更新 2006年11月12日
今回のツアーはエクアドル人8人(2家族)と米国人4人と私達です。
キトからの添乗員は無く、島のガイドは一人でスペイン語と英語の両方を話します。
鳥の名前などは日本語で教えてくれたのでよくわかりました。
現地に着くまでどの人が同じツアーかわからず、娘と二人空港で、どの人について行くか目標を決めてその人達の前に席を取って待合室にいました。アナウンスは本当に聞きづらいし、表示もあてになりませんでしたので、この勘だけが頼りでした。アタリ!無事にガラパゴスに到着。
ガラパゴス諸島は火山の島です。まずは飛行場のある島に、入島料US$100を支払いました。
それから宿のあるサンタクルーズ島に船で上陸します。
バスで島を縦断しながら、ゾウガメのサンクチュアリーへ登って行きます。
ここは雨が多いようでこの時にも降られました。
今回はクルーズ船ではなく、ホテルを取る事ができました。
一頭目を見つけた時にはこの子(100歳以上だった)しかいないのでは、と少々あせり気味に独占したい!と思ってしまいました。
でも、目を凝らせばあちこちによりどりみどりです。 写真;ガラパゴス島上陸
ダーウィン研究所
ロンサムジョージとかサンティアゴとか名前を付けられた由緒正しいゾウガメや、人に飼われていた為野生に戻れなかったゾウガメ達の棲みかとか色々楽しくまわれる様になっていました。
ゾウガメの卵も保管してあり、ガイドがいれば自由に見られる為、番号がふってありました。 持って行ってしまう悪い人がいるそうです。
グループのお仲間は誰もお土産を買おうとしないので私だけ時間を貰ってここでしか買えないというポロシャツを買いました。
あせったので、サイズを間違えてしまいました。
写真;ダーウィン研究所
![]() |
![]() |
|
---|---|---|
ホテルのベランダで | ゾウガメ | |
![]() |
![]() |
|
ゾウガメ | ゾウガメとご対面 |
天候が悪くて海は時化ていました。船酔いです。薬を飲んでいたのになぁ。
じっと耐えるのみ。
それでも、サンタフェ島の湾に入れば波も静かになり、上陸用ボートに
乗換えてイザ上陸。
砂浜にはアシカが一杯寝転んでいる。大丈夫?
ここでもう一度、アシカに触らないようにと注意を受ける。
また、オスは気も荒いので近寄らないように。
そういっても、あちらから寄って来るのよね。
カワユイ。
アシカのコロニーをあとに海岸線に沿って登っていきました。
リクイグアナ発見。
写真;アシカ
![]() |
![]() |
|
リクイグアナ | アシカのお出迎え |
サウスプラザ島へ
昨日は船酔いだったけれど、今日はよい天気だし、大丈夫そうです。
ツアーの仲間からも心配して色々アドバイスを頂きました。
今日は船内でなくデッキで風に吹かれて一日過ごしました。
お陰でベタベタですが…
昨日はウェットランディングでしたが、今日はドライランディングなので、靴を履いたままでボートに乗込んで上陸しました。
溶岩台地を結構歩きました。
膝ががくがくであります。
アシカの母子に出会いました。おっぱいをのんでいましたよ。
向こうでは、おかぁさんが一所懸命子供を海へ連れ出そうとしていましたが、なかなか第一歩を踏み出せないでいました。
一方ボスの座を追われたオスはうらさびれた岸壁にたたずんでいました。
昨日はお目にかからなかった海イグアナにも出遭いました。リクイグアナよりも小さくて何よりも真っ黒なので精悍な感じを受けました。海に出て漁をするので、鋭い爪を持っています。
サボテンが落ちてくるのをひたすら待つのが、リクイグアナ。
そして、記念写真を撮っていたら、怒られました。柵の中に入らないで!と。
写真;アシカのお友達
![]() |
![]() |
|
---|---|---|
サウスプラザ島 | 乳を飲むアシカ | |
![]() |
![]() |
|
ボスの座を追われて | お客様 | |
![]() |
![]() |
|
イグアナと | リクイグアナーサウスプラザ島 | |
![]() |
![]() |
|
ウミイグアナ | 崖の上のウミイグアナ | |
![]() |
![]() |
|
ビーチで | ビーチで面白い鳴き声 | |
![]() |
![]() |
|
アカメカモメ | 魚群を狙う鳥たち | |
![]() |
![]() |
|
朝焼け | さよなら ガラパゴス |
8月27日から9月7日まで友人夫妻を訪ねて娘と二人でエクアドルへ行って来ました。
日本から米国のヒューストン乗換えでキトまで18時間の飛行時間トランジットを含めて23時間に及ぶ大旅行です。
時差は14時間あります。
真夏の日本をたち、キトでは冬のコートも着ました。
昼間は太陽の日差しの下で半袖ででないと暑いし、一日の気温変化は大きかったです。
また、2,800mの高地の為歩きながらのおしゃべりは息があがってしまいました。
旧市街のセントロはスペイン統治時代の建物が残っています。
伊賀上さんの写真にもあったジャカランタ、ラパチョなどが咲いていました。
キト旧市街
![]() |
![]() |
|
---|---|---|
パネシージョの丘 | 旧市街の公園で |
キトでの日常の買物はショッピングモールのスーパーマーケットを
利用しているそうです。
玉ねぎは皮をむかれて、豆は鞘から外され、メルカドという市場ではジャガイモも皮をむかれていました。何より驚いたのは生のハーブです。
初めて見るカモミールが無造作に並んでいました。
そうして、カリフォルニア米と寿司酢、酢どりショウガ、海苔、醤油も並んでいました。今、寿司がブームのようでした。
また、米ドルが通貨で硬貨はエクアドル産もありました。果物は熱帯のものでした。ほうずきービタミンAが豊富で、甘かった。ピタハヤ(ドラゴンフルーツ)−これも沖縄で食した物より甘い。モラー酸味の強いベリー系のフルーツ。バナナー大きくて一本食すのは結構大変です。黒い斑点がでるまで待ちます。
田辺農園産です。
マンゴ、オレンジ、リンゴ、イチゴ 等々。
ピタハヤとりんご
![]() |
![]() |
|
---|---|---|
ほおずき | バナナ |
キトはアンデスの山々に囲まれた盆地です。
果物は熱帯の物ですが、この気候の為花もまた美しく咲き、
切花でも長持ちします。
そんな高山の中でも、キト市内からテレフェリコ(ロープウェイ)で
たやすく行ける4800mの山(ビチンチャ山)へ行ってきました。
さすがに一歩一歩がきつく、かなりの寒さでした。
ロッジでは囲炉裏が焚かれていて、マシュマロ入りのココアを
美味しくいただきました。
こんな高地でケーナを吹きながらCDを売っているのです。
美しい音に癒されます。
コトパクシ山は富士山にたとえられているようです。
テレフェリコで登るビチンチャ山
![]() |
![]() |
|
---|---|---|
ビチンチャ山(4800m) | コトパクシ山 |
2006年10月19日 佐藤陽子(旧姓荒川)
のっけからなんですが、人が最期を迎えるとその灰を空から撒いたり、海に流したりすることが最近の日本でもあるようですが、チベットでは、1.鳥葬 2.土葬 3.川に流す という習いがあり、自分の意思ではなく、その人の身分で決められるそうです。勿論ダライ・ラマのようにミイラにされる別格高貴な方もありますが。彼らにとって天国は限りなく高い空にあり、人は鳥に啄ばまれて空に登り仏になる、とチベット人は信じています。ただ、チベット自治区に滞在した期間中、その目的らしい禿鷹の飛来はみかけませんでした。また、それを食するとされることからか、現地には魚を好んで食べる習慣は無いようです。
今回、上海にいる友人の誘いで、上は71歳の女性から若輩の私を入れて6人でチベットに行ってきました。チベットは個人でも行けますが、政情の関係で入地数制限がひかれ、色々なところで入所許可証の提示を求められますし、個人で許可を得るには現地で2―3日待ちはざらだということです。今回上海から入り成都・ラサと乗り継ぎましたが、飛行機の窓からは、雲間に頭を出すとがった山頂がすぐそこに見え、流石に世界の屋根であることを実感しました。出発前から気掛かりでしたが、富士山の頂上と同程度、3650mのラサの飛行場に降り立っても、しばらくは体内の酸素があるので、それほど空気の薄さは感じません。しかし翌朝、チベットの最大のお祭りであるショトン祭(35m×60m程のタンカという大きな曼荼羅絨毯が寺の崖から広げられる)に行くため早朝に目覚めると、2日酔いに似た頭痛が始まっていました。数年前に富士山に登った時は私独りなんとも無かった自信はどこへやら、これが高山病かと先行き少々不安になりました。
さて、この日を待望んでいた何千何万というチベット仏教徒は、頂上を目指し続々と列を成して登り、その周囲の山の斜面は、隣どおしの人が肩が触れ合う程に余地無く埋め尽くされ、7時の夜明けとともにタンカが広げられるのをひたすら待ちます。常日頃、自他ともに雨女を認める私ですが、その朝も、容赦なく降り続ける冷たい雨に祟られ、やむのをまって行われる開帳も定刻より遅れに遅れてやっと10時過ぎ、私は重い頭を抱えつつ4時間も立ち続けましたが、左右前後には観光客とおぼしき人など見当たらず、長い黒髪をお定まりの2つのお下げに結った婦人や、手に手に数珠をもった男性と一緒に、ひたすら崖を見つめ手を合わせました。それは本当に荘厳という言葉がぴったりのひと時でした。
チベットでは観光はボタラ宮を代表とする各地の寺を回るのですが、日本のように釈迦や観音様のご本尊が1−2体というのではなく、1つの寺内には数十数百体の仏像が納められています。ダライ・ラマに対する絶対的な信仰が強いため、インドやネパールからも贈られた仏像が、それぞれがきらびやかな織物をまとって、列をなしてひしめき合っています。五体倒地という全身を尺取虫のように伸び縮みして聖地を目指す信徒や、ヤクの油で作ったバターを蝋燭の容器に継ぎ足す信者の真剣な眼差しは、祭日に限ったことではなく、日常の務めだそうです。どこの寺院も小高い山の頂上にあるのは、高山地であればこその威厳なのでしょう。4999mの地にある湖にも行きましたが、水面は白い雲を映し、トルコブルー色に輝いていました。ちなみにチベットの貴石は天珠・山珊瑚・トルコ石です。至る所、きれいなジェムストーンが落ちていて、それを拾うのも楽しい思い出です。
さて、到着してから3日間は頭痛あり心臓バクバクありでしたが、体調を大きく崩す人も出ず、バスや船に乗ったり、ヤクやらくだにも乗りました。(ボタラ宮見学の帰りに、隣を歩いていたメタボリック風な中国人が高山病を発症し、突然ばたんと倒れうめき声を上げました。心臓マッサージを受けながら救急車で運ばれましたが、その後彼はどうしたでしょうか。)
食事は野菜中心の四川料理で、6人のこじんまりしたツアーだったので、毎回、街の食堂で頂きました。料理が出てくるまでの間、現地の人と向日葵の種を交換して味比べをしたり楽しかったです。急ぐ習慣が無いのか、注文を聞いてからおかみさんが市場に買出しに行き、大きな冬瓜や豆腐を抱えて帰ってきたりします。どの店も量が多く、残すのが残念でしたが、場所柄海産物がない分、台湾には到底敵いません。さすがに飽きてきます。(上海では菱の実やホウズキなど初めて食べたものも沢山あります。)
チベットは所謂、僻地ですが、今年、北京から高速鉄道が通ったので、中国国内からを含め、急速に観光化が進むでしょう。今でも外人料金と現地料金がはっきりしているのですが、日常生活の物価は低く安定しており、みやげ物でも1/5位までなら平気でまけてくれます。ラーメンが6元(90円)ですが、コーヒーなど外国物は貴重と見えて30元もします。ちなみに友人の大学教授のサラリーが3000元、上海・ラサ・上海のツアーが9500元でした。
気高く雄大で澄み切ったチベットの山々や空は東京人のせせこましい行動を緩やかにし心を開放してくれました。たった10日ばかりの旅行でしたが、日本に戻ってきて驚いたのは、常に遠くに視点があっていたためでしょうか、老眼がすすんだこと。もうひとつ、いつもうっすらと感じていたあの頭痛が、クリーンに消え去っていたこと。
「もう一度行く?」と問われれば、「はい」と答えるのに大いに躊躇しますが、確かに輝く自然と人々のすばらしい地であることは確かだったようです。
2006年9月18日 土肥(鈴木)暁美