紀行文 その23

更新 2018年1月20日

ヒマラヤトレッキング 岡田 重道 2018年1月15日

2010年のエベレスト-クーンブ29日間、2013年の K 2 -バルトロ27日間のトレッキングは山岳ツアー会社のプランのままに
参加したのですが、カンチェ全域を巡るトレックは個人的に作成するしかなく、エベレストで知り合った仲間と3人で
計画して出発しました。
今回も行ってしまえば何とかなるだろうと、ゆるい心構えで現地で行動したのですが、やはりとんでもない事になりました。

パイオニアの方々のキャラバンとは比較にならない程便利になっているとはいえ、アプローチが奥深く長い。

カトマンズから国内航空便で一時間程のネパール最東端バドラプル空港着。
二日かけて、車で行ける最奥の町タプレジュンへ。
西側の山路を1週間歩いて最後の部落グンサへ。
二週間かけて、カンチェ北ベースキャンプのパンペマ→グンサへ戻り→ミルギンラ峠経由→南ベースキャンプのオクタン→
ツェラム幕地→東側の山路を1週間歩いてタプレジュンへ→車、飛行機→カトマンズ。
という日程でした。

途中、雪での停滞が二日ありましたが、予備日も使ってほぼ予定通りに行動出来ました。
3名中1名が全く食事が出来なくなり、ヘリをチャーターしてカトマンズの病院へ入院、帰国。
下山の1週間、残りの二人は正にボロボロで足を引きずるようにノロノロと、最後まで続くきつい登り下りを繰り返しながら、
車道のある地へたどり着きました。私は9㎏やせました。

日程に余裕がないと歩ききれない地域のためか、グループ、個人で30組程のトレッカーにしか遇えず、お互いに顔と名前を
覚えられる程でした。
ほとんどがヨーロッパの国々の人達で、東洋人は我々以外いませんでした。

カンチェンジュンガは北面南面、両側から眺められ、五つの峰の配置に納得がいきました。
ジャヌーは特異な山容で見分けやすく、あちこちのポイントに現れるので沢山の撮影結果になりましたが、
最も期待していたミルギンラからの撮影は5分で霧に閉ざされてしまい6枚のみ。

1700枚程の写真を撮りましたが、その一部を添付いたします。

デジタル万歩計のデータではざっと

総歩数 383541歩
総距離 309㎞
総カロリー 114403Kc

との事でした。

     
     

東北旅行 小山 恵一郎 2017年9月18日

 少し前の話になりますが、今年の夏は、東北地方の東日本大震災で被害にあった地を訪れてみました。
場所は、10年ほど前に行ったことのある宮城県の三陸海岸に面した気仙沼です。
東京からは約500kmあり、車で一日で行くにはちょっと距離があるので、途中の福島県の岳温泉で一泊するプランにしました。

 岳温泉は二本松の安達太良山の山麓にあります。途中で二本松の街にある高村智恵子の生家に寄りました。
生家は造り酒屋です。生家の裏に立派な記念館があります。智恵子の名は知っていましたが、どのような人物像かは知りませんでした。
洋画家としての道を歩み多くの作品を残していました。ここから安達太良山を眺めてみようと思いましたが、
あいにくの天気で見えませんでした。
岳温泉は安達太良山の山麓の斜面に沿って温泉街があります。この最も高い位置にある景色自慢の宿に泊まりました。
宿泊翌朝の朝、遠くの阿武隈山地から上がる日の出の写真を撮ることが一つの目的でした。4時半に起きてみたら、
外は何と霧で真っ白。すぐ近くの温泉街も見えませんでした。

高村智恵子の生家 岳温泉の眺め

 小雨模様の中、一路気仙沼へ。港の近くは、以前は市街地であったと思われるところがまだ大規模な土地の造成中でした。
いまだ復興中であることがわかります。気仙沼では、沖合の大島に宿をとり、フェリーで向かいました。
産業の中心である魚市場は稼働していましたが、フェリーから見る海岸線には、高さが5mほどある防潮堤が工事中のようでした。
これができると、海からは陸の山や緑があまり見えなくなると思います。三陸海岸の美観との調和は難しいのでしょう。
気仙沼といえば、フカヒレが有名ですので、美味しくいただきました。大島には山頂に展望台があり景色が良いそうですが、
あいにくの天気で雲がかかり、観光ができませんでした。気仙沼と大島を結ぶフェリーも今年限りで、
来年は本土との橋が架かるそうです。

気仙沼のお魚市場 フカヒレの姿煮
     
大島の海岸 大島
     
 大島と気仙沼のフェリー    気仙沼のお魚市場にある津波の高さの標識

 気仙沼の街に戻って海産物をショッピングして、海岸沿いを南三陸町に向かいました。10年前に来た時には、
海岸線を気仙沼線が走っていましたが、今は線路はなく、鉄橋だけが残っています。
鉄道の代わりに代替バスが走っているそうです。南三陸町に行く道路にはダンプが行きかい、
いまだに多くの工事が行われていることがわかります。
南三陸町では、“さんさん商店街”という復興商店街に行きました。ここは津波で大きな被害にあった場所です。
この木造商店街の一角を除くとあたりは広大な造成地です。
お昼時なので、お寿司屋さんで、うに丼となまのカキを美味しくいただきました。
この商店街はにぎわっており、寿司屋の主人も元気にやっていました。
東日本大震災が起きてからすでに6年が経つのですが、まだ多くの街は復興中でした。
それぞれの人ができる範囲で応援ができればと思いました。

南三陸町、さんさん商店街 うに丼
なまカキ 大震災の記録を残すセンター

まだ見ぬ絶景に出会う旅-2度目のスペイン(その1) 井口和子 2017年7月21日

昨年冬、ポルトガルと北スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラを旅行した折り、現地ガイドから「ジャガランタ」という
紫色の花が美しいと聞きました。スペインへは13年前の暮れに、家族3人で旅行しました。
2026年(ガウディ没後100年)の完成を目指しているサグラダ・ファミリア聖堂や、バスでなく新幹線AVEと国内線飛行機による移動、
パラドールに宿泊する等があるツアーで、前回と季節を変え、今年6月に出かけました。
パスポートを作って12回目の海外旅行。いつもと同じにスーツケースと機内持ち込み手荷物で出かけました。
ルフトハンザ航空で羽田からフランクフルトへ無事に到着し、1時間遅れの乗り継ぎ機でマドリッドに着いたところ、
スーツケースがターンテーブルに出ないのです。同じツアーの20人と添乗員のも同様です。夜中の1時すぎです。疲れました。
レイトデイバゲージとなった私のスーツケースが、宿泊するホテルに届いたのは5日目。毎夜洗濯をし、必要な服や
日焼け止め等を購入ししのぎました。困ったのは携帯電話やカメラの充電コードがスーツケースに入っていたことです。
落雷のため、フランクフルトで荷物を動かすコンピューターがダウンし、約1万個のスーツケースがドイツに残ったらしいと後でわかりました。

マドリッドに到着の翌日にプラド美術館へ。歴代スペイン国王達が集めたコレクションの数々。中でもアンジェリコの「受胎告知」、
エルグレコ、ヴェラスケスの「宮廷の侍女たち」、ゴヤの「着衣のマハ」の絵が印象に残りました。
国立ソフィヤ王妃センターへは、初めて行きました。昔病院や修道院だった建物をガラス貼りのエレベーターを付け使っていました。
ピカソの「ゲルニカ」を鑑賞し、当時プラド美術館の館長だった彼がゲルニカ襲撃の報を聞き、短時間で描き上げたことにも驚きました。
ダリの「窓辺の少女」も素敵でした。昼食にシーフードパエリヤをいただきました。エビが美味しかったです
次はセゴビアの水道橋。2000年前に築かれたと思えない世界遺産です。フランスのボン・ヂュ・ガール(水道橋)を思い出しました。
ディズニー映画の「白雪姫」の城のモデルになったというセゴビア城、アルカサルを後にマドリッドに戻り買い物です。
サッカーチームが優勝したというので街はにぎやかでした。

3日目は、宿から1時間でトレドへ。「スペインで1日しかないならトレドに行け」と言われる、16世紀のマドリッド遷都まで都として栄えた、
タホ川に囲まれた都市です。新しいエスカレーターで世界遺産の街へ。旧市街の広場から メインストリートを歩きます。
狭い道に日よけの布が天蓋のように張ってあり、聞けばお祭りの準備とか。学生の団体客や旅行客のグループが多かったです。 
薬屋で足りない日用品、日焼け止めや夫用のひげそり等購入しました。
1224年着工で約266年かけて完成した、ヨーロッパ第4番目に大きい大聖堂(スペイン国内で2番目)の大聖堂。大祭壇(礼拝堂)、
金銀200kgが使われている聖体顕示台(1年に1回宗教行列でトレドの町並みを練り歩く)、合唱団席、パイプオルガン。
アジアの方もたくさん来ていて混雑していました。ユダヤ地区のサント・トメ教会では、エルグレコの「オルガス伯の埋葬」を見る
人で長い列で、しかも時間制。世界3大名画のうちの二つを昨日今日で見ました。パノラマスポットでトレドの街の向かい側から写真撮影。
ホテルに戻り13年前に行ったサンマルティン橋までタクシーで。帰りはカテドラルの塔や天蓋の布のある道を目印に歩きました。暑かったです。
夕食が遅いので、日本語解説付きのミニトレインに乗って町をさらに一回りしました。トレドの夜は静かでした。

マドリッドへ戻り、駅からAVE(新幹線)コルトバまで400キロを1時間42分で移動。セビリア万博に合わせて開通したとか。
車内で軽食が出て満足しました。コルトバ駅を出ると、アンダルシアの暑さです。
メスキータ(モスク)へ。100m以上ある奥行きの室内は涼しく、赤とベージュの柱の飾りが二重で美しかったです。
今はキリスト教会なので、イスラム教の信者は中で祈れないとか。中庭にオレンジの木がたくさんあり、昔は実を食べたようです。
宗教が異なり、改築したゴシック、ルネッサンス、バロックと様式も違う柱が混在する不思議な空間でした。
完成まで約240年かかったようです。コルトバの旧ユダヤ人街を行くと、「花の小径」狭い通りはきれいな紅い花で一杯でした。
道路の壁に花の鉢が数多く付けられていました。セビージャへの途中、ひまわり畑で写真撮影。土はカラカラに乾いていました。
種(食用)と油を絞るための畑です。(アンダルシアのフライパン!だそうです。)サンタ・クロス街を歩いて、
セビージャの大聖堂(世界3大カテドラル)の周りを回り、ミナレットだった96mのヒラルダの塔を見て歩きました。
ホテルに着いて、夕食の後フラメンコショーを見に行きました。激しいステップや靴音、しゃがれた声、フラメンコギターの音色。すぐそばの席で迫力満点でした。

メスキータ内部

(続く)

まだ見ぬ絶景に出会う旅-2度目のスペイン(その2) 井口和子 2017年7月26日

5日目英国領ジブラルタルへ。歩いて国境を越え、海峡を照らす灯台を見てから、ロープウエイでザ・ロック(ターリク山)へ。
海峡の向こうにアフリカ大陸が見えました。歩いて空港の滑走路を横断しました。(一日に2便ぐらいらしい。)
白い村の代表格のミハスへ。色あざやかな家や土産物屋が並びます。坂道には後付けのガラス張りエレベーターが目立ちました。
砂糖と蜂蜜をからめたアーモンドのおやつを購入しました。
いよいよ崖の上の街ロンダです。闘牛場と18世紀にできた「ヌエボ橋」。(新しい橋の意味)グアダレビン川の浸食で崖下は100mとか。
バスの運転手さんお勧めの店で夕食。サングリアがよく飲まれていました。ヌエボ橋のライトアップを見に行った人もいたけれど、
私はやっと届いたスーツケースをテェック。

翌朝、橋に出かけると下から吹き上げる風が強く、気持ち良さを通り越して震えるくらいでした。飛ばされそうでした。
ロンダからバスで180km、グラナダ着。貴重な世界遺産、アルハンブラ宮殿やヘネラリフェ庭園をもう一度見たかったのです。
(前回は冬でした) 13世紀始めから1492年キリスト教徒にグラナダを奪回されるまでの、
約250年間イスラム王朝ナスル朝の都だった、夏の離宮は、コーランに書かれた「イスラムの楽園」をモデルに造られたそうです。
グラナダはザクロの意味です。
6月のヘネラリフェ庭園はブーゲンビリア、キョウチクトウ、ハイビスカス、アカンサス、バラなど手入れをされた花が咲き誇っていました。
噴水や水路があちこちに見られ、「水の宮殿」と言われています。何より空気がひんやりしていました。
アカンサスの葉はヨーロッパの建築物によく見られる柱頭の装飾モチーフとされるものです。花もスッと伸びて趣のあるものでした。
アルハンブラ宮殿のナスル朝宮殿には見学時間の指定があり、急ぎ足になりました。
天井や入口に施されたモカラベ様式の模様には圧倒されます。ライオンの噴水の水は、天国の川の意味で宇宙の隅まで
水が行き渡る様子を表しているとのことでした。花が一杯のアラヤネスの中庭に大勢の人が集まっていました。
9世紀からのアルカサバ(城塞跡)、四角い建物のカルロス5世宮殿(中には円形の庭)、コマレス宮には浴室もあったようです。
屋根だけ上から見えました。
宿泊は、敷地内の国営パラドール「パラドール・デ・グラナダ」でした。20時から21時の夕食の後、12人が3台のタクシーで、
向かい側アルバイシン地区のサンニコライス展望台へ出かけました。アルハンブラ宮殿のライトアップがきれいに見えました。
宿に戻ったのは23時でした。

ジブラルタル、ザ・ロック ヌエボ橋 
ヘナラリフェ庭園


バスでマラガのコスタ・デル・ソル空港へ。(別名パブロ・ルイス・ピカソ空港)国内便にて1時間半でバルセロナ空港へ。
バスからは紫色のジャガランタの花や植林されたオリーブの木や野菜畑など都市近郊農業が見えました。
サグラダ・ファミリア聖堂が見える公園で、まず写真を撮りました。前にも来たなと思いつつ、午後2時過ぎなので逆光でした。
1882年に着工したサグラダ・ファミリアも、ガゥディの没後100年2026年の完成を目指し工事が進められています。
「受難の門」から入り「生誕の門」へ進みました。内部は、森の中のように林立する円柱や窓のステンドグラスの色合いがとても美しく、
朝も夕も日光が入るとの説明でした。
今回は、7人乗りのエレベーターに乗って塔に登りました。上からは、バルセロナ市街が見渡せ、
塔の上の色のついた果物の飾りも良く見えました。帰りは急で狭い、らせん階段を降りました。
その後いろいろな石膏模型・設計図などの他ガゥディが建てた学校を見て回りました。現在は塔の上部の工事にロボットが
使われているそうでした。
ホテル到着後、歩いてバルレストランへ。パンにトマトを塗ったパン・コン・トマテがおいしかったです。
夫はワインがおいしかったようでした。夕食後、近くのカタルーニァ広場へ散歩をしながら帰りました。22時過ぎでした。

8日目、グエル公園です。グエル伯爵の依頼でガゥディが住宅を建てようとして失敗、その後バルセロナ市に寄贈された公園は、
朝からジョギングや散歩する人でにぎわっていました。日陰の散歩道を歩きました。
公園の有料エリアは時間制でした。屋根にたまった雨を柱から集め水槽にためるのや、割れた陶器をベンチに貼るなど
ガゥディがその当時、リサイクルやリユースの考えを持って使ったことが驚きでした。
海が見えるテラスの波打ったベンチはひんやりして、座り心地がよかったです。お菓子の家の様な2軒の家も見て回りました。
カサ・ミラ(マンション)ではエレベーターで上まで昇り、屋上も見学しました。屋上が波打っていて、変わった形の煙突がありました。
屋根裏部屋では、ガゥディの作品を模型や映像で展示していました。
歩いてカタルーニャ音楽堂へ。ここはカタルーニャの音楽家、合唱団のために作られたコンサートホールでした。
英語の説明がわかりやすく天井のモザイクが美しかったです。昼食はシーフードレストランで魚介の煮込料理でした。
午後は自由に、カサ・カルベ(1階はレストラン)、カテドラル、ライマ(文房具屋)など旧市街のゴシック地区を歩きました。
タクシーは拾えませんでした。

最後の朝。バルセロナ空港からミュンヘンへ。飛行機を乗り継ぎ、ミュンヘン空港から約11時間で無事に羽田空港へ帰ってきました。

スペインの様々な絶景を見ることができた今回の旅。カタルーニャの自由独立の心、キリスト教とイスラム教の戦い、
ローマ帝国の遺跡、イスラムの繁栄とレコンキスタ(失地回復運動)、世界遺産の数々、あるものを壊さずに、
形や心を生かして使うスペインのことがわかりました。

サグラダファミリアを望んで サグラダファミリアのステンドグラス
グエル公園 カタルーニャ音楽堂

そうだ、京都へ行こう! 土肥(鈴木)暁美 2017年7月16日

京都に行ってきました。東京からは「ちょっとそこまで」感覚の街ですか、私にとっては数十年ぶりの京都です。
今回はお茶仲間のお年頃4人の旅で、5月末の2泊、梅雨入り前の五月晴れのよい時期でした。
宿は京都駅の南口にとりました。北口側が便利なのは言わずもがなですが、南は安近便で予約も取りやすいです。

まずは「東福寺」に行きました。緩やかな渓谷を赤く染める木々や黄金色に染まる秋の三つ葉紅葉は特に有名ですが、
春の青楓も見事でした。屋根のかかった「臥雲橋」はちょっとマディソン群の橋を思わせるようで、
自転車で渡る若者のかっこよさに見とれました。ここを渡ると境内に入ります。
続く「通天橋」も吹き渡る風が心地よくまるで天に登るようです。また本坊庭園「八相の庭」は、
枯山水の庭や市松におりなされた苔の青さが美しく新旧の対比を見せています。縁に腰かけて涼んでいると、
隣に座られた北海道からツアーで来られたというご婦人が「着物、いいですね!絵になりますよ。
ペンギンの帯も涼しそう」と話しかけてくれました。そう着物なんです。一応茶道部ですから。

着物といえば京都を歩いているとカラフルな和服の若い人が沢山目につきます。少し話をすると、
外国の方で主にアジアの若者です。髪もきれいに結い上げて楽しそうです。京都ではレンタル着物が流行っていて、
着付けまでしてくれるそうです。また「京都きものパスポート」というのがあって、和服着用の特典が沢山用意されています。
拝観料や飲食・土産物の割引や粗品進呈、また着崩れ直しなんて優しい心使いまであります。
次の日は「智積院」です。等伯の桜の図、楓の図を拝見、圧倒されます。こちらのお庭も新緑が輝いていました。

夕刻は楽しみにしていた舞妓さん。ハイアットリージェンシーのロビーでは舞妓さんの踊りを見ることが出来て、
一緒に写真をとりました。その後地下のレストランでお食事。先ほどの舞妓さん「ちか鈴さん」がご挨拶に見えました。
思ったよりお背が高く、あららお顔の小さいこと、現代っ子ですね。お互いに「おおきに」を言いました。
最終日は八坂神社の裏、丸山公園内の「長楽館」でアフタンヌーンティーを楽しみました。
ヘレンドのティーポットで何種類もの紅茶をいただき、優雅なひと時でした。当日は30度超えの初夏の陽気でしたが、
参寧坂も草履でぺたぺたと歩き、結局京都にいた時は終日着物と日傘で通しました。洋服は楽ですが、
着物も慣れると特段に大変でもありません。和服姿ですと古都京都ですら人々は親切にしてくださいます。
六角堂に行く途中で、友人が躓いて転んでしまった時も、数人が駆け寄り手を貸してくださり、
荷物を持ってくださったりしました。「この歩道の凸凹があかん、市役所に言っておきまひょ」と言ったかどうか、
ご年配の女性も心配してくださいました。

うん、久しぶりの京都はとても優しい街でした。

しまなみ海道の旅―美しい瀬戸内海の島々とミカンの里の夕日 
 佐藤(荒川)陽子、河野(黒崎)淑子、堀(加藤)実和子、土肥(鈴木)暁美、蓮見(琴坂)元子 2017年7月7日

 5月の半ば、1年4組の仲間5人で、しまなみ海道を旅しました。瀬戸内海の美しい海と島々、お天気にも恵まれ、
楽しい旅でした。
1日目の13時頃、新幹線の福山駅で、5人が合流しました。福山駅から今治行きの高速バスで①しまなみ海道を通り、
瀬戸田まで行きました。
瀬戸田は瀬戸内海の美しい小さな島で生口島にあります。住之江旅館の前は、波がほとんどない静かなきれいな海。
対岸に高根島が見えます。②瀬戸田の町は昭和の町並みといった感じ。シャッターの閉まっている店も多いですが、
サイクリングの人が来るようになり、以前よりは賑わっているようです。荷物を下ろしてから、街の中を歩き、
この町の出身である③平山郁夫美術館に行きました。小高い丘に登り④国宝の向上寺まで登り、三重塔を見ました。

①しまなみ海道 ②瀬戸田の町は昭和の町並み
③平山郁夫美術館 ④国宝の向上寺まで登り、三重塔

 ミカン農家に嫁いだ瀬戸の花嫁さんと婿さんがトラックの荷台に乗せて自宅の⑤ミカンの花が咲く丘に登ってくれました。
ここからゆっくり⑥沈む夕日を見ました。旅館の夕食はとても美味しく、⑦オコゼの煮つけやタコ飯が出ました。

⑤ミカンの花が咲く丘 ⑥瀬戸内海に沈む夕日
⑦住之江旅館のオコゼの煮つけ ⑧あじば農園のレモンケーキ

 2日目は、橋をいくつかわたって、大三島に行きました。
ここはもう愛媛県で、四国。広島がレモンなら、愛媛はミカンと、柑橘類の栽培が盛んなところです。
大山積神社には、樹齢2600年の楠のご神木があったり、日本のジャンヌダルクと言われる鶴姫の像がありました。
 瀬戸田に戻る途中の瀬戸田PAには、⑧あじば農園のレモンケーキが売っていて、皆が争うように買ったので
あっという間に売り切れ。ここしか売っていないそうです。お昼は瀬戸田に戻ってタコづくし。
午後、生口島から隣の小さい島である高根島にわたりました。高根島には、ノーベル賞に輝いた下村侑博士の
⑨ウミホタルの記念碑がありました。高根島にある自宅わきの農園の⑩無農薬のレモンを捥ぎ取らせていただきました。
その後、生口島の瀬戸田に戻り、瀬戸田港から、尾道港まで船で渡りました。
JRの尾道駅のコインロッカーに荷物を預けてから、商店街を通って、ロープウエーで⑪千光寺山の見晴台まで行きました。
下りは歩いて降りるのが観光的には良いとのことで、歩いて降りました。⑫あちこちに文学碑がありました。

⑨ウミホタルの記念碑 ⑩庭になっている無農薬のレモン
⑪千光寺見晴台からの尾道の街 ⑫下山は文学の道

 2日目の夜は、由緒ある尾道の西山別館に泊まりました。
夕食後、横浜のあちらこちらで精力的にお話会を開いているカトーちゃんの創作素話を本番さながらに聞かせていただきました。
そのお話をきっかけにお互いの話がしんみりと盛り上がりました。
また、5人が被っていたクロちゃんメイドのお揃い帽子はどこでも評判で、よく声を掛けられたのが印象的でした。
 3日目の午前中は尾道を歩きました。尾道は長崎のような坂の町で、階段での上り下りが基本です。
尾道観光はお寺廻りだそうですが、お寺にはいかずに、志賀直哉の旧居まで行きました。
相当なボンボンでここで「暗夜行路」を書いたそうです。商店街に戻り、甘味屋さんで黄粉を自分で引いて蕨餅をいただきました。
これで。今回の旅行は終わり。尾道から山陽本線で福山まで行き、福山から新幹線で帰京しました。