その20

更新 2016年7月6日

ロンドン便り  グレスウェル中川紀代子 2016年7月6日

20期の皆さんいかがお過ごしですか?

英国がEUを離脱するという6月23日の国民投票の結果を受けて、世界中にショックの波が押し寄せているようですね。
関屋さんから意見を聞かれたので他にも興味ある方が多いと思いますので、私なりの意見を書いてみようと思います。

投票の直前まで世論調査がEU残留派につき、労働党残留派の若い議員が精神異常の右翼に殺されるという
痛ましい事件が起きて更に残留派優勢が伝えられていたのですが、蓋を開けたら51,9%と48,1%という差で離脱派が勝ちました。
政府、ロンドン金融街、裕福な人たち(EUに別荘を持っていたりする)がどうせ残留派が勝つと自惚れていたので、
そのショックは大きく、思惑で動いている株式市場は乱高下、ポンドも暴落しました。1週間以上経って、
株は持ち直していますが、ポンドはまだまだ安いままです。

若い人たちを含む残留派の中で、この投票結果を受け入れられない人たちが、パニック、悪あがきをして、
この投票を無効にして、もう一度やり直そうとかデモなどしています。でも、国民投票ほど民主的な方法はありませんから、
この結果を否定するということは民主主義を否定することになるので、受け入れるしかないでしょう。
もともとなぜ国民投票になったか、という理由ですが、キャメロン首相が保守党内に根強くあったEU懐疑派を
懐柔するために提案したことで、結果として自分の墓穴を掘ってしまったのですが。
私が思うに、投票の数ヶ月前から両派の運動が熾烈になっていましたが、残留派の言うことは経済のことばかりで、
離脱したら経済が悪くなる、という脅しの一点張りで、政府はもちろん、経済界の大物たちが声明を出したり、
イングランド銀行のカーニー総裁、EUの各国首脳、果てはオバマ大統領までが残留を訴え(これって内政干渉)、
これでもか、これでもか、と嫌味なプレッシャーを有権者にかけていましたね。でも、離脱を支持する人たちは、
10年以上も前からこの国にどんどん移住してくるEUの人たちに対して強い不満を持っていましたから、経済が悪くなっても、
とにかく移民を減らさなければ自分たちの生活が保障されないと危機感を持った人が多かったと思います。

私と夫は離脱派、この問題は社会問題ですから、経済だけで解決できないと思います。
もちろん、EUからの移民に恩恵も受けているのですが、日本の国土の66%しかない小さな国に、
際限なくEUから押し寄せられてはたまりません。英国の景気がよく、最低賃金がダントツいいし福祉も手厚いので、
ポーランドや東欧圏、景気の悪いスペイン、イタリアなどからどんどん来ています。
去年1年で人口が51万3,000人増えたそうで,移住してきた人数から出て行った人数を引いた数が33万5,600人、
うちEUからが半分以上とのことです。景気が良くなったといっても、殆んどの中から下層部の人たちの生活は良くならず、
相変わらず工場閉鎖や会社倒産の危機があり、失業しても次の仕事がなかなか見つからず(移民に取られている感じで)、
国保は赤字だらけで破産寸前(高齢化の上に患者数も移民のお陰で増えているから)、教育現場でも、
ある小学校では28カ国の言語が話されていて、教師はとても効果的な教育を施せないとか、又、小学校の受け入れ生徒数に余裕がなく、
わが双子の孫たちも、プリモスというところに引っ越して、家のそばに2つ小学校があるのに入れなくて、
車で30分かけて毎日通っているほどです。都市では住宅難もひどく、普通の人が買えるような家が少なく(ロンドンでは、
豪華な家や高級アパートはどんどんロシア、中国、アラブの金持ちなどが買い、そのまま空になっていたりします)、
又貸家やアパートも家賃が高く、低所得層にあてがえる市営住宅も数が全く足りません。

大体、英国のような大国(サイズではなく)が、EUのなかで28カ国分の1の権利しかないなんてとんでもないです。
国力に応じて拠出金だけは沢山出さされているのに(週3億5千万ポンド出して半分くらいがリベートで戻るとか)。
もともとEUは、2つの大戦の後、平和と繁栄のヨーロッパを築こうとフランスとドイツが中心になって作ったのですが、
各国の国力が同じなら上手く機能するでしょうが、実は貧乏な国を助けて対等な取引が出来るようにするなんて、
どだい無理です。ギリシャみたいに破産寸前になるほどいい加減な国を、他の国の国民の血税でどうして助けなければならないのか?
EUの中で自由に行き来が出来るとか、すごくいいような感じがしますが、仕事を求めて景気が良くなった英国にばかり
移民が殺到するのは止められません。そして、若い移民たちは当然子供を産んで更に人口を増やしてくれるのです。
2014年には、ルーマニアやブルガリアからどんどん移民が来始めて、良からぬギャングも入ってきて、
沢山のよき市民(特に高齢者)が詐欺の被害者になっています。私の友人も組織的なカード詐欺に遭いました。

移民の問題は複雑で、今ヨーロッパを悩ませている難民の問題はヨーロッパを崩壊させるのではと思っています。
原因はともかく、ヨーロッパへ行けばばら色の生活が待っていると信じて大金をブローカーに払い命がけでボートに揺られてくる人たち。
アフリカ、中東、アフガニスタン、パキスタン、果ては中国からも。経済難民が殆んどで、難民申請をしても追い返されるのが多いと思いますが、
いったん申請すると結果が出るまでは最初に入った国に滞在できるので,なかなか後を絶ちません。EUの中でも対応がまちまちで、
自分の国の安全を脅かされると思い塀を作ったりしていましたね。EUの中でコンセンサスを得るのは至難の業です。
私が思うに、あの難民は皆母国に帰して、母国にキャンプを作らせて運営させるように他の国がお金を出してやるしかないです。
大体、ムスリムの人たちが多いし、西欧の人たちと交わらないし、言語も学ばないから孤立する。
すでに、英国でも、難民たちが集まって住むところは、なかなか住民との軋轢が多いと聞きます。この難民問題の解決の1策で、
トルコ政府とEUが取引して、難民の数がだいぶ減りましたが、其の取引が何とトルコのEU加盟手続きを早めるとか。
とんでもないです。トルコはもともとムスリムの国だし、EUに入ったら何十万人も移住してきてしまいますね。英国がEUを脱退して正解です!

今回の英国EU離脱は国を二分して、我ら夫婦もどうせ残留派が勝つと思っていたのでびっくりしました。
長い間の人々の不満が爆発したんですね。私が結婚して英国に来た頃は、斜陽の国と言われて、炭鉱ストの真っ只中、
いったいこの国は立ち直れるのか?と心配したのですが、それから40年余り、確かに裕福な国になり物が豊富で便利になりました。
EUの恩恵があったことは事実です。その代わり、ロンドンなどでは道行く人から英語が聞こえない、という悲しい現実があります。
白人に見えても東欧人のことが多く、ムスリムのベールをかぶる人とかも多くなりました。テロの危険も多いし、
私はロンドン中心地まであまり行かなくなりました。EUを脱退すると言っても、諸々の手続きに最低2年、否5年10年かかるかもしれないと言われています。
経済は一時的に落ち込んでも、きっと又帰り咲くに違いありません。我ら夫婦は株もないし別荘もないし、もともと質素に生活していますので、
あまり困ることはないでしょう。でも、国を二分しているので、例えば私の親しい友達のなかでも意見が合わず、
下手すると友人関係にひびが入りそうです。日本のように最近の先進国の悩みは少子化なので、若い移民が来るのは歓迎したい点もありますが、
やはりコントロールしなければ、こんな小さな国で緑地にまで住宅をどんどん建てたりしたら、地球温暖化を更に悪化させるだけです。
英国はEUを出ても、日本、アメリカ、中国、カナダなどのように1国として対等に付き合えばいいのです。
大切なのは、英国の主権を取り戻す、ということです。EUには実に多くの規則があり、やっと英国は解放されるのです。
英国脱退でEUの方がもっと困るのではないでしょうか。目下、保守党も労働党も党首交代で揉めていますが、
久しぶりに女性の首相が誕生しそうな気配です。新しい首相には、英国の国益を第一に考え、脱退の手続きの舵取りを上手く進めて欲しいです。

ニューヨーク便り 高橋 治美 2015年12月27日

みなさま

年々世の中が便利になり、世界の距離が短くなり、色々なことがおこりますね。
いまだNYと東京の間は時間がかかり、短縮されませんが。

この秋は日本に少しだけ長くいることができました。所属している日系合唱団ではこのところ11月に定期演奏会、
12月始めにキャロリング、NJ側での演奏会があり、定演が終わっても気を抜くことができませんでした。
定演までは会場の問題やらが毎年あり、雑用が多々あります。今年は去年の所が改築になって使えず、別の所でしたが、
定演ができたことはありがたいことです。合唱団員は働いている方が多い為、代表を引き受けていますが、
連絡、交渉など所謂何でも係りです。今年はNJ側の演奏会がその教会の都合で定演の前となった為、少し時間の余裕ができました。

日程が決まった夏の終わりごろに日本に行くことを決め、いつも定宿にしている新宿のビジネスホテルを予約しようと思った所、
続けて取れないことがわかり、また値段もぐんと上がっていて驚きました。数年前から銀座あたりのデパートではアナウンスが
他の言語でもされていて観光客が多いのはわかっていましたし、このところ日本国内の出張者がホテルを予約するのが
大変になってきたという話を聞きましたが、本当にそうなのですね。
今回はたまたま息子たちが同じ棟の別の階に移り泊めてもらえましたが、このままの状態がずっとオリンピックまで続くのでしょうか。
今回銀座の通りでは日本語以外の言語しか聞こえず、たくさんのショッピングの袋を持って歩いているのはお隣の国の方達でした。
新宿は勿論ですが、名古屋あたりも例外ではなくちょっとびっくりでした。徳川美術館はさすがに日本人ばかりでしたが。
今年の夏は、フィンランド経由でロシア側に行きエルミタージュなどを見学する機会がありました。
我々は船で行くと72時間ビザなしで滞在ができますが、お隣の国のかたは同じ社会主義国ということでもしかしてビザが簡単なのでしょうか、
とても多かったです、さすがにヘルシンキやバルト三国ではあまり見かけませんでしたが。
そのうち今の日本人観光客の様に個人旅行が主になるのでしょうか。

リタイア後の皆さんの関心事は旅行でしょうか。時間もたっぷりあるのでのんびりと、という方も多いでしょうね、
今色々なところで安全性が問題となっていますので、行くところが限られてきてしまってきて残念です。
古き良き時代に色々な所を旅行できたことはとてもありがたいことで、何年か後に行った時は人も多くて見学も限られてという所が
多くなってきています。それだけ色々な人が色々な所に行きやすくなったとくことでしょう。
旅行に行くと、特にヨーロッパですが、いつも若い人たちが歴史をよく知っているのに関心します。
ガイドさん達は勿論ですが、一般の人たちがきちんと自国の歴史を学んでいます。歴史の時間に一応名前を聞いたことのある人物、
歴史上の出来事、などを織り交ぜで現代とのつながりなども説明してくれるのですが、それらの関係、
そしてその社会的背景から生まれた芸術、これらをしっかり理解するのは難しいです。
また地続きの国々は侵略された経験のある国がほとんどで、それらがつい最近の事で、実際に経験した若いガイドさん達も多々いて、
その様子も自分の国に誇りを持って説明をしてくれます。どの国も勿論その国の立場からの歴史ということになりますので、
その歴史感からだけでは偏りがありますが、ヨーロッパ内では割合に公平な見方をしているのではないかと思われます。
日本は近代史が時間的に割愛されることが多いとおもいますが、まず自国のことを学び、そして他の国々の歴史を学ぶ、
教えられる事には限りがありますので、色々な角度から考えるということがとても重要ですね。

ヨーロッパもさることながら、日本の歴史も興味深いですね。日本に残る色々な遺跡も行ってみたいところがまだまだあります。
日本での旅行は時期などが難しく混雑していて予約も難しいようです。
日本の国内旅行の情報、こんな所がお薦めというのがありましたら教えて下さい。

その為にも元気でいなくてはとおもいますが、
みなさまも健康で2016年をお迎えください。

血の救世主教会、サントペテルスブルグにて あまり期待したなかったけれどガイドさんに教えてもらった
レストランはみんな美味しかった
リトアニアにある杉原千畝の碑 KGB博物館、実際に使用されていた時のものが残っている。

パラグアイ便り 伊賀上 知雄 2015年12月23日

大泉高校20期生の皆様

メリークリスマス そして謹賀新年
Merry Christmas and A Happy New Year
Feliz Navidad y Prospero Año Nuevo

今年も1週間を残すばかりとなりました。2月に一時帰国の折には急な御願いにも拘らず大崎に同期生諸兄諸姉が集まって下さり
卒業以来の再会という同級生もいましてまことに楽しい時間を過ごすことが出来ました。
御参加頂いた皆様、幹事諸氏に改めて篤く御礼申し上げます。

グレスウェル中川紀代子さんがロンドン便りに記述していますが、テロと難民の話、南米でも他人事ではありません。
テロ騒ぎは南米ではン十年も昔からありました。チェ・ゲバラとて革命家のイメージがありますが、テロリストと見做す方々も
意外に多いのも南米で仕事を始めてから知った事柄です。1990年前後はペルーでも極左テロリストが猖獗を極めていて
日本企業リマ駐在員は装甲車仕様に仕上げた乗用車を使っていました。床、ドア、ボンネットを厚い鋼板に変更し、
窓ガラスは防弾ガラスを嵌め、運転席の窓のみがせいぜい数cm位しか開かないというものでした。
出張でリマを訪れた折、当時勤務していた会社のペルー事務所長が「伊賀上君よ、こんなの当り前さ、
この程度で驚いていてはペルーで仕事はできんよ。」と豪快に笑っていました。

テロリストによる日本国大使公邸占拠事件が1996年12月に発生したのは御存知の通りです。
リマ駐在員2名が人質になったのは間違いないということで本社からの要請に基づき、サンチアゴからリマ入りして
人質解放に向けて日本政府対策本部や各社応援部隊との情報交換をしたのを思い出します。
クリスマスと新年をリマのホテルでウィスキーを飲みながら仕出し弁当を肴に迎えたのがつい昨日の如くです。

コロンビア、ボリビア、エクアドルでは日本では殆ど報道されていない様ですが、麻薬テロリストと政府との小競り合いは
途切れることはなく継続しており、当地でもコロンビアの麻薬資金を得ているテロリスト達がゲリラ戦を時折仕掛けていて、
陸軍・警察が取り締まりを強化しています。と記述すると日常の治安は大丈夫か?という疑問が出てくるのですが、
テロリスト達は山間部を拠点にしているので都市部では現在のところは過日のパリの如き事件は発生していませんし、
政府は威信にかけてもそれは事前に防止するとの強い姿勢を示しています。
都市部では寧ろコソ泥、盗難、強盗、擂りの方に注意する必要があります。

難民の扱いは欧州各国程には深刻では無いにしても時折当地のメディアで報道されます。
南米各国の人種構成からすれば中東から難民が南米に来る可能性があるのは事実です。
国によって多少の違いはありますが、旧宗主国のスペインを筆頭に、イタリア、フランス、ドイツ、英国、ポルトガル、スイス、
オーストリア、北欧、旧東欧諸国、ソ連、ウクライナ、トルコ、シリア、レバノン、ヨルダン、イラン、イラク、ユダヤ、
日本、韓国、中国、台湾という具合にモザイク状態となっています。昨今話題になっているシリアですが、
シリア人のコミュニティも当地にありまして、血縁・知人を頼ってシリアから逃れて来る人達も居るらしく難民としてではなく
移民という形にして居住申請をしていると言われています。

ムスリム系の女性はヒジャブなるベールを当地でも使用している方々が多いですが、中東系は三世四世まで合計しても
せいぜい人口の0.5%程度と言われる極少数派に属し、南米諸国は移民で出来たという歴史的背景があり、
一応宗教の自由が認められていて、然も圧倒的にカソリック教徒が多い(国民の90%)ので国民からすれば
現時点では全く脅威にはならないという余裕があるのでしょう。欧州諸国とは未だかなり趣が異なるなと思います。

上述の通り、カソリック教徒が90%を占めていて、他宗派のキリスト教徒も含めれば国民の96%がキリスト教徒であり、
憲法上はカソリックを国教としている当国では11月に入ってからは商店街はクリスマスの飾り付けとクリスマス・年末大売出しで
賑わっています。拙宅近く徒歩15分程の場所にあるショッピングモール周辺が第二副都心状態になっていまして、
1週間前の15日にはショッピングモール前に建設中であったワールド・トレード・センター(WTC)の竣工式典が盛大に行なわれました。
噂ではこのWTC内にはイスラエル大使館他2~3か国の大使館が入居する予定だそうです。
WTC以外にも複合商業施設、ホテル、高層マンションの建設が旧い家屋の取り潰しと共に進んでいます。
外観からしても素適だなと感じる家屋が何時の間にか姿を消して工事が始まっているのを見ると経済発展とは斯く進むものかと感じます。
ショッピングモール内の高さ12mのクリスマスツリー、WTCビル、30階建てツィンタワー大型複合施設の写真添付します。

ショッピング・センター内クリスマスツリー ショッピングセンター内イルミネーション
ワールド・トレード・センターWTC 30階建てツィンタワー大型複合施設


パラグアイはブラジル・アルゼンティン両大国に挟まれた小国なれど経済成長は毎年5~8%を記録しており、
人口構成も未だ綺麗なピラミッド型で将来が期待されると巷間言われています。されど実際には解決すべき課題は
常に多々存在するのは世界中の何処の国でも同じでして、生活をしていると特に高度技術(理系文系問わず)を有する人材が
質量共に不足していると言わざるを得ないですね。因みにパラグアイの人口680万人に対してブラジルは2億人、
アルゼンティン4200万人、チリ1800万人、ボリビア1100万人ですから人口数の絶対値からしても少数派です。

国を興すには教育が必要ということで当国政府も教育予算を増やす方向で努力していますし、日本国政府もJICAを通じて
職業訓練校を充実させる、高度技能工養成訓練校に指導員を派遣するなど努力を重ねていますので5年後10年後の効果を
期待するところです。

隣国のブラジルは人口、面積、経済規模、鉱業技術水準等々南米の大国としてつとに知られているところですが、
ルセフ現大統領は支持率10%前後、政権内部腐敗もあって罷免運動が燻っています。もう一つの大国アルゼンティンは
この度大統領が交代、保守派の大統領が生まれ、ベネズエラでも野党が国会の多数派を制すなどラテン世界は
左派政権終了の始まりとの分析が出ています。実際にポピュリズムに走って国の政治経済を不安定化させた左派政権に対する
不信の念は通奏低音の如くにラテン世界各国に流れていると申しても良いでしょう。
日本国政府も中南米に対しての取組不足であったという認識のもと、中南米に注力する動きもあり、
来年以降、農業資源・鉱物資源豊富で日系社会が評価されている南米諸国の動向に注目していきたいと思います。
来年2016年は五輪史上南米での開催は初めてというリオデジャネイロ五輪が行なわれます。政治の混乱もあるし、
競技施設・周辺施設も建設が間に合うのか?の心配はあるものの、最後は何とかしてしまうラテン気質に期待しています。
時には地球儀を回して南米に視点を注いで頂ければ幸甚です。

皆様、どうぞ良い年をお迎え下さい。

夏のパースから マグラー原口節子 2015年12月19日

20期の皆さま、年の瀬も押し迫ってきましたが、如何お過ごしですか。

毎年この時期になると、ああ、今年も駆け足で過ぎ去って行くって感じていたのに、今年はまるで超特急ですよ、
速いのなんの、どうして歳をとるとこんなに時間が経つのが速いの、誰か科学的に説明してくださ~い。

さて今我が家にはアメリカから息子とその彼女がクリスマス休暇で滞在しています。 一か月ですよ、長いでしょ。 
息子が日本ではなくアメリカで仕事をするのを選んだ理由がわかる気がします。 とにかくオーストラリアもそうですが、
皆本当によく長期休暇をとるのです。 連邦政府や州政府、それに大企業などは7年間勤務の後、
フルペイ(給料全額支給)で3か月の休暇が与えられ、うちの息子たちが卒業した私立男子高の先生たちは半年間、
ハーフペイで休暇をとる人が何人もいました。 私も最近知ったのですが、ここの州政府では4年間給料の80%だけをもらう
契約をすると5年目には1年間の休暇がもらえるんですって!! 5年目の給料も80%ですけどね。
組織の中で誰かが長期休暇をとっても、すぐに補える人材とシステムが確立されているので、仕事に戻っても
自分のデスクがなくなっている!なんてことを心配しなくてもいいから心ゆくまでホリデーを楽しめるわけなんです。

最近では日本の企業も変わってきたとは思いますけど、西洋の休暇の取り方は半端じゃないですよね。 
ホリデーの為に働いているっていっても過言ではないと思いますよ。 それにリタイア組も負けてはいません。
私の所属するテニスクラブの連中も、いつも旅行の話に花を咲かせています。旅行先でパートナーを見つけてゴールインした熟年も二人いますよ。
それと夫婦二人でキャンピングカーでオーストラリア国内を何か月もかけて旅行するのも人気があります。 
私は個人的には余り興味がありませんが、夫はいつか二人でバイクでアメリカのルート66を走ってみたい
なんてバカみたい、いや失礼、夢みたいなことを言っています。 

とにかくここのリタイヤ組は元気です。 テニスクラブでは70代が大活躍。それにゴルフはまだまだ80代が頑張っています。 
ちょっと体力に自信がないとローンボーリングも人気です。 前に書いたと思いますが、62歳からシニアカードがもらえ、
(私の時は60歳でした)映画、コンサート、様々なイベントなどの入場券、それにパブリックのゴルフコースのフィーも割引になり、
バス、電車は時間制限がありますが無料、これじゃ、それらの特権を活用しないなんてソンですよねぇ!?
それにここのアートギャラリーや一番大きいKings Parkという公園の維持や管理も殆どがリタイアしたボランティアの人たちで運営されているんですよ。
結構大変な仕事ですが皆生き生きと働いています。 日本はまだ若者文化が闊歩しているようですが、
ここはコンサートもレストランも高齢者の方が俄然多いですよ。 それに半年前に始めたコントラクトブリッジ。 
これが面白い! 今のめり込んでいますが、初めて夫とブリッジクラブの初心者クラスに行った時、なんと殆どがリタイア組。 
夫は数回行ってドロップアウトしましたが、やはりまだ完全にリタイアしていないので時間的に無理だったようです。 
というのも週一回だけのクラスでは覚えることが多くて自分でも結構お勉強しなくてはいけないので、
時間のたっぷりあるリタイアした人たち向きなんですね。 それにもう一つの人気の理由、これ絶対ボケ防止にいいですよ。
なんせ集中力と記憶力なくしてブリッジは勝てません!

ま、私たちのことはさておいて、雪の降るデンバーから来た息子たちはパースで毎日のように海に行き夏の太陽を思う存分に楽しんでいます。
先週はパースから南に300キロほど行ったところにあるワイナリーで有名なMargaret Riverというところに
日ごろの忙しさから解放されて数日間のんびりしてきました。 Margaret Riverには大小沢山のワイナリーがあり、
西オーストラリア州では一番大きいワインの産地です。 中には毎年海外の有名なミュージシャンを呼んでコンサートを催すところとか、
まるでアートギャラリーのように内外からのアーティストのいろいろな作品を展示しているところもあり、
ワインは苦手という人にもワイナリー巡りは楽しいもの。 それにここの海はいい波が来るらしく、サーファーにも人気があって、
小さい町なのにサーフショップが目立ちます。 とにかくパースのオージーたちにとっては人気のある保養地ですが、
今回、「え、こんな所にも中国人の観光客?」 と ちょっと驚いたのです。 というのも2,3年前までは殆ど見かけたことがなかったのに、
今回はどこのワイナリーに行っても必ず見かけました。

実は今年のお正月と3月に帰国したのですが、その時に中国人が主ですが、外国人観光客の多さにびっくりしました。
そうかこんな事20期の皆さんは勿論知っているんですよね。 でも1年に1度しか行かない私にはその変化に驚かされます。
新宿などは歩いているともう前後左右から日本語以外の言語の洪水、銀座ではブランドショップの前に大型観光バス。
吉祥寺のドラッグストアでさえ爆買の人たちが沢山いてびっくりしました。 
3月には京都、広島、伊勢、金沢などを回ったのですが、京都では昔、亡き母と巡った嵯峨野をもう一度歩きたいと思い、
ちょっとしたセンチメンタルジャーニーだったのですが、竹林の道を出たところで突如聞こえたけたたましい騒々しい声。
何事かと思い目をやると、なんと中国人の観光客の人たち。 喧嘩でもしているのかと思いきや、これが普通の会話をしているんですよ。
なんであんなに大きな声で話したり笑ったりするわけ? (私の地声もよく大きいといわれますが・・)
懐かしい想いで母との足跡を辿っていたのに、突然邪魔されたようで、あの傍若無人ぶりには、
普段穏やかで怒ることを知らない(と私は思っているのですが・・)この私でさえ、アッタマニキタ~~!!!でした。

さて気付けばなんと4年目を迎えたバンド活動も恒例の日本人会忘年会での演奏も終え、今年の活動は終わり。 
来年は2月に又パース日本祭りで演奏があるので年が明けたら練習再開です。 今年は今までにない大失態を私がしてしまったんですよ。
毎年楽器演奏だけの曲を一曲いれるのですが、今年は“枯葉”をジャズで演奏したのですが、私のピアノ(キーボード)のアレンジのあと、
ベース、ギター、ドラムのそれぞれのアドリブ演奏があって、私がメロディーの部分に再び戻るのだけれど、
どういうわけか私、小節のカウントを数え間違えてしまって(こんなことは練習中一回もなかった!)早く出過ぎてしまったのですよ。
アレ!って思った瞬間まず感じたドラムの鋭い視線! でももう弾き続けるしかなくて、みんながついてきてくれるのを祈りながらもう必死。
やはりちょっと、いや大分かな、もたついたけれど、何とかみんなが合わせてくれて無事終了。
これが一年目だったら私、もう自己嫌悪に陥って、落ち込んでみんなにも顔向けできなくて多分寝込んだかも。
でも毎年ミスを重ねていくとミスに対して免疫ってできるのですねえ、これ自慢じゃないけれど、気持ちの切り替え、
前向き志向、誰にも負けませ~ん。 これ生きていく上でとても大切なことで~す。
なーんてメンバーの中で一番年上の私だからこそ許される言い訳??かも。

でも嬉しかったこともあったんですよ。 皆さん、ご存知かなあ、バブル時代に流行った荻野目洋子の“ダンシングヒーロー”。
演奏後に南極砕氷船のしらせの隊員が駆け寄って来て「僕、荻野目の追っかけしていたんです。
ここで一番好きだった彼女の曲を聴けるなんて、もう夢にも思っていませんでした。 死んでもいいくらいに感激です。
ありがとうございました!!」ってちょっと涙目で喜んでくれたんですよ。 人にそんなに感激を与えられたなんてもうホント感激です!
あとはゴールデンボンバーの“女々しくて”(私はこの曲もグループも全く知らなかった)なども某商社の支店長が
ど派手な衣装を身に着けて歌って踊ってくれたり(業務命令で特訓を受けた5人のダンサーを従えて)、
今年の忘年会はいつもより盛大に盛り上がって、それこそこの一年のいやな事、すべてを吹き飛ばすような楽しい時間でした。

世界あちこちでテロの脅威が増している昨今、それでも私たちは日常生活を続けていかなければなりません。 
各国にはそれぞれ抱えている諸問題も沢山あります。 でもその中で人々は真摯に向き合い試行錯誤しながら
生きていかなければなりません。 今年はテニス仲間の息子さんが二人も亡くなりました。
それに20期生の中でも私も知っている何人かの人が今までに亡くなっています。
多分この先、周りの人たちの訃報に接することも多くなっていくでしょう。 だからこそ私思います。
日常の中で私たちが出来ることをとにかく一生懸命やって、一日を、今を、この瞬間を大切に思って生きていきたいって。
これは怠惰病に陥りやすい私への訓戒でもあるんです。 だって私たち、もういたずらに時を費やし、
時間を無駄にする余裕は余りありませんしネ・・  トホホです。

皆さん、何はともあれ、新しい年がもう目の前です。
皆さんの健康と幸せと世界の人々の平和を祈って

MERRY CHRISTMAS &A HAPPY NEW YEAR !!!

来年もどうかよろしくお願いいたします。

そして小山君、管理人としてのご尽力、いつもありがとうございます。

Margaret River の美しい白砂の海岸 川沿いの遊歩道から見たMargaret River
広大なワイナリー


ロンドン便り グレスウェル中川紀代子 2015年12月11日

皆さんいかがお過ごしでしょうか。毎年1年の長さが縮んでいるような気がします。
それでも、家族みんなが元気で過ごせたのなら良かった、ということにしないとバチが当たります。

今年はとても悲しいことが2回ありました。女子バスケット部で仲良しだった旧姓板橋みどりと旧姓山田明子が亡くなったのです。
最近は、時々同期の方が亡くなるというニュースが入りますが、親しかった人でない限りインパクトは少なく、
そういうときに備えた心の準備というのが全く自分の中にありませんでした。ショック、ショック、ショック、、、、
それでも、他の仲間たちと悲しみを分かち合い、お互いを慰め合えたのが有難かったです。そして学んだこと。
私の人生、家族の人生も、いつ終わりが来ても後悔しないように、今ある時間を大切にし、余生を楽しまないと、ということです。
お二人との楽しかった思い出は、これからもずっと私たちの中で生き続け、仲間で再会するたびに話題に上ることでしょう。
ここに謹んでご冥福をお祈りします。合掌。

ところで、私は11月に里帰りし、4日に開かれた来年の同期会準備に向けた会合に出席させていただきました。
久しぶりに懐かしい面々にご対面、楽しいひと時を過ごしました。このホームページですでに連絡済ですが、
私も万障繰り合わせて来年の10月8日目指して帰ってくるつもりですので、皆さんも来年の予定表に記入して
是非是非参加できるようお願いします。パラグアイの伊賀上さんも参加の予定らしいので、
何十年振りかに彼にお会いできるのを楽しみにしています。

さて、目を世界に向けると,嫌でもテロの話。そして、ヨーロッパに押し寄せる難民の山。テロは怖いですけど、
気違いに刃物、ということは今に始まったことではありません。ただ、その気違いが現代の文明の利器
(つまり欧米が開発したもの)を最大限に利用、悪用して最大殺戮を実行しようとするのですから、スケールは大きくなるばかりです。
我等はテロから自分を守るために気をつけるしかできません。もし、テロに巻き込まれたらそれも運、
交通事故や自然災害と同じ不運だと考えるしかありません。

では、難民はどうしましょう?大挙してやってくるあの難民も、ほとんどは経済難民。ヨーロッパへ行けば職があって、
福祉が受けられていい生活が待っていると信じて、なけなしのお金を悪人ブローカーに払ってぼろ船に乗って
危険を承知で来る人たち。中にはシリアなどのテロから逃げてくる人たちもいますが、ほとんどは正規の難民手続きをすれば、
本国に追い返される人たちです。誰だって、旅券も持たず、ちゃんとした切符も持たないで、
ヴィザも事前に取らず行きたい国に住めると思ったら来る事必至。そんなことが許されるわけないでしょう。
欧米には、それなりの歴史があり、戦争を繰り返した後に学んだ末の民主主義があるのです。
でも、あの人たちは、何百年も遅れた文化、文明、社会構造の人たちです。彼らを、我等欧米人と同じレベルで、
人権だからと受け入れようとした欧米がナイーブだったとしか考えられません。難民を隠れ蓑に、
テロリストがどんどんフリーパスでやってきていた、なーんて当然の結果です。純粋の難民は、
受け入れざるを得ないらしいですが、あのムスリムの人たち、なかなか住んでいる社会に溶け込まないんですよ。
それに、女の人の人権がないに等しいのが私は許せません。21世紀の今時、男女平等のはずなのに。
女の人は、男の人に髪を見せてはいけないので、スカーフをしなければならない、とか挙げれば一杯あります。
私が思うに、難民は出身地の近くの国でもっと受け入れるべきです。ムスリムの国が沢山あるし、
そうするのにお金が必要なら、国連、欧米諸国が援助してもいいと思います。
今までの、人権ばかり歌って、誰でも受け入れるというような対処の仕方は非現実的です。

ちょっと長くなってしまいましたが、イギリスがせっかく不況を脱出したのに、テロ、難民の問題で足をひっぱられています。
日本の不況はまだまだですかね。ま、我ら年金生活者にはあまりインパクトはないかも?です。
とにかく、我らにとって一番大切なのは、元気で1日1日を過ごすことのように思える今日この頃です。
それでは、皆さん、どうぞお元気でよい年を迎えてください。管理人の小山さん、同期会企画委員の皆さんいつもご苦労様です。
来年もどうぞよろしくお願いします。