更新 2009年11月7日
皆様お元気ですか? 今年は松井の活躍でヤンキーズが優勝して今日はパレードが行われていました。テレビでご覧になりましたか?
野球のシーズンが終り、冬に向かってこれからフットボールのシーズンに入ります。
火曜日は市長選挙があり、ブルーンバーグさんが再選されました。
新聞では我々がサポートしたのだから、選ばれたからには市民に対してその借りを返す事が必要と書かれています。市民は義務をはたし、権利を受け取るということです。選挙以外の義務として、日本でも最近導入された陪審員制度があります。日本の陪審員制度は順調に行われているのでしょうか。
夏の終わりに裁判所からの呼び出しが有ったので、行ってきました。
通知はおそらく免許の申請を元に出されます。この通知では市民でない人も含まれていて、市民でない場合は陪審員にはなれないので、ビザのコピーなどを添えて市民ではない旨返信します。市民の場合は義務ですから、受けなければなりません。召集日は約一ヶ月先ですが、もしこの日が都合が悪い場合、(旅行などで居ないと判っているとき等)は一回だけ、延期が認められます。これは電話でもオンラインでも出来ます。
二回目は避ける事はできません。指定の場所に8時45分までにいかなければなりません。この呼び出しは地区によって違い、前に住んでいたロングアイランド地区では一度に1000人以上の人が登録されていて、月曜日から始まるので日曜日の夜から指定の番号に明日は自分の番号が行かなければならないか毎日確認の電話をしなければなりません。一日に数百人が出向きます。市内
では、2カ所に別れていてそれぞれ100~150人ぐらいでしょうか。そこで、まず心得のビデオを見た後、係官が出席をとり、家族にその人を必要とする者(幼児、または介護など)が居る場合には免除されるので、別室にという案内がされます。
そして、今度は名前を書いた召喚状を切り離した物をもとに無作為抽出で選ばれた人たちを読み上げます。その人達はその日から始まる裁判の陪審員の候補者です。何号室にという案内があり、ぞろぞろと移動します。30人程が一グループとなります。しかしこのときにもその裁判に関係した人はなれません。係官によれば 最初の裁判はMTA(市交通局)に関連しているので、其の関係者は申し出る様にとのことでした。其れが終るとしばらくまた待って、、昼近く、また30人ほどが呼ばれましたが、その人達は昼ご飯を食べて2時に戻って部屋に入る様にという指示でした。
結局その他の人たちは12時半ごろ迄待って解散となり、次の日9時に来る様にという指示で帰る事となりました。呼び出しの日は本を持って行って時間を過ごすことになります。トイレ等に立つときには入り口に置いてあるノートに時間を記載して返ってきたらまた記載します。その間に名前を呼ばれてもノー
トを見れば判る様にとのことです。
次の日も朝からでしたが、同じ様にグループが呼ばれ、最終的には残った人たちは義務を果たしましたという証明書をもらい帰る事になります。この日は1時過ぎでした。これでこの陪審員の呼び出しは向こう4年間は受けなくてよい事になります。しかし連邦政府の裁判所のほうは別でこちらからの呼び出しがあれば行かなくてはなりません。これは市民の義務ですから会社はその日の給料を支払わなければなりませんが、会社からの支払いを受けられない人(自営業、働いてない人等)は後で一日40ドル、二日分の小切手が送られてきます。
このグループで呼ばれ別室に行った候補者はどうするかというと、其れ迄に配られた身上書のような物(自分で記入)をもとに係官が質問をします。自分自身が裁判の原告や、被告である場合はできませんし、刑罰を受けたもの、など制約がいくつかありますし、勿論偏見に満ちた人もそこで外されます。その裁判の概要が語られ其の関係者ものぞかれます。そして12人が選ばれることになりますが、30人いたグループの中でこれに満たない人数しか残らなかった場合は新に人選がされますので、我々が残されているというのはそういう事です。
私は実際には候補者の段階まではいきましたが、其の段階で其の裁判はキャンセルになったため其の先の経験は未だありません。
一度陪審員になると勿論そこで得た情報は他の人とは話す事ができませんし、裁判によっては長期間かかるものもあります。
有名なアスター家の財産の裁判では陪審員を選ぶ所から判決まで6ヶ月かかりました。
その間、原告、被告の証人は70人を超え、中にはキッシンジャー氏、オスカーデラレンタ夫人等々、有名人が呼ばれていました。判決は故アスター夫人の実子であるアンソニーが有罪となりましたが、妻が後ろで糸をひいていた為と世間では思われています。子孫に美田を残さずという古い言葉が思わず頭に浮かびました。
どなたか日本の陪審員制度に出向かれた方がいらっしゃいましたら、様子をお知らせください。
これから寒くなる季節、風邪などひかないよう、皆さんお体にお気をつけて。
さる10月2日から10月6日まで我らが大泉20期同期生の小林憲一兄が当地を訪問してくれました。その間の話題を少々。
2日(金)10:00ブエノスアイレスからのフライトで来パとのことにて空港に出迎えました。40年の空白何のその、お互いに直ぐに判りました。時空を超えてというのを文字通り実感しました。
地上波デジタル放送システムは大きく日本方式、アメリカ方式、欧州方式と3通りあるそうで、南米では既にブラジルで日本方式が採用され、その後、ペルー、アルゼンチン、チリ、ベネズエラと日本方式採用の動きになっており、ここパラグアイの現状や如何に?という調査でペルー、アルゼンチンと訪問の 後、アスンシオンにも足を伸ばしてくれた次第です。
アスンシオンにある民間TV局5局の内、4局と面談が出来て各局とも地上波デジタル放送の日本方式、特に携帯電話を使ってワンセグで放送を見ることが出来るメリットを非常に評価していました。その内の1局は訪問したら、突然にインタビュー番組を用意しているから出演してくれと有無を言わせない対応で我々2名は吃驚仰天 (日本の業界用語ではクリビッテンギョウとも称するそうですね、良くしってるでしょう!?)、そうと予め判っていればこちらは予習をして回答内容も吟味して丁寧なスペイン語で答えることが出来たのにと思うことしきりでした。翌々日にインタビューが放映されたそうで、それを見たパラグアイ人数名から電話がありまして、 いやあ良かったよ、日本方式を良く理解できたと御世辞8割で誉めてくれました。
月曜日5日夜は在パラグアイ日本商工会議所の会員に地上波デジタル、日本方式、ワンセグにつき講演をして頂き、出席した全員が流石はNHKの方、良く理解できたと言ってくれました。弊員も同商工会の理事の末席に連なっているところ、懇親会という形で無理を御願いして良かったと思っています。弊員も地上波デジタルとは?ワンセグとは?と何となくの理解はあったのですが、小林兄に丁寧に説明を受けて、なる程と納得できました。
日本では通勤途上の電車バス内で携帯電話を使ってワンセグ放送を見る機会が多いことが調査結果で判っているそうですが、当地のTV局の皆さん方は、バスの中で携帯電話使ってワンセグ放送を見ようものなら、直ぐに強盗に遭ってしまうと苦笑いしていました。日本の治安の良さを改めて思いました。
火曜日6日夕刻の便で小林兄は最後の訪問地ブラジルに向かいました。滞在中は丁度季節の変わり目で、蒸し暑い日、肌寒い日とありましたが、お互いに元気で再会できたのを本当に嬉しく感じた次第です。
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当国建国の勇者達を祭った英雄廟(日本で言えば靖国神社)を背景に | 今上陛下が皇太子殿下の時代に当地を御訪問された折に宿泊された 由緒あるグアラニホテル(後方3角形、やや灰色)を背景に |
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弊員自宅の庭にて | 在パラグアイ日本商工会議所での講演会 | |
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在パラグアイ日本商工会議所での講演会 |
20期の皆さん、是非南米に目を向けて下さい。南米には百数十万人という日系社会があり、これは日本にとっての人的財産であります。加えて食糧資源、地下資源が豊富であること、1982年のフォークランド戦争を除けば域内で戦争は無かった地域であることなどのメリットがあります。勿論、デメリッ トもありますが、住めば都、訪れればなる程です。
御参考までに当地紹介HP以下の通りです。
在パラグアイ日本商工会議所HP(近々大幅な更新を行ないます)
http://members.at.infoseek.co.jp/shoukoukaipy/
商工会会員の一人である田中裕一さんのHP
http://www.mars.dti.ne.jp/~mitsui99/
20期生諸兄諸氏の御来パを御待ちしています。
この写真、我らが大泉高校20期同期生小林憲一兄が遠路遥々パラグアイを訪問してくれまして、小生事務所にて昨日10月6日撮影したツーショットです。この写真撮影後、小林兄は慌しく次の訪問地サンパウロに旅立ちました。来パ中の話は後程改めて寄稿しますので御待ち下さい。
皆さんお元気ですか?
私は同期会で至福の時を過ごしながらも介護里帰りでの疲れを貯めてイギリスにもどったのですが、その2週間後に娘に男の子の双子が生まれ、それから2ヶ月とにかく大変な毎日を過ごしていました。まず無事に生まれて五体満足だったので万々歳だったのですが、それからの毎日がバトルでした。病院にいるころから手が足りないので〔夫が休めず)ほとんど毎日私が通い、退院してからもほとんど毎日娘のうちまで通いました。一卵性双生児というのは一緒に泣いて一緒に寝てくれるわけじゃないので、一人の倍手がかかるということは経験して見て初めてわかるのです。夜双子があまり眠ってくれないので、娘が常に睡眠不足なので、私は朝から晩まで育児家事をこなして(授乳も粉ミルクをやるときは手伝います)娘をなるべく寝かせてやってます。娘の家まで電車3駅で30分とまあまあの距離だったことと、夜は自分の家でちゃんと眠れたということで続けてこられたと思います。でも、夜帰宅するとぐったりで、ソファーに座ると居眠りばかり、TVもろくに見られませんでした。
やっと2週間前から、娘が、毎日来るのは大変だから1日おきとかでいいと言い出したので、少しづつ私も楽になりました。私のほうから娘に回数を減らしてと言いたかったのですが、私が行かないと娘が大変なのは明らかなので可哀そうで自分の口からは言い出せませんでした。毎日の生活はまだまだ楽ではないのですが、娘もこの大変な生活をある意味で受け入れるしかないと悟ったようです。いつまでも親に頼ってばかりいられないし。何と言っても双子たちは可愛いし、すくすく育っているし、赤ちゃんが欲しくても授からない人たちに比べれば、一度に二人も授かってすごく幸運だと思わなければと、いつも娘と話しています。
というわけで、我が家は孫たちの誕生でてんてこ舞の毎日で、私の夫も仕事をしながら休みの日は夕食を作って娘のところに持ってきてくれたりしています。
私がほとんど留守なので我が家の掃除なども夫の仕事になっています。でも、10月9日から1週間夫婦でイタリアのシチリア島に又(4度目!)行くのでとても楽しみです。その週は娘の夫が休みを取って頑張るそうです。
さて我が家のことはこれくらいで、20期のほうですが、先日同期会の写真を送ってくださり、世話人の方々にはご苦労様でした。同期会のスナップも随分たくさんHPにアップしてありますね。実に楽しい素晴らしい集まりでしたね。私が提案したリレー投稿も順調に続いていて嬉しい限りです。今まで投稿していない人たちが書くと、とてもフレッシュでいいですね。何でもいいから気楽に書いてくれたらと思います。仕事でも趣味でも政治でも経済でも.....何であっても、読む側には新鮮な驚きとか感動があったりするものです。バトンタッチされた人はよろしくお願いします。
ところで民社党が大勝して日本の政治はよくなるのでしょうか?50年にもわたる自民党支配がくつがえされたのに、日本国民はシラケテいるとこっちの新聞に書かれていました。皆何も期待していないということらしいですけど、僅かでもよくなることがあれば進歩なんですけどね。では皆さん今日はこの辺で失礼します。お元気でご活躍ください。
日本はまだ真夏まではちょっとありますか? 先日は同期会に行かれず残念でした。次の時には行きたいと思っています。
去年から計画していたコーラスの友達とのイタリア旅行から1日に帰ってきました。ワイナリーに泊まるというものです。ワイナリーは予約をすると取り消すのが難しいという事で、最初の計画から参加者が変わったりしましたが、その5日間は総勢8人という人数で行動しました。
始めにミラノに4人で入り、そのままコモ湖へ、ここで2人と合流、高級リゾート地でとてもきれいな所です、アルプスが見え、空気も美味しく、食べ物も美味しい所です、今回はコモ湖の真ん中あたりにある所に泊まって、対岸に船でいったり、超高級と言われるホテル,ヴィラ
デ エステに食事だけに行ったりしていました。
あちこちの庭(といっても広大な庭)を散策して丁度満開のジャスミンの花の香りに包まれて幸せな気分でした。
ミラノ郊外で娘とおち合い、海岸線のきれいな所を通りトスカーナへ向かいました。
高級海岸町のポルとフィーノはダイアナ妃が寄港した所として有名です。其の南にチンクェテーレという海岸沿いの小さな村、ちなみに5箇所こういう村があるので、そう呼ばれ、一つ一つには別々に名前が有ります。写真(#2)は山越えの峠の上からみたヴェルナッツァという所です。とても小さな村で昔は船で行くしか無かった様です。
道も日本の林道みたいなすれ違いが大変な狭い道で、最後の1キロぐらいは歩くしかありません。住民の人ももう少し近くですが、村の入り口で駐車しています。
とてもきれいな所ですが、山の上から見た景色がとても印象的でした。
汽車の駅が有り、観光客も居ますが、リゾート地とは違ってなんとなく懐かしい日本の港みたいな雰囲気が有ります。
待望のワイナリーはフィレンツェから40分位の所、サンジミニアーノの近くです。
庭にはラベンダー等の花が咲ききれいな所でした。前に娘がローマに留学していた時ワインテースティングで行った所と奇しくも同じ所で、今回は宿泊するというので、娘もこの期間だけ一緒でした。もう一人ここで参加の方を加えて ここを起点にして5日間はフィレンツェ、アッシジ、シエナ、サンジミニアーノに行きました。車が2台でしたのでウォーキートーキーで車間の連絡をしながら、ナビも活用してでした。
今回はイタリア駐在経験のある方ともう一人が運転して下さったので私はナビ係でした。
この5日間それぞれの町では私と娘は集合時間、場所を決めて皆と別に歩き回って色々な所をめぐっていました。古い教会の中はまさに宝の山、観光本には詳しく載ってないような所でもフレスコ画が残っていたり、目を見張るような美しさだったり、、、教会の中は暗く、撮影禁止のところも多くありました。
シエナにいく途中、修道院でオリーブ油を作っているという所にたち寄ったのですが、やはり山の上で景色の良い所で、美味しいお料理を堪能しました。ここのオリーブ油は有名でNYのディーンアンドデルーカにも置いてあったりします。
なんといってもあちこち地元のワインがあり、それぞれとても美味しいです。そしてお料理と良く合います。
イタリアではお昼もしっかりワイン付き、、、結構古い町は坂の上り下り、階段があちこちあるので、飲んでしまうとちょっときつい所も、、、写真(#3アッシジ)の向こうは急な階段、おやつに毎日ジェラートを食べてもこれだけの運動をすれば大丈夫?
ワイナリーでのテイスティングはキアンティが中心で、軽いもの、フルボディの物等色々ありました。チーズ、オリーブ油をつけたパン、等と一緒に。香りをかぎ、そう、まわして、、、そして頂くのですが、写真に並んでいる瓶、全部味見をしました。一本だけ 白ワインが有りましたが、後は赤です。キアンティクラシコの政府推奨マークというのは瓶の口のところにある鶏マークです。これが有る物が良いとされますが、今回
の中では鶏マークより別の物が私は好みでした。勿論年代に寄っても違いますし、合わせるものに寄って違います。今回はこの中から2種類を選んで送ってもらう事にしました。
写真の奥から2番目と一番手前(8番目)のワインです。そしてオリーブ油も(左の角瓶)。
今回もう一つ買いたいと思っていた物はトラッフル、フランス産はとても高いのですが、イタリアでは少し安く買えます。この瓶詰めはなぜかNYでは有りません。トスカーナのあたりは結構置いてあるお店もおおく、ブルスケッタのようにサルサ状になった物をパンに乗せて食べたり、パスタに加えたり、、また蜂蜜につけてある物があり、チーズにつけて食べるといわれましたが、味見をさせてくれて納得の味でした。
早速食事の時に。白のほうが香りがよく、オイルに香り付けをしてある物は普通白を使っています。これらはしっかりくるんで持って帰りました。またこの辺りは猪の肉を使ったサラミや生ハムもあります。
味がしっかりしていてワインと良く合います。トスカーナ地方の食事は割合味が濃いのですが、パンに塩気が無く、我々日本人が味の濃い物を食べるときに白いごはんを、みたいな感覚です。
ここから娘はミラノに寄ってNYへ帰り、4人スイスへ、3人はヴェネチアへと別れました。
ヴェネチアのサンマルコはとても混んでいてサンマルコ寺院では長蛇の列、人気の場所ではありますが、私は前に行っているので、一人で別の寺院等を廻っていました。ルーベンスの絵が思いがけない所に有ったり、古い楽器を展示してあったり。
ヴェネチアからミラノに戻る途中ラベンナという町ではモザイクの素晴らしい教会がいくつか有りましたし、パドヴァではジョットのフレスコ画が有り感激しました。外側はとても古い教会や礼拝堂で簡素ですが、中が素晴らしい。パドヴァはガリレオが教えていた大学がありますが、こういう静かな町にはフィレンツェやミラノのきらびやかさとは違った素晴らしさがあります。
イタリアから帰ってきてあの美味しいジェラートが食べられなくて少々悲しいです。
イタリア総菜店で生ハムを買ってきて、、、でも美味しい物は其の土地で頂くのが一番ですね。
そして坂、階段のある所へも旅行が出来る様に健康でいようと思っています。
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ヴェルナッツァ | ||
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アッシジ | Como/ Villa Carlotta | |
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Como/Garden of Villa Carlotta | Tenuta Torciano 宿泊したワイナリー、娘の亜希子と |
20期還暦同期会速報版を拝誦、まことに懐かしい顔、顔、顔 ・・・・・・・
一気に40年前にタイムスリップです。
失礼ながら髪に白いものが混じる、或いはそれなりに後退している、あれれちょいとメタボ腹?という方々も見受けられますが、それはそれ、年齢相応の現象でもありますから、無理をしないで受け止め、自然体で参りましょう。でも写真からは、諸兄諸姉、皆さん元気一杯、はつらつとした雰囲気でとても還 暦とは思えません。まだまだ若いモンには負けない、生涯現役の気迫、気合が感じられます。
不肖弊員参加したかったのですが、どうしても都合つかず諦めざるを得ませんでした。本当に残念です。次回を楽しみにしています。
華やかな舞台を準備して下さった幹事の皆さん、本当に御苦労様でした。
地球半周した真冬のパラグアイから改めて20期生の健康と益々の活躍を期してエールと共に乾杯です。
在パラグアイ 伊賀上知雄