紀行文 その14

更新 2012年5月6日

金沢・奥飛騨旅行 小山 恵一郎 2012年5月6日

GWの連休の谷間である4月30日から5月3日にかけて、能登、金沢、奥飛騨を回りました。
今年は天候が不順で、この時期、全国的に記録的な豪雨に見舞われましたが、北陸地方は、雨には見舞われずに済みました
能登へ向かう途中の長野道の妙高などは、まだ冬が明けたばかりです。富山平野からの立山連峰もきれいです。

長野道、小布施SAのさくら 長野道、小布施SAで
長野道から妙高山 富山平野から見た立山


能登では、和倉温泉に泊まりました。沖に和倉島があり、水族館やガラスの美術館があります。翌朝の朝日が見事でした

和倉島のガラス美術館の屋外の芸術品 これが出ると無口になる
翌日の朝日が能登島に上がる 和倉温泉総湯(銭湯)の飲用温泉、とても塩っぽい


朝から金沢へ移動しましたが、金沢は、何度か訪れた街です。21世紀美術館には行ったことが無かったので初めて行きました
ごく近代的な工芸品が多く、日ごろクラシックな絵画を見ている方には、なかなか難しい世界です
その後、長町武家屋敷あと、西茶屋街、忍者寺(妙立寺)と回りました。
忍者寺は、前田の殿様が来るところで、落とし穴、多くの階段、井戸から金沢城への逃げ道?などがある面白いところです

まず、金沢の台所近江市場へ 名物、金箔つきの海鮮丼にありつく
21世紀近代美術館 プールの底と思いきや、これは芸術作品です
長町武家屋敷あと 武家屋敷あとの一角で、麩まんじゅうで一服
     
 忍者寺、中はからくりだらけ    夜は地元料理の小料理屋へ
     
     
 金沢の名物、鴨治部煮    ばい貝の焼き物


翌日午前は、金沢では有名な見どころ、東茶屋街、兼六園を回りました
その後、奥飛騨の平湯温泉へ行きました

東茶屋街 お茶屋さん
兼六園 兼六園
兼六園 市内を回るバス
     
 焼きカキ    奥飛騨、平湯の旅館
     
     
     飛騨牛などで炭火焼き


翌日は、宿の主人に天気を伺い、新穂高温泉のロープウェイへGO!
2年まえにチャレンジした時には、展望台は雪で視界が利かず、今回はリターンマッチです。
北アルプスの山稜がなんとか味わえたのですが、奥穂高、槍が岳までは見えず、また行かなければならないかとの思いがあります

ロープウェイ乗り場の駐車場にて、ここは標高1100mぐらい 新穂高ロープウェイの終点からの眺め。標高2156m
新穂高ロープウェイの終点の展望台からの眺め 新穂高ロープウェイの終点の展望台からの眺め
ロープウェイで下る。駐車場は谷底にある 平湯温泉近くの平湯大滝

中欧旅行記 源 恭子 2011年11月24日

2011年10月4日(火)
11時10分成田発のオーストリア航空でウィーンへ。飛行機から風力発電の風車が沢山見える。12時間のフライト後、16時ウィーン着。寒いと覚悟していたのに、暖かい・・・。インディアンサマーで、こんな事は滅多にないのですが、とは添乗員さんの言葉。
ウィーンの街並みが見えるかと期待していたが、バスは真っ直ぐ郊外のホテルへ。ツアーには今晩の夕食が付いていないというので、近くの大型スーパーマーケットへ食料品を買いに行く。だだっ広いスーパーのどこに何があるのか探すだけでも大変。それでも何とかハム、チーズを挟んだクロワッサンと果物の絵が描いてあるパック(ゼリーかな)と缶入りの飲み物を買いホテルへ。スーパーを出て空を見上げると、飛行機雲が何筋も夕日を受けて赤く染まっている。ゼリーと思っていたパックは何と果物のすり下ろし。缶コーヒー「ファイアー」に似た缶だったので勝手にコーヒーと思っていたら、炭酸入りのスポーツドリンク。言葉が分からないって本当に不便。

10月5日(水) 
朝8時半に出発。すぐに田園地帯に。遙か彼方までなだらかな丘陵地帯で、富良野など北海道を思い起こす景色を見ながらゆったりバスに揺られていく。トイレ休憩で停まったサービスエリアでは、猫の置物が気になる。お土産用かチョコレートも沢山置いてある。
昼頃、ヴルタヴァ川(モルダウ川)に囲まれたチェスキークルムロフ到着。ヨーロッパの城というと厳めしいものだと思っていたら、オレンジ色の屋波の上にエメラルドグリーンとピンクのパステル調の塔で、何て可愛らしい。岩山をくりぬいて作ったお城だとか。13世紀に南ボヘミアで勢力を誇ったヴィートコヴィッツ家の分家領主クルムロフによって築かれたお城とか。その後城主が変わる度にゴシック、ルネッサンス、バロックと修改築が成されたとか。19世紀に城主が居城を移したために寂れ、忘れられた存在だったので昔のまま残ったとのこと。何が幸いするか分からないものですね。
昼食は、洞窟の中にある感じのレストランで、昔の馬小屋を改造したのだとか。薄暗い中、蝋燭を灯してくれる。マスの塩焼きがメインディッシュ。ジャガイモの付け合わせが多すぎて食べきれない。チェコでは日本のようには冷やさずにビールを室温で飲むのだとか。源が頼んだビール、ちょっとなめさせてもらうが、こくのある美味しさで、飲めなくなったのが本当に残念。
食後はチェコ人の日本語ガイドについて町を巡る。所々に見られる5弁の赤い薔薇の紋章は、ローゼンブルグ家の紋章。領主ピートコフは財産を5人の子供に平等に分けたとのこと。赤茶と白の幾何学的図形の外壁は、色違いの二色の漆喰を重ね塗りしたものを、後でひっかいて、下の色を見せるスグラフィットという技法。
フリータイムに、『シェークスピア』という店名の書店や、お土産屋さんのウインドウに『いらっしゃいませ』の日本語を見た時は、ちょっと笑ってしまった。集合場所は、頭上に5つの星が輝く聖ヤン・ネポムツキー(ネポムクの聖ヨハネとも呼ばれる)像が欄干の上にある橋の手前。14世紀ボヘミアの司祭でローマ・カトリック教会の聖人聖ヤン・ネポムツキーの像に、最初に出会ったのがここチェスキークルムロフでした。
観光客相手の店が多く、夜は殆どいなくなるので、チェスキークルムロフのホテルに宿泊するプランに同行した時は、夜歩くと本当に中世にタイムトリップしたようでしたとの添乗員さんの言葉が印象的でした。
夜、プラハ着。低層階のアットホームなホテル。何故かダリの像や作品が多く展示されていました。
酒造りは、修道院などにのみ特権が与えられていたとのことで、夕食は、隣のストラホフ修道院内のビア・レストラン。ウィーンのホテルでは見かけなかった生野菜が登場。レタス、キュウリ、トマトの盛り合わせサラダが前菜。食生活はドイツ風?なのか、ザワークラウト、ウインナ、ポテトがメインディッシュ。チェコは世界一のビール王国と言うことで、ミネラルウォーターの方がビールより値段が高かったのには、びっくりでした。

10月6日(木) 
朝8時半、バスに乗ったかと思ったらもうプラハ城に到着。城内には宮殿だけでなく、教会(聖ヴィート教会、聖イジー教会)もあります。宮殿の一部、今はチェコ共和国の大統領府として使われているとのこと。聖ヴィート教会は、ゴシック建築の尖塔が目立つ壮大なもの。朝一番のせいか観光客が少なくゆっくり見学できました。教会内部は天井が高く、ステンドグラス、特にミュシャの描く絵画のようなステンドグラスは、物語を見ているようで楽しいものでした。門番や警備兵が住んだ長屋、後に錬金術師が多く住んだために黄金小路と呼ばれた坂道を下りプラハ城をでて、カレル橋へ。
カレル橋は、河童橋?と思うほど人・人・人・・・。車は通れないために、皆のんびりと歩いている。橋の両側に作られている多くの聖像彫刻の内、聖ヤン・ネポムツキー像の台座部分のレリーフに刻まれた聖人をなでると幸運が訪れるとのこと。日本のおびんずる様の様ですね。そこから少し離れた向かい側にあるフランシスコ・ザビエル像では日本人が下の方にいると言うので探すが、日本人にしては鼻が高く彫りの深い顔立ち。
旧市街へ向かうと人が多いのにはびっくり。旧市庁舎前では正午にからくり時計がみられるというので、大勢の人が集まっている。正午、見上げると塔の下側の小さな窓が開き、内側で聖人達の像がまわっている。終わって窓が閉じられると時計台の上にマントをまとった中世の服装をした人が出てきてファンファーレのトランペットを吹く。
迷路のような道をガイドさんに連れられてレストランへ。午後、フリータイムでプラハの街を歩こうという人達は、これでは迷子になりそうと不安顔。
昼食後は、バスでオプショナルツアーのメルニック城へ。元貴族ロブコビッツ家が所有、福岡のにわか煎餅の目の様に見える屋根の覗き窓?が面白い。
室内には、歴代の当主一家の肖像画がずらり掲げられている。20世紀初めの領主はハンサムなレーサー。カーレース事故で亡くなり跡継ぎがいなかったので現当主イジーさんの父である従兄弟が領主に。戦後、共産主義国家になったので、スイスへ亡命。1992年のビロード革命で1992年に財産が戻ったとのこと。
子供部屋にワインセラーへと通じるドアがあるというのにはびっくり。酔っぱらったお父さんが出てきたら子供への教育効果は???
食後を過ごす部屋に女性のパネル写真が・・・。何とイジーさんの20才も年下の再婚相手の写真とか。彼女の発案で、アイスなど食べられる喫茶やワインの飲めるレストランも始めたとか。このお城で作ったワインは四角いウイスキー壜のようなボトル入り。ベランダから外を覗くと下に葡萄畑、そしてエルベ川とモルダブ川の合流点が見え、遙かに続く畑の向こうには丘のようになだらかな山。

10月7日(金)8時15分出発。
急激に寒くなる。ブレザーの上にコートを引っかけても足りない位。
ブラチスラバではまず昼食。レストランでは通路を挟んで、JTB・LOOKの団体が。前菜が違うので旅行代金の差は食事?
赤い三角錐屋根の尖塔が4つ。鉛の兵隊さんが出てきそうな城が見える。教会の権力より王権の方が上だったとのことで、教会の上には十字架ではなく王冠が。小雨の中の観光。
ガイドのホシェコバ・イングリッドさん。水色の目をした美人。スロバキア語には意味が違うが、音が日本語に似ているものがあります。ヒャクエンが有り難う、ナスクレタノはまた会いましょう。お早う、今日はなどにあたる便利な言葉、アホイ。
広場を挟んで日本大使館の向かい側にはお寿司屋さん。入場観光がなかったこともあり、小一時間で旧市街散策は終了。でも、町おこし?か、現代作家によるナポレオンの帽子を被ってリラックスしている像やマンホールから顔を出している人の像、マンホールの蓋にお城が彫ってある等が楽しい。
バスに乗り、高速道路のフェンスが幾何学模様で面白いなど見ている内に、いつの間にか寝てしまった。ふと目が覚めたらバスが動いていない−大渋滞。やっとの事でブダペストに入るが、ホテルに寄る時間がなく、運転手は12時間以上拘束してはいけないという決まりがあるので、バスが替わるとのことで、手荷物を持ってレストランへ。入り口では、ピアノの弦のようなものを木琴のばち?で演奏している。やわらかい音色。
食後、迎えのバスで乗船場へ。いつの間にか雨も上がっている。ドナウ川ナイトクルーズ。オレンジ色の光でライトアップされた国会議事堂、王宮。青い光を浴びたくさり橋。雨上がりで、風が冷たいせいか、くっきりと見える幻想的な夜景に目を奪われる。頭上には満月もでて、甲板に出ると、身震いがでるほど。
あっという間に1時間半のナイトクルーズが終了しホテル着は10時。ぐっすり眠りました。

10月8日(土) 8時半出発
まず英雄広場。 
昨夜見た幻想的なくさり橋も昼間の光で見ると地味。漁夫の砦は、それぞれのギルドで砦を守った歴史から聖イシュトヴァーン教会の近くにある砦でもあり有名になったのらしい。
漁夫の砦に来る途中、パトカーの先導で行く車に出会ったが、どこかの国の要人が来ているらしく、12時から教会がクローズになるとのことで、聖イシュトヴァーン教会前の広場は、順番待ちの団体で溢れている。
教会の中は金色の祭壇が美しく、幾何学模様で彩られた柱にイスラム世界の影響が見られる。
刺繍製品を多く置いているギフトショップへ。赤、青、黄色と鮮やかな花の刺繍がパッと目に飛び込んでくる。源は何を買ったのかと思ったら、フォアグラの缶詰。
チェコはトカイワインが名物とあって、ワインを買う人も多い。支払は日本円でもOKとのこと。
昼食は、スープの美味しい町中のレストラン。パプリカで味付けしたグヤーシュという具沢山スープ。各家庭で少しずつ味付けや材料が違うとか。今日は牛肉だが、鶏肉や、魚を入れる家もあるとかで、ハンガリー版お袋の味。テーブルに赤、緑の唐辛子が置いてある。辛みが足りない人は足すようにとのこと。サラダに足す人もいますよ、との説明に、試しに口に入れた人は『辛い!』
オーストリア国境近くのガソリンスタンドでトイレ休憩。有料トイレだが、領収書が金券代わりに使えるとのことで、1ユーロ足してアイスクリームを購入。にこにこしてバスに戻ったら、何と、バスの中ではアイスクリームを食べるのは禁止とのこと。すぐ降りて冷たい風の中で急いで食べて戻る。バスが走り出すと、添乗員さんが「日本人観光客は行儀がよいので、飲食は禁止されていないのですが、アイスだけは駄目なのです」とのこと。もっと早く言ってよね。
夕食はウィーン市庁舎というので、役所の食堂かとちょっとがっかりしていたら、ネオゴシック様式の尖塔が市庁舎というのでびっくり。天井が高く、荘厳な中での夕食。
ウィーンの夜はレジデンツ・オーケストラによるミニコンサート。舞台上にコントラバス、チェロ、バイオリン、フルート・・・の演奏者が登場、演奏が始まると、後ろのドアから女性が入ってきたのを見て最後列に座っていたTシャツの男性がいきなり声を上げて舞台上へ。びっくりしたけれど、これはパフォーマンス。二人の掛け合いでモーツアルトの魔笛が・・・。フィガロの結婚やトルコ行進曲等。狭い舞台の上でバレーも演じられ、目にも耳にも楽しい演奏会。休憩を挟んで後半はヨハンシュトラウス。美しき青きドナウ、ウィンナワルツ・・・。よく知っている曲に目にも楽しい舞台であっという間に1時間半が過ぎてしまいました。

10月9日(日) 8時45分発
朝、晴れていたと思ったのに小雨が・・・。急いで部屋に傘を取りに戻りまずはシェーンブルン宮殿。マリア・テレジア好みというオレンジがかった黄色の壁。(最も後で調べたら、財政難で金で塗れなかったせいでこの色が好きだったわけではないらしいが)建物内はガイド付きで廻るが修復中のところが多く、鏡の間の一部が仕切られていたのは本当に残念。紫檀を豊富に使った百万の間、東洋趣味の漆の間等贅を尽くした部屋、部屋。写真撮影が許されず、「はい次」と流れ作業的観光、仕方がないけれどもう少しゆっくり見たいと思うのは私だけ?
建物から出て広大な中庭へ。緑の芝生の中に赤、白、ピンクの小花で縁取られた幾何学模様の花壇の間の広い石畳の道を通ってネプチューン噴水に。小雨の中、ランニングをする人もちらほら。そういえば今日は日曜日。建物に入るには入場料がいるが、庭は公園の一部。動物園や迷路もあり、雨じゃなければ、もっと大勢の人がでているのかな。シェーンブルン宮殿の一部は、市民の住宅として利用されているとか。お城に住むって、どんな感じなのかしらね。
車窓観光しながら、市立公園の金ぴかのバイオリンを弾いているヨハンシュトラウス像の前で写真。最近修復が済んだばかりとのことで、まばゆいばかり。
昼は、ウィンナーシュニッツェル(ウィーン風カツレツ)。ソースをかけたくなるが、下味がしっかり付いているので、ソースはいらない。付け合わせはキャベツの代わりにポテトがどっさり。
午後は、美術史美術館見学。ドーム付きの建物はそれ自体見応えのあるもの。ラファエロの草原の聖母、フェルメールの絵画芸術、ベラスケス、ルーベンス、アーチンボルト等。また、ブリューゲルの作品も多く一部屋当てられていた様に思う。ちょっと見た時は農村風景に多数の人物を書き込んだと見えるものが実はベツレヘムの嬰児虐殺を当時の風俗で描いたものとか。解説を聞くと、今まで楽しそうと思っていた絵が実は・・・。
美術館を出て王宮前のミヒャエル広場を通ってカフェ・デメルへ。途中客待ちをしている馬車が数台みられる。日本だと人力車?
日曜日は美術館や博物館、カフェ等を除いて小売店はお休みなので、みんな美術館やカフェに集まるとか。デメルの中に入ると順番待ちの人がずらり。その脇を通って予約席へ。テーブルにはホイップクリームが、置かれている。コーヒーに入れるとウインナコーヒー?源は定番のチョコレートケーキ、私は別のケーキを注文。お腹がすいていないと言っていた源も本場のチョコレートケーキは気に入ったらしくぺろりと平らげる。
シュテファン教会を見に行き、ブラブラとウィーンの町並みを見ながら美術史美術館の前に再集合。実はこの後、向かいの科学博物館の屋上からウィーンの夕暮れを見るのだとか。博物館の研究室の前を通って屋上へ。夕暮れにはまだ早いながら、屋上(本当に屋根の上という感じ)から見るウィーンは下を歩いている時とは別の楽しさ、全貌をつかんでいるとの気持ちになる。
旅行最後の晩はホイリゲ(そもそもは自家製ワインを出した居酒屋)で、ワイン飲み放題。ポテト、ザワークラウト、ソーセージ、ハムをたべながら、ワインが駄目な私は葡萄ジュースに舌鼓を打ちながら、おしゃべりと笑いで夜が更けていきました。