その1     

更新 2006年11月29日

高橋(旧姓佐藤)治美さんよりのお便り 2006年11月29日

大泉のHPのご案内をいただいて嬉しく思っています。
ありがとうございます。楽しませていただいていますが、我々が教えていただいた先生がたの訃報は悲しいですね。
小島先生は一年のときの担任でいらっしゃいました。授業も楽しかったし、いつもジャンパー姿でいらしたのも思い出します。
一度 地区音楽祭かで、武蔵野音大に行ってそのままケンプのレクチャー講演を友達と2人で聴いて学校に帰ったら
机の上にはカバンがなく、職員室にくるようにと書いてあって、、、心配するからちゃんと帰ってくるように、
また 連絡をすること、、、でも最後に 良い経験ができてよかったね、とおっしゃって下さったのを今でも覚えています。
大泉高校、本当に良い先生方のもとで過ごせた3年間だったと思います。

住所録が新しくなりましたが、連絡が間に合わず、旧住所が載っています。 今年の初めからNY市内のアパートに移りました。
どこに出かけるのにも便利で、とても楽です。
松井選手が住んでいるという, トランプタワーとも結構近いですが、姿を見たことは有りません、
むしろ、前に住んでいた所は松井選手番の記者がすんでいたということで,松井選手がレストランにということをよく聞きました。
松坂選手の移籍が最新の話題と言うことですが、いつだったか ちらっと載っていたことはありましたが、、、、
松井選手もホームランをうてば、、、ということで、こちらの新聞では毎日載ることは有りません。
野球好きの人は勿論名前はしっていますが。いまはフットボールが連日の話題です。そしてアイスホッケーでしょうか。

感謝祭が終わって街は、クリスマスに向けてショッピングシーズンです。感謝祭はご存知のように第4木曜日、
でこの日は大学にいった子供たちも帰ってくるので、民族の大移動という感じです。日本のお盆休みみたいな混雑ぶりです。
そして次の日金曜日はブラックフライデーと呼ばれクリスマスショッピングの始まりの日で、
どこも朝早くから店を開けるところが多く,年々その時間が早くなり、4時、5時、などと、、、
でも其の前に並んだりする人たちが、、、今年の目玉はソニーのプレイステーション3ですが、
買えた人はいたのでしょうか、、、この間の発売の日は金曜の真夜中に発売に対して
月曜日から並んだ人がいたそうです。日本もすごかったようですが、ちょっとクレージーですね。

ロックフェラーのツリーがもう少ししたら点灯されます。次回は街の様子、画像をお送りできたらと思います。

         高橋治美 (旧姓 佐藤)

【管理人】ニューヨークからの初めてのお便り有難うございます。ニューヨークのいまどきの街の様子や、
松坂、松井はひょっとして日本人が思っているほどそちらでは話題がないのかなあ、などと思っています。
今後とも折りに触れ、アメリカやニューヨークの様子、そちらから見た日本など、
こちらではわからない話題を提供していただけることを楽しみにしております。

伊賀上さんよりのお便り 2006年10月26日

現在日本とパラグアイとの時差12時間、そうです、まさに昼夜逆転です。
これを活用して何とかIT産業を起こそうと考えているのです。
これは規模と水準こそ違え、米国とインドとの関係と同じです。
時差12時間、共通言語が英語、インドは昔から数学の水準が高いことで知られた国ですから(ゼロを発見した国です)、
米国としては極めて組み易い相手先と言えましょう。
プログラム開発だけでなく、データ入力、更に将来的にデータ・バックアップシステム運用
(当地は地震、台風がありませんから、サーバーを当地に設置してデータの夜間処理、保管が可能です)も考えられます。
それやこれや種々勘案し、日本との関係強化の為に昨日わが社のエースエンジニア(日系二世)が
日本に2ヶ月の研修の為に出立しました。彼は11月ジェトロ展示会で弊社のブースをアテンドする予定です。

因みにジェトロ三カ国展示会の会期は次の様になっています。
11月14日(火)11:00−13:00 開会式
          14:00−18:00 一般公開
          15:00−16:30 パラグアイ・ビジネス・セミナー
11月15−16日 10:00−18:00 一般公開
11月17日(金) 10:00−17:00 一般公開
入場は自由です。場所は六本木のジェトロ東京本部
港区赤坂1丁目12−32 アーク森ビル 5階

(三ヶ国展示会URL)http://www.jetro.go.jp/events/tradefair/20060731618-event

尚、上記展示会ではパラグアイの工芸品、刺繍製品、食品、フィリグラナ、ヘチマ製品も展示されます。
家内のパラグアイ刺繍製品も展示します。どれも一見の価値ありと思います。
御多用とは存じますが御運び頂ければ幸甚です。


伊賀上
10月25日

伊賀上さんよりのお便り 2006年10月26日


当地で人気のある種無しレモン、
味はスダチとカリフォルニア
レモンの中間位で、ライムの風味もあり、
すっきりした味わい、
こちらでは LIMON TAIHITI と称されています。
その花の写真です。日本でレモンの類の花は
なかなか見掛ける機会も流石の大兄も
少ないのではと思い、御参考までに。

伊賀上
10月25日


伊賀上さんよりのお便り 2006年10月24日

本日、大泉20期HP上にて清水眞事先生御逝去を知りました。
弊員は2年生の時に担任で進路の件でも非常に御世話になりました。最後に御目に掛かったのは
パラグアイに赴任する1年位前でしたからあれから30年弱の年月が経過したことになります。
懐かしい先生方が黄泉の国に旅立って行く、そういう年代になったということでしょう。
何れは先生・生徒全員が彼の地で同窓会を開く訳ですが、多分清水眞事先生は
以前と変わらず「鬼瓦」となり続けて大泉を見守っていることと思います。
御霊安かれと祈ります。合掌。

伊賀上
10月23日

伊賀上さんよりのお便り 2006年10月18日

本日は偶々ダウンタウンに行く用事があり、
過日御話ししたメインストリートに今年も咲いた
ハカランダです。
由緒ある旧家の建物との対比が良いので写しました。


伊賀上さんよりのお便り 2006年10月12日

原口さんからの御便りHPで拝承しました。
ハカランダは jacaranda (最後のa の上部にアクセント記号が付きます)のスペイン語読みで、
原口さん御指摘の如く豪州の如く英語圏ではジャカランダ或いはジャコランダと呼ばれている様です。
弊員が居住しているアスンシオンでは郊外からダウンタウンに入る直前のメインストリートの
両側約2kmの街路樹がこのハランダで満開時は見事なのですが、先に書いた通り、
今年は花の咲き時の気候のせいかぼちぼちの状況です。
隣国アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでは国会議事堂周辺のハカランダ並木が圧巻で
11月の満開時はまさに一幅の絵となります。

10月12日 伊賀上

原口さんよりのお便り 2006年10月11日

ご無沙汰していま〜す。
帰国中、みんなと集まった時、小山君も来てくださってありがとうございました。
殆ど初対面って感じだったけど、話しているうちにずっと昔から知っていたような気になるのですから、
やはり同期生はいいもんですね!

9月半ばにパースに戻って以来、諸々の雑事に追われやっと日常に戻った今日この頃です。
伊賀上君のハラカンダの木、ここオーストラリアではジャコランダと呼ばれている木だと思います。 
ここでは毎年初夏に咲き始め、クリスマスの頃それはそれは見事に薄紫の花をいっぱいに広げた
ジャコランダをあちこちで見ることができます。 
オーストラリアでは、ジャコランダは春の到来よりも夏の到来を告げる花です。 
時期が来たら私も写真送りますね。

パースのある西オーストラリア州は9月半ば頃からワイルドフラワーがあちこちに咲き始め、春の到来です。 
といっても日本ほど四季がはっきりしているわけではありませんが、庭に、道路沿いに、公園に、
ブッシュにと、ありとあらゆる所に顔を出し始め、我先にと咲き乱れる花々が目に飛び込んでくる季節になると、
やはりもうこれは心ときめき、春ときめきです。  
確か日本にもカンガルーポーとかバンクシャーなどのワイルドフラワーが入ってきていると思いますよ。

今日も、春のうららかなる日差しに、と言いたいところだけれど、今日のパースは
冬に逆戻りしたような肌寒い一日となっています。

マグラ−原口節子  

【管理人】ハカランダの花について、早速お便りを頂いて有難うございます。
このHPもずいぶんと国際的になってきたもんです。私はこの木は日本にないためもちろん知らないのですが、
日本になく、ずいぶん遠く離れたオーストラリアとパラグアイにあるのは不思議です。
それも名前が違うのですから、ヨーロッパから別々に伝わったのでしょうか? 
などと妙な疑問をひとり思っています(最近植物に興味を持つ管理人)

伊賀上さんよりのお便り 2006年10月9日


自宅近くのハカランダの花が
咲きましたので添付します。
その年の天候、木にもよるのですが、
今年は花と葉が混じり過ぎている
きらいがあります。
南半球でこの花が咲くと春の到来となります。
薄紫の上品な色合いが特徴です。
豪州在住の原口さんも御存知の花です。


【管理人】ずいぶんと見事な花木ですね。しかし日本ではお目にかかれません。
オーストラリアとパラグアイは、大陸も違うのに見ることができるなんて不思議ですね

伊賀上さんよりのお便り 2006年10月2日

佐藤さん(旧姓荒川)さんのお頼り拝見しました。

知人の弟さんとは田中さんのことと推察します。田中さんにはお姉さんが1名いらっしゃるので、
その方と佐藤さんとが知り合いということになりますか。世の中まことに狭いものと改めて思います。
悪いことは出来ません。特に小生は苗字が珍しいから飲み屋のつけをとぼけることも出来ず。
人生かなり損している(?)のか得している(?)のか。多分帳尻は合っているのでしょうね。
田中さんは在パラグアイ日本商工会議所の業務を共にする、或いは会社設立に当たって
出資者兼経営者の一員になっているなど協力関係にあります。

小島先生御逝去の報は驚きました。先生独特の躍動感溢れる世界史の授業をとても懐かしく思い出します。
幾度と無く仰っていた歴史は暗記物ではない、表面に現れた事象の裏に隠された事実、真実を
分析、推理する考える学科であるとの言葉は未だに脳裏に残っています。
歴史の面白さを教えて下さったのは小島先生でした。御霊安かれと祈るばかりです。合掌。

伊賀上
10月1日

【管理人】佐藤さんからのお便りに早速御返事を頂き有難うございました。苗字のことは、
損をしていることと得をしていることがあるのではないでしょうか?

英国便り グレスウェル中川紀代子 2006年9月8日

20期の皆さんこんにちは!20人位の人達には、この前のクリスティーの集まりでお会いしましたね。
久しぶりになつかしい話 に花を咲かせて楽しいひとときを過ごしました。
私がこちらへ戻ってすぐに、バスケット部だった松本あつこと渡辺エリ(いずれ も旧姓)が遊びに来て、
板橋みどりがいろいろ計画してくれて、観光、ショッピング、バーベキューなど、最高に楽しい時間を共 有しました。
彼女たちは、おふらんすにあるみどりの別荘にも何日か行って、地中海の雰囲気も満喫して来たようです。

さて、皆さんご存知のように、イギリスはテロリストの攻撃の対象になっているので、去年の7.7のあと
私はあまりロンドンの 中心には出掛けないようにしているのですが、今度の8.10ではテロ計画は失敗したものの、
空港と航空機に対する厳戒態勢が しかれ、中々住みにくくなりました。
里帰りはもちろん、半年に1度はヨーロッパに1週間夫と旅行をするので、テロのことが常に頭の中について回って、
楽しさも半減しかねない状態です。とは言っても、日本便とか、ヨーロッパ便が狙われるリスクは少し低いと
希望的観測を勝手にして、旅行を続けているのですが。さしあたって、10月5日から1週間イタリアの南部バリへ行く予 定です。

私が日本へ帰るたびに思うのですが、日本は平和で羨ましいです。もちろん、いろいろな悪質な犯罪とかはありますが、
少なくとも、積極的に戦争をしている国とは違うということです。こちらでは、毎日のニュースが血なまぐさい戦場の話で、
今日は何人死 んだとか(兵士も普通の人も)何人怪我したとか...
地理的に近いということもありますが、アフリカの色々な問題も、英国が以前から関与してきていることもあって、
他人事ではなく、しっかりと報道されています。

ところで、昨日のニュースで紀子様が男の子を出産したので、女の子でも天皇になれるよう法改正しようとしていたのに、
止めたとか。信じられませんね。その単純な対応の仕方が。せっかく、皇室の世襲制度も
男女同権になるかという矢先だったのに。これで、日本という国が、まだまだ遅れている国だということが
証明されたようなものです。本当にがっかりしました。優秀な製品とか車とかを沢山作ったりして先進国のつもりでも、
頭の中は後進国ということですね。先進国首脳会議なぞにアジアから1カ国だけ参加させてもらっていても、
きっとほかの首脳たちには心の中でばかにされてなくとも、へんな国だと思われていることでしょう。

海外にいると結構愛国主義みたいになってしまうのですが、祖国はいい国であって欲しいと思うと同時に、
正すべきところは正すべしと批判的に見ています。ま、今時の政治家にまかせておいても、
あまり変わることはないんでしょうね。イギリスでは、政府労働党の内部でブレア首相が辞める時期を
はっきりと言わないので、閣僚までが辞任したりする茶番劇を露呈してますが、
戦争好きのブッシュに乗せられて、国をイラク戦争に導いた責任は重く、大量破壊兵器がイラクに無いと分かった時点で
辞任して当然だったと私は思っています。イラク戦争に加担したせいで、イギリスに対するテロもエスカレートしてきているし、
一般市民はいいとばっちりです。

政治の話はタブーかなとも思いましたが、率直な意見として聞き流して下さい。
今日のところはこの程度にしておきます。また、そのうちお便りします。皆さん、健康に気をつけて、お過ごしください。

【管理人】
日本では計り知れないイギリスの様子、紀子様のご出産というタイムリーな話題に関して、
中川さんの母国を憂う気持ちがよくわかります。お忙しいところ、投稿頂き、有難うございました。

伊賀上さんからのお便り 2006年9月3日

小山 様

御返事が遅れて失礼しました。

先ず当地の最近の状況、但しかなり独断と偏見に基いています。

9月に入ったというのに寒い日々で本日の最低気温8度、最高気温22度、冷たい南風が終日吹いていました。
明日は更に気温が下がる模様です。
南米でもサンチアゴ、ブエノスアイレスは緯度が東京とほぼ同じ(勿論南緯ですが)で四季の移り変わりも
東京に似ていますが、台北と同緯度、内陸国の当地は6−8月の冬季は一日の間に春夏秋冬があり、
残る9−4月は高温多湿の夏季となります。

添付の写真は当国を代表するラパチョと
称する木で、樹高20mにも達するものが
あります。花は黄、ピンク、白と3種あり、
黄色のラパチョが咲くと、冬も終了、いよいよ
夏の到来となります。日本の桜に似ていて、
一気に開花し、1週間程度で花が散り、
その後に若葉が出て来ます。
今年は開花の直後に雨に見舞われ、
くすんだ黄色になってしまったのが残念です。
大木全体が黄色、それも輝く様な黄色で染まり、
晴天に映えるのを見ると当地の冬の終了を感じます。



9月の中下旬になるとジャカランダの薄紫色の花が咲き、本当に短い春を告げます。

今年はパラグアイに日本人が移住してから70周年の節目の年に当り、来週9月8日に70周年記念式典が挙行されます。
当初、秋篠宮殿下が御臨席される予定でしたが、妃殿下御出産の時期に当たるので秋篠宮殿下は11月初に
御来パされることとなりました。若し、男児が御生まれになれば、殿下の御来パは当国に大きなインパクトを与えることになるでしょう。
今上陛下御夫妻は皇太子時代に当地を御訪問されており、今から20年前の50周年記念の折には常陸宮殿下御夫妻が
御訪問されており、今回秋篠宮殿下の御来パで、皇室から3度の御訪問があったということになります。
尤も、冷徹に見ると、パラグアイは日本にとって国連外交の場で、常に日本に無条件に賛成票を投じてくれる
大切な国でありまして、未だ記憶に新しいことと思いますが、昨年は国連常任理事国入りを目指す日本を真っ先に
支持してくれた国なのです。

外交の話のついでに、パラグアイは台湾を承認している世界26カ国(であったと記憶します)の一つで、
南米では唯一の台湾承認国です。
台湾政府も非常に意識していて、ODA を積極的に供与し、大使以下、台湾外務省のエース級を投入して
積極的な外交を展開しています。当地の新聞の社交欄には写真入りの記事が出るのですが、台湾大使は米国大使、
日本大使と同じ位の頻度で良く出ています。

今回はこの程度で御勘弁を御願いします。これから折に触れ、パラグアイ便りを差し上げます。

FULL STOP


福原 正和 様

毎度。
本当に御無沙汰しており、まことに恐縮汗顔の至りです。
貴兄に最後に会ったのは、学生時代に札幌を訪れて、薄野でラーメンを共に食し、札幌駅で別れた時と記憶します。
99年まで兼松に勤務し、その後当地の日系企業に勤務していたのですが、日本とパラグアイの時差12時間、
日本語を不自由無く使う優れた日系二世の存在(含むシステムエンジニア)を活用すべく、
当地で志を共にする日本人・日系人と共に日本向けソフトウェア開発とデータ入力業務を行なう会社を立ち上げ、
現在はこちらの運営に専念しています。
経験と実績を積まれ、北海道小児科医界の重鎮になられたことと拝察します。
時折、子供の体調の件で電話で相談に乗って頂き、有り難く思っています。種々相談に乗ってもらった子供達の
内の長男は、国立アスンシオン大学医学部に進学し、当人の人生設計である医者への道を歩んでいます。
一人前になるまで向こう何年かかることか。日本の弊員両親(共に81歳)には長男が脈をきちんと取れる様になるまで
長生きしろと気合を入れています。
当地の洗礼親(家内の従兄で子供達の高校の大先輩)は、これで将来の医療費は只になったと口走る始末です。
これからも時折、連絡を取り合いましょう。
かかる機会を創り上げてくれた小山様に感謝です。

伊賀上 拝
9月2日

【管理人】南半球とは季節感が違うというのは、頭ではわかっていても、ピンと来ません。日本では、
”冷たい南風”など信じられません。ラパチョという花木は、日本のさくらに相当するものなのでしょうね。
当地でのソフトウェア会社の起業、成功をお祈りしております

原口さんからのお便り  2006年8月10日

 ヤマ(川口さん)から大泉高校のHPが開設されたことを知って、喜んだのもつかの間、海外便りに何か書いてと
ヤマ経由で小山君から頼まれて、文を書くのが嫌いな私は、ものすごーいプレッシャーを感じながら、
でも何とかほっとけば忘れてくれるかな なんてあまい考えを持っていたけど、やっぱり催促がきてしまいましたー。 
今歯医者に行くのを嫌がって逃げ回っていた子供が捉まってしまったような心境です!

でも、やさしい小山君から、余り考え込まないでメールのようにサラッと書いてもらえれば 
という嬉しいお言葉を頂戴したので(ヤマ経由で)、だいぶ気持ちがラクになりましたよ。 
といっても、いつも会っている友達にはスラッと書けるけど、長年ご無沙汰している人たちには
やっぱりちょっと気負ってしまうかな。。

日本ではお盆休みも近づき、あれこれ夏休みの計画をたてられている頃だと思います。 
パースは、今は暦の上では冬ということになっていますが、連日最高気温は20度ぐらいで、日中は太陽の下にいると、
ちょっと汗ばんでくることもあるぐらいの暖冬です。と書きながら、そういえば毎年クリスマスカードに
パースの夏の描写はよくするけど、冬という季節にきちんと向き合ったことがないなということに気付かされました。
霜もおりない、木枯らしもふかない、厚手のコートもいらない、そんな冬だから毎年いつの間にか過ぎ去ってしまう感じです。 
暖房のきいた部屋から外に出た時のあのキーンと肌をさすような冷気の感触、ここパースにはありません。 
早朝とかにたまにウォーキングに出ても、寒いけれど吐く息が白くなることも滅多にないですね。 
でも雨は冬によく降りますよ。 でも今年は例年より雨が少なく夏の水不足がちょっと心配されています。 

さて、そんなパースに夫の転勤で東京から移り住んだのは今からもう15年前。 この機会にちょっと計算してみたら、
独身時代に留学したメルボルンの4年間もいれると、オーストラリアにかれこれ21年も住んでいることになります。 
現在、今日の時点で1豪ドルは87円、確か、初めてメルボルンに行った時は1豪ドルが450円ぐらいでしたよ!  
信じられないような円安でしたね。  

信じられないといえば、あんなにカワイカッタ(すごい親バカ!)息子たちも、やっぱりオトコになるっていうこと! 
15年前にパースに来た時は7才と5才だったのに。現在まだ二人共大学生だけれど、上の息子は形だけは自立?して
一人暮らし。(でも週の3日は二人になってる タブン)  そして下の息子は今年20才。 
出かける前にはディオドランの匂いをプンプンさせ、〈日本でも今の男の子ってつけるのかしら?)図体だけは大人なのに、
しっかりと親と一緒に住んで、当然のように恩恵を享受して、そして親への批判も決して忘れず。  
そんな息子二人の成長、いや変貌ぶりか、それとついでに、夫の年々薄くなる頭、そして、もっとついでに、
新たに見つけるしみとしわ(私の!) それらを見るにつけ、そうよね、ここに来て15年経ったのよねって、
一人ヘンに感じ入ってしまう今日この頃です。

そんなパースで今一番の話題は不動産バブルともいえるぐらいの家の価格の高騰でしょうか。 
一ヶ月で、なんと25%も上昇した月もあるんですからもう驚きです。今では、国内での不動産価格がシドニーに
次いで高くなってしまったのです。

その主な原因の一つとして考えられるのが、中国!  そう、驚異的に経済成長率を伸ばしている中国なんです。
というのは、パースのある西オーストラリア州は資源の宝庫。 鉄鉱石、天然ガス、石油、ウラン、金等等。 
特に中国と鉄鉱石の長期的な輸出契約を結び、しかも中国の資本参加もあって、今じゃ、西オーストラリア州は資源ブーム。 
人口は増加しているし、失業率も低いし、景気はいいしで、そんな影響を受けて不動産も上昇気流に乗っかったわけです。 
他の都市でも不動産は高騰したけど、(特にシドニーとメルボルン)、今だに上がり続けているのはパースだけというから驚きです。 

でも日本のバブル崩壊を知っている私はちょっとコワイです。 時流に乗って投資をどんどんする人もいるけど、
日本でのホリエモンや村上ファンドなんかのこと考えると、堅実に地道に生きていくのが結局は勝組? になるのかな。

話はガラッと変わって、ちょっと昔にさかのぼるけど、みなさん、6月12日は悔しくて眠れなかったでしょ。 
そう、ワールドカップの日本、オーストラリア戦でした。 期待が大きかっただけに、日本の落胆振りは大変なものだったでしょうね。

オーストラリアは正直サッカーは人気のあるスポーツではなかったんです。 というのも国民的スポーツで人気のある
オージールールというこの国独自のフットボールがあるからなのです。 これは、ラグビーとサッカーを合わせたようなもので、
時に相手チームと取っ組み合いの喧嘩まで始まる何でもありってところが、おもしろくて、私も熱狂的大ファンなのです。  
でも、サッカーの方もオーストラリアは32年ぶりの2回目のワールドカップ参加ということもあって、
初戦の数ヶ月ぐらい前から段々と盛り上がってきて、日本に2−0で勝った時からその熱狂と興奮は試合ごとに高まってきて、
上位16チームに入った時はもう国中あげて欣喜雀躍のお祭り騒ぎ。 しっかりとサッカールーはその存在感をアピールし、
この国にサッカー人気をもたらしてくれました。

日本戦に関してはとても大事な試合と位置付けていましたよ。 特に中村選手を意識していたみたいです。 
でも息子の友達なんかはオーストラリアが当然勝つと思っていたみたい。 私はどっちを応援したと思いますか。   
実はオーストラリアチームなんです。 日本の友達には怒られましたが。

というのは、NHKのニュースで日本人のサッカー評論家と称する人がオーストラリアチームを侮っているような
発言をしたからなんです。 それに、他でもオーストラリア人は体だけ大きくてテクニックがないとか、荒々しいとか、
チームとしてまとまっていないとか言っているのを聞いて、とっても腹が立ったのです。 
突如、そんな自信過剰な人たちの鼻っ柱をくじいてやりたくなったのです。 
私の住んでいるオーストラリアのチームに声援を送りたくなったのです。

これって、実は私にとって物凄い大きな変化というか出来事なんですよ。 今まで長年オーストラリアに住んできて、
なんやかんやいってもやっぱり私は日本人、日本大好きで、よく友達と白熱の議論を交わす時もいつも気がついてみたら
日本を擁護する側にいるのです。 心や思いはいつも日本に向いていて、 だから藤原正彦の「国家の品格」を読んだ時なんか、
すっかりはまってしまって、ウン、武士道、ソウソウ 情緒、ジョーチョよねぇ〜と一人納得、感心していたんですから。

そんな私がです。 日本中が一丸となって応援しているあのニッポン、ニッポンの声援に反旗を翻したのです。 
きっと初めて心からオーストラリアに愛着を感じた瞬間だったのかもしれません。  

ちなみに、国中が興奮したイタリア戦の時は、イタリア系オーストラリア人の人たちは、いわゆる祖国イタリアを応援した人たちと、
移民として自分たちを受け入れた国、オーストラリアを応援した人たちとに仲良く分かれましたよ。 後者の人たちはいわゆる、
自分たちの血よりも今自分たちが住んでいる国、自分たちが(生まれ)育った国を愛し、その国に対する忠誠の心の表れとして、
サッカールーの方を応援したんではないかしら。 元は同じイタリア人同士が、
お互い笑いながらそれでも夢中でそれぞれの国を声援しあっている様子に、
本当のアイデンティティーって何だろうって考えさせられました。

さて、オーストラリアに愛着を感じてきた私ではあるけれど、この一年は4回、
日本に一時帰国しました。 実は今月も帰ります。 4月に帰った時は
懐かしい2年6組だった人たちが何人か集まってくれて楽しいひとときを過ごしました。 
やっぱり長いこと会っていなくても、青春のある時期を共有した仲間と
再び現在のある時間を共有できるってステキだなって、特に海外に住んでいる
こともあってか強く感じました。 私たちってもう人生半分以上生きてしまったのですよね。 
だからこそ、これからみんなと共有できる時間や、昔の懐かしい思いなど大切に
したいなって思います。 これってやっぱり年とった証拠かしら!

そうそう2年6組といえば2001年12月に第43次南極観測船「しらせ」の
越冬隊長として乗り込んでいた神山孝吉君に「しらせ」の艦上パーティーで
バッタリ会ったんですよ。 毎年11月から12月にかけて、パース近郊の港に「しらせ」が
寄航して、艦上パーティーを催すのが恒例となっているのだけれど、もうホントびっくり仰天。 
彼は私がパースにいることを知っていたようだけど、私は全く何も知らなかったので、
もう神山君と会った時は思わず ”何やってんのよ、こんなところで!” って叫んでしまいました。 その時の写真をくっつけますね。 
当時はデジカメなんて使っていなかったので、よく見えないかもしれませんが。。  去年の暮れも神山君は「しらせ」に乗ってた
ようなのですが、生憎パースに寄航した時は、私は日本にいたので、今回は残念ながら会えませんでした。

何だか、思いつくままに書いていたらだらだらと終わりそうもないので、今回はひとまず、ここで、ピリオドを打ちたいと思います。 フッ。 
それにテニスで痛めたテニスエルボーもちょっと痛んできました。 なんせこんなに長い文章最近うったの久しぶりでーす。  
リタイア後の生活の場としてパースを選ぶ日本人がふえてきているここでの生活の様子など、今度お知らせできればって思っています。 

最後に、このHPのおかげで、海外にいても半分、いや殆ど忘れかけていた母校のことを思い出すことができ、
又、同級生の人たちがとっても身近に感じられるようになって、とっても嬉しいです。 
小山君をはじめこのHP開設のためにご尽力してくださった方々に感謝感謝感謝です。

マグラー原口節子

【管理人】楽しい話題盛りだくさんのお便り有難うございました。原口さんの日本を思う気持ちと、
オーストラリアへの愛国心が芽生えていく様子がわかり、印象深い文章だと思いました。
そして、神山さんとの面会など、大泉の仲間が世界中で活躍してい姿がよくわかります。今後とも、
オーストラリアの様子の御連絡をお待ちしております

伊賀上さんからのお便り 2006年7月2日 

小山 様

御連絡有り難う御座います。
兼松勤務時代も含めて、南米での生活が通算25年弱となりました。兼松時代にパラグアイに10年7ヶ月、
チリに8年、兼松退職後再びパラグアイに来てかれこれ6年経過しました。

愚息3名はチリ時代はサンチアゴ日本人学校に通学、当地に来てからはこちらのカソリック系の学校に通い、
末っ子が今年12月に漸く高校卒業と相成ります。
当然の事ながら、子供達の方がスペイン語はオヤジよりも遥かに上手ですが、日本語は言うまでも無く、弊員の方が優っています。
まだまだオヤジは働かねばならずで、自分の時間を持てるのはかなり先になりそうです。

当地での弊員の生活、パラグアイ事情報告の件、改めて御連絡しますが、実は弊員が当地で親しくしている
田中さんという方が、その名もずばり「パラグアイに行こう」という個人HPをかれこれ10年強の期間運営されていまして、
ここにはかなり詳しく当地事情が記載されています。また在パラグアイ日本商工会議所もHPを保有しており、
適宜御参照頂ければと存じます。

田中さん
http://paraguay.starfree.jp/
 
在パラグアイ日本商工会議所
http://members.at.infoseek.co.jp/shoukoukaipy/

チリ在勤中に知り合ったのですが、大泉高校の31期か32期かの卒業生で稗田美江さんという方が
チリ人と結婚されてサンチアゴに住んでいます。

今から3−4年ほど前には20期6組の登坂夫妻が当地を訪ねてくれまして、弊員宅で当地風焼肉を共にしました。

大泉20期の世話役をしてくれている諸兄に深甚の謝意を表します。
多感な高校生時代の絆が今でも生きていることを大変有り難く思っています。愚息達の学校は
創立102年になるのですが、卒業生の連帯感の強さは非常に強いものがあり、
兼松の駐在員時代には到底伺い知ることの出来なかったパラグアイ人の別の世界を覗き、驚くことが多い次第です。

思いつくままの返事で恐縮です。

伊賀上
7月1日