更新 2008年12月30日
20期生の皆様、2008年もあと残すところ2日となりましたが、如何お過ごしですか。
もう殆んどの方は休みに入っておられるのでしょうね。 毎年私にとっては、クリシミマスのクリスマス。 今年もどうやら無事乗り切ることができてホッとしています。 え、クリスマスは楽しくないの? それについては前に書いたように記憶しているので、今回は省きますね。
さてここ夏のパース(地図表示)の街もクリスマス狂騒曲が終わり、本来の落ち着きを取り戻している? いえいえとんでもございません。 例年なら祝日でどこもオープンしていないデパートや店が26日のボクシングデーも今年はどこもかしこもクリスマス後の大バーゲン大商戦大合戦を繰り広げていて、クリスマス前よりもひどい喧騒と人混み。 今年の金融、経済危機の影響での消費の落ち込みを懸念してなのでしょうね。 どこも例年にない熱の入れようで、客足が落ちないような努力や工夫をしているのが感じられます。 そして<安ければ買いたい>という消費者心理はどこの国でも同じ。 私もクリスマス後の疲労しきった体に鞭打ってパースで一番大きいデパートに足を運んでみたものの、その混雑ぶりにびっくり。 えっ、パースにこんなに人がいたの! と感心するやら、ため息がでるやらで、どっと疲れもでて(これは歳のせい?)すっかり購買意欲を失くし、あまり経済効果を上げることには貢献できずに帰宅したのでありました。
思えば物凄い一年でしたね。 アメリカのサブプライムローンに端を発した百年に一度といわれるこの金融危機。 あれよ、あれよという間に株価の暴落、続落、それに7月までは1オーストラリアドルが100円ちょっとだったのに、これもあれよ、あれよという間に今では1オーストラリアドルが60円。 40%も下がったなんて、日本行きを中止したオーストラリア人の観光客が多いのも納得ですよね。 この金融危機でオーストラリア経済はアメリカやヨーロッパほどの影響は受けていないといわれているけど、私の住む西オーストラリア州は中国への鉄鉱石の輸出量が、本来増加する筈なのが横ばい状態。 中国の需要が落ち込むと真っ先に影響を受けるのが悲しいかなこの西オーストラリア州。 今年の中頃までは、あんなに資源ブームに湧いていて、特に今まで何もなかった鉱山周辺都市(勿論パース市も)での不動産の高騰や、労働需要の増加には目を見張るものがあったのに最近は不動産価格も下降気味、それに労働力は過剰気味とか。 多くの若者が2,3年と割り切って給料のいい鉱山地帯に働きに行って稼げるだけ稼いでパースに戻り家を買うことができた現実。 これももう夢物語になるかもしれませんね。
この金融危機で余りにも急激な変化をあちこちで見聞きすると、何だか今まで信じていた価値観とか常識とか社会通念が、ひっくり返ってしまうようで、一体何を拠り所にすればいいのか不安になってしまう時があります。 皆さんはそんな風に思ったことはありませんか。 今一度、何が本当に大切なのか、これから何を守っていかなければならないのか、人間としての原点に戻るというか、ちょっと真剣に考える時期にきているんではないの? なんて思ったりする今日この頃です。
それとこの時期、私がいつも思い出す風景があります。 そう、なぜか、懐かしく蘇ってくる日本の年末の情景です。 おせち料理の黒豆や昆布巻き、ごまめにお煮しめなどを作りながら台所で忙しく動き回っている今は亡き母の姿、そして庭に面している長い廊下のガラス戸をせっせと磨いているこれも今は亡き父の横顔、そして門に飾られた門松や、玄関にぶら下げられたあのみかんや伊勢えびのついている飾り物(名前何だったかしら? )床の間に活けられた松や南天などの生け花と鏡餅。 そしてNHKの紅白歌合戦が始まる頃には殆んどお正月の準備も完了して、浮き浮き気分で足を入れたこたつの暖かさに最高の幸せを感じたあの頃。
あのようなお正月を迎えなくなってからもう何年が経つかしら。 両親が存命中はパースに移ってからも毎年息子達を連れて帰国していたこの時期。 思えば母が亡くなってからは敢えてお正月を避けて帰国しているのは、やはり私にとって母のいない日本のお正月は余りにも哀しいものだからかもしれません。 いつまでもあの父と母の情景を、そして我が家のお正月の風物詩をずっとあのままの形で心の中にとっておきたいからかもしれません。
ま そんなわけで、遠い夏のパースから懐かしい日本の年末の情景に想いを馳せている今の私ですが、皆さんは今頃猫の手も借りたいほど、料理や掃除に忙殺されているのでしょうか。 それともどこかの温泉でゆるゆると湯につかっているのでしょうか。 何はともあれ2009年は多くの20期生が還暦を迎える節目の年。(私はまだでーす!) 世の中、暗い話題も多いけど、いや多いからこそ、私たち明るく元気に過ごしていきたいものですね。
皆様のご健康と幸せをお祈りいたします。
どうかよいお年をお迎えください。
マグラー原口節子
今年もクリスマスの季節になりました。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。 今日は雪が降り続け、早い人たちは今日からお休みにはいるのですが、空港も遅れが目立ち、市内でも地下鉄等に影響が出ています。溶け始めたかき氷のようになった道路には此の時間人影も少なくなっています。
ユダヤ教のハヌカも21日日暮れから始まります。ニューヨーク(地図表示)はユダヤ教の方達も多く、街にはメノーラと呼ばれるキャンドルも目立ちます。メノーラは8本と其れをつける為のもう一本のキャンドルで構成されています。本来はオリーブオイルに芯をさしていた物ですが、現在はキャンドルになっています。
これは1日分しかなかったオイルが8日間燃え続けたという故事に由来するものです。今年はクリスマスの時期と重なっていますが、ユダヤ教は月の満ち欠けに基づいた独自の暦を使用するので、其の年によって時期は異なります。彼らの暦では誕生日などもその行事によっての日付となり、例えば生まれた年にハヌカの2日目だとすると、今年もその人の誕生日はハヌカの2日目となります。年に寄ってハヌカが何週間も違う日付という事を考えるととても不思議です。現代の若い人たちの間では普通に太陽暦でお誕生日をお祝いする人も多く見られます。ハヌカは伝統的にはプレゼントをしませんが、最近は8日間に夫々プレゼントを用意する家庭も有ります。8日ですから最初は靴下、などの小物、少しづつ大きな物になり、最後に子供達が欲しがっていたプレゼントとなるのです。
ユダヤ教の青い色の飾りに対して、基督教の赤や緑の色はやはり皆の目を引きつけます。そして飾りは圧倒的に基督教の物が多いです。普段はあまり贈り物をしないアメリカ人ですが、此の時期だけは別です。お世話になった人たち、お友達、パーティのお呼ばれにプレゼントを用意します。郊外ですと郵便配達の人、ゴミをあつめる人、新聞配達の人等にクリスマスのチップを渡します。市内はアパートが多いのでドアマン、などビルで働いている人たちにも渡します。ゴミはビルの人たちが集めて集荷に出してくれるので、郵便配達の人,新聞配達の人にも渡します。郊外では売られてないチップ用の封筒というのが市内では売られています。
12月の始めになるとビルで働いている人たちの名前、勤続年数などが書かれた手紙が各部屋に配られ、それに従って名前を書いて現金を入れて渡すというのが一般的です。金額は人それぞれ、すぐ近くの高級アパートに住んでいた野球選手は一人数百ドルわたしたという噂もありました。一人一人差をつけるのが良いとされていますが、この辺りが難しい所です。このチップは15日位までに、彼らがクリスマスの買い物に行ける様にという事で渡します。いま、金融危機と言われていますが、こう言うサービスに対するチップは削ってはいけない物と言われています。ビルのサービスの人、子守りの人、犬の散歩係の人、等の人たちです。また定期的に爪の手入れに行く人、美容院に行く人たちは其の係の人たち、ということになります。 では予算から削るのは何かというと、身内のプレゼントということになります。
今年は早くからセールが目立ちます。お店はクーポンを出し、さらに安くなる一日限りなどといううたい文句で宣伝しています。普段はあまりお客の入っていない高級デパートや貴金属店などがとても混んでいます。本当に金融危機なのだろうか、という感じをうけますが、、、
そして此の時期は音楽会が多くなります。メサイアがあちこちで演奏されます。日本は年末というと第九の様ですが。バッハやハイドン等の曲も多いです。シングインという形式のコンサートがあり、観客が歌い手という物です。一番大きなのはリンカーンセンターで行われるもので、観客全体で合唱をします。指揮者と独唱の方達が舞台の上で歌い、普段の観客席の人が全て合唱をします。後ろの方ですとちょっと時差があったりしますが、壮観です。あちこちの教会でも行われ先週はニュージャージーの教会で有りました。独唱の方がいる会、合唱だけなど色々です。シングインという形式のコンサートはこの時期に限らず色々行われていますが、メサイアはハレルヤコーラスを始め皆が知っている曲が多く人気のあるコンサートです。先週はメサイアのはしごをしましたが、一つは合唱部分のみ、もう一つは最初のパートを通してというものでしたが、独唱の方達もいらっしゃるコンサートでした。カーネギーホールではいくつかの団体のメサイアのコンサートが有ります。。私は今年は日曜日に聞きにきく予定です。
そして今年の大晦日にはセントジョンのコンサートの合唱に加わる事にしました。火事で被害を受けてからの修復がやっと終わり、12月に入ってやっと公開されるようになりました。ここは第九を歌うこともあるようですが、今年はコーラルファンタジーということです。もう一つは指揮者の作品ということで練習初日に行くまでまだ判りません。4日間の練習で仕上げるというので、難しい現代曲で無い事を願っています。
今年は色々な合唱に関わった年でした、来年も楽しく色々なコーラスに加わりたいと思っています。
皆さん来年はどのような計画をお持ちですか? 色々な計画もまずは健康ですね。
2009年も皆様にとりまして健康で素晴らしい年でありますように。
高橋治美
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レストランの飾り付け | チョコレート屋さんのウィンドウ | ||
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街角のお花屋さん | |||
あと1週間でクリスマス、慌しい毎日ですが皆さんはいかがお過ごしでしょうか?前代未聞の経済危機の嵐が吹き荒れる日々ですが、皆さんにはあまり影響がないことを祈っています。
いつもならイギリスの世評などを書くのですが、今私の頭の中は家族のことで一杯で、他のことを考える余裕がありません。ま、家族皆が元気(日本の実家の両親を含めて)ということでは申し分ないのですが.....
まず息子(27歳)がオーストラリアのアデレイド(地図表示)に新しい仕事を見つけて移住することになりました。Hydrogeologyという地下水や水質汚染などを研究する修士を取って3年間ある会社で働いたのですが、もっと自分の能力を生かせる仕事(今までの仕事はすぐに慣れてしまい、やりがいがなくなった、つまり会社の都合で利用されているばかりだと)にトラバーユしたいと思い探し出したのですが、イギリスはかなり深刻な不況で適当な仕事がなく、目を外に向けたら、オーストラリアでは恒久的な水不足で(砂漠が多いからわかりますけど)地下水の利用に政府が随分投資して海外からも資格のある人たちを募集していることが分かり早速応募、電話での面接、書類はスキャンして全部Eメールで送ってとんとんと話が進み、2つの会社からオファーが来て、会社のサイズや気候などによってアデレイドの会社を選んだそうです。
オーストラリアと聞いた時から気が遠くなる感じでしたが、息子も未だ独身だし(ガールフレンドはいますが)、人生こういう挑戦をするなら若い方がいいですからね。親としては寂しくなるのは明らかですが、息子にはやりたいことをやって欲しいので,最初から応援し続けています。我ら両親も日本より遠いオーストラリアに1度くらいは行かなくてはならなくなりました。イギリスと英国連邦のオーストラリアとはとても近しい関係にあるので、個人的な友達にもあちらに住んだ人が結構います。休暇に行った人は山ほど。うちの娘も行ったことがあります。
というわけで、息子には”Good Luck!”の言葉を浴びせて1月5日に送り出します。
その後、1月14日に娘(30歳)がフィアンセ(ベトナム人外科医、同い年)と簡単な結婚式(簡単なのは、3年半もうすでに一緒に住んでいるので)を挙げることになりました。ま、普通ではおめでたいに尽きるのですが、親としては複雑な気持ちです。本人同士はほれ込んでいるし彼も立派な医者だしいい人なんですけどね。ベトナム人の家族、文化があまりにも大きく彼の肩にのし掛かっているのです。そう、日本の50年以上も前の感じ、男尊女卑、長男重視〔彼は長男で妹が二人)そして何より家族重視なのです。家族といっても、彼と娘の築き上げる家族ならいいのですが、そう、彼の親とか兄弟とかの家族重視なんです。彼の両親は難民で命からがら逃げて来てこの国に住み着いて一生懸命生活をして子供3人を立派に育て上げたのですから、言葉には言えない苦労をしていると思います。でも、30年以上もこの国に住んでいるのに、日常の英語会話もできなくて、全くベトナム人社会に暮らして来ているんですよね。言葉が出来ないと困るのは、イギリス人との交流はできないし、国の情報もあまり理解できないということですよね。従って頭の中がベトナムなんです。我々は21世紀の先進国英国に住んでいて、男女同権が当たり前なのに。
私が気に入らないのは(挙げるときりがないくらいありますけど)同じ医者という大変な仕事をしていながら、家事はほとんど娘任せ、やりたがらないし、やる気がないから上手くもならないし。私は二人が一緒に住みだしたころから、最初が肝心だから彼をよくトレーニングするよう言ってきたのですが、娘が根負けしている状態です。ちなみに我が家では父親が家のことは何でもやるし料理も結構上手いくらいですから、そこで育った娘は欲求不満になって当然です。休みの日に家事に追われてくたくたになっている娘を見かねて、我々はしょっちゅう彼らを家に呼んで食べさせたりするはめになっています。又、貧乏な国の人たちってお金に異様に執着するのか、物質欲が強いみたいで、家族のためにはお金のある人が散財して物を買ってあげるのは当たり前みたいな考えがあります。彼は働き出してから常にこれをやってきて、例えば親に車を買ってあげたとか、妹に随分高いドレスを買ったとか。だから、給料はまあまあなのに、貯金がうちの娘より全然少ないんです。3月に家を一緒に買おうとして(時期が悪くてやめましたが)頭金を出すときに、彼は娘の半分以下しか出せないとか言ってました。今までいつも散財してきたのなら、今度結婚したからと言って変わるとは思えませんよね。
ぐちっぽくなってすみません。もうこの辺で誰も読んでくれてないかも?せめて娘の相手がイギリス人か日本人だったらもっとシンプルだったと思うのですが。
言いたいことはまだ山ほどありますが、他人のうちのことなんてつまらないでしょうね。もうやめます。こういうわけで、わがグレスウェル家は新しい年に真にグローバルなファミリーとなります。イギリス、日本、ベトナム、オーストラリア.....何かと面倒くさいことが多いですけど、家族皆が元気でいるならそれでいい位の気持ちでのんびりやりたいです。来年は60歳になる年ですね。7月4日にはなるべく参加できるよう頑張ります。
皆さんも健康に気をつけてよい年を迎えてください。7月4日に会いましょう。
大泉高校20期の皆様
メリークリスマス 謹賀新年
MERRY CHRISTMAS AND A HAPPY NEW YEAR
FELIZ NAVIDAD Y PROSPERO AÑO NUEVO
地球を半周した遥か南米の小国パラグアイ(地図表示)から年末年始のご挨拶を申し上げます。南米で迎えるクリスマス、新年も20数回目となりました。
昨年の今頃はJICA研修で訪日中で、札幌では福原君と37年ぶりの再会を果たすなど忙しいけれど楽しい年末でしたが、今年は暑い中、汗をかいてあちこち駆け回っています。
当地は連日最高気温35度を越える猛暑で熱帯夜が始まりました。年明け1月には酷暑、極暑、獄暑の到来となります。暑い最中のクリスマスと新年は北半球在住の方々にはちょっと実感が沸かないかも知れません。サンタの飾り付けがショーウィンドーを映えさせ、ジングルベルが鳴ってクリスマス商戦たけなわの南米です。
政治向きの話は場が違うのでは?というお叱りもありましょうが、当国にとっても今年は政治の年でありましたので、少々。
当国も今年4月に行なわれた大統領選挙で元神父のフェルナンド・ルーゴが新大統領に選出され、8月15日に就任しました。
元神父、それも解放の神学の一派である人物に国政を委ねるには不安があるという気持ちは国民の間にあったものの、一方で60年以上に亘って当国の政権与党であったコロラド党にはもう愛想が尽きた、誰でも良いからコロラド党以外に政権が変わって欲しいという空気が選挙戦を通じて次第に強くなり、消去法でルーゴが当選したというのが実態です。
新政権が発足して4ヶ月になりますが、政権与党連合は左から右まで10を越える会派の集まりで、ルーゴ大統領自身はその中でも少数派です。新大統領が国民の確たる支持を得て歴史に残る大統領になるか、神父上がりでは国家運営はやはり無理であったかという評価になるのか、これからの活動次第と見られますが、弊員は最初から否定的に見ています。
政府に対する抗議デモと言えば、世間一般には労働者が待遇改善を求めて行なうのが普通の南米世界ですが、12月15-16日と週明けの月曜日火曜日と、生産者連盟、農業連盟、牧畜業連盟、輸入者連合、商工会議所という言わば経営側が政府に対して「治安悪化を防止せよ、土地無し農民による不法侵入を黙認するな、私有財産保全に注力せよ、これらは何れも国の生産活動の基本である」ということを訴えて全国50箇所を超える拠点でトラクターを国道沿いに並べ(国道封鎖はしません)、アスンシオン市内ではデモ行進・集会を行なうという行動に出ました。何故ならば、大統領は就任以来、外国出張でええ格好しいするのは好きだが、足元をしっかり固めていない、治安悪化、不法侵入、違法行為を見てみぬふりをしているという不満が出始めたと見られます。アスンシオン市内では、毎日の如くに、左側勢力も右側勢力も誰かが何らかのデモをしているという風景が見られる様になりました。1979年末に当地に赴任してきた頃はストロエスネル大統領を頂点とするコロラド党支配真っ盛りで(良く言えば長期安定政権、悪く言えば長期軍事独裁政権)、デモ?それなあにという政治体制でしたから変化に驚くばかりです。
この国もゆっくりゆっくりと変わって行くのが長期の定点観測から伺えます。
同期生の皆さん、どうぞ良い年をお迎え下さい。