更新 2019年6月14日
何故に中欧?
私が大学1年生であった50年前1968年頃、2つ年上の姉がコダーイが確立したわらべ歌を活用した音楽教育を学びに
ハンガリーのブダペストへ3年間留学した。その旅は、横浜からナホトカまでは船、ハバロフスクまではシベリア鉄道、
モスクワまでは飛行機、モスクワからブダペストまではまた鉄道というものだった。
当時の世の中の経済事情のため交通費、通信費も節約し3年間彼女が一人で暮らしたブダペストは一度訪ねてみたい街だった。
彼女の娘すなわち私の姪は、それから約30年後、同じように音楽の指揮を学びに2年間ほどブダペストに留学し、
そこで知り合ったオーストリア人と結婚。一家4人で、ウィーンから南へ60キロほど南に行ったアイゼンスタットという町に暮らしている。
いつも会う度に「今度行くよ」と軽い会話で済ませていた自分を反省し、この時期を外すと
一生訪ねずに「うそつきの叔父」になってしまう。そう思っていた矢先、この2月ANAが羽田―ウィーン直行便を
開設してくれた。ANAもJTBもこれを売り込むように中欧の手ごろなツアーを企画した。
「今がいざだ」ということでスタディーし、中欧8日間の旅に出発した。
訪問先
概略は以下のようになる。
5月28日 羽田発NH205便でウィーンへ 29日6時到着後バスでブダペストへ
29日 【ハンガリー:ブダペスト】漁夫の砦、マーチャーシ教会、聖イシュトバン大聖堂、くさり橋、王宮、国会議事堂
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ドナウ川と国会議事堂 | くさり橋 |
30日 【スロバキア:ブラチスラバ】ブラチスラバ城、ミハエル門、旧市庁舎、国立劇場、旧市街
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スロバキア首都ブラチスラバの日本大使館 | 市街からブラチスラバ城を臨む |
31日 【チェコ:プラハ】プラハ城、聖ビート教会、聖イジー教会、旧王宮、カレル橋、旧市街広場
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モルダウ川からプラハ城、聖ビート教会を臨む | 旧市街広場、庁舎、ティーン聖母教会 |
1日 【チェコ:チェスキー・クロムロフ】チェスキー・クロムロフ城、旧市街
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チェスキー・クロムロフ城から旧市街を臨む | 城の壁の騙し絵(右は本物、左は絵) |
2日 【オーストリア:ウィーン】シェーンブルン宮殿、国立歌劇場、王宮。市庁舎
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シェーンブルン宮殿(庭から臨む) | 国立歌劇場 |
【アイゼンシュタット】
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ベルク教会(ハイドンの霊廟) | 教会から市街と田園・ブドウ畑を一望する |
3日、 ウィーン発12時35分NH206便 4日6時35分羽田着
中欧4カ国の現況
ドナウ川とモルダウ川沿いの都市を中心として発展したこれら4カ国は、歴史、文化、芸術の宝庫である。
歴史では、ハプスブルグ家、神聖ローマ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国など。音楽では、音楽の都と呼ばれたウィーン、
全く引けを取らないプラハ、ブダペストは立派な国立歌劇場(オペラハウス)を持ち、生まれ育ったりここで活躍した音楽家は、
ハイドン、リスト、モーツアルト、ベートーベン、シューベルト、スメタナ、コダーイ、バルトーク等、挙げきれない。
城、教会、歌劇場など世界遺産と呼ばれる建築物も数限りない。これらについては、目の保養、心の肥やしとして記憶にとどめた。
もう一つの視点が、1991年の冷戦終了、欧州連合(EU)にオーストリアが加盟(1995年)、チェコ、ハンガリー、
スロバキアが加盟(2004年)、西欧と東欧が1つになり中欧を形成してきた国々がどのような現況を暮らしているかである。
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1990年以降の、日本と中欧4カ国のGDP推移の比較 |
このグラフから見えることは、バブルが終了した日本は、1995年から2018年までほぼ成長が止まって停滞期(安定期)を迎えている。
特筆すべきは、東欧から中欧のチェコ、スロバキア、ハンガリーの3カ国は4倍程度、西欧から中欧のオーストリアも2倍程度の
成長は実現していることである。
体感した物価は、4カ国のガソリン価格は都心部から離れれば2割程度高いが、国による差はあまりない。
日本に比べて、平均で1~2割高。ワインは、国ごとに差があり、ブダペストでは日本の半額、ウィーンでは同じレベル、プラハは中間。
レストランの食事代もワインに準ずること。地下鉄は、プラハで120円程度で日本の8割くらいかなと。
国境の壁が取り払われ、同じ経済圏として活動する4つの国は、国の差が減少する方向に機能した。
オーストリアも成長を遂げたということは、公共料金(交通費、ガソリン代)などは隣国と同じレベルで、し好品や贅沢品は高く、
労働力は安い隣国からという関係が実現し、現状では好循環に流れていると推察した。
冷戦終了、欧州連合の発展は、ここ25年を見る限りこれらの4カ国に経済的には良い結果をもたらしたと言ってよいのではないだろうか。
社会福祉と教育について
日本との大きな違いは、消費税がハンガリーが27%、チェコが21%、オーストリアとスロバキアが20%ということである。
教育のコストがゼロで、住まいのコストも安いということがこれらの国の豊かさを担っている。
教育は、無料といっても、競争は厳しい。ウィーンの学制は、4年―4年―4年制となっていて、
日本で言えば小学校の4年生から5年に上がる時に選別が行われる。
いわゆるホワイトかブルーという将来職業に影響する進学がここで行われるということである。
また、大学は入学も卒業も難しい。特に卒業は、ということを現地のガイドさんが話してくれた。
チェコでは、国立アートアカデミーが、設けられている。5歳児から選別が行われ、音楽、絵画、バレー、演劇の4部門があり、
教育は専門的な教師から午後(通常学校の放課後)に行われる。もちろん無料で、国が行う英才教育である。
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チェコ、チェスキー・クロムロフの国立アートアカデミー校舎 |
教育か、宗教か、国民性の成熟度か、感動した出来事があったので紹介しておく。
プラハの旧市街で夕食の後、郊外のホテルへ地下鉄で移動した時の事。たった6駅の間で、お年寄りが乗ってきたら、
間髪を入れず、迷いもなく席を立って譲った男女の青年が3人もいたという事実である。
駅を降りて、スーパーに寄って、ホテルへ帰ろうとしたとき、地図を見ながら道を探していると、今度は40才くらいのご婦人が寄ってきてくれて、
スマホを見ながら道を懇切に教えてくれた。何かとても嬉しい経験をして、この国とこの国の人達を好きになってしまった。
アイゼンシュタットでの至福の6時間
最終日前日、ウィーンでの昼食を終える2時に、中心街のレストランPLACHUTTA(プラフッタ:牛肉煮込み料理ターフェルシュピッツ専門店)で
待ち合わせをした。姪夫婦が迎えに来てくれた。
車で南へ60キロ、彼らが住むアイゼンシュタットへ連れて行ってくれた。発電用風車と、田園を眺めながら1時間弱、
市街とブドウ畑を見下ろす白壁の大きな一軒家に到着。息子二人が迎えてくれた。
小一時間雑談と、キャッチボールの後に、市街へ散歩に連れて行ってくれた。
途中、ハイドンが眠るベルク教会を観てお祈りし、エステルハーズィ宮殿を左に見て、市街広場に。
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アイゼンシュタット市街広場 | ワインバーのテラスで利きワイン |
この辺はワインの産地ということで、きれいな芝生を前に、利恵と私はワインの利き酒をさせてもらった。
私が白のリースリングと、マスカット種等、利恵が赤のカベルネとメルロー等。いずれも絶品。
家に戻って今度は、手作りのサラダ、みそ汁、手巻き寿司等々和食を準備してくれた。この地方のワインもいただいた。
会話は、母と子は日本語、父と子はドイツ語、ご夫婦は英語と多様だが、我々も入ることができた。
仕事の事、教育の事、生活の事、等々話しているうちに9時になってしまった。ご主人にホテルまで送っていただいた。
我が家の子達といとこ同士、かって、公園や農道で駆けっこをして決して負けなかった闊達な少女の姪が立派な婦人となり、
いまこうして異国の地で、2人の子育てや日本語、音楽の先生をして頑張っている。何とも大きな感動と、
素敵な時間をプレゼントしてくれた姪家族とアイゼンシュタットの街に感謝。
昼はビールかワイン、夜はビールとワイン
いつも我々二人の旅は、こんなスローガンで始めて、その通りで締めくくることになる。今回もそうだった。
ブダペストの夕刻3時間と、ブラチスラバの3時間は雨にあったが、他は、好天、青空、素晴らしい空気が迎えてくれた。
モルダウ河畔の公園のベンチでお会いした、ミシガンから来られた米国人夫妻とは、トランプさんやNBAのこと。
ホテルの朝食の隣の席に座られた日本に11回も来たことがあるという台湾人の若い夫婦とは、台湾の産業や渋谷の街の事。
海外ならでは出会いと会話を楽しむことが出来た。
そして、この4カ国の皆さんの、成熟したメンタリティーと優しい心遣い、そこここで出会うことが出来、
日本のメンタリティーを誇りに思うも、振り返ることが出来たのは大きな旅の成果だった。
この国を創ってきた神々に感謝し、今をたくましく生きている国民にエールを送り、今回の旅の覚えとさせていただく。
なぜに京都・奈良に?
毎年のように、タイ・台湾・福岡・香港・広島など国内外の旅行している20期生1年4組花文グループですが、
今年もどこかに行こうということになりました。一時「今年こそ海外ね」という話で盛り上がりましたが、どこに行くか、
迷っているうちに、「京都・奈良でいいわね」ということになり、静寂が訪れ、青紅葉が美しい5月の末に佐藤(荒川)陽子さん、
堀(加藤)実和子さん、河野(黒崎)淑子さんと私の4人で、2泊3日の行程で京都・奈良を旅行することにしました。
1日目は各地から出発して、午前中のうちに京都に到着し、昼食後、京都市内のお寺をいくつか回り、夕食までにチェックインする、
2日目は奈良で一日過ごす、3日目は午前中洛北を回り、お昼過ぎに京都を発つ、という大雑把な予定を立てました。
京都といえば
京都駅に4人が集合しましたが、実は具体的な行程は何も決まっていないのです。「どうしよう」と言うことになりました。
やや遠いのですが、まずは、京都の街の北端の鷹峯にある宿泊予定のホテルに行って、荷物を置くことにしました。
京都駅から地下鉄烏丸線で北大路駅に行き、さらにタクシーに乗りました。
2泊する予定のホテルは、京都駅から遠く、不便ですが、京都には珍しく、温泉があるので、そこは良しとしました。
フロントに荷物を預けてから、タクシーに乗って「北野天満宮」に行きました。外は歩けないほどの土砂降りの雨。
ともかく、まずは腹ごしらえです。北野天満宮の正面にある韓国料理店にはいり、薬膳料理を頂きました。
しばらくすると雨が小ぶりとなりましたので、北野天満宮まで歩きました。境内には臥牛像があちこちに置かれていました。
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北野神社では受験生がお参り | 釈迦千本堂はおかめさんのお寺 | 青紅葉の今宮神宮の境内 |
お参りをした後、室町時代に北野天満宮の再建の際にその残材を使って七軒の茶屋を建てたのが由来とされる「上七軒」を通って、
「千本釈迦堂・大報恩寺」まで歩きました。千本釈迦堂は幾多の戦火を免れ、800年近く経った今も当時のまま残る
京都市内最古の木造建造物として国宝に指定されています。霊宝殿に快慶作の「十代弟子立像」などがあり、仏像彫刻の宝庫です。
そこから、バスで、「今宮神社」まで行き、名物の炙り餅をいただきました。そのあと、大徳寺のそばの「おはりこ」まで歩き、
手作り小物の数々を見ました。タクシーでホテルまで戻り、温泉に入ってから、夕食となりました。
ホテルはしょうざんリゾートに隣接していて、そこにある中華料理の店で美味しい中華ディナーをいただきました。
森や屋外プールが窓から見え、我々はすっかりセレブ気分満点になっていました。
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しょうざんリゾートの楼欄 | 浄瑠璃寺の中央にある池 | 岩船寺に行くまでの道に石仏がいっぱい |
奈良と思えば、実は京都の山寺
奈良観光といえば、春日大社、興福寺、奈良公園でしょう。でも、私たちは「歩きたい」人達なので、翌朝、朝食もとらずに、
タクシー、地下鉄、近鉄を乗り継いで、近鉄奈良駅まで行き、9時11分の直行バスに乗って、「浄瑠璃寺」まで行きました。
朝食は駅前のコンビニで買ったおにぎりで、バスの中で食べました。青紅葉がやはり見事な浄瑠璃寺の庭園には三重塔や池がありました。
奈良駅からバスに乗って行くので、浄瑠璃寺はてっきり奈良のお寺だと思っていたのですが、京都府の南端の木津川市にあり、
京都の山寺でした。お参りをした後、隣接する「岩船寺」までの石仏の道を歩きました。
山道のところどころに鎌倉時代に掘られたいくつもの石仏がありました。写真を撮りながら上り坂を登っていきました。
30分くらいで、岩船寺に到着。住職が寺の歴史を講話してくれました。
こんな山奥に平安時代や鎌倉時代に作られた見事な仏像が何体もありました。
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岩船寺の境内で | 菊水楼の前で | 若草山から奈良市が一望 |
その後、バスでJR加茂駅に出て、加茂駅から奈良駅に向かいました。大和路線は単線で電車の行き違いのために
駅ごとに長く停車するので、奈良駅に着いたときには、お昼も過ぎていました。クロちゃんが「奈良に行ったら
絶対行った方がよい」と知り合いから言われたという「菊水楼」に予約もせずにいきなりタクシーで乗りつけ、
豪華ランチをいただくことにしました。タクシーは割り勘にすれば案外安いので、大いに利用しました。
食後は、奈良公園、春日大社経由で、「若草山」に向かいました。
若草山は芝生に覆われたお椀を3つ重ねたような山で、奈良市が一望できます。
夕方には京都に戻り、バスで四条河原町まで行き、そこから京都定番の繁華街、新京極、錦町市場の町を歩きました。
夕食は九条葱ラーメンを食べようということになり、店を探して歩いて、烏丸四条店にやっとたどり着きました。
食べた後、錦町市場はもうほとんどの店が閉まっていましたが、閉店した店のシャッターには、ここが誕生の地という
「伊藤若冲」の絵があちらこちらに描かれていました。洒落たアイデアですね。新京極に戻り、お土産を買うことになりました。
西陣織の綺麗なバッグなどを買い求めました。宿に戻った時は夜も更けてしまい、2日目はこれで終了。
洛北の静かなお寺に
3日目は、朝食後近くの光悦寺と源光庵に行きました。光悦寺からは京都の町と鷹峯三山が見えました。
源光庵では四角窓と丸窓が並んでおり、その前で瞑想をするとよいといわれる場所だそうです。
ホテルに戻る途中で、絹糸を扱う昔そのままの建物の店があり、クロちゃんは、糸車つきの絹糸を5つ求めました。
その後、ホテルのシャトルバスに乗って駅まで行き、新幹線の乗車時刻まで、イノダコーヒー店で時間をつぶしながら、
めいめい最後のお土産品を買いました。
これで、今回の京都・奈良旅行はおしまい。温泉付きの豪華なホテルに泊まり、豪華ランチとディナーを食し、
京都・奈良の静かな山道を歩いてひっそりとした山寺を巡った楽しく充実した旅でした。
奈良・京都は青紅葉の時がお勧めです。是非、皆さまも、お出かけください。
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鷹峯を背景に | 鷹峯を背景に | 昔そのままの絹糸屋さん |
逆巻く波を乗り越えて・・・ということで、昨年(2017年)の秋に2週間あまりポルトガルを周遊してきた時の話です。
往復は船ではなく飛行機です、もちろん。行ったところは、首都リスボン、大学の街コインブラ、
ポルトガル発祥の地ポルトの3都市に加えて、マデイラ島とサンティアゴ・デ・コンポステーラ。
ガイドブックに「ポルトガルは坂が多い」と書いてあったのですが、まったくその通りで、そのうえ歩きにくい。
リスボンにリベルダーデ通りというパリのシャンゼリゼみたいに大きくて立派な通りがあり、この歩道が手の込んだ石畳なのです。
そしてこれを真似ているのかどうか分かりませんが、リスボン市内は言うに及ばず他の都市へ行っても歩道はほとんどが石畳。
旅行者は旅行カバンをガラガラではなくガタガタとひっぱりながら、結構な勾配の坂を登ってホテルへ
たどり着かなければなりません。石畳の坂道はパンフレットやガイドブックで見る分には、風情があって良いのですが・・・。
坂と言えば、リスボン名物にケーブルカーがあるというので乗ってみました。都電の半分くらいの大きさで、
路線にもよりますが市内中心部の人気路線は乗っている時間は2分程度。20分くらい行列に並んでやっと乗ったら、はい終点。
もっとも乗っているのは観光客ばかりで、地元の人はバスかトラム。ちょっと遠回りをするけれど、本数も多く早く着く。
食べ物もガイドブックにあった通り、安くてうまいものが多かったです。西洋人にしては珍しくタコを食べるので、
ウィンナーソーセージの代わりに太いタコの足を挟んだタコサンドや、貝やエビと野菜を煮込んだ
カタプラーナという鍋も日本人の口に合います。しかしもっと良かったのは安全と人間性。街を歩いていても、
みんなのんびりと歩いていて、リスボンで知りあいになった現地で暮らしている日本人の女性も
「安全で人間も穏やかだから暮らし安い」と言ってました。スペインと隣合わせなので、どうかなと思ったのですが、
ポルトガルの方がずっと安全みたいです。
15年くらい前にツアーで行ったスペインでは、バスを降りて市内観光する際にガイドに「日本では貴重品だけ持って行って
と言いますが、こちらでは貴重品もすべてバスに置いて行ってください。その方が安全です」と言われました。
そのほかにも、置き引きにあったとか、殴られてバッグを盗られたとか、友人やその家族の災難の話も聞いています。
スペインにとっては、「そんな少しのデータでそう言われてもね~」ということになるかもしれませんが。
リスボンでは「発見のモニュメント」を見上げたり、「ジェロニモス修道院」にあるヴァスコダ・ダ・ガマの棺を見て
大航海時代に思いを馳せ、ポルトガルを見直しました。近郊のシントラにある「ペーナ宮殿」も見応えがありました。
また、コインブラはポルトガル第3の都市とのことで、丘の上にある大学が有名で(行くまで聞いたとこもなかった)校内を見学でき、
図書館も立派でした。しかし、この見学は有料で、さらに図書館を見るには別料金の時刻指定チケットを買わなければなりません。
「しっかりしてるな」と思ったのですが、この金は大学の運営費に回すということで、「それもありかな」と納得。
ここでは、一人旅の日本人男性と出会いました。たぶん10歳くらい先輩の人で、2~3週間かけてポルトガルを
回っているとのことです(俺もあと10年頑張れるのかな?)。ポルトガルへ入った日も旅程も我々と似たようなもので、
「同じようなことを考える人はいるものですね」と笑いあいました。
続いて行ったポルトはポルトガル第2の都市で、サン・ベント駅のアズレージョ(装飾タイル)が見る価値が
あるとのことで見てきました。このアズレージョは教会の外装にも使われていたりして、確かに見る価値はありました。
ここには「世界で一番美しい書店」があるとのことで出かけましたが、驚いたことに、チケットを買い(?3だったか?4だったか)、
コインロッカーに荷物を預けて、初めて入場が許されるというシステムです。店の中は見物客でごったがえしており、
おまけに本屋なのにお土産まで売っている始末。こんな所へ本を買いに来る人がいるのか、といった状況です。
本屋へ見学に出かける方が馬鹿と言えば馬鹿なのですが。また、ポルトワインが有名とのことで飲んでみましたが、
子供のころに舐めた赤玉ポートワインみたいで甘くて口に合いません。もともと酒には詳しくないので、
通が飲めば違う意見になるのかもしれませんが。
マデイラ島はリスボンから飛行機で1時間半の距離にあり、暖かくてきれいな観光地で、ヨーロッパの人にとっては
日本人にとってのハワイみたいな存在らしいです。ホテルで一緒になった婆さんの話では、
デンマークから年寄り45人の団体で来たと言っていました。この旅行でマデイラまで足を延ばすことにしたのは、
20年くらい前に読んだ小説の影響です。ロバート・ゴダードのデビュー作「千尋の闇」の舞台がこの島で、
その時は行くことになるとは思いもしなかったのですが、今回ポルトガル旅行をすることになり、それでは無理してでも行ってみるか、
ということになりました。高台から海を見下ろしながら、「千尋の闇」の世界に浸ってきました。
よかった、よかった。ちなみにロバート・ゴダードの作品は「初めの何冊かはよかったがそれ以降は失速気味」との批評があり、
「確かにな」と思うときもありますが、それでも新作が出たら毎回買って楽しんでいます。
最後に、サンティアゴ・デ・コンポステーラの話をひとつ。信徒でもない連れ合いが巡礼の地として有名な
この地へ行きたいというので付き合いました。ポルトからの日帰り観光バスツアーへ参加したところ、
ハイシーズンだとものすごく混み合うらしいのですが、シーズンオフなので参加者は日本人の母娘2人ずれと我々ふたり。
つまりオール日本人でしかもたった4人、乗り物も観光バスではなくハイエースよりはちょっと高級なベンツのバンです。
そうそうゴルフ場の送迎によく使われるやつのアップグレード版。到着してお目当ての大聖堂を見学に行ったところ、
塔の外壁が修理中で優雅な外観が一部損なわれていたのは残念でしたが、シーズンオフなので
大聖堂への入場は出入り自由の状態でした。ハイシーズンだと長い列を待ってやっと入場し、
入ってからもぞろぞろと立ち止まることなく出口まで歩かされる(上野へきたブリューゲルの「バベルの塔」か)とのことです。
ただ、入場自由といっても信徒でもないのでベンチに座っても十字を切るでもなく、祈るでもなく、
一休みを兼ねながら内装を見渡しすぐらいしかやることはありませんが。ツアーの客も4人しかいないと、
昼食はドライバー兼ガイドと一緒です。ガイドが一緒だとレストランもいろいろサービスしてくれて、
料理も食べきれないくらいの量が出てくるし、飲み物も「ビールでもワインでも好きなものを」言うから、
「サングリア」と言うと本当に出してくれました。言ってみるもんですね。こちらはラッキー、
ガイドも日本語が勉強できてラッキーと両者ウインウインの関係。日本人の客が来たときに日本語がちょっとでも話せると喜ぶとのこと。
「いただきます」は知っているが人に勧める時は?「どうぞ、召し上がれ」、「食べ終わったらなんていうの?」「ごちそうさまでした」などと
サングリアやビールを飲みながら、日本語と稚拙な英語で珍問答が続きます。
いやー「I am a boy」でも何とか通じるもんですね。さすがに「I am an old boy」とは言わなかったですが。
そういえば、リスボンで出会った日本人女性の話をしてませんでしたね。その話は次回。
To be continued.
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今回の旅程の前半は、リスボンに4泊してマデイラ島に3泊、またリスボンへ帰って3泊です。
マデイラ最終日の朝はやく(正確には夜中の2時ごろ)、腹が痛くて目が覚めトイレへ駆け込んだところひどい下痢です。
大腸検査の前日に大量に下剤を飲んだのと同じ状態です。それが何回も何回も繰り返されて、寝てるどころではありません。
これじゃ脱水症状になるんじゃないかと心配し水を飲むと、腹が水に反応してまたトイレへ。夜が明けても症状に変化はなく、
せっかく朝食付きの宿泊にしたのに朝飯は抜き。それでも午前中は地元の半日観光バスに参加して、
急峻な山の絶景ポイントへ行ったり山を越えて島の反対側の海岸で滝を見たりしたのですが、トイレが気になって気になって。
午後はかみさんと別行動で、かみさんは土産探しを兼ねて市内観光、小生はホテルで休息ということになりました。
トイレがすぐそばにあり占有できるのがなにより。
その夜、これは通常の下痢の状態ではないと判断して病院に行くことに決めました。と言っても、どうしていいのかわからず、
東京の海外旅行保険会社へ電話で相談することにしました。日本大使館もちらっと頭に浮かんだのですが、
一般旅行者の病気にいちいち付き合ってくれるとも思えないので、この考えは却下。以前、大学の友人たちと飲んだときに、
仲間で南米の病院へ一年間留学した学者が「日本大使館は在留邦人や日系人になにもしてくれなかったし、
何の役にも立たなかった」と文句を言いだしたところ、同席していたやはり仲間の外交官がいやな顔をしつつも特に反論もしなかったので、
それ以降、日本大使館には過大の期待を持たないことにしています。
前年までは旅行のたびに海外旅行保険に加入してましたが、今回は海外旅行保険付きのクレジットカードに切り替えました。
ちょっと年会費が高いけど入っていてよかった。
保険会社の人 「明日リスボンへ帰るならリスボンで病院を探しましょう。言葉は大丈夫ですか?」
私 「大丈夫じゃありません」
保険会社の人 「それでは、通訳兼ガイドを手配しましょう」
ということになりました。
夜が明けて、リスボンへ移動です。ホテルから空港までのタクシーに乗っている間は大丈夫か? 空港で飛行機に乗るまでの間は?
フライトの間は(1時間半くらい)?空港からホテルまでは?と心配の種は尽きません。
昼の12時過ぎにリスボンのホテルに着いたときは大仕事を終えたような気分でした。
まもなく「1時45分にホテルのロビーへ迎えにいきます」と通訳の女性から電話が入りました。
この人が、前篇に出てきた“現地で出会った日本人女性”です。約束の時間にロビーで会ってすぐタクシーで彼女が行きつけの病院へ。
けっこう立派な病院ですが、待合室には20人くらい人がいて、こりゃ時間がかかりそうといった気配です。
「ふだんはそんなに混んでないのですが、今日は祝日だからかもしれません」と彼女。
結局、待つこと2時間でやっと看護婦(当世風に言うと看護師)との面談にたどりつく。
これがまた偉そうにしてる姉ちゃんで、症状を聴取したり、採尿や採血をしたりするので、通訳がいなかったら医師と思い込んでいたと思う、絶対。
さらに待つこと2時間、やっと医師の会えることになりました。ブラジルから来たという黒人のおばさんで、
こっちの方がずっと親切に話を聞いてくれました。「腹が痛くて目が覚めた」「下痢という感じではなく、水と同じでシャーと出る」などなど。
検査結果には細菌などの異常が見当たらないので、原因は特定できないとのこと。
それで、ここ2~3日に食べたものを思い出してくれということになりました。朝飯のハムやフルーツ、昼に食べたピザなどを思い出すうちに、
二晩続けて食べたマデイラ特産のタパスという貝にたどり着きました。貝はあたるとひどいというから、これに違いない。しかし待てよ。
同じ貝を食べたが、かみさんは元気に動いている。ということで、小生が食べてかみさんが食べなかったものを考えたところ、
ホテルの朝食のスクランブルエッグにたどり着きました。玉子料理全般が嫌いのかみさん、スクランブルエッグ大好きの小生。
医者も「それが一番怪しい」と同意。ちゃんと火が通ってなかったんだろうなとの結論ですが、旅行から帰ってきてこの話をすると何人かの人が、
「私もハワイでそういう目にあった」「スペインで食べた玉子焼きでひどい下痢をした」と経験談を話してくれ、
火が通っている、いないの問題ではなく、玉子そのものの品質管理が日本ほどしっかりとされていないのではないか、ということに落ち着きました。
薬を買うために処方箋を書いてもらい帰れるかと思ったら、脱水症状が心配なので点滴をするとのこと。
1リットルの点滴剤が出てきたので、「どれくらい時間がかかる?」と聞くと、看護婦のアシスタントが「15分くらい」。
この量をポルトガルでは15分で入れるのかと思ってベッドに横になったのですが、結局終わったのは2時間後。
まったく適当なんだから。200ユーロの支払いを済ませて病院を出たら午後8時で、外は真っ暗。
「通常、町の薬局は8時で閉まるうえに今日は祝日なので、開いている薬局あるかな?」と通訳さんが心配げにつぶやきながら、
タクシーでやっと薬局を見つけて薬を手に入れてホテルへたどり着いたのは9時近くでした。
たっぷりあった待ち時間に彼女といろいろな話をしました。よくある話ですが(彼女の言葉)ポルトガル語を習いに留学して、
同じ大学のポルトガル人と知り合い結婚して、今3歳の子供が一人。旅行で来た日本人は物価が安いというけれど、
収入もそれに応じて低く、公務員の夫の収入は月額800ユーロ程度。観光客は海産物が美味しいというけれど、
魚類は肉に比べると高いので肉類を食べることが多い。いちばん大変なのが医療で、
町の医者へ行こうと思っても混んでいて予約が取れるのは1~2週間後。それも住んでいる地区ごとに担当医が決まっているから、
日本のように他の医者に浮気したり、こっちの先生の方が良いかなとはしごしたりできない。
だからよほどの病気でないと医者には行かず、薬屋で薬を買って飲むだけ。また、国民健康保険の財政が厳しいので、
日本でよくある予防検診などは考えられない。日本では、一定の年齢になったら無料のがん検診があると聞いているが、
こちらでがんの検査をしようと思ったら有料で、予約も3~4月待つのは当たり前。自分が異常を感じて医者に行っても、
健康保険はきかない。たとえば手術が必要になっても、がんが確定するまでの検査費用は保険がきかず、
実際に手術をして初めて保険がきくことになる。もちろん、健康保険を使わない自由診療だと、腕の良い医者がすぐ診てくれるし、
良質な病院での手術もすぐに受けられるが、これは一部の金持ちの話。「旅情誘う癒しの国」ポルトガルも住むとなると大変ですな。
最後に、ことばの話をひとつ。国によって擬音語も異なることがあり、我々日本人には理解できないようなものもあります。
たとえばイギリスでは犬はバウバウと鳴くそうですが、そんな犬を日本では見たことがない。
今回、ポルトガルを身近に感じたのは、医師に「下痢というよりもっとひどく、水のようにシャーと出る」と言ったところ、
彼女も「シャー」と言った時です。ポルトガルでも「シャー」はやっぱり「シャー」。
*筆者取り込み中だったため、今回の写真はありません。