紀行文 その19

更新 2016年7月30日

北欧に行ってきました 源 恭子 2016年7月24日

2016年7月5日(火)成田空港からヘルシンキへフィンランド航空で6泊8日の北欧旅行に出かけました。
添乗員の池田さんは背が高く細くて氷川きよしかムーミンのスナフキンに似た感じの若者で、20代。
ベテランとは言い難いもの、オリジナルの旅のしおりを作って配布するなど、やる気は十分。
飛行機は満席。途中気流の乱れでちょっと揺れた時もありましたが、日本語の字幕が出る映画3本を見終えたころ無事にヘルシンキ空港に到着。
フィンランドの入国審査を通り、デンマークへの出国審査はパスポートをスキャナーし次のブースで写真を撮ったものと
照合してOKが出ると出国できるというもの。日本人と韓国人用とある、両国ともきちんとできると思われているのかな?
コペンハーゲン着後、ヘルシンキで6時間バックした時計をさらに1時間バックし、バスでホテルへ。ホテルの部屋に着いてびっくりしたのが、
分別用のごみ箱。『ORGANIC』『紙』『その他』。ORGANICは生ごみ?
現地ガイドさんがスーパー迄案内してくれるというので、どんなものを売っているのか行って、スーパー『イヤマ』で、
日本の瓦煎餅のようなクラッカーを買いました。

分別のごみ箱

2日目の7月6日は朝から雨で肌寒い。バスでコペンハーゲン市内観光に。アマリエンボー宮殿、お城が火事で焼け
仮の住居にと移ったものの、居心地が良かったのか今でも住んでいるというもの。
夏休みに入り、王族は宮殿にはいないとのことでしたが、衛兵は雨の中、写真を撮ってもびくともせずに立っています。
私たちが立ち去るころ、やっと赤い雨用のコートを羽織っているのが見えてホッとしました。
17世紀に市街地が拡大する中で生まれた港、ニューハウン。運河沿いの建物が色とりどりで美しい。
お天気が良いと外で食事をしている人が多くみられるとのこと。あいにくの雨と夏休みで人通りはいつもより少ないとか。
アンデルセンが住んでいた家も向かい岸に見えます。アンデルセンは初め役者を目指しましたが、彼の文才に気付いた劇場主に励まされ
物語を書くようになったとのこと。生涯お王立劇場の近くの貸家に住み頻繁に劇場に通い、また一年のうち半分以上旅行していたそうです。
人魚姫の像は篤志家の寄付によるもので一段低い場所の岩の上に乗っていました。
当時裸体のモデルになる人がいなくて彫刻家の妻をモデルに作ったということで、ガイドさん曰く清純な乙女というよりは成熟しています。
ハムレットの舞台となったことで有名なクロンボー城へ。でもシェークスピアはこの地を訪れたことがなかったとか。
旅人から聞いた話を膨らませて書いたのでしょうか?
この地にカルマル同盟の盟主となったデンマーク王エーリク7世がクロンボー城の前身にあたる砦を築いたのは1420年代、
わずか幅7kmのエーレスンド海峡を挟んでスウェーデンのヘルシンボリと対峙する位置にあり、スウェーデンもデンマーク領であったために、
北欧統一の間に疲弊した経済を立て直すための策の一つ、エーレスンド海峡通行税の徴収拠点とするためであり、
払わない船には、両岸から大砲を打ったとのこと。
海に近いためか雨交じりの風が強く、傘がすぐおちょこに…。ガイドさんに夏でもこんなに寒いのですかと聞くと、
気温差が激しいのでコートは夏でもしまえないとのこと。
城の入り口では、ハムレットはじめ叔父である王や母の王妃、オフィーリアがそろってお出迎え。
その後城内を歩いていると決闘シーンを演じているハムレットに再会できました。
昔のお姫様が刺していた刺繍も展示してありましたが、今私が使っているような丸い輪ではなく、四角い枠に布を張り刺していたようです。
夕方、雨も上がり陽がさして来た中、DFDS・シーウェイズでノルウェーのオスロへ。船室は7階の海側の部屋。
湾の中なのでとても穏やか。甲板に上がって海を眺めると小さな島がたくさんあり、他の旅客船等が行き交うのを見ていると
のんびりした気分になってきます。スモガスボードの夕食というのは何のことはない、日本でのバイキング。
目移りしてあれもこれも…と少しずつとったつもりでもお皿は満杯。寝ている時、たまに揺れるので
アッ船に乗っていると思い出すほど穏やかな航海で、10時頃無事にオスロへ到着。

アマリエンボー宮殿の衛兵 人魚姫
     
     
 クロンボー城    クロンボー城入り口でハムレット達
     
     
お姫様が刺した?刺繍    DFDS・シーウェイズ 



3日目 7月7日(木) バスでオスロ市内観光。夏休みに入ったので、市内は閑散とした感じで、私たちのような観光客が目立ちます。
まずはムンクの絵で有名な国立美術館へ。ムンクの絵は一室に集められています。
自身身体が弱く、慕っていた姉が死ぬなど家族の死に次々とあったムンクの絵は、全体に暗く、有名な『叫び』は、
絵の中の人物が叫んでいるのではなく、彼だけに聞こえる叫びを聞いて耳をふさいでいるところとか。
別のコーナーではJapan Mania という浮世絵や刺激を受けた作品などの特別展が開催中。
ランチ後はバスでフィヨルド地区のロフトフースへ。中欧や北海道を思い出させる牧草地や湖や川、森林地帯を車窓から眺めながら、
ノルウェー政府指定の景勝道路の一つハダンゲルヴィッダを通る。緯度が高いので800mの標高で森林限界を超え、
高い木がなくなり、低木に。白く見えるのは氷河とか…。ヴォーリングの滝を見るのに降りる頃また雨がパラパラ…。
本日の宿はホテル・ウーレンスバング。小屋根の△が並ぶ白亜のリゾートホテル。ノルウェー王室御用達とのことで、
王族の写真や衣装も飾られている。フィヨルド側の客室の窓から外を見るとフィヨルドの向こう岸の山にうっすらと
雲がかかっていて幻想的な風景。夕食は今夜もスモガスボード。魚介類も豊富で、ザリガニの脚があったのでどんな味か期待してとったが、
ハサミやカニスプーンがないので殆ど食べられず。残念!

     
 ノルウェー国立美術館入り口    景勝道路ハダンゲルヴィッダ
     
ホテル・ウーレンスバング ホテルの窓から


4日目 7月8日(金) 今日はバスでヴォスまで行き、ベルゲン鉄道でミュルダール、フロム鉄道でフロムへ、船でグドヴァン
ゲン、バスで宿泊地のスタルハイムまでと乗り物三昧の一日。青空が見え、私たちを祝福しているよう。
ミュルダールから乗ったフロム鉄道は、フロム発に合わせており、進行方向によって座席が回転するということはなく、
残念ながら後ろ向きの座席。途中で滝を見物するために停車時間が5分くらいあり、乗客はみなホームに降りて写真を撮る。
滝の右側に妖精?
昼食後、ステーガスタイン展望台へ。細くヘアピンカーブの道をバスがゆっくりゆっくり上っていく。
カーブミラーがなく見通しの悪いところで対向車に出会うとすれ違いのできるところまでバックで戻り、あるいは対向車に戻ってもらって、…。
本当に運転手さんは大変。バスに出会って無事切り抜けた時には思わず車内から拍手が起こった。
今回のツアーの目玉の一つ、フィヨルド遊覧。乗り込むのが最後の方で、団体客も多かったが、
やっとのことで甲板の先頭に立見席を見つけ陣取る。出港するとカモメが沢山飛んでくる。
日本だとウミネコの餌なんて売っているのに…と思ったら誰かがパン?を投げている。船はゆったりと進んでいく。
崖に多くの滝が見られる。太く水量豊かな滝、細い滝、木々におおわれている山、岩だけの山、岸辺に貼り付いている集落。
下船後はバスでスタルハイムへ。運転手さんのご厚意でホテルの前を素通りして、ちょっと下の滝を見に連れて行ってくれた。
かなり坂を下ったので、歩いてまた見に来る気にはならない。
オスロの国立美術館で、ガイドさんから、スタルハイムに行くのならば「ぜひ覚えておいてください」と言われたJ・C・ダールが
ノルウェーの大自然を描いた絵に描かれている山高帽子を伏せたような、特徴のある禿山と手前の緑の草地。
この草地に建った赤いホテルが今日の宿泊地。庭には花々が咲き乱れている。
夕食にリンゴジュースがお薦めとのことでとってみるとすっきりした甘さ。食後、美術館が近くにあるというので一人で行ってみたが
どこか分からず、ガランガランと音がしたので何かと思ったら、3,4匹の羊が裏庭で飼われていました。

ソグネフィヨルド遊覧 スタルハイムの山
     
     
 J・C・ダールの絵   ホテル・スタルハイム 

5日目7月9日(土)段々、日にちの感覚がなくなってきました。
ハダンゲルフィヨルド沿いをベルゲンへ。小雨が降ってきて、日本の梅雨のよう。途中ツヴィンネの滝で、水を汲み
(この水を飲むと寿命が延びるとか-養老の滝?)、ホテル・ハダンゲルフィヨルドでコーヒータイム。飲み終わって庭に出ると大きなチェスが…。
雨が止んだところでスタインダールの滝へ。滝の裏側に回れる(裏見の滝)ということでゆっくり上っていく。雨がやんでいて良かった!
ベルゲンはノルウェー第2の都市でガイドのカラーは赤、雨の多い土地で午前中は土砂降りだったとのことで、
赤いコートに赤い長靴のガイドさん。まだ降りそうな曇り空でもラッキーなそうです。昼食後、天気の変わらないうちにと
フロイエン山へケーブルカーで登りました。ケーブルカーを下りミニハイキングに出発。道の傍らに野生のブルーベリーを見つけると、
ベルゲン市民はこのブルーベリーを摘んでヨーグルトに入れたりジャムを作ったりするとのことで、
ベリーを摘んだりキノコ狩りをしたり自然を楽しんでいるようです。私たちが歩いている山道を自転車やジョギングして登っている人たちが多く、
ノルディックウォーク発祥の地、元気な人が多いのかな。一時間余のハイキングを終え下りのケーブルカーを待っているとき、
ケーブルカー乗り場の隣のギフトショップの1階の屋根の上に、ケーブルカーの位置を知らせる装置を発見。
また、ベルゲンの街を見下ろせる場所に真ん中の一人がプラカードを掲げ持っている3人の若い男性が笑いながら立っています。
ガイドさんの話では、プラカードを持っている人が結婚するので友達たちと一緒に写真を撮ってもらう人を募集しているのですよ。
結婚間近の人は耳を大きく仮装しています(北欧は妖精の国?)。イケメンの若人と一緒に写真を撮りました。
カラフルな三角屋根の木造家屋が並ぶ「ブリッゲン」地区は、ハンザ同盟時代の名残を残す建築物として、
1979年にユネスコの文化遺産に登録されました。赤レンガ色やクリーム色に塗られた木造家屋で建物と建物の間にある
小さな通り道に入ってみると、中はまるで木造迷路。大きな木彫りのタラがタラで繁栄した記念品として飾られていました。
ヴォーゲン湾沿いにずらりと並んだ木造家屋の内2軒は修復中で家が描かれた布が垂れ下がっていました。歴史的建造物なので、
中は改修しても外観は変えないとのこと。右端の家は雑貨屋さんで2階にクリスマスグッズを売っているというので後で見に行きましたが、
右端が良く見ると傾いて狭い木の階段はきしんでちょっと危ない感じ。魚市場は、シーフードを売っているお店だけでなく、
食べさせてくれるお店もたくさん、ガイドさんが連れて行ってくれたのは、チューブのたらこペーストを売っているお店。
ノルウェーではキャビアは魚卵を意味しているのでキャビアを買ったと思ってはいけないとのこと。味見をさせてもらいながらも、
買うのはスーパーの方が安いですよとスーパーにも連れて行ってくれ、これを買うとよいですよと教えてくれました。
確かに魚市場では3個100クローネが、スーパーでは1個18.9クローネ。ガイドさん、主婦ですね。
土曜日のせいか、12時を過ぎてもまだ薄明るい中、外では楽し気な声がいつまでも響いていました。

フロイエン山ケーブルカー 結婚間近?の男性


6日目 7月10日(日) ベルゲンからスェーデンのストックホルムまで飛行機で移動。ベルゲンは小雨でしたが、
ストックホルムは青空。
まずノーベル賞の晩餐会が催される市庁舎へ、最初は青く塗る予定の壁でしたが、温かみがあるとのことでレンガのままにしたとのこと。
王妃様がノーベル賞受賞者と腕を組んで降りてくる階段は、ヒールでも下りやすい造りになっており、
顔が正面を向くように壁の一部に目印があるのだとか。市議会の議場も見せてもらいましたが、
議員はボランティアで女性も参加しやすいように考えられているのだそうです。
ノーベル博物館では、受賞者がサインした椅子に座って同じデザートが食べられるというのです。
山中先生の椅子は人気があるので上の方につるしてありました。お土産売り場が混んでいたので、
カフェの方に行き、受賞者と同じデザート(アイス)を食べました。
駅のすぐそばのホテルだったので、夕食後、お土産を見がてら駅に行ったところ、ドアを開けるとすぐホームで
別に改札もなく自由に入れるのです。電車にも、もしかしたら乗れてしまう???
駅の中のスーパーでは袋入りのインスタントラーメンが売っていたのにはびっくり。スェーデンの人もラーメンが好きなのかしら。

山中先生サイン入りの椅子 ノーベル賞受賞者が食べるデザート



7日目 7月11日(月)
朝6時半に朝食、7時に出発という強行軍。飛行機でヘルシンキへ。昼用に何か買っておいた方が良いという添乗員、
池田さんの言葉にクロワッサンを買い、飲み物は飛行機に乗る時に没収されてしまうので、ヘルシンキで買うことに。
スーツケースはヘルシンキでは出さずに成田まで行くので、手荷物預け証の行き先が成田になっているか確認してくださいと念を押されました。
ヘルシンキまではプロペラ機。誰かがボンバルディアだと言っていましたが…。この小さな飛行機が後のトラブルに繋がるとは
その時は思っていませんでしたが…。
ヘルシンキの大聖堂は、白壁に緑色の屋根。石段に座っている人も多くいます。無料のトイレがある市役所にも入ってみましたが、
技術の進歩を示す展示もあり、パソコンで何か検索している人もいました。マーケット広場は縁日のように屋台が並んでいます。
駅まで歩いてみることにしました。道の右側は落ち着いた石造りの建物のお店、左側は公園になっています。
公園で赤い水玉の布で覆われた木が何本かありましたが、装飾?マーケット広場まで戻り、ムーミンの絵がついたジュースを
買ってクロワッサンとで簡単なランチ。

ヘルシンキ大聖堂 公園の木に巻かれた布
ムーミンの絵がついたジュース

後はヘルシンキ空港から成田まで一直線。長いと思っていましたがあっという間の6泊8日の北欧旅行でした。
と、普通ならここで終わるのですが、なんと成田でスーツケースが出てこなかったのです。同じツアーの一人旅の女性のも出てこず、
添乗員さんと共に届け出をして往復宅急便の復路の分をキャンセルして成田からYCAT迄ぐっすり寝て帰ってきました。
翌日、「出てきました、今日の夕方宅急便で届きます」との連絡があるまで、まさかなくなることはないと思いながらも落ち着かない時を過ごしました。
到着が一日遅れたということで、源の推測では、ストックホルム-ヘルシンキの飛行機が小さかったので、荷物を積み残したのではないかとのことです。

台湾大変旅行 すー:土肥(鈴木)暁美 2016年1月28日 

巷は師走の大忙しの中、12月11日から台北3泊4日の女子会ツアーに行ってきました。
メンバーは、1年4組の良友4人組=世界情勢・金融に強いあらちゃん*、心理学の権威・交渉術に長けたこっちゃん**、
ファッショナブルな手芸家のくろちゃん***、そして大食いのセクレタリーすーです。その素晴らしい思い出をご披露します。

初日。飛行機はこっちゃんがネットでJALの航空券を手配。当然朝早い便です。当日は生憎の雨天です。
集合は人出の少ない6時の高田馬場、ごろごろを引いた東京3人組の声が響きます。
久しぶりの羽田空港が綺麗になったのにまずびっくり、次第にテンションが高まります。チェックゲートを通過して、
私は早速免税店でシャネルのコンパクトを買いました。福岡からの便のあらちゃんはヴルガリを買ったとか。
女性の購買欲は旅行中の特権です。最初にプチ贅沢な買い物をすると案外その後は衝動買いをしないものです。
言い訳に近いですか。
羽田からの3人組は台北松山空港に無事ランディング。ネット手配の「インペリアルホテル」に荷物を置いて、
明日の市内ツアーを頼みに「JTB」に向かいます。地図を手掛かりに歩きますが、なかなか見つからない。
そこで派出所にはいり、「JTBはどこですか?」と日本語で。若いおまわりさんは「JCB」?
私たちは「No! Where is Japan Travel Bureau?」。
天井を仰ぐおまわりさんはJCBをパソコン検索し始める。結局ほんの20m程の距離にあるJTBは熟年のおまわりさんが教えてくれました。
日本人は元来親切で道を尋ねる外国人には正確に教えるか、分からない時ははっきり断りますが、
この数時間後にまたもや道を尋ねる私たちに現地の人はあっちだこっちだとかなりいい加減な場所を示します。
台湾では高年齢の人かホテルマン以外は英語も日本語も通じません。そんな時こっちゃんの身振り手振りは協力な交渉武器でした。
その後、別便で到着したあらちゃんと合流し、その足でMRT(都市鉄道)に乗り淡水へ。
乗車券はコイン型で、中にICチップが仕組まれているのでしょうか、改札にピッ。20分ほどで到着です。
雲が垂れ込めていて、沈む夕日は見られませんでしたが、若い人々でごった返していました。
そそくさと台北市内に戻り「人和園雲南菜」で夕食後、「台北アイで京劇」を観賞。
バック転や武術を盛り込んだ西遊記は時々見栄を切ったりして日本の歌舞伎の様でした。
それに女形のあの高音の発声も似ています。そういえば普段から中国の方は声が高いですね。
夕暮れの中、余韻を感じながらホテルに戻ります。ホテルの部屋はツインです。
問題は二人のうちどちらが早く寝つくかで、明日の健康状態が決まります。私は3連敗でした。
何しろ早い。お休みを言ったか照明を消すや否やもう寝息が聞こえます。

2日目は市内ツアーです。JTB手配の大きなバスが来るという予想は見事に外れ、
乗客は私たち4人と横浜のご夫婦のみのマイクロバスで、家族的な出発となりました。
総統府を通り下車して見学したのは「龍山寺」です。寄進の美しい花が溢れ100の龍が彫られた本堂に祀られている御本尊は観音様。
ここではくろちゃんが珍しい形で占いをしました。迷い事を念じて餃子型の2つの木片を床に落とす。
片方が裏に片方が表が出たらおみくじを引くことができます。そのおみくじを日本語で説明をして頂き、その占いにくろちゃんは深く頷きます。
来年はきっと良いことが訪れるでしょう。檀家の女性たちによる南無妙法蓮華経の読経がコーラスの様に流れ、
そのメロディーは訪れた誰もがすぐに唱和出来る優しく暖かいものでした。
次は「中正紀念堂」で、閲兵交代式見物です。堂の中央高所に蒋介石の大きな銅像が据えられており、
その前の両裾に立つ兵士は身じろぎひとつしてはいけないそうですが、実は時々腕を動かしたり頭をふわふわとさせたりしておりました。
1時間毎の交代の様子を見物するのですが、上官1名と4人はロボコップの様に腕や足の角度をピタッと決め、気持ちの良いものでした。
身長は180cm以上。細身、イケメン揃いのエリートです。ほれぼれとみていると、あらちゃんは「交代前の彼の方がタイプだな!」
台北の新しい名所「台北101」にも行きました。先ず1階の「鼎泰豊で小籠包(しょうろんぽう)」を頂きます。
ものすごい混雑で観光客のみならず地元の方も順番をまっています。
お腹も膨らみ、いざいざ、エレベーターは40秒で89階の展望台に到着します。余り早いので下から見ている程高く感じられません。
反対に帰りはお土産店を通らないと下に降りるエレベーターにはのれません。煌めくショウケースの中は見事な珊瑚、翡翠、象牙。
少し前にニュースを賑わせた真っ赤な珊瑚を見つめながら、くろちゃんは後ろ髪ひかれる思いでエレベーターの列に並びました。
それにしても降りるエレベーターがたったの2基。こんな時に地震が起きたらどうしましょう。写真は大きな免震装置前です。
20分程待って地上に降りてきてホッとしました。市内ツアーが終了。
やれやれ顔(?)のご夫婦と別れた後はタクシーで「故宮博物館」に向かいます。
金曜土曜は閉館が夜9時ですので、昼間より空いているという情報でした。それは間違いなかったのですが、
中国人のツアーが沢山来ていて、ツアコンの中国語の大きな声で音声ガイドも妨げられる始末でした。
私は焼物を重点的に見て、後は走りまわって3時間があっという間でした。
あらちゃんがショーケースの中を指差し「このお皿を作ってね」と私にご注文です。小さな葉型の皿で、私の創作意欲が湧きます。
地下の広大な売店には展示された美術品のミニチュアなどが並びますが、
東京へのお土産は勿論「白菜の耳かき」(100元)と「東坡肉(とんぽうろう)のボールペン」です。

3日目は「九份」観光。市内からバスです。始発停留所から一番先に乗り込んだので、こっちゃんとクロちゃんは最前席に座れました。
殆どの席に乗客が座ると運転手はまだ乗れるのに発車をしました。料金は一人102元(約400円)です。
九份は金城武の映画や「千と千尋の神隠し」のモデルとして有名ですが、到着すると生憎の小雨でした。
店に挟まれた細い道を登ったり降りたり、八角や魚醤だか漢方薬の匂いの中を、
景色を見るのが目的のあらちゃんとこっちゃんは足早に、小物やアクセサリーできょろきょろのくろちゃんと私は遅れ遅れで、
お互いに30元で買った黄色のかっぱを目印に、ついたり離れたり。
終点の地からの眺めは満点とはいえないまでも薄く煙る町や海岸はそれなりに素敵でした。
帰り道にあの赤い提灯がぶら下がる坂の途中の店でお茶をしました。お菓子が4種ついていて300元です。
小さな急須にウーロン茶葉を入れ、熱湯を注ぎます。最初は筒型の茶碗に茶をつぎ、それをお猪口型の器にあけて、
空いた筒の香りを嗅ぎます。ウーン流石に歩き疲れた体がほぐれるようです。やっと一口頂いたお茶の甘く渋く美味しいこと。
1回毎の茶葉で10秒増しに5回飲み、葉を4回入れ替えられるようになっていますが、全部こなすと何時になるやら、
残り2回分をバッグに入れてまた坂道を戻りました。
九份はバスの最終地点ではありません。それに今日は日曜日。午後というのに次から次へと人が押し寄せます。
九份のバス停も人が溢れています。もう一停留所先に行けば始発のバス停。そこから乗れば座って台北に行かれる。
我々は、始発のバス停までタクシーで(250元)でいきました。しかし、そこもバス待ち人が道から溢れています。
こっちゃんはその中の若い女性に「台北行きはここですか?どの列にならんだら良いですか?」と聞いています。
若い数名のグループの女性たちは私たちとは違う行き先のバスを待っているようです。その直後、台北行と大きな表示のバスが来ました。
私たちは兎も角沢山の待ち人達の後ろに並ぼうとしました。ところが殆んどの人が台北行きではなかったようで、乗りこむ人はいません。
台北行きのバスは発車の気配でした。びっくりした私たちは急いで先頭に向かいましたが、
そこには先程の女性の一人がバスの運転手に「待って(たぶん)」と言い、私たちを手招きしてくれていました。
お陰で私たちは首尾よく乗車出来ました。

その後がびっくり、次の九份のバス停では運転手が台北行きの乗客を相手に、乗れる人と乗れない人を大声で分けているのです。
どうも、「終点までの人はだめですぐ降りる人は乗せる」「けが人とか高齢者だからといって乗せるわけではない。」
「バス会社の指令室と常に連絡を取っていて、時間の関係か規則かに従がって運行をしている」というのが我々の分析です。
4人が顔を見合わせて「乗れて良かった!始発まで戻って正解だったね!」「九份にいたら真夜中でも帰れなかったね。」と
喜んだのは言うまでもありません。
市内に戻ってから、迪化街にある布市場「永楽布業商場」を歩きました。ここは宝塚の舞台衣装も揃う程の品揃いで、
くろちゃんは綺麗なタッセルを求めました。その後、ホテル近くにある日本人のマダムが経営する「台北花苑」のレストランで
最後の晩餐としてフランス料理を頂きました。ワインとデザート付きの豪華フレンチコースはエディブルフラワーも美しく、一人3400円でした。
台湾は物価が安いです。何よりタクシーが使い易いです。初乗り70元(300円)で市内は移動できます。
会話はできませんから文字で示します。貨幣は100元以上は紙幣ですが、50元10元は銀色の硬貨(10元は銅貨)で、
財布の中では判別しにくいです。私は台北滞在中は共通経費の支払い会計係をやりましたが、
乗る頻度が激しいので支払いと記録が少し面倒でした。お財布が淋しくなったり両替はどうしようかな、
と迷うとあらちゃんが交換等に有利な方法をアドバイスしてくれて助かりました。

食事はA′級からD級位まで食べました。全く私の好みと判断ですが「人和園雲南菜」の緑豆スープは絶品。
前述の2日目の昼食の「鼎泰豊の小籠包」はAに近いBと思います。夕食の鍋はC。夜市で食べられるビーフンはDですが安価(40元)です。
3日目の「台北花苑」のフランス料理はA′。最終日の松山空港の牛すじ蕎麦は半分残しましたがセットの小籠包は熱々のAでした。
中華料理大好きな私は何を食べても美味しいと思いますが、下調べに伺った新橋駅の台湾観光協会の隣のビルにある
台湾料理屋の味の方が良かったかな、なんて。もっとも今回はA+級の店に行かなかっただけで台湾は元々美味しい町です。
飛行機の中でも軽食を残し赤ワインを美味しく頂きました。
暖かいとはいえ冬ですから果物には期待していませんでしたが、10年程前に一度食べたことがある「釈迦頭(しゃかとう)」(50~150元)を
今回発見したのは嬉しかったです。ホテルの部屋で夜に皆でつまみましたが、残った分を朝に食べ始め、
完熟もしくは腐りかけておりその美味しさについついスプーンが止まらず最後まで私一人で完食してしまいました。
後で皆に怒られました。へへへ。流石にドリアンにはお目にかかれませんでした。

台北は暖かい地で、12月なのに陽がさしていれば半袖でも過ごせます。我々シルバー世代には日本の寒さはつらいので
台湾に移住したいな!と心がときめきますが、空気の汚れと車の運転の激しさには恐れをなしますし、
特に朝夕の幹線道路のオートバイの疾走に驚きます。ブンブンと高音をたて、バスや自家用車の周りに纏わり着くように走る
オートバイはとても怖いものです。あの九份行きのバスの運転手も、前を行く自家用車に2m位まで接近し、
どけどけとばかりプレッシャーを掛けます。またウインカーを出すや否かで車線変更をし、隣のオートバイも負けずに前に割り込んできます。
運転手は走行中ずーっとイヤホンをつけて相手と話をしていたり、何度も立ち上がり看板を出してりひっこめたり忙しいです。
多分運転技術は優れているのだと思いますが、こちらは決して安心して乗車しているわけにはいかず、常に足を踏ん張って乗っていました。
ここに定住したとしたら現地の人に混ざっての自家用車の運転はあきらめなくてはなりません。
しかしそれにしては滞在中に救急車やパトカーの音を聞いたのはたったの1度でした。

海外旅行は歩き回る体力やとっさの判断力、なかなか通じない会話力や外国の風習を理解する適応力など、
知力体力ともに膨大なエネルギーを必要とするものです。今回の4人の台湾経験度は全くの初心者から数回の者、
前年に来た者や10年来の者と様々でした。そして相手に合わせた為に行きたい所ややりたい事が出来なかったこともありました。
しかし50年前に教室を一緒にし、修学旅行や鎌北湖に行った仲間の4人でワイワイと行かれたことは「すごい事!」だと思います。
面白がって101でプリクラで撮った4人の顔にはすっとんきょな中にもそれぞれが人生を生き抜いた充実の顔が映っています。
また2年後ね!と次の旅行計画はもう立ち始めています。その時またプリクラが取れるといいなと思います。

旅行に同行したメンバー 
*あらちゃん 佐藤(荒川)陽子  **こっちゃん 蓮見(琴坂)元子
***くろちゃん 河野(黒崎)淑子 

カナダ旅行 源 恭子 2015年11月21日

2015年10月18日、17時40分発AC006便で羽田からトロントへ。
今年はカナダの紅葉が少し遅いので、いつものシーズンだったらもう葉が落ちているのですが、今回のツアーのお客さんはラッキーです、
との言葉通り、ホテルまでのバスから見える木々はオレンジ色と黄色に黄葉しています。

2日目ホテルを8時に出発、オレンジ色から黄色の木々が車窓から見えるたびに歓声を上げていましたが、左手は丘を覆っている紅葉、
右手は広大な牧草や畑と同じような景色が延々と続くと、次の関心事はたまにあらわれる牛や馬、また送電線の柱の幾何学的な
美しさに移って行きました。右手に岩がむき出しになったところが見えた時、「このあたり一帯は、花崗岩や玄武岩で造られた
カナディアンシールドという地層の上にのっている」との説明が添乗員さんからありました。
地球上でもっとも古い地層の一つで、氷河が上を覆っていた新しい地層を削り取り固い地層が残った結果、
多くの湖沼と川が現れたとのこと。オンタリオ州のオンタリオは原住民の言葉で「きらめく水」だそうですが、多くの池や湖が散見されます。
水深5m以下が池、以上が湖と呼ばれるとのこと。

最初の観光は、クランベリー農園。クランベリーは背丈が膝ぐらいまでにしかならないので、実が熟すると畑に水を張り枝をゆすって
実を落とし、浮いている実を集めるのだとか。
時期が遅かったのか、畑は凍りついていました。凍っても氷点下20℃以下の地上よりはクランベリーには良いとのこと。


最初の紅葉ポイント、アルゴンキン州立公園へ。東京都が3,4個入る程大きな敷地を持ち、大小2,400余の湖沼があるとのこと。
トレッキングコースだけでなくキャンプ場やカヌー、釣りなどアウトドアで色々楽しめる様子。自然林のように見えますが、
自生していたホワイトパイン等を伐採し荒廃した地域を100年程前に州政府が植林、整備、楓の木を多く植えたので、
紅葉の見所になったとのことでした。
ビジターセンターでサンドイッチの昼食とのことで入って行くと、テーブルの上に紙の箱が乗っています。
開けてみると水、ツナ?のサンドイッチ、大きなクッキーとカップ入りのフルーツポンチ。
朝食バイキングにもフルーツポンチが出ていたから、カナダ人のお気に入りなのでしょうか?

ルックアウトトレイルと言うトレッキングコースの入り口までまたバスに乗りました。丁度旅行会社と縁のあるネイチャーガイドの
サクマさんが来ており、私達のグループを案内して下さるとのこと。
髭も濃く体も声も大きく、歩きながら落葉を拾い、「カナダには楓の種類が沢山ありますが、3種類だけ覚えて帰って下さい」と
講義を始めました。黄色や赤でV字の切り込みがあるのはアカカエデ、U字の切り込みはメープルシロップを取るサトウカエデ、
最後は木肌が瓜の様なウリカエデとのこと。
アカカエデの木は若い時はオスの木で黄葉し、年を取って枯れる数年前にはメスの木となり紅葉するのだとか。
大きな岩をみて、「僕はこれを氷河の贈り物と呼んでいるのですよ。」氷河が解けていく時に残った岩とのこと。
入口から標高差70mの一枚岩展望台から下を見下ろすと枯れ木が白く見え幻想的な風景で東山魁夷画伯の絵を見ているよう。


最後にヘラジカの片方の角を持ってきてくれて皆に持たせてくれました。
一年で生え換わると言うけれど、結構重かったです。
途中、トイレ休憩にと、カナダで人気のあるティムホートンと言うドーナツ屋さんに入りました。
お薦めはやっぱりメープルドーナツ、見かけよりも甘さ控えめで美味しかったです。
今夜はオタワ泊まりです。

3日目はオタワ見物から始まりました。歴史を感じさせる建物を見ながら、カナダの首都オタワからオンタリオ湖まで、
全長202kmをつないでいる世界遺産リドー運河を見に行きました。18320年、イギリスの植民地だった時代に、
アメリカからの侵略に備えて軍事目的で建設されたとのこと。
手すりも何もなく見下ろすとはるか下に水が流れており、夜には絶対来たくない場所です。
お城のような国会議事堂を眺めながらバスに戻り、バイワードマーケットへ。建物は2階建の吹き抜けで、天井には大きな
オブジェクトが飾られ、1階にはパン屋、肉屋、お土産屋さん等々が入っています。
外にはテントのお店が並んでいます。八百屋では、ハロウィンの時期とあり顔を描いたカボチャやトマト、ホオヅキ(食べられるの?)、
短い胡瓜、各種ベリー(苺もありました)等々。
花屋やお土産屋、もちろんメープルシロップを売っているお店もありました。


ローレンシャン高原へ向かう途中、メープルシロップを作っている農家でランチ。
テーブルに、ハムやポテト、ミートパイ、豆料理が次々に運ばれ、終わりの方に深めのフライパンで焼いた
フワフワのオムレツ?がドーンとテーブルの上に置かれました。メープルシロップをかけて食べました。
でもその量の多い事…。
食後に楓を見に行き、シロップの採取法を教えてもらいました。
夕方、ローレンシャン高原トレンブランビレッジへ到着。メルヘンな建物が建つリゾート地で、スキー場のせいか、
お土産屋さんや飲食店に交じってスポーツ用品店が幾つかありました。

4日目はモントリオールへ。イケメンのガイドさんが付き、ノートルダム大聖堂へ。
モントリオール出身の歌手セリーヌ・ディオンが結婚式を挙げた大聖堂ですが、一般の人が結婚式を挙げられるのは
裏手の小さな聖堂だということです。
モントリオールのあるケベック州は公用語がフランス語なので、標識もstopではなく、arret。川沿いまで歩き、
紅葉と街の景観を楽しんだ後は、中華のランチ。
中華なのに箸袋の「おてもと」や、蓮華の内側に書かれた「おいしい」の日本語がおかしい。
でも久し振りの醤油味でとても美味しかったです。

食後は、オカ州立公園へ。落葉を踏みながらまっすぐ伸びた木々の間を通って進みます。
若葉の様な緑の葉が多く春のようです。木々が茂っていると中まで陽が当たらないので黄葉しにくいというのですが…。
湖の途中まで伸びている木道を歩いて湖畔の紅葉を見物。その後、セントローレンス川沿いに紅葉を楽しみながら、
今夜の宿キングストンへ3時間のドライブでした。


5日目、キングストンに泊まった翌日はセントローレンス川のサウザンド・アイランズを船で巡りました。
船着き場付近の紅葉も美しく、女性操縦士さんの船で出発です。サウザンド・アイランズは、松島のようですが、
別荘やコテージなどが建っている島が多く、中でもひときわゴージャスな建物がハート・アイランドにあるドイツの
古城を模したボルト城。ウォルドリフ・アストリア・ホテルのオーナー、ジョージ・ボルトが愛妻ルイーズの為に
建て始めたのですが、建築途中でルイーズが急死したために工事は中断されたままになったとのことです。
ちなみにボルトがここで味わったことがきっかけで世界的に有名になったのが、サウザンド・アイランズ・ドレッシングとのこと。

また、大小二つの島が橋で繋がれたのは先住民の言葉で「幸せの住む島」と言われるザビコン島。
大きな島はカナダ領、小さな島はアメリカ領で島をつなぐ橋は世界で最も短い国際橋と言われているのだとか。
島や対岸の紅葉を楽しんでいる内に1時間のクルーズはあっという間に終わりました。
クルーズの後はワンプレートランチ。野菜サラダには勿論サウザンド・アイランズ・ドレッシングが…。
デザートの胡桃入りメープルケーキが美味しかったです。


トロントへ向かう途中でビッグアップルと言うお店に立ち寄りました。
アップルパイがお薦めのお店だと言うことでしたが、間食したら夕飯が入りません。
ドライバーのマーガレットさんはしっかり買っていましたが…。ここでキティちゃんのキャラクター入りお菓子をみつけてびっくり。
Jelly Bellyと書いてあったのでゼリービーンズの様なお菓子だったのでしょうか。

トロント市内、州議事堂前の公園にはリスがたくさん見られました。市庁舎は湾曲した二つのビルの真ん中が丸いドームで
上から見ると目玉に見え、市民を見ています、というメッセージが込められているのだとのこと。
でも中で何が行われているのか分からないと言う口の悪い市民もいるとか…。
市庁舎前はTORONTOの大きな文字が立っている池があり市民憩いの広場になっているようでした。


ナイアガラの町についたのは暗くなってから、今夜はロブスターです。お皿に大きなロブスターがドンと乗っています。
どうやって食べれば良いのかと思っていましたら、お店の人が捌いてくれるのです。おちゃめな店員さんは、
ボキット折ったロブスターの鋏を頭に掲げて舌を出したり、口をとんがらせたり…。
どこからか歌声が、と思ったら喉自慢の店員さんがマイクを片手に店内を一巡、終わると裏に引っ込み、次の瞬間には、
素知らぬ様子で仕事に戻っています。和やかな雰囲気で食事を終え、ちょっとさびしい繁華街を通りホテルに着いたのは8時頃。
ホテルの14階からナイアガラの滝が見られると言うので上ってみると、硝子越しにライトアップされた滝が見えるのですが…。


6日目は快晴、バスでナイアガラの滝へ。まずテーブルロック展望台で上から滝を眺めました。カナダ滝は馬蹄形をしており、
アメリカ滝は一直線。水量、長さともカナダ滝の方が大きく迫力があります。そして待望のナイアガラクルーズへ。
赤い薄手のビニール製ポンチョを渡されすっぽり被ります。
船着き場へ着いたのが出発間際だったので、先着組が既に沢山乗り込んでいる中、どうにか前の方が見える場所を探しました。
「虹!」の言葉に振り替えると水の中に入り込んだ部分は輪に。
虹って円形だったの?船が進み滝に近づくと風が強くなりしぶきも激しくカメラのレンズに水が付きそうなので、
写真を撮るのはあきらめて景色を楽しむ事に。
「暴風雨の中に突入した様」とネットに書いてありましたが、雨よりも風の強さに目が明けていられない位。
あちらこちらからキャーキャー言う声が聞こえ自分の口からもキャー…。童心に帰って大声を上げたので、心地よい興奮状態で船を下りました。


バスに戻り、ナイアガラ川が崖にぶつかって湾曲し渦を巻いているワールプールを見に行きました。
ワールプールの上をケーブルカーに乗って行くこともできるのだとか。色々滝を楽しむ趣向が凝らされています。
滝を見下ろせるレストランでランチした後は、アメリカ国境まで伸びているレインボーブリッジへ。
橋の前にはアメリカへ渡る人の為の免税店がありましたが、私達は利用できないとのこと。
橋自体は何の変哲もないコンクリートの橋で、人専用です。

その後は自由行動だったので、観覧車に乗りに行きました。観覧車の入場券を買おうとしたらお金が足りないとのこと。
表示されているのは税抜き価格、本当は税込み価格を払わなければならないと言うのです。
どうせなら税込み価格を書いてくれればよいのに…。観覧車は一周ではなく四周するとのこと。
上に上ったところでがたんと停まったのでどうしたのかと思ったらお客さんを乗せているようです。
お陰でゆっくりナイアガラの滝や周りの景色を楽しむ事が出来ました。

次はナイアガラで一番高いスカイロン・タワーで、高いところからナイアガラ見物です。観覧車からスカイロン・タワーまでは
芝生の広場?を通って行きましたが、林檎の木が何本かあり、熟したリンゴが辺りに散らばっています。
リスがいましたからリスの餌なのでしょうか。展望台まで上ると一番外側は金網張り。
内側の回廊のガラス窓にはこの方角には○○が見える…と書いてあったのですが、外側には何の説明もないので、ちょっと不親切ですよね。
ナイアガラの滝見物を堪能し、ホテルの近くの「カジノ」を目指してホテルまで歩いて戻りました。夕食は、ステーキ、
大きすぎて食べきれませんでした。

     
     
     


最終日、10時半の出発まで、雨が降りそうな中、ナイアガラの滝インクラインを見に。
ホテル街とナイアガラの滝を9時半出発と言うので、出発を見て…と思ったらなかなか出発しません。
日本の様に時間厳守ではないのですね。
空港までのバスに乗っている間に雨が降り始めました。観光中は一度も傘をささなくて良かった
(ナイアガラの滝のしぶき避けにはさしましたが)し、本当にラッキーで楽しいカナダツアーでした。
治安も良く、街もきれいでもう一度訪れたい場所です。