更新 2019年8月1日
パリへは何度か行ったことがあるのですが、地中海側の南フランス、モン・サン・ミッシェルなどに是非行きたく、
フランス周遊のツアーに参加しました。
その様子を2回に分けて綴ります。
7月9日
羽田発エールフランスで、パリ経由、夜遅くニースに着きました。
7月10日
この日は、コート・ダジュールと呼ばれる地域を見て回りました。「紺碧海岸」の名の通り、地中海のコバルトブルーの海岸線、
赤い屋根の住居、色とりどりの花木がとても絵になる地域です。まず、鷲の巣村「エズ」へ。
ここは高い丘の頂上を城塞で巡らせた村。石造りの家と迷路の間を行くと、山頂にたどり着きます。
地中海の青い海の眺望がすばらしかったです。
次に、世界第二の小国モナコへ。岩山の半島にある、モナコ大公宮殿は、13世紀に建てられました。
ここから、モナコ港を眺めると、ヨーロッパの高級リゾート地の雰囲気を感じることができます。
モナコ大聖堂にはグレースケリーが眠っています。
次にニースへ。ここはフランス最大のリゾート地です。海岸沿いの道路は、プロムナード・デサングレ(イギリス人の散歩道)と呼ばれ、
高級ホテルが並んでいます。道路を隔てて、天使の湾と呼ばれる長く伸びるニースの海岸で、パラソルが並ぶ海岸、
地中海の青い海、青い空を背景に、たくさんの人が夏のバカンスを楽しんでいました。その後、宿泊地、マルセイユへ向かいました。
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鷹の巣村、エズの頂上から地中海を眺める | エズの石造りの家と道路 | |
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モナコ港を望む | モナコ大公宮殿 | |
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ニースのプロムナード・デサングレ | 長く伸びるニースの海岸、天使の湾 |
7月11日
この日は、フランス南部プロバンス地方の歴史や芸術を見て回りました。
まず、地中海へそそぐローヌ川を少々上がったところにあるアルルへ。
この町は、ここがフランスであることを忘れるぐらい、ローマの遺跡が多いところです。
まずは紀元前1世紀に建てられた古代劇場、半円形の座席が並んでいます。
すぐ近くには、紀元1世紀に建てられた円形闘技場があります。現在は2層の建物ですが、
建造時は3層で、フランスで最も大きな闘技場の遺跡で、2万人の収容力があったということです。
また、アルルは、ゴッホが過ごした町としても知られています。「夜のカフェテラス」で描かれたカフェ、
跳ね橋の復刻のモデルなどを見ることができます。
次に、ポン・デュ・ガールに行きました。ここは、今回の旅行でとても行きたくて期待をしていた場所でした。
ここは、ローマ時代に建てられた水道橋の一部が残っています。
自然豊かなポン川という川をまたいで、高さ50m、3層のアーチの巨大な橋が架かっています。
この水路は、ニームという町まで、水源から50kmの水路を作り、この間の落差が17mだったということです。
造形美にも優れた巨大で精密な橋が、重機もない2000年も前に作られたことを思うと、
はるかかなたのローマ人の英知と力に思いを馳せてしまいます。
現代のポン川は、家族連れの子供が水遊びでしぶきを上げているのを見ると、世界遺産が
時空を超えて利用されている風景に日本では考えられない風景を見た覚えです。
次に訪れたのは、アビニョン歴史地区です。“アビニョンの橋で、踊ろよ、踊ろよ・・”のアビニョン橋(サン・ベネ橋)が、
ローヌ川に掛かっていますが、現在は川の途中までで途切れています。
アビニョンは、ローヌ川中世の城壁に囲まれた古都です。城壁の真ん中あたりに、高さ50mの壁を持つ巨大な法王庁宮殿があります。
ここは、14世紀の一時期、ローマ法王が、ローマでなく、ここを居住としていました。
このころは、アビニョンがローマに変わり、カトリックの中心地として栄えたということです。今でもその名残を感じることができます。
この日は、多くの世界遺産を見てきました。プロバンス地方が、2000年ほど前にはローマ人の勢力圏であったことがわかります。
ポン・デュ・ガールなど巨大な石造建造物がはるか昔に作られ、今まで継承、保存されてきたことは価値あることと思います。
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アルルの円形闘技場遺跡 | ゴッホの「夜のカフェテラス」のモデルとなったカフェ | |
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ポン・デュ・ガール。最下層は人の通路となっている | 自然の中のポン川をまたぐ、ポン・デュ・ガール。川は子供の水遊びの場 | |
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ポン・デュ・ガール。巨大なレンガ状のブロックが積み重なっている | アビニョンのサン・ベネゼ橋 | |
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アビニョンの法王庁宮殿、高さ50mある |
7月12日
この日は、フランスの建築家、ル・コルビジェの建築作品である、ユニテ・ダビタシオンを観光しました。
17階建の集合住宅で、住宅のほか、商店街、ホテル、郵便局などを含み、街の機能を持つ合理的な集合住宅です。
ル・コルビジェは、上野の国立西洋美術館を設計した人で、建築関係の人には有名な人のようです。
その後、飛行機で大西洋側のブドウの生産地、ボルドーへ。
ボルドーでは、ガロンヌ川のほとりにある、プルス広場の水鏡に行きました。
ここは、18世紀の宮殿を、薄く水を張った広場が水鏡となって宮殿を映し出す場所です。
しかし、この日は暑い日であり、水鏡は子供の水遊びの場所になっていました。観光客よりも地元の子供優先もいいかも。
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マルセイユの港 | マルセイユの、ユニテ・ダビタシオン | |
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ボルドーのプルス広場の水鏡。この日は子供の遊び場 |
7月13日
ボルドーは世界最大のワインの生産地、特に名高いのがサンテミリオンとのことです。
サンテミリオンは、8世紀にできた小高い丘のほんの小さな町。周りは地平線までブドウ畑が続いています。
そこの1つのワイナリーでワインの製造工程の見学、皆さんお待ちかねのワインの試飲、
飲めない私は残念ながらぶどうジュースを頂きました。その後、広大なワイン畑に囲まれたレストランの屋上で、
ブドウ畑を眺めながら昼食を取りました。その後、ボルドー駅からTGVでトゥールへ向かいました。
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サンテミリオンの町と教会 | どこまでも続くサンテミリオンのブドウ畑 | |
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サンテミリオンのレストラン |
(続く)
7月14日
この日は、ボルドーからロワール地方へ向かいました。フランス中部にあり、ロワール川の流域は、最もフランスらしいと言われます。
ロワール川に沿っていくつかの城を見ながら着いたのは、壮麗なシャンポール城です。1515年、フランソワ1世が狩猟用の館として建てましたが、
出来上がった城は、幅156m、奥行き117m、高さ56m、426の部屋を持つ城で、狩猟の小屋としては桁外れ、この地方最大の城です。
中央には、二重のらせん階段があり、ダビンチの設計と言われています。城の敷地は広大で、パリ市の大きさに匹敵する森林公園となっています。
まさに華麗な“ぽつんと一軒城”です。
見学後、モン・サン・ミッシェルに向かいました。数少ない島内のホテルに宿泊しました。
ホテルでテレビをつけると、エッフェル塔の下で、パリ祭のコンサートの生中継をしていました。
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シャンポール城の全景 | シャンポール城の入口付近 | |
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シャンポール城の庭園と広大な敷地 | 日没後(午後10時過ぎ)のモン・サン・ミッシェル |
7月15日
モン・サン・ミッシェルはフランス北部のノルマンディー地方にあります。大西洋に浮かぶ小さな岩山の島に、3層構造の修道院が一体となって建っています。
966年に建築が始まり、数世紀にわたって増改築が行われ、構造は複雑。今ではフランス屈指の人気スポットです。
島内に泊まったおかげで、前日の夜景、当日の日の出を見ることができ、混まないうちに修道院見学ができました。
修道院の頂上に行くまでには、300段の石段を上る必要があります。ふもとには名物料理の“ふわふわオムレツ”があります。
もともとは巡礼者の滋養の食べ物で、卵白を泡立てて焼いたもので、食べてみると、口の中ですぐに消えてしまい、あまり食感がありません。
午後からはパリを目指しました。パリへ着いたのは午後6時頃でしたが、まだまだ空は明るい時刻です。
セーヌ川のエッフェル塔の近くから、遊覧船に乗って、セーヌ川の両岸の世界遺産である名高い橋、美術館などの建造物を
1時間余りかけて見上げながら巡りました。シテ島のノートルダム大聖堂は、裏から見るとクレーンがかかり工事中でした。早く元通りの姿が見たいものです。
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モン・サン・ミッシェルの朝 | モン・サン・ミッシェル名物のふわふわオムレツ | |
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モン・サン・ミッシェルの修道院から | パリのシンボル、エッフェル塔 | |
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工事中のノートルダム大聖堂 | オルセー美術館 |
7月16日
一日フリーの日でした。午前中は、パリ中心部のパル・ガルニエを見ました。広い大理石の階段、シャガールの天井画、宮殿のような大広間と
豪華賢覧で、世界一のオペラ座とのことです。
午後からは、事前に申し込んでいた、パリ現地からのジベルニーに行くツアーに参加しました。ジベルニーは、モネが後半生を暮らした場所です。
ツアーのガイドは旅行会社の方ですが、元美大生とのことで、現地に着くまでの1時間半余り、印象派の画家の話で盛り上げてくれました。
ここには、モネが晩年に描いた睡蓮の池と、お花で飾られた庭園、過ごした家があります。睡蓮の池には緑色の太鼓橋、柳、竹林などがあり、
寝室などにはたくさんの浮世絵が飾られ、ジャポニズムの影響が大きいことがわかります。
印象派の絵画には、これだけ日本の影響があったのかと改めて認識をしました。
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パリ中心部にあるオペラ座 | オペラザの豪華な大広間 | |
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モネの住居跡と花が美しいお庭 | モネの睡蓮の池 |
7月17日
午前中は、パリ近郊のベルサイユ宮殿に行きました。ルイ14世が、世界で最も大きく、最も豪華絢爛にとの掛け声で作った宮殿です。
王家一族の居室や絵画などの装飾品を見て回りました。最も華麗な空間は、鏡の回廊で、
76mある壁面に当時は高価だった鏡を張り込んだ場所です。ベルサイユ宮殿は見学客が非常に多く、ゆっくり見ることができないことが残念でした。
午後は、パリにもどり、ルーブル美術館を見学しました。3万5000点の展示物があるという世界有数の美術館です。
見学者がラッシュアワーの駅のようにいるところをガイドの後について、有名な作品を見て回りました。
印象に残ったのは、「民衆を導く自由の女神」、「メデュース号の筏」、「ミロのビーナス」、「モナ・リザ」などです。
特に、フランスの近代化をテーマにした「民衆を導く自由の女神」が心に残りました。
芸術作品は、作品の内容や背景を説明されることで、とても理解が深まります。
圧倒的に人気があったのは、「モナ・リザ」で、この絵を見るために、1時間余り行列を並びました。
行列の最後に到着すると、1枚の絵が飾られており、係員が「ワンショット」と叫んでおり、写真を1枚撮ったらその場を離れるよう促していました。
ここを最後に、この日の夜、帰国の途に着きました。
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ベルサイユ宮殿の庭園 | ベルサイユ宮殿の鏡の回廊 | |
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ルーブル美術館 | 「民衆を導く自由の女神」 | |
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「ミロのビーナス」 | 「モナ・リザ」 |
10日間、幸い好天に恵まれフランス各地を見て回りました。
フランスは日本の1.5倍の面積を持ち、内陸には広大な森や農地も広がります。
各地で気候も異なり、温暖で明るい南フランス、朝は冷え込む北フランスがあります。
紀元前後のローマ時代の遺跡が残り、周辺国との民族の争い、王政を経て現代にいたります。
このような歴史の変遷の中で、多様な文化が育まれてきました。
フランスは、10日間ではとても理解はできないのですが、その一端に触れることで、
今後のヨーロッパの歴史、文化、産業への関心が深まるように思いました。
昨年の「京都・奈良2泊3日」を受けて、今年こそ「ハワイ?フィンランド?」と計画を進めていたのですが、
最後に決まった行先は「山中湖」でした。メンバーはいつもの「1年4組花文グループ5人組」の佐藤(荒川)陽子、
堀(加藤)実和子、河野(黒崎)淑子、蓮見(琴坂)元子、土肥(鈴木)暁美です。
6月の日曜日、集合は新宿駅南口。到着するとそこは大勢の人で混雑、しかし後ろからカトちゃんの声、「帽子ですぐわかった!」。
我々はいつもの黒ちゃんメイドの制帽をかぶっている。琴っちゃんと黒ちゃんを交えて4人は新南口の高島屋に食料の買い込みに出発した。
戻って、隣のバスタの高速バスのチケット売り場に。電話で予約をしていたので話は早い、と思ったのは甘かった。
朝の便で福岡からフライトしてきた荒ちゃんの分と私の分の合計4500円の支払いに1万円札をだして、釣銭をお財布に入れた。
続いて3人分の6750円を窓口に出すと、窓口の女性が「先程釣銭を1000円多く渡したので返して」というのだ。
仰天の私はお財布を見るが、もらった記憶がない。黒ちゃんも「千円札はなかった」と応援の言葉、押し問答になった。
すると女性は後ろの扉の中へ消えて、それきり20分も出てこなかった。何をしているのだろう。発券が未だなので我々は待つしかない。
やっと現れた彼女の説明は「カウンター上部のカメラを確認してみました・・・確かに5500円でした。すみません」とのこと。
こちらの正当性は証明されたが、それではあのレジに表示された「―1000円」はどうしたのだろう。疑問は残る。
定刻通りにバスは満席で出発。昨日の「かつて経験したことの無い豪雨」から一転の青空、八王子を過ぎた頃には
左手に富士山が見えてきた。荒ちゃんの隣席の中国の女性は昨日もこのバスで富士山を見に来たのだが、
悪天候で見上げるどころではなかったそうだ。今日の富士山は頭にうっすらと雲がかかり、外国人でなくとも感動する。
「山中湖マウント富士入口」でバスを下車。ホテルにチェックイン。
「コネクティングルームをお願いしてあるから!」という隣続きの部屋に荷物を運びこむ。
「うむ?なに?どこ?」隣り合わせの壁や鏡を押したり(忍者屋敷ならぬ)、浴室を覗いたりしたがコネクトしてないことが判明、
全員でフロントに行く。こちらの主張に、今回は特別とのことで、提供してくれたのが南は山中湖、
西には富士山ばっちりの豪華7人部屋であった。これで完璧の夜更かしオーケー。
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さて、最初はどこへ!となるとまずは忍野八海であろう。このホテルは小高い丘の上にあるので、フロントでタクシーをお願いする。
総支配人御自らご対応下さるが、周囲の山々をご説明くださる会話の中で、なんと我々と同年齢と判明し、つまり「同級生」である。
その同級生支配人が「忍野に行くならまず昔からの雰囲気を残している出口池に行きなさい。」とのアドバイス、
大型タクシーにて15分程で出口池に到着した。清い湧水が木々に潤いを与え、心地よいオゾンが満ち溢れている。
深く呼吸をして八海のメイン地区へ向かう。と突然タクシーに「ここ!」と急停車してもらう。
なんとそこは「テレビで紹介の干しブドウ店」であり、それぞれが買い物を。リンゴビネガーでぷっくりと膨れた干しブドウはずっしり重い。
1袋1キロ入りを2つも買うと、健康になる予感の前にその重いことに後悔も。
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さて、メインの地に着いたが湧いているのは人人、それもなぜか中国の若者ばかりである。
我々も彼らを掻き分けるように進み、透明度の高い湧水池と富士山のマッチングを堪能した。
いくつかの池巡りの散歩コースを通り抜けてバス停に辿りつく。総支配人の助言通りタクシー会社に電話をするも、
「満車に付き1時間待ち」とのこと。バスも1時間に1本しか来ない。刻々と富士山の山肌が夕暮れモードになっていくにつれ、
そわそわしてくる。とうとう「総支配人に電話をしよう」との勇気ある厚かましい提案が実行に移される。
10分ほどでお迎えが到着し、恐縮しながら乗せてもらった。ほっとして5人とも頭の中はすでにお風呂と夕飯のこと。
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富士山は言わずもがな日本一の山である。眼前の富士山は深い樹海を裾野に広げ、その緑は五合目あたりまでも続く。
稜線はなだらかで美しいが、八合目あたりからは勾配は厳しく山頂に至る。ホテルからは登山道やギザギザと刻みこんだ
下山道も目視できる。きらっと夕日に光るのは山開きを迎え整備をするキャタピラー車の窓ガラスか。
頂上は思いのほか平坦に見えるが白い雪をそこそこに残している。時折湧き上がる雲は、姿を変えていつまでも見ていて飽きない。
レストランの窓越しに見る富士山は、薄暮の中、アウトラインをくっきりと描き出す。
日が完全に落ちてすべてが暗闇の中に沈むと、中腹辺りに小さいがはっきりとした光が瞬きだした。山小屋の灯だそうだ。
部屋に戻り、深夜に室内の明かりを落とす。今夜は待宵の月、明日は満月。月あかりは富士山を黒く浮かびださせる。
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旅の楽しみ「一年の報告」は、この春無事教壇を退かれたこっちゃんの話、コントラクトブリッジで見事福岡チャンピオンになった荒ちゃんの話、
カトちゃんのほうれい線がないのは「語り」の効果か、やっぱり外国に行きたいお洒落な黒ちゃんの話、
それぞれが少しの病気自慢を交えながら、7040問題、年金問題、そして「今の政治はダメ!」ということで盛り上がり、
笑い声は深夜まで及んだ。私がハマっている聞香(組香)も披露をさせてもらい、当たったの、はずれたのとするうちに伽羅、
寸聞多羅の馥郁とした香りに包まれて、夢の世界に。
翌朝は下から湧いてくる春蝉の声で目覚め、富士山おはようの朝風呂に、食べきれない程の朝食をすませ、
さて当初予定の「花の都公園」に行こうとするも、時計は既に11時、眼下に見える公園にはどうやって行こうかの相談。
徒歩も楽しいが、同級生総支配人の「無理でしょうね」のアドバイスを素直に受けて、ホテルの車で送っていただく。
そして迎車もお願いできたし、山中湖から富士山を見る絶景ポイントである湖畔の長池親水公園に寄ってくれたのだ。
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大変お世話になったホテルは、今は会員制ホテルであるが、偶然にも私が勤務していた研究室で15年程前の春に
国際シンポジウムを開催した場所でもあった。あの時は忙しくて富士山を眺めることなどなかった。
禁止したのに富士山にスピード登山してきたドイツの若手研究員に呆れたことなど、思い出も沢山よみがえってきた。
玄関横の会議室の大きな扉も開けてみた。
今回は「みんな揃って古希記念」のお泊り会であったが、それぞれが元気でこの年を迎えられ、
それぞれが充実した趣味や生活ルーテンをもって生きているのを確認するような旅であった。「素晴らしき古希パワー」
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荒ちゃんは新宿バスタに到着すると即羽田に向かい、残った4人はそれぞれJRに乗り換え、家路に向かった。
今度会うのは同期会の日ね。