更新 2017年2月25日
新春早々、「多民族国家ネパールの生活と文化にふれる旅」という国立民族学博物館友の会主催の民族学研修ツアーに参加して、
ネパールに行ってきました。
ネパールは多民族・多言語国家であり、2008年に王政が崩壊した後も、いまだに125のカーストがあり、
多様な価値観をもつ人びとが暮らしています。山地から平地、都市から地方へと移動し、ネパールの今を体験するというのが旅の目的でした。
国立民族学博物館准教授の南真木人先生が講師として同行し、詳細な解説をしてくれ、その他、添乗員が2名、
現地ガイドが1~2名つくというという超豪華な研修旅行でした。
カトマンズ
1日目は成田から香港経由でカトマンズまで飛行機で移動しました。2日目から研修の開始です。終日、カトマンズ市内を散策しました。
2015年4月の①地震の影響が残る旧王宮、および近接するパタン・ダールバール広場に立ち寄ったのち、周辺のバザールへ行きました。
太鼓やビーズ、金銀製品を扱う店を訪問しました。
夕方から、宿泊しているホテルの会議室で、ネパールにおける民主化を求める②民族運動(マオイスト)と2008年までのネパールの
社会背景についてジャーナリストの小倉清子さんのレクチャーがありました。
ポカラへ
3日目の朝食後は、ネパールの文部関係の国会議員の方から、新しい憲法ができたこと、50以上の政党があること、
ネパールの民族博物館やネパールの言語・文化の多様性、さらには教育についてのレクチャーがありました。
その後、民族博物館を見学し、空路、ヒマラヤの景勝地ポカラへ移動しました。
ポカラ着後、フェワ湖のそばのイタリアンレストランでピザの昼食をとり、③バトーレチョール村に移動し、
楽師カーストのガンダルバの人々と交流しました。伝統的な弓奏楽器サーランギの演奏や歌、踊りを楽しみました。
4日目の早朝、④ポカラのホテルからアンナプルナが顔を出しました。その後、⑤儀式でのみ使う仮面を保存してある建物にいき、
仮面を見せてもらいました。さらに、ポカラの旧市街にあるヒンドゥ―教のバイラブ寺院を見学しました。
そして、その階下にある音楽学校を見学し、生徒さんによるサーランギの演奏を聞かせてもらいました。
さらに、アンナプルナを望む展望地⑥カスキコット(標高1788m)までミニトレッキングしました。
生憎、雲がかかっており、カスキコットからアンナプルナは見えませんでした。その後、再び、バトーレチョール村を訪れ、
母子保健の現場で活動する日本人女性に、⑦JICAの資金で造られた産科専門病院を案内してもらいました。
夕方にはホテルの会議室で、ネパールの安心・安全な出産のための母子保健改善事業(JICA草の根技術協力事業)の話を伺いました。
カワソティへ
5日目は朝5時半に出発で、専用バスでポカラから南部低地に位置するチトワンへ向かいました。ポカラからカトマンズまでは、
インドからの物資をカトマンズに運ぶ⑧ネパールの幹線道路ですが、舗装が不十分な、がたがた道でした。
途中、カワソティに寄り、プン・マガールの人と結婚して、農業を営んでいる日本人の藤井さんの農場を訪ね、
⑨村の人たちから踊りと歌、母親らによる軽食のもてなしを受けました。
チトワンで
6日目 ホテルから朝霧の中、ジープで亜熱帯に位置するチトワン国立公園に近接する森まで行き、インド象に乗って、
野生のサイやサル、鹿、ワニを追いかける⑩ジャングルサファリを体験しました。
その後、土塀づくりの家が特徴的なタルー人の村を牛車に乗って、視察しました。
再びカトマンズへ
6日目、チトワンを午後3時頃、出発し、再び来た悪路をバスでムグリンまで戻り、そこからさらに、
カトマンズまで105キロの道をバスに乗り移動しました。信号も、センターラインもない狭い埃だらけの幹線道路で、
至る所で渋滞が発生し、カトマンズに着いたのは、夜の10時過ぎでした。
最終日である7日目は、午前中、買い物に出かけ、土産を買い、その後、市街地にある蕎麦屋さんで、日本式の戸隠蕎麦を食べました。
午後、陶器つくりで有名なネワールの町⑪ティミに移動し、陶器づくりや仮面づくりの工房を訪問したあと、
⑫ヒンズー教の聖地パシュパティナートに行き、火葬の様子をみました。
ヒンズー教徒は、死んだら火葬され、灰をカティ川に流してもらい、ガンジス河に流れ着くことを望んでいるとのことです。
7日目の深夜にカトマンズの空港を出発し、香港経由で、東京・成田に到着したのは、翌日の午後3時半でした。
8日間の充実した研修旅行は終了しました。
ネパールを旅して
ここからは私見です。私は、2年前の地震で多くの学校を失った子どもたちの教育や、
貧しさから早期結婚をしているネパールの子ども(少女)たちの現状を知りたいと思っていました。
母親の世代ではまだ識字率が低く、55%くらいだそうです。小学校は10時から始まるので、
ポカラでは次々に学校まで子どもたちを乗せて走るスクールバスを見ました。子どもたちは学校から帰ってくると、
家の外で、駒回しをしたり、バトミントンをしたり、手作りのゲームをしていたりと、のんびり遊んでいました。
一部の裕福な家の子どもは携帯が与えられ、それで遊んだり、写真を写したりしていました。
高齢者を大事にする社会なので、大人たちは50歳くらいになると外で働かなくなり、家にいて、
家事をしたり子どもを見たりして過ごすそうです。高齢になっても施設にいれることはなく、家族が最後まで看るとのことです。
女たちも外に仕事に行かずに主に子どもの世話をしたり、家事や店番をしているようでした。男たちは中近東や日本に出稼ぎに行きます。
人間の健康にとってきれいな水と空気、バランスの良い食事が大切ですが、残念ながらネパールではそれらが不足しています。
長生きする人もいますが、短命の人が多いです。数々の衛生上の問題があります。例えば、きれいな清涼飲料水が不足している、
葉物の野菜が少ない、お菓子を売るお店が多い、下水を浄化するという考え方や施設がない、道路の舗装が不十分で町中泥埃だらけ、
カトマンズは地震の被害の復旧が進まず瓦礫が多数残っている、具合が悪くなっても病院に行かない、
子どもを出産したらその日のうちに家族が迎えに来て退院させてしまう、などです。
王政が廃止され、憲法が制定され、国会など議会を中心に、政治が行われるようになってきましたが、
依然として厳しいカースト制が残っています。おそらく、何か一つするにも、あるカーストしか、携わってはいけないのかもしれません。
たとえば、トイレのドアノブが壊れたり、故障しても、直す、修理するということをしません。
そのままです。政治を握っているのは何もしない上級カーストの人で、自分が落としたスプーンも拾いません。
国の発展に必要な技術者の社会的地位が低く、また下のカーストの人が店に来ると不浄なので、台所は一番上の階にあるとか、
結婚や葬式は同じカーストでないとだめだとか、カーストの縛りやヒンズー教の考え方が今でも強く残り、人々の行動を規制しています。
また女の子をクマリとして神にささげるとか、女性は生理中外に住まなくてはいけないので、寒さで亡くなる人もいるとか、
一番下のカーストの人は上級カーストが触れてはいけないので不可触民と呼ばれているとか、そういった風習があります。
ネパール語が共通語ですが、多民族国家で、使われている言語が50以上あるとか。
小さい頃はそれぞれの民族の言葉を使っていて、小学校に上がると急にネパール語が使われることで、
学習について行けない子どもたちが多いとのことです。多産で子どもが多いですが、人材養成システムがないので、
優秀な人材は高等教育を受けるために外国に行ってしまい、祖国に帰ってこないのが現状です。
美しい山があり、観光資源を生かした国づくりができるはずなのに、インフラの整備が遅れていて、鉄道がない、産業がない、
機械工業がなく、伝統的な手工業だけです。海がないため、大量の物資が入りにくいことも問題です。
このように、外国人には、不可思議で、わからないことがたくさんあります。
おそらく国の発展のためには、上位カーストの人の考えを変えることがまず必要なようです。
我が国は少子高齢化社会ですが、ネパールには子どもがたくさんいます。
日本に在住するネパール出身者は近年急速に増加しています。少子化の日本で、日本とネパールは草の根的にはよい関係なので、
今後、ネパール出身者にさまざまな仕事を頼ることが多くなるのかもしれません。こんなことも気になった旅行でした。
【写真】
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①地震の影響が残る旧王宮 | ②民族運動(マオイスト) | |
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③バトーレチョール村の人々 | ④ポカラのホテルから見たアンナプルナ | |
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⑤儀式でのみ使う仮面 | ⑥カスキコット(標高1788m)までの山道 | |
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⑦JICAの資金で造られた産科専門病院 | ⑧ネパールの幹線道路 | |
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⑨プンマガール村の人たちの踊りと歌 | ⑩インド象に乗ってサファリ | |
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⑪陶器の町ティミ | ⑫ヒンズー教の聖地パシュパティナート |
何故に香港?
昨年の台湾旅行の楽しかったのに味をしめて、今年の旅行の計画を立て始めたのは真夏の7月。
ニュージーランドは?カナダはどうかしら、イタリアに憧れ、ユングフラウは外せないと世界一周してもなかなか決まらない。
そして最後に挙がったのが香港・マカオです。その理由は近いのにまだ誰も行ったことがないところだったからです。
メンバーは1年4組の仲間で、4人目の孫が生まれたばかりの幸せグランマ荒ちゃん、
朗読ボランティアで保育園からシルバー園まで引っ張りだこのカトちゃん、まだ仕事を続けているコッちゃん、
そしてお稽古事でフル回転の私スーです。日程は20期同期会が終わってからの12月でした。
香港・マカオといえば
どちらも中国に属している「特別行政区」であり、中国南部に位置する大小の島々で構成されている都市です。
パスポートは中国とは別扱いで、香港とマカオ間でも入国審査があります。
歴史から見ると、第2次アヘン戦争後、イギリス政府が99年にわたって香港地区を租借していました。
一方マカオ地区はポルトガルが1850年に植民地としましたが、紆余曲折を経て香港は1997年に、
マカオはその2年後の1999年に中国に返還されました。香港は東京23区の約半分の広さ、マカオは世田谷区の約半分だそうです。
さて、羽田を飛び立ったJAL113便は富士山を眼下に眺め、九州、沖縄、台湾を超えいよいよ香港上空に入りました。
それまで通過してきた国土は常のとおり中央の山脈は高く海岸に向かって低地になるという地図帳のとおりのものでしたが、
香港にはびっくりです。海からすぐに山が盛り上がっており、それでもその狭い海岸線の平地がすべて細く高く
カクカクとしたまるで水晶の結晶の様であり、割り箸を束ねたよう建築物で埋められているのです。
ビルやマンションが天に向かい背伸びをして、ひしめいているのです。よほど地震がない土地柄なのでしょう。
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香港空港から香港市内へ | 細く高く水晶の結晶のような形のマンション群 |
泊まったのは九竜地区という中国本土側のホテルです。ここは観光地ですので有名ホテルが集中しているのは勿論、
日本でいう「銀座通り」に当たる華麗な町です。EUのファッションブランドショップが道の両側に何店舗もここかしこに
隣合わせで店を開いています。日本であればモデル風のドアマンは暇そうに立っているだけですが、
こちらではドアの前に若いペアが入店の順番をまって列をなしているのです。
中国本土から若者が高額商品を爆買するために通ってくるのでしょうか。年寄りなどは余り見かけません。
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香港の繁華街をぶらぶら | 12月なので、冬らしく雪だるまさんが?? |
香港の街で一番驚いたのは、ビル工事現場の足場です。その足場は「竹竿」で組まれているのです。
竹竿を紐で組んでいるのです。竹槍のように斜めに切られた断面を見ると確かに日本の竹よりは肉厚ですが、
それが連結され空高く組まれています。数本の下から斜めに使った支えも竹竿です。
そこを工事関係者がひょこひょこと歩いています。大通りのファッションビルも湾岸のオペラハウスも30階以上
ありそうなマンションもです。ガイドさんに尋ねると、中国本土には竹竿が沢山あるし、金属パイプより
断然安価で丈夫で長持ち、という理由だそうです。連結する結び方に秘密があるのでしょうか。今でも不思議な光景です。
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竹竿でできた足場 | MRTの駅の乗り換え通路を歩く |
乗り物体験と映画の「慕情」
今回は色々な乗り物を体験しました。観覧車以外です。
〇MTR・・・市街地の移動にはこれです。地下鉄・エアポートエクスプレス・郊外列車のことです。
これにはプリペイドカードのオクトパスカードを購入して利用しましたが、その時だれもパスポートを所持しておらず、
シルバー割引適用を逃しました。年寄りですと説明しても認めてもらえませんでしたが、誰も憤慨はしませんでした。
〇トラム・・・路面電車。後ろ乗り前降りで、乗るときにオクトパスをピットやるだけで、降りる時はしません。
2階建てなので勿論2階に乗り込みましたが、大変混んでいます。通路がやっと一人通れる幅しかなく、
降りそうな人に続いて前に移動しました。停留所の名前もよくわからないので、急に降りることなど難しいです。
〇オープントップバス・・・2階建てバスで屋根のないもの。浅草あたりにも走っていますね。
これの2階最前部に乗り込み、ギラギラネオン街を走りました。
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トラムの2階の前窓から | オープントップバスで夜の香港を一周 |
〇ヒルサイドエスカレーター・・・英国人が湿気を嫌い山の中腹に住まいを構えたため作られたという無料のエスカレーター。
トップまでは30分程の長さで乗り換えを何度も繰り返しました。両側には小さくて古くてもお洒落な店が続きます。
「ここで降りようか」という提案を、「最後まで行こうよ」と拒絶。だってトップにはきっと開けた山頂があるのよ。
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ヒルサイドエスカレーターは坂の街香港の市民の足 | ヒルサイドエスカレーターの終点 |
映画「慕情」Love is a Many Splendored Thingは女医のハン・スーイン(ジェニファー・ジョーンズ)と
アメリカの従軍記者マーク・エリオット(ウィリアム・ホールデン)との悲恋物語で、朝鮮戦争で帰らぬ人となった彼を偲んで
ビクトリアパークに佇むスーインの姿が印象的だったものです。それがその場所かは判明しませんが、
私はそれを期待していたのです。しかし実際にエスカレーターの終点地点は、緑の芝生も開けた空もない、
ただの道路とバス停がポツンとある場所でした。洒落た喫茶店すらない。この時間帯のエスカレーターは上り専用です。
落胆した私を含め、この道を一段一段降りる元気は4人には残っていませんでしたので、タクシーのお世話になりました。
〇タクシー・・・今回は1度だけ利用。4人乗り5人乗りがあります。初乗り22hk$(×17円)日本語は勿論英語も通じません。
目的地近くでポイっとおろされてうろうろしました。ポリスに目的の店の住所を示してもスマホで調べるなんで悠長です。
言葉は大切ですね。
〇スターフェリー・・・九龍から香港島への往来。対岸が見える距離ですが船は面白いです。
海の下を通る道路も何本かあるようですが渋滞するようです。オクトパスです。
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九龍から香港島への往復 | 高速フェリー・・・香港~マカオの往復 |
〇高速フェリー・・・香港~マカオの往復。出国と入国の審査が必要なので、当然切符も席も予約が必要。
マカオからの帰りの際、カジノでの集合時間がギリギリであったため、港での出国審査の長い行列にはドキドキしました。
あと5分あと3分、中国人親子(たぶん)の行列横入りにイライラしたり、最後はコッちゃんのダッシュで乗船ができました。
行きと違って船も大きく揺れて久しぶりに船酔いを経験。
〇ピークトラム・・・香港といえば夜景。ニョキニョキ林立するビルは確かに美しい夜景を作りだしています。
それぞれ工夫を凝らしクリスマスイルミネーションが綺麗です。漢字文字が数か所ある他はイラストや動画が楽しいです。
動かない「PANASONIC」がちょっと無粋に見えました。この夜景が見える山頂を目指す乗り物がこの登山電車です。
勾配がかなり急ですので、車窓から見えるビルの窓が45度くらい傾いています。
ううん、頭の中が整理できずトリックハウスにいるようなおかしな気分です。頂上で暖かな夜風に吹かれながら
100万ドルの夜景を堪能しました。
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ピークトラムは押すな押すなの大盛況 | 香港島のビクトリアパーク頂上からの香港の夜景 |
〇足・・・兎も角毎日よく歩きました。15000歩から20000歩以上は確実です。アジア圏内の他と違って単車が走っていないこと、
車優先でも横断歩道が少なく地下道が充実していること、交差点で信号が変わるたびに音が変わって分かりやすいことなどで
事故は少ないようです。
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香港公園の中を歩く、そこは春 | 九龍側より対岸の香港島の夜景を見る |
アドバイスは「飲茶」
同期のKさんのアドバイスは、「ともかく飲茶」。主菜とスープ以外の料理を点心というようですが、
小籠包、ワンタン、シュウマイ、餃子等やお菓子等の点心をお茶を飲みながら頂くことを飲茶と言うようです。
確かに小さな蒸籠に温められた料理が沢山出てきます。女性には「ちょっとづつ」がうれしいです。
私はホルモン系の香辛料味が美味しかったです。
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朝粥を食べに街をうろうろ | 朝粥にエッグタルトをつけた朝食 | |
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飲茶のいろいろ | 夕食は北京ダックに舌鼓、でも満腹で、、、 |
朝ご飯は具沢山のお粥、ワンタンメン、青菜炒め等とエッグタルトとレモンティーでした。マンゴープリンも食べましたが、
ゴージャスホテルでの英国風アフタヌーンティーは逃しました。出発前から荒ちゃんが友人に聞き取り調査をしてくれていて、
美味しい店のチョイスをしていたので、ハズレの店はありませんでした。今回は九龍地区と香港地区以外は行けませんでしたので、
地元特有のB級グルメは体験できずでしたが。香港の人は一日5食が普通とか。いつもヘルシー食でした
ので、帰国後の体重計は怖くありませんでした。
マカオへ 話題のカジノ
マカオに着いて、まず歴史的文化地区にある世界遺産の教会などを、ツアーコンダクターの案内で見ました。
その後、マカオといえばカジノです。カジノに行きました。現在、日本ではカジノ法案が検討されているようですが。
マカオの街には金ぴかのホテルやらいかにも歓楽街といったイメージの建物が並んでいます。
マカオにはツアーで来ましたので、私たちも豪華ホテルでポルトガル料理をいただいた後に、ホテル内のカジノに行きました。
ツアーガイドさんからは、カジノにのめりこむと、帰り切符は不要になるかヘリコプターチャーターになる!と言われ
ドキドキしましたが、50分程の時間ではとてもその醍醐味を味わえないであろうと自らを納得させ、カジノ内のショー見物に回りました。
館内ですれ違った両側をボンキュのお姉さんやシルクハットのドン小西風のおっちゃんが賑やかなダンスを披露してくれるのを楽しみに、
4人は噴水舞台の前に陣取って、今か今かと待ちかまえます。
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聖ポール天主堂跡の前で | 聖ドミニコ教会の中は博物館になっています | |
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聖ドミニコ教会 | 民政総署 | |
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マカオタワーからの市内の眺め | ホテルで昼食をいただく |
始まりました。天井からのキラキラシャンデリアが青赤と色を変え、噴水が上がります。
あの噴水の真ん中に羽をお尻につけたダンサーが登場、とワクワクしていましたが、出てきたのは大きなダイヤモンドのハリボテだけ。
口あんぐりの我々は、お金を落とさない人は客扱いされていない!と痛感しました。
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カジノに潜入 | 入り口で写真をパチリ |
スロットやカードなどカジノ本来の賭場には人影が少なく、歓声も聞こえませんでした。
コッちゃんがせめてお土産にとスロットの前でカメラを構えていたら、おじさんに怒られました。
日本には競馬もパチンコも宝くじというギャンブルも既にあり、細々と運天頼りの人に夢を抱かせています。
それを超えて世界にはそんなに気前のよいリッチマンがいるの?日本のカジノ構想を思いました。
香港土産
旅行の目的はそれぞれです。私は香道のお香を求めるのを楽しみにしていました。香港の名の由来は、香木を積み出した港だそうで、
町全体が香っているイメージです。果たして、滞在したホテルの近くに「沈香」の看板を見つけた時はうれしかったです。
しかし、実際に店で見せてもらった香木は「沈まない香木」で、それもベトナム産やスマトラ産ではなく、シンガポール産でした。
前以てJTBにも情報をもらっていた店では、確かにしかし微かに伽羅の香りがしたのですが、1 gで 2000HK$もします。
近年中国人が香木を買い占めているという噂があり、それを実感して購入を諦めました。
荒ちゃんは少し前に香港土産の定番だった汕頭やビーズのカーディガンをお土産に頼まれていました。
やっと並んでいる店を一軒見つけましたが、流行は通り過ぎていたようです。
カトちゃんは本屋さんでカラーの綺麗な幼児書を見つけ楽しい時間を過ごしたようです。コッちゃんは素敵なブラウスを手にいれました。
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祝い袋などの専門店の前で | 郵便局で切手を買う |
香港の最高のおもてなしは暖かいこと。収穫は肩凝りがきえたこと。日中は半そででも十分です。
今年の3泊4日の香港・マカオ旅行はこれで終わりです。
次は、どこに行こうかしら?