その21

更新 2016年12月23日

パラグアイ便り 伊賀上智雄 2016年12月22日

今年も残すところ10日、当地はいよいよ夏本番となりました。連日最高気温35℃前後の日々到来です。
日本の大寒である1月には40℃まで気温は上昇します。日本の寒気を少しでも頂ければなと毎年思いますね。

10月8日(土)の大泉高校同期会に参加出来たのは今年一番の思い出でした。
幹事の方々から海外組4名が揃うと連絡を頂いており、中川さん、高橋さん、原口さんをはじめとする他
同期生諸兄諸姉と会えたのはまことに貴重な一時でした。卒業以来の再会という同級生が圧倒的多数で
二次会三次会を重ねても話し足りない一日でした。御手配を頂いた幹事の皆様に改めて篤く御礼を申し上げます。
初秋の土曜日の午後という誰もが希望する時間帯に、然も池袋という交通至便の地で場所を確保できるのは
須藤さんの長年に亘る関係者との御付き合いの賜物であると伺っています。3年後にも元気で再会したいと願っています。

カソリックを憲法で国教としている(但し宗教の自由は憲法で保障されています)当地は特に今年はクリスマスが
週末ですからクリスマス商戦は熱を帯びています。何処のショッピングモールも商店も各家庭もクリスマスの飾りで一杯です。

写真は自宅から徒歩15分ほどにあるショッピングモールとその周辺を撮影したものです。ワールドトレードセンター、
大型複合施設、ホテル、高層アパート建設とこの1年間の変化には驚くばかりです。
確かに景気は良く建設ブームが継続していますが一方で本当に需要があるのだろうか?という素朴な
疑問も湧いて参ります。あちこち情報収集してみると購入者が実際に使用するよりも購入者が
賃貸に出している事例が多く、投資目的になっているのが見て取れます。

WTCと新装ホテル シェラトンホテルと新複合施設
ショッピングモール クリスマスツリー 新複合施設

各位並びに御家族の御多幸を祈ります。

メリークリスマス・謹賀新年
Merry Christmas and A Happy New Year
Feliz Navidad y Prospero Año Nuevo

夏のパースから  マグラー原口節子  2016年12月18日

20期の皆さま如何お過ごしでしょうか。
10月の同期会では久しぶりに懐かしいお顔を発見したり、今まで言葉も交わしたこともなく、記憶もなく、
全くの初対面といってもおかしくない人たちとお話したりして、とても新鮮で楽しいひとときでした。 
すでにリタイアした方もまだ現役で頑張っておられる方も、いろいろな形で社会に貢献している方が多いようで、
我々の世代のパワーを改めて感じました。 多種多様な人生模様を皆それぞれが描いてきたとは思うけれど、
ああして同期会に出席できるということはとても幸せなことではないでしょうか。
幹事の皆さま、本当にご苦労様でした。 毎年一回は帰国していますが、時期もちょうど良く、
(10月なのに真夏日がありましたけれど!!)楽しむことができました。 ありがとうございました。
さて今年も空白の少なくなった12月のカレンダーを見ると、ここ数年いつも感じることですが、時間の流れの速さに驚愕し、
戸惑いを覚えます。 でも今年一年の手帳ダイアリーをパラパラとめくると、楽しかったいろいろな出来事が
ページのあちこちから顔を覗かせ、それらの思い出と、無事にこの一年を過ごせたことは本当にありがたい
ことだと思わざるを得ません。 このHPへの投稿も前は折に触れパースの様子などを書かせてもらっていましたが、
段々筆不精になり今では年に一回の私の年末恒例行事にようになってしまい、どうしても私個人の一年の総決算のように
なってしまいます。 どうか読み流してください。
今年は振り返ると本当に慌ただしい一年でした。 訪問者が多く、その中には3週間の姉と孫の語学留学滞在がありました。 
といっても我が家に滞在したのは姉だけ。 中1の姉の孫は3人の子供がいるオーストラリア人の家にホームステイしました。 
というのは実は我が家では長い習慣から夫とは日本語で話し、(英語で話してもいつのまにか日本語になっている!)
主に日本食を食べ、テレビもNHKの衛星放送が見られるので、英語の勉強といわゆるオーストラリアの生活体験を
目的とする滞在には我が家は不向きなのです。 それと孫を甘やかしてならないという親の希望もあって
全く知らないオージーの家庭に放り込んだわけですが、やはり初めの数日は英語がわからないと泣きながら電話で訴え、
私も姉もなだめるのに苦労しましたが、学校で友達が出来てからは現金なもの、帰国日が近づくとまだ帰りたくないという嬉しい変貌ぶり。 
姉の場合は個人での語学学校の申し込みでしたが、日本から夏休みを利用して学校単位で生徒を送り込んでいるところも多く、
改めて日本での熱心な英語教育の一環を垣間見た気がしました。

6月末からはちょうど1か月間夫とニューヨーク、ボストン、ナイアガラフォールズ、モントリオール、ケベック、
そして最後に息子のいるデンバーに立ち寄ったので、その間のことをちょっとつまみ出して書いてみます。 
ニューヨークは3年前に行って主な観光地は回っていたので、今回はニューヨークにしばらく滞在したことのある
息子も合流したこともあって、彼が、私と夫と二人だけでは絶対入らないようなバーやレストランをいろいろ案内してくれました。 
私が美術館巡りをしている時は二人でよく飲んでいたようで、ウイスキーなど普段は飲まない夫が息子の勧めでショット
(小さいグラスでの一気飲み)を覚えてしまい、今まで知らなかった夫の一面を発見。お酒の力を借りているとはいえ、
楽しそうに交流している夫と息子の姿を見るのは嬉しいものでした。 これはパースでは絶対見られない光景でした! 
それとこれも夫と二人だけならやらないであろうセントラルパークの自転車での一周。 
私は前にサンフランシスコで地獄のサイクリング体験をしているので、サイクリングは敬遠していたけれど、
息子の一声ではいはいとすぐ決まり! コリアンタウンでお弁当を買って、初夏の風を体いっぱいに受けながら
ゆっくりペダルをこいで過ごした半日は、最高なサイクリング日和でした。 息子と一緒だと疲れないから不思議です!
今回ボストンは初めて訪れた街でした。 アメリカの他の都市と比べてボストンは独立戦争で大きな役割を果たしたこともあって、
最も歴史の古い街の一つ。 多くの史跡が残されていて、街の中心部から4キロに渡って赤い線で描かれている
フリーダムトレイル(Freedom Trail)という、それを辿れば歴史的建造物などを順番に廻ることができて、
当時の歴史を短時間で学べてしまうという効率的なルートがありました。
私はダウンタウンの北側にあるビーコンヒル(Beacon Hill)という古い一画がとても気に入りました。 
レンガが敷きつめられた通り、その両側に佇む古いジョージア様式の建物、レトロなガス灯、街路樹から差し込む
優しく柔らかい木漏れ日、まるで昔の白黒の洋画に出てきそうな雰囲気と風景に、ちょっと憂いを漂わせたグレゴリーペッグが
前から歩いてくる姿を想像、いや妄想かな? それもつかの間、ふと横を歩く夫を見てすぐに現実に引き戻されましたけどね。
かの有名なハーバード大学も緑の木立の中さすが威風凛然と構えていて、キャンパスで見る誰もが秀才に見えたから不思議。  
ボストン美術館も行きたかったところの一つ。 ニューヨークのメトロポリタン美術館と同様その規模とコレクションには圧倒され、
一歩足を踏み入れたとたんゾクゾクっとする幸せの予感!  
メトロポリタン美術館の方には何枚かあった私の好きなセザンヌのリンゴは、ここではひとつだけしかなく
ちょっと物足りなさを感じたけれど、私が今まで知っていたどちらかというと表情に鋭さがあった彼の自画像とは違う、
大人しいちょっと弱弱しささえ感じる彼の自画像を発見! セザンヌも歳をとったということでしょうね。 
共通点を見つけて嬉しくなりました! そうそう後で知ったことですが、岡倉天心が10年ほどボストン美術館の仕事に
携わったことがあって、仏像展示によって日本文化を西洋社会に強く発信したそうです。
7月4日の独立記念日には、ボストンレッドソックスとテキサスレインジャーの野球観戦。 
上原投手がいるというので楽しみにしていたけれど、一回登板しただけですぐに降板してしまいました。 
私は正直野球には余り興味も知識もなかったけれど、ホームランの時の怒涛のような大歓声の波、
高らかに鳴り響く音楽、イニングの間に踊りだす観客、これこそが陽気なアメリカ人の実体かと感心させられっぱなしで、
満席のメジャーリーグの雰囲気をたっぷり堪能させてもらい、野球それ自体より野球場の雰囲気が好きになりました。  
夜は有名なクラムチャウダーとオイスターに舌鼓を打ち、記念日最後を飾るチャールズ川からの花火の祭典という
おまけ付きで満足度100パーセントのアメリカ独立記念日でした。 

ケベックは40年前に母と訪れた思い出の地。 当時は殆どがフランス語で、レストランでのオーダーも隣のテーブルを
指さして注文する始末でした。 大学で第2外国語としてフランス語をとったにも拘わらず、勉強しなかった自分を
あれほど悔いたことはありませんでした! でも今回40年ぶりに訪れたケベックは観光客に溢れ、
どこでも誰でも英語が通じてもちろんレストランのメニューも英語。 
でも城塞都市である古く美しい旧市街の歴史地区は昔と殆ど変わらず、おぼろげな記憶を頼りに当時母と泊まった
ホテルとランチに立ち寄ったレストランを見つけた時はもう感激の余り涙ぐんでしまいました。
当時の様相をそのまま呈していた重厚な石造りのホテル、そしてそこから続く石畳の小道を辿れば
ダルム広場前のテラスレストランに出る、なんだか母との思い出を探しにはるばるやって来た私を
ずっと待っていてくれたようで、当時の母の表情や会話までもがまざまざと蘇ってきて嬉しさと切なさと懐かしさで
胸がいっぱいになってしまいました。 そんな想いを胸にホテルとレストランの間をゆっくり3往復ぐらいしてしまった私でした。 
そういえば当時ケベックの美しさに惹かれた私は、まだ見ぬ結婚相手といつか新婚旅行はここに来ようって秘かに決めていたっけ・・

モントリオールはケベックから鉄道で3時間ちょっと。ここもフランス語圏で、地名や通り名、看板にフランス語が多いのは
ケベックと同じだけれど、街の規模はカナダ第2の都市だけあってさすがに大きい。 
アンダーグラウンドの地下街が発達しているのにはびっくり。ダウンタウンの北西にあるプラトー・モン・ロワイヤル地区は
ビクトリア調のテラスハウスやカラフルな外壁の家々が並び散策には面白かったし、旧市街のノートルダム大聖堂など
見どころはあったけれど、ケベックの後のモントリオールにはなんだか二番煎じのようで、今一つ心動かされなかったので、
通り一遍の観光をしてからレンタカーで市内を脱出することにして、北部に位置する保養地として有名なロレシャン地方の
モン・トランブラン(Mon Tremblant)というリゾートに2泊してきました。 
大自然に囲まれたその一帯は秋には素晴らしいもみじの紅葉で山々一面が彩られるそうで、違う時期に来たことが残念! 
でも目の前の湖にプライベートな船着き場を持っている木立に囲まれた素敵なB & B に滞在できてとてもラッキーでした。 
ゆっくり読書したり、近くをぶらぶらと散策したりして、観光から離れゆったりとした時間の流れの中に身をおけたことがとても心地よかったです。

モントリオールからはシカゴに飛び、そこからデンバーまでは一泊の鉄道の旅。  
前にシカゴからニューオリンズまで鉄道で行った時は踏切を通過するたびに一晩中汽笛がなり続け眠りを遮られたのを
覚えていたので、今回ちょっと心配したけれど、シカゴ、デンバー間はきっと踏切が少なかったのでしょう、大丈夫でした。 
狭い寝台個室だけれど、すべてコンパクトにできていてスペースを無駄なく使う工夫には感心してしまいます。 
ただ昼間はずっとアメリカのコーンベルト地帯を走ったので行けども行けどもトウモロコシ畑。 車窓の景色に余り変化はなく、
改めてアメリカの広大な国土と膨大なトウモロコシの生産量に驚くとともに恐ろしささえ感じてしまいました。
さて息子たちのいるデンバーに立ち寄って、丸一か月の旅行でしたが、最近これだけ家を離れていると
後半何でもないパースでの日常が少し恋しくなります。 前にも書きましたがここの社会では現役組も長期休暇は当たり前。 
シニア世代は言わずもがな、若者もどんどん飛び出していきます。 いままで知らなかった文化や慣習、歴史や言語などに接し、
様々な体験から自分の知識の器を大きくすることは、人生の幅を広げ豊かにしてくれるし、特に若者にとっては
とても大切なことだと思います。 それと日常から離れることは、ある意味精神的な新陳代謝の役目をしているのかもしれませんね。 
日ごろの生活や疲れを忘れ、思い切り愉しみ、旅行は新しい明日への又第一歩を踏み出す活性剤のような役割なのかしら。 
でも私の場合、最近旅行から戻ってくるとホッとしていつもの日常に戻れたことがすごく嬉しいのです。 
長旅での疲れのせいもあるのでしょうね。 でも昔は、旅行後、日常生活に戻るとがっくりすることも多く、
今のように日常をありがたく思ったことは余りなかったように思います。 これも高齢者になったからなのかしら。 
最近歳をとるにつれて保守的になっていく自分がいて、若い時のような攻めの姿勢から守りの状態に入っているような気がします。 
だからいつもの日常生活を送れることが嬉しくてそれだけで満足してしまいます。
パースのある西オーストラリア州は豊富な地下資源に恵まれ、マイニング関係の会社も仕事も人も多く
マイニングブームの時などは内外から人が集まり、住宅は急騰、賃貸住宅は不足、物価は上昇と大変でしたが、
その一方収入は上がり(特にマイニング関係は高収入!)経済は安定していたし、
失業率も国内最低でマイニングブームを謳歌した人たちが大勢いましたが、しかしなんと今、失業率は6.9%と最悪の事態! 
去年ぐらいに殆どの鉱山地区の大開発が終わったことと、鉄鉱石などの需要が減ったことで職を失った人たちが続出したのが
主な原因らしいです。 賃貸住宅や貸オフィスも今では過剰気味であちこちで“For Lease”の看板を目にします。 
他の州に比べて西オーストラリア州はマイニングの依存度が高いからそれだけ左右される人たちが多いということです。 
必ずしもマイニング関係者だけではありませんが、私の周りにも職を失った人が何人かいます。 
世界的にも経済が低迷しているのでしょう。 安定はいつまでも続かない、だから本当にいつ今の日常が崩れ落ちるのかわかりませんよね。
それとあとイギリスのEC離脱やトランプ氏の大統領選の勝利などで世界情勢が予測困難になっている昨今、
この先何が起こるかわからないという漠然とした不安があります。 皮肉にも今はトランプ氏に対するよくわからない期待感で
株価などは上がっていますけどね。 予測困難は勿論私たちの人生にも当てはまることです。 
病気になったり、災害、事故、テロなどに巻き込まれることだってあるかもしれません。 
だから余計にいつもの日常が送れる今の幸せとありがたさを前以上に感じるようになった私なのかもしれません。

さて今年もクリスマスシーズンを迎えています。 恒例になったパース日本人会の忘年会でのバンド出演も無事に終わり
(今年はミスもなく大成功!)ヘンデルのメサイアを聴きに行ったり、所属しているクラブやグループのパーティや
様々なファンクションやイベントに顔を出したりと、今年も同じ風景がいつものように繰り返されています。 
勿論クリスマスショッピング、クリスマス当日の準備の大変さは前にも書いた通りです。 
でも一つ違うのはこの私の心の変化なのです。 前はクリスマスをクルシミマスと言ったぐらいに嫌いだったこの時期、
今でも決して好きではないけれど、こうして元気に様々な関わりの中で生活できていることの幸せ、
多忙な日々を持てることのありがたさ、そんな事を思うと昔のような文句もいらだちも消えるから不思議です。 
全く私にとっては正に日常バンザーイなのです!
何はともあれ今年もあと僅か。 皆さまの健康と幸せと世界の平和を祈って

MERRY CHRISTMAS & A HAPPY NEW YEAR !!

最後に管理人の小山君、今年もお疲れ様でした。20期生のためのご尽力感謝します。

ニューヨーク便り 高橋 治美 2016年12月15日

 今年も街中にクリスマスツリーの販売所が設けられ、前を通るととてもよい香りが漂っています。
あっという間に年末になるのはいつものことですが、今年は特に早かったような、、夏前に息子一家のところの手伝いに
1ヶ月半ほど日本にいて2人目の孫に出会えました。日本で日々を送っていると実に便利でよくできていると感心することばかり、
そして食材の豊かさ、デパ地下の豪華なこと、誰かこのデパ地下食料品売り場、NYに輸入してくれないかしら。
また保育園はとても行き届いている様子だけれど、毎日、特に金曜日は洗濯物が沢山、これは働いている親は大変でしょうと思います。
病気になった時にそういうお子さんを預かってくれるところもあるとか、でもそれは予約制と聞いてびっくり、
子供は急に熱を出したり、風邪ひいたり、、予想できないことが多いものなのに。
そこで私たちの年代の方はお孫さんの病気となると電話がかかってくるので会う予定をしていてもドタキャンになることも。
東京のお孫さんのことで朝、大阪から新幹線で手伝いに来る方もいらして、実態は厳しいと思います。
これからの世代のためにもう少しなんとかしなければいけないのではないでしょうか。
  
  日本国内の政治、政府の問題点も色々あると思いますが、世界の注目はやはりトランプ氏でしょうね、
色々取りざたされてその度に日本では取り上げられていますので、もしかして日本での方が分析されているのではないかと思います。
選挙自体、今はソ連が操作したなどと噂されています、本人は否定していますが、何があってもおかしくないです。
トランプ氏の選挙運動中のの言動や、お金で選挙キャンペーンの言葉を買ったなどということなどから
やはりビジネスマンという見方がされますが、組閣にビジネスマンを多く起用していることから、やはり人脈はそういう方面
なのではないかと思われます。これが良い方向に進めば国内の経済が上向き、大統領として評価されるということになります。
何故勝利したか、という点についてはこれもおそらく日本での分析が多数なされていますが、
東海岸、西海岸は有識者と呼ばれる人は多いものの、全体から見ると有権者の多くは中部、南部にいます、
アメリカは広い国ですので、密度はなくてもやはり人口は多いということになります。そしてかなり貧富の差があります。
両海岸に暮らし、日々の生活がきちんとできている人達の想像を超えています。
私たちも新聞や雑誌の記事ぐらいでしかわかりませんが、今回勝敗に寄与したと言われる昔栄えた工業地帯、
家一軒$1という地域があります、
危険地帯で誰も買わないのですがそれほど荒廃している、衰退しているということです。
そういう人たちにとっては外交よりは生活の安定、国内産業の復興はやはり大事ですから。
  選挙結果は変えられませんが、選挙のやり方、Electoral College と呼ばれる選挙人団のことが今問題になって来ています。
州ごとに割り振られた選挙人制度ですが、これはちょっと面倒なものですので、興味のある方は調べてください。
一般投票は11月の第1火曜日に行われますが、大統領だけでなく、州知事、司法など色々な方も入ります。
大統領候補も、トランプ氏とヒラリーさんだけではなく、他にも数人いたのですが、ほとんど話題にも登らず得票はありませんでした

  この一般の選挙の投票もちょっと面白いです。事前に自分の投票場がどこかという郵便をもらいますので、
そこに書かれた場所に行きます。通りで区分されているためもしその用紙を持ってくるのを忘れた場合でも
自分の住んでいる住所を言えばその場でわかります。一つの投票場で10ぐらいのブロックがあり、
まずそのブロックの番号のデスクに行って選挙人登録の台帳のようなものに名前とサインがあるかどうかを確認されます。
ここまでが長蛇の列で、今年は特にひどく、たどり着くまでに2時間半以上でした。
学校が投票場に使われることが多いためこの日は学校は休みで、親は子供の個人面談に決められた時間に
担任の先生とあう日になっています。投票場はだいたい体育館などにブロックを表示したテーブル、投票用紙を記入する台が並べられ、
出口に近い方にスキャンの機械が並べられます。一つのブロックは住宅が多いかオフィスビルが多いかによって人数が違うので、
人が少ないブロックでは後ろの方に並んでいる人が何番のブロック、デスクが空いていますと言われて入れることも多く、
かなり不公平な分け方です。台帳確認が終わると大きな紙の用紙を受け取りマークシート方式で入れて行きます。
そしてそれをスキャンする機械に通してお終い、となります。このマークシート方式になったのは数年前で、
それまでは旧式の一つ一つを左右に動かして、最後に大きな重たいレバーを動かすとなんとも旧世代の投票機会が使われていました。
この時はさらに時間がかかっていましたが、今回のように人が選挙に行く人が多くなかったのか、さほど混んでいたという記憶はなく、
今回はいかに感心が高かったかということが言えます。私の区域の投票場はトランプ氏と同じ場所で、
私が並び始めた時間ぐらいに彼らが投票をしていたようで、カメラがかなり並んでいました。
実際にはトランプタワーと私のいるアパートはかなり離れているのですけれどね。
  それにしてもトランプタワーの前のバリケードによる車の渋滞、バス停がなくなる、観光客が写真を撮っているだけの状態から脱して、
新しい年が良い年になりますよう、日米関係もよくなりますように願っております。
みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。 

ロンドン便り グレスウェル中川紀代子 2016年12月14日

20期の皆さん その後お変わりありませんか?第7回同期会が興奮のうちに終ってイギリスに戻ってもう1ヶ月余り経ちました。

同期会は100名もの参加で盛大でしたね。海外組も全員参加とか。私も、40数年ぶりに伊賀上さんと再会し感激しました。
とにかく皆元気で再会を果たすことの意義を強く感じましたね。又、小田切先生のお若い御様子、
我々の代と区別がつかないほどで本当にびっくりしました。健康の秘訣とかおありになるのでしょうが、
これからも益々お元気で次回の同期会も是非来ていただきたいです。3年後の次回も早速伊賀上さんと約束しましたが、
元気で再会出来るよう、皆さん頑張りましょうね。私は、去年の同期会準備会と今年の反省会まで参加させていただき、
並々ならぬ世話人の方々のご苦労を見聞きさせていただきました。あのような立派な同期会を開催するには、
事前の準備諸々が随分と必要なのですね。あと何年同じスケールで開催できるのか分りませんが、余り無理のないように、
年とともにスケールを落としながらも、長く続けられたらいいですね。

さて、目をイギリスに向けると、EU脱退を決めてから色々な情報が飛び交っていますが、
ポンドは又持ち直して来ていますが状況はあまりつかめません。安いポンドのお陰で輸出は潤い、
旅行客もかなり増え(中国人旅行客などが高級ブランド品をロンドンで爆買いしてるとか)、
経済が特別悪くなっているという印象はありません。国民投票の前から、中国の景気鈍化、
EU内の不況や移民のお陰で経済はどっちみち悪くなりつつあったわけですから。来年3月末以降最低2年、
多分それ以上かけないとイギリスのEU脱退は遂行できないそうです。

アメリカの大統領に、よりによってあのトランプ氏がなるなんて、誰が予想できたでしょうか?
CIAが言うように本当にロシアの操作があったのでしょうか?ウクライナやシリア情勢やオリンピックのドーピングを見ると、
何でもアリ、のロシアですけどね。EUの中だって、主な国々で国政に変化がありそうで、これから27カ国をまとめていくなんて無理そうな話です。

こんなに移り行く世界情勢の中で、我々高齢者は出来るだけ元気でいて、周りのお荷物にならず、
少しでも役に立てるよう頑張るしかないですね。余生の楽しみを謳歌しながら。

と言うわけで、又1年が過ぎ去ろうとしています。皆さんにとってどんな1年だったでしょうか。
私は、家族みんなが元気なら、もうそれだけで幸せと思えるようになりました。
来年も皆さんにとって良い年になりますよう祈っています。
最後になりましたが、管理人の小山さん、世話人の関屋さんはじめ同期会準備に携わって下さった方々ご苦労様でした。
来年もどうぞよろしくお願いします。