスを使ってみると、透明感のある夏向きのネックレスが出来ました。
一昨年の夏、そろそろビーズを整理しようと思いながら手芸屋さんを覗いたところ、一世を風靡していた丸小やスワロ中心のビーズ編みに代わって、
大きめのビーズをただ繋ぐだけの作風に変わっていました。しかもアンシンメントリーOK。自由に自分の好きなビーズを通して行けば
良く左右対称にする必要もないから、同じビーズを2個揃えることもなく気楽です。以前友人からもらってどう使おうと悩んでいた
昔のべっ甲やサンゴも現代風に蘇らせることが出来ました。手作りの作品は愛おしくて、本物のパールや金のネックレスより素敵に思えて
どこにでも着けて行ってしまいます。
そして今年、娘に誕生祝いとしてもらった『つまみ細工の本』を参考に、和布を使ったブローチやバッグチャーム作りにはまっています。
ビーズに出会って十数年、初めは本や友人に教えてもらった通りにしなければと、固定観念に凝り固まっていたのが、
徐々に自由に作って良いということに気付き、楽しさが倍増してきました。
固定概念に縛られることのない自由な発想、それは人生にも当てはまることかもしれません。
ゆとりのある大きな気持ちでこれから歩いて行きたいと思っています。
と、格好良く書いたところで、次は比地原 正子さん、お願いね。
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春の花粉、夏激暑、秋またアレルギー、あっという間に厳冬…と、畳み掛けられじっとしている日数割合がどんどん上がってきているようなこのごろです。
オセキからのリレーバトン指令で、ちょっとしゃんとさせていただきました。
娘と息子が独立してからは、温泉通いが続いています。
少々きついながら福島辺りまでは日帰りで、それより遠い所は泊りでと、年に50湯位のペースがもう数年。よく聞くような所は行ってるのですが、
まだまだ良いお湯はいくらでもの温泉大国、動けなくなるまで、あとどれだけ入りつぶせるかことか…健康第一ですね。
ー 少し前のできごとですー
久しぶりに新潟。寺泊に行ってみようと。事故渋滞で1時間近くよけいにかかった。
田んぼは稲刈り最中。台風で倒れた稲もあちらこちらに。
信濃川を渡ったり、沿ったりして海に出る。寺泊着は2時を回っていた。
見慣れた角上の大看板。本店は初めて見た。
となりの何とかいう店に入り、ちらしを注文。団体用に広い座敷に客は数組。昼時を過ぎているからか。
外へ出て、イカ焼きも食べる。美味しかった。ビールが合うだろうなぁ。ドライバーに悪いので、がまん。
野積の方まで走ってみたが、めぼしい所がなく、もう遅いので戻って「太古の湯」にした。
土曜日なので混み混み。海が見渡せ、雲がかかっていたけど、きれいな日の入りが見られた。
湯は鮮度なくふつう。
あったまって、さて出るかという時、ロッカーの鍵がない。しつこく探したがない。
フロントに電話したら、スタッフさんが来ていっしょに探すも、なし。
紛失は¥5000と貼り紙。「後から出てくることもありますよ。」と慰められ、合鍵で開けてもらったロッカー内は無事でホッとして、
¥5000はあきらめるかとぐったりしてやっと着替えた。寒くはなかったが長かったーー
ドライヤーしてフロントに向かったところで、さっきのスタッフさんが後ろから手に鍵持って追いかけてきた。もしかしてともう一度探したら、
シャワーにかかっているのを「これじゃないですか」とお客さんが言ってきて見つかったそう。なんと有り難い。
重ね重ねお礼を言った。ほんといいスタッフさんだった。美人だったし。
それにしても、あれだけ探して、後から出てきたあの鍵のフシギ・・
今度からは気をつけようと肝に命じた。
今年ももうスタッド履き替えなければですが、山の雪道はやっぱりこわいですね。無理はしない近場通いが多くなりそうです。
大泉高校20期の皆さま、大変ご無沙汰しております。
この度、「おセキ」こと、比地原さんからメールをいただき、リレー投稿の要請を受けました。
そして「大泉20期のホームページ」の存在を知り、懐かしく拝見しました。
ちょっぴり浦島太郎になった気分です。
おセキから、「ゆっくりじっくり、身の上話など」という注文を受けましたが、
身の上話など語るような大そうな人生経験(!)もなく、どうしよう?という感じです、、。
今現在は東村山市に娘家族と同居しており、3人の孫の世話でテンヤワンヤしております。
3人とも男の子なので、息子と娘一人ずつを育てた私には、まさに別世界、未知の領域です。
お掃除&賄いのおばさん、&家庭教師、&病気の時は看護師さん、子守唄と怒鳴り声を使い分け、兄弟喧嘩の仲裁に奮闘しています。
私が子育てをした時代と違って、最近は働くお母さんの割合が増えました。今はやりの「イクメン」なるお父さんも、
まさに身近に接する機会もあり、隔世の感があります。
毎日追われるような生活をしていると、イソップ寓話の「アリとキリギリス」の話が頭に浮かびます。若い頃住んでいた清瀬では、
子育てと家事の合間にテニスや合唱、ピアノを習ったりと、自分のやりたい事をまず優先して来たツケが、今頃になって回って来たのかしら?
と思えて来るのです。
キリギリスは「飢え死にしてしまう」という説と、「アリに食べ物を分けてもらう」という説があるみたいですが、飢え死にするわけにもいかず、
せいぜい孫育てを楽しみながら頑張るしかありません。
あ、40~50歳代では、本の「校正」の仕事をしていました。お給料をもらって、国語の勉強をさせてもらったような一挙両得の仕事でした。
キリギリスのように「歌ってばかり」ではなかったことを思い出し、ちょっと安心。
現在住んでいるマンションでは、ボランティアの緑化委員会という会に参加して、植栽の保全に取り組んでいます。
今年は、マンションの周囲に植わっているソメイヨシノの並木が、寿命で3本伐採しなければならなくなり、理事会に諮ったり、
住民にPRしたり、業者の作業を確認したり大変でした。
来年、新しいサクラの苗を植えるのが楽しみです。
自分のために使える時間はごくわずかですが、体力維持のため、スポーツジムのプールに通っています。
始めたのは50歳過ぎてからで、必死にクロールの息継ぎをマスターしました。
これからどのように年を取って行くのかしら?と思いつつ、毎日が飛ぶように過ぎて行きます。
次は尾形(旧姓村上)ますみさんさんに、お願いします。
今年の6月中旬から約1か月間、南ドイツ、スイス、オーストリアを旅行してきました。
夫の友人でドイツ人のDr.ポートフが一昨年リタイアし、南ドイツ・ババリアの田園地帯にカントリ―ハウスが完成させ、
夫婦で招待されたのがきっかけでした。
カントリ―ハウス滞在の前後に、念願だったアウトバーン走破を組み込み、全行程4,500Km、30泊の大ドライブ旅行になりました。
フランクフルトでレンタカーを借りていざ出発!ハイデルベルグ、バーデン・バーデンを観光しつつ南下し、スイスに入境。
スイスではベルン、ローザンヌ、マッターホルン、ユングフラウ観光。(晴れ女の面目躍如で快晴!)そして、リヒテンシュタインを経由し、
オーストリアに。ウイーンでは、王宮内のコンサートを始め、博物館、美術館見学をしたりと街歩きを堪能。
そして、23日目でドイツに再入国。いよいよ、ミュンヘン郊外の田園地帯にある友人のカントリーハウスに到着!ここは、全26世帯の小さな村。
ハウスの主は、夫が12年前にスイス、ローザンヌ市内の大学院で短期研修を受講した際のクラスメイトです。その後日本に赴任され、
以来、家族ぐるみのお付き合いしている仲。2年前、リタイアする時にババリア地方の16世紀に建てられた古い農家を購入、
夫人が心血を注ぎ、外観を残し、徹底的にリフォームした素晴らしいハウスです。ここに、5日間逗留、ご夫妻の『お・も・て・な・し』により
カントリーライフを楽しみました♪
初日は、近くの古城でのジャズコンサートとディナー。近隣の村々から、ちょっとお洒落をした老若男女が集まってきます。
翌日は、車で30分程にあるゴルフ場で夫妻との久し振りのラウンド。夫人がとても腕を上げていてビックリ!1日に2ラウンドすることもあるそうです。
3日目は周辺観光に繰り出しました。南ドイツ最大のスキムジー湖遊覧をし、湖の中の島に上陸。
ここで、ノイシュバンシュタイン城を建てた狂気のルートヴィッヒ2世が、フランスのヴェルサイユを模して作らせた宮殿を見学。
夜はハウスに、ご近所にお住いのご夫妻の友人を招いてのホームパーティー。英語でのコミュニケーションにストレスが溜まっていた私のために、
ゲストは皆日本通!早大大学院卒業で日本語堪能なシングルマザーに、日本でECの大使も勤めていた外交官OBとパートナーの日本女性。
(ちゃっかり若い素敵な日本女性を同伴帰国!)彼は、現在、ミツバチ20,000匹以上を飼う養蜂家。これにもビックリ。夜遅くまで大いに
日本語で盛り上がりました。
4日目は、夫妻と一緒に標高差1,000mの登山を体験。約3時間ゆっくりと山を登り、頂上のレストランでポテトとひき肉のババリア伝統料理に舌鼓。
下山はロープーウエイで、あっという間に麓へ。
以上、団体のツアーで周るのとはまた違った、ゆったり且つ濃密な時間を過ごしました。
この様な生活は、私たちが滞在した故の特別なものではなく、ポートフ夫妻にとっては『極めて日常的』だということです。
朝起きたら一番に、車で5分の雑貨屋さんでその日に食べるパンと新聞を買いに行く。日中は、リタイア後に習い始めたピアノに向かったり、
古代ギリシャ語の勉強をしたり、ゴルフ、冬はスキーetc。テレビは殆んど見ないとの事です。また、ロンドン、シドニー、テヘランで
仕事をしている3人子供達を訪ねたり、フランクフルト郊外にある自宅、パリにあるアパート、スイスの別荘を車で行き来して、
友人達と交流を続けているようです。
楽しくポートフ邸で過ごした後一路最終行程へ。フッセンからウオルツブルグまでのロマンティック街道336Kmを走破です。
ノイシュバンシュタイン城、ドイツ騎士団本拠地、ローテンブルグ等を見学。起点のフランクフルトに戻りました。トラブルもなく、
お互い体調も崩さず、天候にも恵まれました。一番の心配(子供達にとって)は、1か月間も夫と2人だけの環境に耐えられるか?
もし、言い争い、喧嘩になったらどうしよう!そこは賢い(我慢強い?)大泉高校同窓生同士、うまく危機を事前に回避することが出来ました。
今回の旅で垣間見たポートフ夫妻の生活。こんな素敵なリタイア生活を私達も…と帰国したらまず、別荘探しのはずが早くも挫折???現実ですね。
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カントリーハウス | 山登り |
ここ数年、テニスも運動らしいこともしていませんが、ウォーキングを日課にしています。
八王子に住んで18年になりますが、まだまだ自然が多く残っていて、歩くたびに発見があります。
最近、散歩していて気になることがあります。
ガビチョウ(画眉鳥)という外来種の鳥をご存じでしょうか。近隣で増えているのです。
あまり耳にしたことのない、よく響く美しいさえずりに(擬音で表すのが難しいのです。)どんな鳥だろうとずっと思ってました。
ついに枝の先で歌っているのを見つけ観察すると、華やかな声と違い地味な姿でした。
薄茶色で大きさはムクドリぐらい、目の上に眉のような白い線がありこれが特徴です。
さっそく、家に帰ってインターネットで調べて見ると、ガビチョウ(画眉鳥)でした。
「1980年代に声の美しさからペットとして輸入され、その後、高尾山麓などで放鳥されたらしいこと、ウグイスや他種の鳥のさえずりを、
真似ることがある。」などの書き込みがありました。
野外ではよく響く美しい声も、室内では騒音となってしまうのでしょう。
ウグイスの声を真似することがあるって本当なのでしょうか?
私が、よく通る道ではガビチョウとウグイス、両方の声が交互に聞こえてくることが多いのです。
複雑な声を持つガビチョウならホー・ホケキョと鳴くぐらい簡単なことかもしれません。
高尾山近辺を歩くことがありましたら是非探してみてください。
次は山本(関)光子さんにお願いします。
山岸さんからバトンを受け取りました。井口 和子です。(旧姓 児玉)
大泉高では、軟式テニスを3年間やっていました。その反動か、入った大学では「琴と尺八」のクラブに入りました。
そして高等学校書道科の教員を目指したのですが、東京都の採用が若干名で、やむなく断念。小学校の教員を目指しました。
東京都中野区や練馬区等の小学校教諭を21年間、教頭・副校長を15年間無事に勤めて、1年早く退職しました。
練馬区の児童文集「練馬の子ら」の編集に15年ほど関わっていた関係から、専門は主に国語指導・作文指導・道徳指導です。
また、震災が続いたので小学校に避難所を開設する役目の関係から、地域の防災対策も担当していました。
どの小学校でも、教員の親睦テニス大会に出させてもらい、楽しかったです。高校生の
クラブ活動とはまた違う、ゲームの楽しさを味わいました。
退職して4年半、今はあこがれの専業主婦です。夫1人、子ども2人・嫁2人・孫5人。
平成25年7月末に生まれた孫に同じ「和」の名が入りました。東京オリンピックの時には、孫達と見に行けるかも知れません。
私は3歳から大泉に住んでいるので、もう60年近くになりました。大泉駅の周辺もとても変わりました。
高校はいつまでも大泉にあるので、電車から見ています。
最近、海外旅行にはまっています。教員の仕事をしているときには、許可無く任地を離れられないシステムなので、
行きにくかったです。
中国、エジプト、スペイン、カナダと世界史の年表のように、行き先を計画し、ヨーロッパに出かけはじめ、ドイツ・スイス・フランス、
中欧5カ国、イタリア、フランス、イギリスと廻りました。ちょうどローマ帝国の領土だった所を見に行く様です。
世界遺産の遺跡や大聖堂、宮殿や城、博物館、美術館、公園、その土地の交通網、食事などにも惹かれます。
特に高い建物にひかれます。西安の大願塔、スイスアルプスの展望台、ピサの斜塔、エッフエル塔、サクレクール寺院の鐘楼、パリの凱旋門等、
できるだけ歩いて上りました。
昨年出かけたフランスでは、モネが晩年作った睡蓮の庭を見てから、その後パリのオランジェリー美術館で彼の睡蓮の作品を見ることができました。
時間があれば、その部屋にずっと座って一日中見ていたいくらいでした。
来年はどこへ行きましょうか。ギリシャ、トルコ、地中海周辺、最近はちょっと行きにくい場所ばかりですね。とりあえず中世の城塞都市、
例えばスペインのトレドやドイツのローテンブルクの地図でも広げてと。
次は、堀(尾形)恵美子さんに、お願いします。
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イタリア ローマ コロセウム | スペイン トレド |