リレー投稿 その17     

更新 2016年1月3日

花文先生のこと 藤本 均 2016年1月2日

 2015年11月26日付けの土肥(旧姓鈴木)暁美さんの文章を拝見して、以下のようなことを思い出しました。

 私は花崎先生担任のクラスだったことはなかったし、物理は小田切先生だったので、直接花文先生に教わるという機会は
ありませんでした。そんな私ですが、何かご縁があるようで、卒業してから、思いがけず先生に出会ったことが2回あります。

 最初は1996年1月27日、演劇部のオールOB・OG会の席上でした。高校卒業から30年近く経っています。
花崎先生がクラブの顧問をされていたということで、お招きしたようです。20期でこの時の会合に出ていたのは私だけだったと思うので、
画像を添付します。花崎先生が演劇部の顧問だった時期があるということも、その時初めて知りました。
私の頃は堀切実先生が顧問だったと記憶しています。
 花崎先生は大人気で諸先輩が周りを囲み、私はやっとご挨拶できたくらいでした。この時を最後に先生方をお迎えすることもなく、
各期をまたぐオールOB・OG会も残念なことに、今では途切れています。

 2回目は多磨墓地で出会いました(と書きましたがOB会と、どちらが先か記憶が不確かです)。
何と当家の墓所から2ブロックほど離れたところに、花崎家のお墓があるんですね(墓碑を見ると花崎の崎の右上は
「大」ではなくて「立」のようです)。計ったわけではありませんが、私が入るべき当家の墓所の2~3倍はありそうな立派なお墓です。
先生が亡くなったのを知ってからは、墓参の際寄り道して、できるだけ手を合わせるようにしています。
天気が悪い時など遙拝することもあるけれど。
 私も、そう遠からずあの世に行く日が来ると思う。その時こそ、お墓が隣組のご縁で「何が彼女をそうさせたか」を、
たっぷりご講義いただけるものと信じております。

文ちゃんと私 土肥(旧姓鈴木)暁美 2015年11月26日

1年4組リレーということで、花文の思い出を少し書きます。
どれも曖昧な思い出で恐縮ですが、そんなことあったかしら・・・程度にお読みください。

「何が彼女をそうさせたか」
このフレーズはご存じのとおり、物理の授業中に文ちゃんが度々発する言葉だが、私にとっては授業内容を理解できる
説得力のあるフレーズだった。物事には理由がある。そしてそれに影響される結論がある。「物のことわり」つまりそれが「物理」とな。
物理が嫌いだという人も多かったなかで、私には楽しい時間だった。
私は子育てが終わってから加速器系の研究室に15年程勤めたが、それも「物理」という世界に抵抗が無かったからかも知れない。
今から数年前、R研究所に勤務している時、私の部屋に若い研究者がよく油を売りに来た。
何かの雑談の最中に「何が彼女をそうさせたか!よね。」と私がつぶやいた一言にその研究員は「えっ?」っと反応を示した。
暫くして「花文でしょ!」。彼は武蔵高校出身だが、なんと文ちゃんは武蔵でも教壇に立っていたのである。
彼の専攻は物理ではなく生物細胞学であるが、彼の記憶の中にもしっかりとそのフレーズは残っていた。
20歳以上の年の差等なんのその、あれやこれやで盛り上がったのは言うまでも無い。

「文ちゃんがいなくなる」
修学旅行の帰路の夜行列車の中でそのニュースを聞いた。どうも学校群制度に反対して都と対立して小山高専に飛ばされた!とか。
列車の中で私は大泣きをした。今考えても良く分からないが兎も角これからは文ちゃんの授業は受けられない。
それが悲しかったのだろうか。
後日談であるが、文ちゃんは生徒の家庭環境にかなり踏み込んだ生活指導をしていたらしい。
クラスを超えて、生徒が困っている、悩んでいると知ると直接話をしに家庭訪問をしたという。
その頃、私の家はとても慎ましく、行動範囲も狭いものであったので、花文のようなびっくりぽんな大人に接したことが無く、
ぶっとんだ人柄に大きな衝撃を受けた。しかしそれにしてもあの大泣きは何だったのだろう。

「謎の粉」
田無のT研究所に勤務していた時の昼時に、文ちゃんは良く私をひばりヶ丘の駅に呼び出した。
時にシルクのスカーフを数枚持参して何枚かを私に押し売りした。小さなプリントミスがある所謂欠陥品であるが、
それをどういったルートで手に入れたか、人助けなのかもしれない。
タレントと一緒にやっている毛皮の端切れで帽子を作って販売する事も、海外援助というボランティアだという。
ある時、だしパックの様なものを見せて、「これはある種の菌で、水に浮かべておくと体に良い飲料水ができる。
毎日飲むと良い」といって数パック渡してくれた。同期の誰かがその分析をやっているという。その後少しの期間、
そのパックは我が家のポットに浮いていた。
数年の後、文ちゃんが病に倒れ新宿の病院に入院した。危篤状態のベッドの中で文ちゃんは「おかしいなぁ、おかしいなぁ」とうわ言を
繰り返していた。それが記憶にある文ちゃんの最後の声。後になって幸子夫人が「実はあの菌の水を自分は飲んでなかったのよ」と言っておられた。
文ちゃん、ちゃんと飲んでいればよかったね。

「チンコウ・・・」
正しくはジンコウ(沈香)。「沈香も焚かず屁もひらず」。脈絡は分からないが文ちゃんがこの言葉を発し、ドキッとして記憶に留まっていた。
後日伺った桜台のお宅にも仏舎利塔や曼荼羅絵図等と一緒に古びた木切れがあったが、あれが沈香であった。
沈丁花科の樹木が風雨でダメージを受け、被膜の樹脂が長い年月を経て香木となる。水に浮かばず沈むから沈香。
さて最近私は聞香の世界に片足を踏み込んでいる。眞那賀、佐曾羅、寸門多羅、羅国、眞那蛮、伽羅の六国五味を聞きわける香道は、
茶道からの寄り道である。常日頃は概して匂いという物を意識せず、時には吸い込まないように鼻腔を閉じて生活したりしているが、
樹木という天然自然の産物を温め発する香りを胸深く吸い込む。束の間に消え失せる香りを訪ね迷い遊ぶその世界。
一つ聞く度に香木を取り巻く情景を想像する、その幽玄さ。それが最大の魅力である。
齢60歳を過ぎて「沈香も焚かず屁もひらず」な人にしかなれなかったが、今も文ちゃんの世界でうろうろしている日々である。

近況報告 夜久有滋 2015年11月1日

大変ご無沙汰いたしております。同期会や同窓会に参加せず、5年位がたったでしょうか?
お陰様で、元気に人生を過ごしております。
今回は、ひょっとしたことで、土肥暁美さまからリレー投稿の「バトン」を渡されてしまいました。軽い気持ちで受けたのですが、
結構忙しくて時間が取れず、また土肥さんからの「早くお願いね!」の指示もあり、「近況報告」的な内容でお許し下さい。

 私達は今年で66歳ですので、当然、皆「定年」&「年金」生活ですよね。でも、昔から「年金」だけでは生活は出来ず、
子供たちの支援があってこそ「ご隠居さん」が出来たわけです。そこに、「こずかい」稼ぎに何らかの手段を用いて、お金を稼いで
「老後」を過ごしてきたのが、今までの日本の老人だったのそうです。しかし、今はそのような事が困難になってきたようです。
皆様方はどうでしょうか? 私の「年金」は公的年金と私的年金です。私的年金(日本医師会の医師年金)は、本当はもっと高額な
約束でしたが、減額されてしまいました。80歳まで生きていないと元が取れません。これは「詐欺」ですね。「銀行貯金」していた
ほうが正解でした!これで夫婦2人で生活しろと言われましても・・・です。しかし、一応、定年無しの現役の開業医で仕事をさせて
もらっていますので、何とかなっておりますが・・・。「団塊の世代」最後の我々にも今後、厳しい状況が出てくるかもしれませんね。
さて、私の「近況報告」をさせていただきます。

 平成2年に栃木県宇都宮の「栃木がんセンター・頭頸部癌科」を辞し、千葉県野田市で耳鼻咽喉科医院を開業しまして、
今年で26年目になりました。耳鼻科医になって41年が過ぎました。お陰様で地域の方々にも認知されて、忙しく毎日を
過ごしています。柏市から通っていますので、朝6:30起床⇒朝食、7:40自宅発⇒8:30医院着、
AM9:00~PM7:00診療(昼休み2時間)、帰宅PM8:00~8:30、夕食、風呂、寝るです。
昼食は50歳過ぎから止めまして、一日二食です。その頃は体重が78kg(身長180cm)までになりまして、成人病状態に
なってしまいました。何とかしなければと思いましても、運動する時間も体力もありません。
そこで、エネルギーのoutが出来ないならinを減らすしかないと考えて昼飯抜きを始めた訳です。
徐々に体重は減りましたが、70kg止まりで、そこそこの健康状態でしたが、製薬会社の接待や外食が多く、
ややムーミン状態のままでした。
 東日本大震災が起こりました。同時に福一原発事故も起きました。食品の放射能汚染が問題になりました。太平洋の放射能汚染も
ドイツのキール研究所の汚染予測を見ると、これはもうダメだなと思いました。終生の趣味と考えていた「海釣り」も諦めざるを
得ませんでしたが、福一事故後も控えめには釣行はしていました。もちろん千葉以北は避けて、三浦半島あたりでポツポツです。
しかし、事故後2年あたりで、釣った魚を食べる気がしなくなり、思い切って止めました。釣り道具一切を雀の涙ほどの金額で
すっかり売り払い、私がかって一生懸命釣りをしていた痕跡は、全く無くなってしまいました。さて、そうなると、身体を動かすことが
無くなり、困ったなと思っていましたが、ちょうど其のころに、厚労省の規制で、製薬会社の「医者の接待の禁止」が始まりました。
接待外食で放射能汚染食品を出されて、「食べて応援」は嫌だなと思っていた矢先でしたので、これは幸いでした。
皆様もご存じのとおり、私の住んでいる「千葉県柏地区」は放射能汚染地区ですが、仕事やその他の諸事情で居住せざるを得ません。
今、私の目の前の2台の「ガイガーカウンター」は共に「0.11μシーベルト」を表示しています。これは、かっての規制値、
年間「1mシーベルト」ギリギリの値です。0.11μ×24h×365日=963.6μシーベルトです。内部被曝を避けなくては
なりません。海釣りを止めたのもその為です。外食はなるべく控え、食材に気を付けています。
 
 平成25年11月月末です。柏駅近くで、ふと上を見上げたところ、あるビルの4階に「社交ダンス」の真紅の看板が目に留まりま
した。社交ダンスの事は、全く何も知らず、昔「Shall we dance?」の映画を観た記憶があるだけで、でも、吸い込まれるように
「こんにちは!全くの初心者ですが、見学と案内をお願いします」とドアを開けてしまいました。その時は、グループレッスンの
女性が5名練習をしていましたが、バチンと「痛い視線」が飛んできたのを覚えています。その後、社交ダンスの世界を検索しました
ところ、♂は貴重品であることが判明しました。その場で、練習シューズや練習ズボンの購入店「Chacott」を教えてもらい、帰りに
注文して、12月から入門しました。「Chacott」は主にバレー用品のお店で、オイボレが行くような所ではないのですが、
若い女性店員さんから「レッスン頑張って下さいね!」と、励まされて、こんな世界もあるのだなと感激し、まだまだ知らない社会が
あるのだなと、思い知らされました。どんな事になるのだろうと、ドキドキ、ワクワクでした。体力的にだいじょうぶかな?でした。
 12月からレッスン開始!始めは、土曜日1時間でしたが、今は木、土曜日、週二日で頑張っています。そこで、みるみる体重が
落ち始めました。一時70kgから64kgまで減りましたが、筋肉が付いてきたのか、いまは66kgです。一時間のレッスンで
スポーツタオル、インナーの半袖シャツ、長袖のワイシャツが汗でグッショリです。冬でもです。冬は暖房を止めてもらっています。
「社交ダンス」は本格的にやってみると「格闘技」と同じです。詳しくは、土肥暁美さまに聞いてみて下さい。
私の「格闘技」の認識に、同意していただけたようですので・・・。土肥暁美さまも復帰されているようです。
しかし、こんなに難しい運動とは思いませんでした。他にもダンスをやっていらっしゃる方はおいでになると思いますので、
そのうち話を咲かせましょう!来年の2月にダンス・パーティがあり、出演する羽目になりました。
今は、「ワルツ」と「ルンバ」の特訓中です。写真がありませんが、お許し下さい。

海外ロングステイ考 服部芳雄 2015年8月31日

50代の頃、「定年後、年金だけで生活できるのだろうか」となんとなく不安を感じていました。
ちょうどその頃、「少ない年金でも優雅に生活できる海外ロングステイ」と紹介するテレビ番組がありました。優雅に生活している
いい面ばかりを紹介したものでした。
これはいいかもしれない。ちょっと憧れました。
そこで海外ロングステイについて現地調査してみました。まず結論から申し上げますと、
「やっぱり日本のほうがいい」、「年金+αで、日本で普通の生活はできる」で、ロングステイには至りませんでした。
皆さんの参考になるかは解りませんが、そのことを書いてみようと思います。

1.ロングステイを始めるのは意外と簡単
番組ではロングステイ生活の様子は紹介するものの、ロングステイを始めるためのノウハウは紹介していませんでしたが、
行ってみたら簡単に始められることが解りました。

私が選んだのはタイ=チェンマイです。選んだ理由に特別なものはありません。
 ・日本人ロングステイヤーが多く住みやすそう
 ・東南アジアで物価安く年金だけでも生活できそう
  
事前にはよく解らず不安だったのは、「住」「食」「医」の3つです。
この3つを中心にお話しします。

(1)住
 外国人向けの長期滞在用住宅が多く用意されていました。

 ・サービスアパートメント
  ハウスキーピング(定期的な掃除やシーツ、バスタオルの交換)付きの賃貸住宅。
  ホテルと変わらず利用できます。長期滞在向けでホテルより安い家賃設定になっている。
  電気料金、水道料金は従量制で別途支払が普通。
  自分の滞在タイプで月単位、週単位、日単位での契約を選べる

 ・コンドー(コンドミニアム)
  家具付きのアパート。シーツ等の備品は準備が必要。掃除も別途依頼が必要。
  ここも電気料金、水道料金は別途従量制。
  短期では借りにくいようです。契約は年単位が多いようです。
  逆にサービスアパートメントよりは家賃は安いので長期滞在向きではあります。

 ・戸建て住宅
  日本人の利用者も多いようですが、よく知らないので省略します。

 等があります。

 タイで物件を決めるには、
 直接行って下見をし、気に入れば契約するというのが普通です。
 やってみると以外と簡単でした。日本語情報誌には広告がありますし、外国人用住宅であれば看板が出ています。すぐにわかります。
 日本語情報誌に広告を載せている物件なら、日本語の解るスタッフもいますので、下見も契約も日本語で可能です。
長期滞在している人に聞いたところ、何度か引越し気に入ったところ落ち着くようです。

(2)食
 タイ料理が好きなら、おいしいものがとても安く食べられます。
私はタイ料理が好きです。でも長期滞在するとなるとやはり和食も食べたくなります。
私は滞在期間が1ヶ月までの経験しかありません。それならタイ料理だけでもどうにかなります。ほとんど日本食レストランは
利用していません。でもチェンマイの日本食事情も調べてみました。
日本料理はタイでも大変人気でたくさんのレストランがあります。
多少のタイ人向けアレンジに目をつぶれば不自由はありません。
ココ壱、吉野家、やよい軒、8番ラーメン等の日本資本の店もありますし、タイ資本でもFuji、禅を始めたくさんあります。
 また、自炊で和食をつくることも意外と簡単です。
 金曜朝市(イスラーム市場)に行けば、ダイコン、ゴボウ等の野菜や、納豆、豆腐、こんにゃく等の食材もたやすく手に入います。
スーパーでも醤油その他日本食材は豊富に販売しています。
ある日本人がFujiレストランから食材だけを手に入れているのを見たこともありました。こんなことも可能です。何でもありなのか
タイのいいところです。

金曜朝市で野菜を売っている店(ダイコンを売っている) 金曜朝市でこんにゃくを売っている店
(ボウルに入っているのがこんにゃく)

(3)医
 高齢になれば気にしなければならないポイントとして医療環境があります。
 質と費用の2つの面から調べました。

 1)医療の質
  日本人が利用しているのは主に私立病院です。診療費は高額になりますが、日本語通訳サービスもあり言葉の心配も少ない。
海外旅行保険での処理などもスムーズにしてくれます。そういう病院が複数あります。有名なところではラム病院、ラジャべー病院等があります。
医療の質としても、日本さほどの遜色はないと聞いています。幸いにも利用には至らなかったので本当のところはよく解りません。
  
   2)費用(保険)
  3ヶ月以内の滞在なら、海外旅行保険やクレジットカードの付帯保険でやれます。
  問題は3ヶ月以上の滞在をする場合です。
  この対応は長期滞在者の間で2つに分かれるようです。

  A)国民健康保険
    日本に住民票を残しておき、住民税を支払い国民健康保険に入る。
    現地で医療を受けたら自己負担でまず支払、2年以内に領収書を添えて役所に申告し、7割の還付を受ける。

  B)自己負担
    医療費総額は【住民税+国民健康保険料】より安い。と割り切って、全額自己負担する。

 以上、「住」「食」「医」の不安が解消しましたので、ロングステイを始めるのは簡単だと思っております。

2.チェンマイ長期滞在者の3タイプ
チェンマイに長期滞在している日本人を観察していると、3つのタイプが有ることが見えてきました。ちょっと触れておきます。

 A)定住者(移住)
  タイ人と結婚して、家庭を持ち永住を決めている人。

 B)ロングステイ
  5年~10年程度の長期間にわたり居住する人。
  生活の拠点はタイ、たまには帰国もする。でも、最終的には日本に帰っていく。
  帰るきっかけの多くは医療や介護の不安が現実になった時のようです。
 
 C)シーズンステイ
  拠点は日本に置き、気に入った時期に1、2ヶ月程度海外生活を楽しむ人。
  長期滞在までは考えないが海外生活も楽しみたい人。
  私もこれを選択しています。1ヶ月ぐらいの海外生活は楽しいので、毎年11月から12月にかけてシーズンステイをしています。

3.なぜロングステイに踏み切らなかったか
(1)年金+α(少)で十分生活できる
現役時代に比べて生活がスリムになり、あまりお金がかからなくなりました。
いざ年金生活を始めて見ると、年金+α(少)で十分生活できます。
経済的理由での海外ロングステイは必要ないことが解りました。
(2)やはり日本がいい
一番には「食」です。やはり和食がいい。日本で食べるものが一番おいしい。
後は、外国に出ると日本のいいところがどんどん見えてきます。そうするとやっぱり日本がいいとなってきました。

4.私のシーズンステイ
毎年11月から12月にかけての1ヶ月間(ノービザで滞在できる最大期間)チェンマイに出かけています。1ヶ月ならタイ料理にも
そろそろ飽き和食が恋しくなったころ帰ることになります。
この程度なら海外生活を堪能できるちょうどよい旅行になります。
また、この期間を選ぶのは、
A) 乾期前半で涼しく、空気がきれいですごしやすい。
 (乾期後半は酷暑でスモッグがひどい)
B) 有名なお祭りロイカトーン(ロイクラトーン)が楽しめることにあります。

5.ロイカトーン(ロイクラトーン)
最後にロイカトーンの様子を撮った画像がありましたので、紹介して終わりにします。
ロイカトーンは11月の満月の日に水の精霊に祈りをささげるお祭りです。川に灯籠を流し水の精霊に願い事をするのが
本来の行事です。山車のパレードや美人コンテスト、コームロイ(熱気球)コンテスト、子供のど自慢大会等のイベントが開かれます。
祭りが近づくとお寺や商店の入り口にバナナの葉っぱで作った飾りが作られます。だんだん華やかになっていく様子を見ているのが楽しい。
そして祭りで盛り上がり、それが終わりいつもの日常にもどる。そこまでを見て日本に帰ってくるというのが毎年のパターンです。

祭飾りをしたお寺の門  ホテルの祭飾り

(1) オープニングセレモニー
県知事や市長の地域のお歴々が祭りの開始を宣言して、電飾のスイッチをいれる式典が行われます。

セレモニー 点灯された電飾

(2) コームロイコンテスト
コームロイは大型の熱気球です。高さ数メートルです。形は単純な球形からキャラクターを形取った凝ったものまで様々です。
そのコンテストの様子です。

一般的な形のもの キャラクター形の凝ったもの

(3)ボートレース
伝統的なボートを使ったボートレースがピン川で行われます。

ボートレース ボートレース2

(4)パレード
メーンイベントは最終日に至るまでの数日間に行われる山車のパレードです。
圧巻は最終日のパレードで、夕方にスタートするのですが、終わりがいつになるのか知りません。次々と山車が続きます。
くたびれて途中で帰ってしまうので最後尾を見たことがありません。電飾できらびやかに飾られた山車に伝統衣装をまとった
美男美女が乗っています。山車の前には、灯籠を持った女性の列や伝統舞踊を踊る男女、伝統音楽を奏でる楽団が先導しています。
日本みたいな規制はなく観光客が列に入って画像を撮るのも自由です。タイ人は画像大好きで、すぐにポーズを取ってくれます。
このように規制が緩いところがタイのいいところです。

旧市内のお寺での山車の準備風景 山車その1
山車その2 山車を先導する伝統舞踊
山車を先導する女性の列

(5)コームファイ揚げと家々の様子
祭の間の夜になるとコームファイと呼ばれる熱気球がそこここで揚げられます。紙風船に固形燃料を付けたものです。
夜空に多数の光の点(固形燃料の光)が連なり、微風に乗って一定方向に流れる様は幻想的です。
最終日の夜には各家庭や商店でも家の周りをろうそくで飾ります。

外人観光客が揚げるコームファイ 地元の人が揚げるコームファイ
アパートから見た夜空にあがるコームファイ 商店の周りのろうそく飾り
住宅の路地のろうそく飾り

そして祭が終わり、町に落ち着きが戻った頃、私は日本に帰ります。

6.最後に

今年2015年は11月の満月が26日です。今年のロイカトーン月の後半です。
そろそろ今年の計画を立てる時期になってきました。
アパートの予約、航空券の手配をどうしようかを考えることにします。

以上

  


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