その12     

更新 2009年12月31日

パラグアイ便り 伊賀上知雄 2009年12月30日

大泉高校20期の皆さん。2009年もあと僅か1日を残すのみとなりました。日本からすれば地球半周の地より年末の御挨拶を申し上げます。

ここパラグアイの首都アスンシオンは猛暑、酷暑、極暑、獄暑(という言葉があるのか知りませんが)の暑い夏の到来で、クリスマスイブの24日は日中最高気温38度、湿度75%という蒸し暑い1日でした。天気予報によると大晦日、元旦も似たような天気になるそうです。今日も1日蒸し暑く、外を歩く のがちょいとしんどかったですね。

クリスマスとなると各家庭、事業所、ショッピングセンターではイエスキリスト誕生の場面を模した飾り付け(ペセブレ PESEBRE と言います)を行ないます。国民の95%以上がカソリック教徒(因みに我が家は80%)と言われていますからこの飾り付けもそれぞれ特徴がありますが、基本形は生まれたばかりのキリストを両親が見守り、東方の3博士が祝福しているというものです。因みに我が家の飾り付け写真3枚を添付します。毎年家内が朝から1日 掛かりで作ります。種々の動物もずらりと並べてキリスト生誕を祝う場面となっています。奥行き1.5メートル、幅1.5メートル位でしょうかね。食事のテーブルもクリスマスカラーのテーブルクロスに飾り付けを施します。年明けまではこの飾り付けで過ごすのが風習です。

我が家は一家5人で夜10時頃から夕食開始、午前零時にシャンパンで乾杯というのが例年のクリスマスです。新年を迎える時も同様ですね。尤もクリスマスと同じ食事では芸が無いので、新年はバーベキュー、焼き鳥、焼きおにぎりを加えたりと工夫はしますし、元旦の昼食には必ず弊員が雑煮を作り、家族 全員で頂きます。いずれ愚息達3名は独立して我が家から出て行くのですから、それが何年後か判りませんが、それまではクリスマスと新年は家族で祝うことにしています。尤も食事の後、1時頃から子供達は友人達との約束があるからと外出する、或いは友人達がやってきて彼らは彼らで夜っぴて楽しんでいますから、親の出番は 本当に毎年減って行くんだなと実感しています。

今年の還暦同期会にはどうしても参加出来ずまことに残念な思いをしましたが、思いがけず同期の小林憲一兄が10月初にパラグアイに出張してくれまして、同期生の消息、同期会の様子をHP見ながらの解説を聞くことができ、改めて同期生の繋がりの良さに思いを馳せました。HP管理人の小山恵一郎兄の 御尽力に改めて感謝です。

同期生諸兄諸姉殆どが既に還暦を迎えている訳ですが、心身の健康第一、生涯現役と参りましょう。ねえ、御同輩。

どうぞ良い年を御迎え下さい。

伊賀上知雄
平成21年12月30日

     
 飾り付け全体    飾り付けキリスト誕生祝福
     
     
 飾り付け全体電飾    

ロンドン便り グレスウェル中川紀代子 2009年12月21日

クリスマスまであとわずか、今年もあと10日あまりとなりました。皆さんお元気ですか?

ドイツやフランスが不況を脱出したかのようなニュースが流れていますが、英国はアメリカの影響が強くてまだまだ不況です。それでもクリスマスくらい楽しくやりたいので、買い物客はプレゼントやご馳走の買出しに奔走しています。不況のせいか、少し安いもので我慢したりとか、やりくりをしている人が多いです。オフィスのパーティーなんかもレベルダウンしているようで、レストランもあの手この手で客集めに頑張っています。普段はクリスマス直後に大きなセールが始まるのに、クリスマス前からセールを始めている店も多いです。

クリスマスはキリスト教のお祭りですが、教会にまじめに行く人はどのくらいいるのでしょうか?イギリス国教会はプロテスタントなのでカトリックほど形にこだわらないようで、私の夫も生まれたときに洗礼を受けていますが、教会に行こうともしませんし全く神を信じていないようです。最近は移民が増えて、回教徒などはクリスマスは全く祝いませんから、人それぞれですね。でも一応は国がキリスト教国なので、12月25-26日は祝日です。キリスト教をあまり信じていなくても、クリスマスは日本のお正月のようなものなので、七面鳥などのご馳走を食べて祝います。子供のころからの習慣というか、うちの子供たちもクリスマスは生涯忘れられない楽しい行事なので、我が家でクリスマスを過ごしたいようです。娘はベトナム人の夫と結婚したし彼の両親家族みんなカトリックなので彼は実家〔ロンドン在住)でお祝いしたいようですが、4年連続娘の意向で我が家で過ごしています。そのかわりイブには彼の家族と過ごします。

我が家ではクリスマスの日には3時ごろからディナーを食べますが、要は飲んで食べての連続ですが、クリスマスプディングという蒸しケーキを食べるのが恒例です。この蒸しケーキを作る時に(もちろん買う人も多いのですが)、中にフォイルで包んだ硬貨を何枚か入れといて、誰のケーキにどんな硬貨が入っているかと食べながら見つけ出してそれをもらうのが子供たちの楽しみです。クリスマスプレゼントも今でこそプレゼント交換になりましたが、娘が10歳息子が7歳までは、本当にサンタクロースがトナカイに乗ってプレゼントを持って来ると信じていて、クリスマスの前にはサンタさんに何が欲しいか手紙を書いて(こちらの子供たちがよくやることです)、クリスマスの朝にはプレゼントがツリーの下に置いてあるというような楽しみが彼らにはあったのです。(これは彼らに気付かれずにプレゼントを置くということが親にとってはなかなか大変でしたけど)夢のあるクリスマスでしたねえ。

今年は双子の孫たちがいるので賑やかですが、オーストラリアにいる息子は運賃がとても高いので5-6月までは休暇で戻れないそうでちょっと淋しいです。オーストラリアでは夏のクリスマスなのでバーベキューだとか、なんだかクリスマスの感じがしませんね。

さて今年は盛大な同期会ができて大感激でしたね。無事還暦を迎えられたのでそれを祝いつつも、これからもなるべく長い間元気でいられるよう健康に気をつけて楽しいことを沢山していきましょう。来年もよい年になりますように。それから管理人の小山さんに、1年間大変ご苦労様でした。来年もよろしくお願いします。

ニューヨーク便り 高橋治美 2009年12月18日

皆様

また一年が終ろうとしています。今年は我々の多くが還暦の年でしたね、還暦というとなんだかとても歳を取ったという響きなのですが、現代の60歳は昔から比べるととても若く,活動的で、まだまだこれから自由な時間を楽しくつかう事ができる年齢だと思います。

今年は 私事ですが、とても忙しい一年でした。こちらでは第二の人生を始めるというのは50歳という節目が多いのですが、日本式に子供達が還暦のお祝いパーティを開いてくれました。仲の良いお友達に囲まれての楽しい会でした、其の前後、息子が結婚、私の誕生日をはさんで お式、披露宴とという2重に楽しく、そして忙しい時間を過ごしました。式は市役所に簡単な物で、お友達の間での披露パーティをしましたが、日本での披露宴は来年の予定でまだ日取りはこれからという親としては来年も忙しく楽しい年になりそうです。

コーラスの色々な行事がやっと終わり、ほっと一息ついて、11月末にご出産された前の伴奏者のかたに団員からのお祝いを送るのに日本風ののし袋を買いにNY紀伊国屋に行きました。NY紀伊国屋は日本の紀伊国屋の支店で古くから在NY日本人の間で親しまれています。以前はロックフェラーの横に有りましたが、現在はブライアントパークの向かい側に移っています。新しい場所になってから、上に日本的なカフェができ、店内では和風小物や、文房具等も充実しています。
二階の大部分は漫画で占められています。最近は日本の漫画がブームでその展示会、コスプレも入ってきています。日本の文化という事で大々的に取り上げられていますが、こればかりが文化として取り上げられるのはなんかちょっと不満という気がします。紀伊国屋では日本の文化、古典からお料理まで英語での日本の本も勿論あります、この時期特に印刷、装丁の美しい日本の本や、和風小物,かわいい文房具をクリスマスプレゼントとして選ぶひとも多く、お店はこちらの人達でとてもにぎわっています。

のし袋を買い、上の喫茶室でお茶を飲みながら上書きをして帰りに郵便局に寄って出して行こうと思い、2階に上がりましたら、ここも満員でしたが窓際の席を確保して座ると、目の前に公園のなかのクリスマスマーケット、写真ではちょっと見えにくいのですが、スケートをする人たち、そして木の陰にクリスマスツリーがあります。
暗くなるのが早いこの時期ですが、飾り付けがきれいで華やいだ気分になります。この辺りは日本企業のオフィスが多く、後ろの建物の(公立図書館=現在は研究者用ですが誰でも出入りできます、この公園の地下も膨大な書庫です)
向こうは五番街となり、近くに日本食のお店,カフェ、古本屋,等々があります。お昼時の混雑はかなりです。いまや、日本食はスシ、テンプラだけでなく、麺類も人気があります。

日本のお店では飾り付けはそれほど派手ではなく日本的という感じですが、紀伊国屋のショーウィンドウと、2階から眺めたクリスマス風景を添付しました。
どうぞみなさま楽しいクリスマス、そして健康で良いお年をお迎えください。
                                        高橋治美

シカゴ便り 井上幸夫 2009年12月15日

大泉高校20期生の皆様

久しぶりにお便りします。シカゴ在住の井上と申します。
数日前はー17Cまで気温が下がり、まさに極寒季節の到来です。
今日はー2Cと若干和らいだので、ゴルフ気違いに誘われるままにラウンドをしてきました。必需品のスクリュードライバーを持参して。テイーをグランドに刺すための道具です。
初めてスプーンで350ヤードを転がしました。

私はある機械メーカーに席を置いていますが、アメリカでの生活は1980年6月に4年間の任期でロス駐在を命じられたところまでさかのぼります。
ところがアレヨアレヨと今年でなんと30年目に突入です。その間、まさに紆余曲折の連続でしたが、非常に貴重な経験をさせてもらったと思っています。

ロスを皮切りにニュージャージ→ロス→ヒューストン→シカゴ→サンアントニオ→日本(半年間)→ロス→日本→シカゴ&ナッシュビルとドサまわりして繰り返してきましたが、そろそろ年貢の納め時と考え、来年中にはアメリカ生活に終止符を打つ考えです。
というのも、私は今年の5月に定年を迎え、同時に駐在の任を解かれ家内共々帰国しましたが、家内を日本に残し私だけがシカゴにUターンしました。
家内とはアメリカで知り合い結婚しましたが、私より滞米生活が長く今回の帰国には相当ショックを受けているようです。
救いは、息子二人がアメリカで生まれ育ちアメリカの大学を出たにも関わらず、二人とも何故か日本の会社に就職し日本で生活していることです。

さて私の滞米生活の一部に触れたいと思います。最も記憶に残っているのは15年程前になりますが、Poultry Companyとしては世界最大手のT社にチキンモモ肉用自動脱骨機を納入した時のことです。この会社は一社で日本全体のチキン処理量を上回り一週間に4000万羽を処理するマンモス企業です。
アメリカ人はモモ肉(ダークミート)はほとんど食べずムネ肉(ホワイトミート)が大半です。一部は国内消費に回りますが、多くは安価でロシアや中国に輸出されたりしますので付加価値は低い、つまり儲からない商品と言えます。

一方、日本はモモ肉が好んで食されムネ肉よりもバリューが高い。当時アメリカからも脱骨したモモ肉が日本に入っていましたが、品質が安定せずほとんどがグレードBに甘んじ大半が業務用加工肉にまわされていました。皆さんがスーパー店頭でご覧になる、皮付きのモモ肉一体物がグレードAで付加価値が高い。
T社としては何とかAグレード商品をコンスタントに大量に日本市場に送り続けたい、その方法は無いかと模索していたところ、偶然T社の社長と弊社の社長が面談する機会があり、そこから話がとんとん拍子で進み弊社の脱骨機をあるプラントで試験的に使ってみようということになりました。

面談から数ヵ月後に右足用と左足用各1セットをオクラホマにあるプロセスプラントに納めました。日本から技術者が数名、私を含め駐在員がバックアップする形でT社と共同開発が始まりました。安全規格(OSHA、UL)や衛生規格(USDA)に準拠しないとテスト機と言えども生産に使用出来ませんので、相当な改良改善がなされました。まさに共同開発です。プラントは本当に人が住んでいるのだろうかという僻地に所在していましたが、チェロキーインデアン部落が周囲にあり、従って作業者の大半はインデアンでした。彼らは見た目はごついですが、一緒に仕事をしてみると気持ちの優しい且つハードワーカーであることが分かりました。

T社のR&Dのメンバーと徹夜を厭わず試行錯誤を繰り返し、どうにか規格をパスすることができました。テスト機も手ばらしの脱骨に比べ歩留まりもよく、品質も安定したモモ肉を排出することができるようになり、結果としてそのプラントで約40セットの脱骨機を購入していただくことになりました。日本のある大手商社がバイヤーでしたが、彼らも時々品質チェックにプラントを訪れ、Aグレードが増えたことに満足の意を表していました。

我々実行部隊も約半年間、僻地のモーテルに寝泊りしインデアン食にも慣れ、夜中に狸やウサギ、時に鹿を引いても動じることも無くなり、またプラントの人たちとも仲良くなり、一緒に猟や釣りに出かけるまでの関係になりました。さすが最終引渡し時には胸にジンと来るものがありましたが、T社の本社に最後のご挨拶に伺ったときは、合衆国大統領の執務室を真似たとされる“オーバルルーム”に通され社長を含むトップの方々から感謝され、その時は本当に苦労が報われたと思いました。

以上はごく一部の出来事ですが勿論良い事ばかりでなく、むしろ思い出したくない苦い経験の方が多くあります。それらは残された1年間で後輩に良きも悪しきもきちんと伝えてゆきたいと考えています。限られた人数の中で一人が3役も4役もこなさなくてはならない駐在員生活は、他社さんも同じだと思いますが、厳しさの中にもやりがいのあるものでした。最近、そのような駐在員に自ら手を上げる若手社員が少なくなってきたのが気になります。

最後に、シカゴのアパートから見る郊外の町並みの昼と夜の風景をお伝えします。

20期の皆様、Merry Christmas and a Happy New Year!!

井上

パース便り マグラー原口節子 2009年12月8日

20期の皆さん如何お過ごしですか。

今年は例年になく感慨深い年だったのではありませんか。 60歳なんてまだまだ先の話、なんてちょっと前まで思っていたのは私一人ではありませんよね。 
還暦を祝う同期会では、私も心から楽しませていただきました。 高校卒業以来初めて会った懐かしい人、「はじめまして」なんていう挨拶を交わした人、顔は覚えているけど名前が思い出せなかった人(すばやくそしてさりげなく胸元の名前を見たりして!)  やはりいいですよね。 青春期のある時期を共有した、同じ時代の空気を知っている仲間、右を見ても左を見ても皆同年代。 すごく安心します。  お礼が遅くなりましたけど、同期会を成功に導いた幹事の方達、そして気合を入れて参加した方達、楽しい一日を本当にありがとうございました。 次回も楽しみにしています。  

さて日本ではデフレ、失業、不況などの暗いことばが飛び交っているようですが、今年の流行語大賞は、やはり55年体制を崩した「政権交代」でしたね。
海外に住んでいても昔と違ってNHKワールド放送やインターネットで日本のニュースも容易に同時に見られるようになったけど、私にとって今回の「政権交代」後のニュースほど興味を持って見たものは最近他にありませんでした。 特にあの「事業仕分け」、あれは面白かった。 下手なドラマを見るよりよりずっと面白くてドラマチック。 初めて公にした点では画期的だし、それなりに意義はあると思うけど、私はあの中で繰り広げられた仕分け人と答弁者の明明白白の立場上の違いを見せつけた両者のやり取りと各人の反応を面白がってしまいました。 「わ、もっと続き見たーい」 とまるで母親に突然見ていたテレビのアニメ番組を消された子供のような心境に陥ってしまったほど、最後の締めまで見たかったのが、事業仕分けのニュースでした。

ここのテレビでもNHKでも私は討論番組が大好き。 特に日曜討論や国会中継の時は必ず見てしまう。  相反する意見の衝突や論争を私はいつも愉しんでしまうのです。 何が面白いかというと、相手がああ言ったら、どう答えるか、絶対逃げられないような追求を受けた場合、相手はどうやってそれを交すか、そんなキャッチボールいやキャッチボールはちゃんとボールが還ってくるから、一方的な弾の撃ち合い?そんなやり取りが面白くて堪らないのです。 それって見ていてとてもコミュニケーションのお勉強になるんです。 どの人が一番論理的か、説得力があるかという話の内容は然る事ながら、それと同時に、やり取りする時のその人の反応に興味があるのです。 ちっとも質問に答えていないのに、感心するほどシラーっとしてる鉄面皮、急所をつかれても視線はあさっての方を向いているおとぼけ顔、相手を窮地に追い込んだ時のしてやったり顔などなど、何か隠された人間心理が覗いていて面白いと思いませんか。 

海外からこうした日本の討論(口論?)場面を見ていて、よく日本とオーストラリアのコミュニケーションの違いを感じてしまいます。 何が一番違うかというと、日本人にはどうもユーモアのセンスが欠けているようです。 根が生真面目な国民性なのでしょうね。私も含めて! ユーモアなんていうと、軽い、不真面目などとマイナーなイメージを持つ方もいらっしゃるかもしれませんが、いえいえ、とんでもない、これこそが円滑なコミュニケーションの潤滑油とでもいいましょうか、大切な要素なんだと思います。 日本の討論番組なんか見ているとどうも向きになったり感情的になったりしてちょっと険悪状態に陥る場面も多いけど、ここではそういう時に本当に上手にユーモアを駆使できる人が多いんですね。 雰囲気を和らげ一呼吸する余裕を与えることによってとても建設的な方向に動くと思いませんか。 

友人との会話にも一般の人間関係にも常にそこにはユーモアがあって、ちょっとした人間関係緩和エッセンスみたいな役割を果たしているように思うのです。 ユーモアセンスはスピーチにもよく反映されていて、大勢の人を前に硬い話や難しい話をしても聴衆を笑わせ退屈させないなんて、私なんかそのスピーチの内容よりもその人の人間性に魅かれてしまいます。 常々思うのだけれど、日本の首相などがサミットや国際会議などの本番前の時間に、各首脳が談笑し合っている時に何か所在なさそうにしているのをテレビで見ることありませんか。 ああ、日本の首相も英語でユーモア溢れる歓談でもしたら又日本の外交も違ってくるのにな なんて思ったりもしますよ。 だって通訳を介してのユーモアやウイットなんて何かズレますよね。 それに昔「ヤス」「ロン」とファーストネームで呼び合ったなんてマスコミが大騒ぎしていたことがあったけど、そんなことこっちの社会では当たり前。 それに昔こんなこともありました。 私の夫が東京勤務の頃、当時のオーストラリア首相が婦人と訪日して、私も夫人にお目にかかる機会があってとても緊張したけど、最初に婦人がおっしゃったことは、私を「ファーストネームで呼んでね。」でした。 日本式コミュニケーションとの大きな違いに、いい意味でショックを受けたの覚えています。 さあ、今の鳩山さんは英語が堪能らしいからお手並み拝見 ですね。

とにかくユーモアはコミュニケーションの円滑剤。 そしてもう一つ忘れてはいけないのが西洋社会は論理優先社会。 つまらない感情で人は動かない。 あくまでも論理的に動く。 優しい気遣いや察する気持ちに溢れる エー、この日本人の私にとっては、時として戸惑うこともある論理的思考の社会だけど、そのクールさは考えようによってはやっかいな感情に流されたり振り回されたりしないから精神衛生上いいかもしれない。  とかく感情論になり易い日本人と違って、相手の言う文句や批判にもきちんと耳を傾け、そしてしっかり自分の意見を主張し、冷静に対応する人が多い。 そしてちょっと感情が高ぶった討論しても最後はジョークで締めくくる余裕。 そして議論が平行線に終わった時でも決してしこりが残らない気持ちよさ。 根に持たないさわやかさ。 私がここで暮らしていて一番快適に思うことはもしかしてこんなコミュニケーションのあり方かもしれない。

ここで一つ、皆さんに是非試してもらいたい提案があります。 売り言葉に買い言葉、大抵ここから口論が始まるでしょ。 もし誰かに文句を言わなければならない時、決して青スジなんかたてないで、決して口角から泡なんか飛ばさないで、目元で笑って静かに冷静に言ってみて。 効果抜群間違いなし!  特に夫婦喧嘩解決に役立つかもよ!

さてさて話は変わってクリスマスシーズンを迎えているパースに、11月末2年ぶりに第51次南極観測船 新「しらせ」が再びやってきました。 旧「しらせ」より物資輸送量も100トンほど増えたようで、船体は勿論、ヘリコプターや様々な設備も真新しくなっていてその姿は威風堂々とした見事なものでした。
艦上パーティーではもう5回目という本吉隊長や、何年か前の越冬隊長さんなどと久しぶりに再会して、神山くん(失礼、極地研の教授で理学博士の神山元越冬隊長さん)を酒の肴にして歓談した後は、海底地形調査や気候,変動、隕石などの貴重なお話しを伺うことができました。 多岐にわたるプロジェクト、頑張ってきていただいたいものです。

今年も残るとこあとわずか。 来年早々、私も誕生日を迎え正真正銘60歳。 
今年の前半は30年ぶりのアメリカ旅行をしたり、同期会に参加したり、シドニーに行ったりと活発に動き回っていたけど、後半にきてちょっとスローダウン。 慢性の腰痛が悪化したのと右手の人差し指の関節が痛くなって今は大好きなテニスも折角再開したゴルフも休業状態。  今まで余り年令は意識しないようにしていたけど、体のあちこちがきしみ始めると一気に年とったようでちょっとショック。 やっぱり還暦なんですねぇ。 でも毎朝ウォーキングをして頑張っていまーす。

同期の皆さん、くれぐれも新型インフルエンザには気をつけてくださいね。
そして来年も我々大泉還暦パワーで乗り切りましょう!
投稿リレーも楽しみにしています。

 Merry Christmas & A Happy New Year !!

マグラー原口節子 from Perth

NIKE 10KM クォーターマラソン完走 然し疲れました 伊賀上知雄 2009年12月2日 

さる11月28日(土)NIKE主催10KMクォ-タ-マラソンに出場し、62分45秒で無事完走しました。

主催者側発表によれば4000人が参加、最年長76歳、最年少16歳。スタート前には17:15から可愛いお嬢さん方がインストラクターとなって高い壇上でアエロビの準備体操、これが30分近くあって結構な運動量でした。司会者の絶妙なトークも加わって参加者の気分はどんどん盛り上がり、夕日が まだ高い気温28度湿度高めのちょいときつい条件下、18:00号砲と共に紙吹雪が舞う中をスタート。何となくスターになった気分で気持ち良い開始でした。

私はこの種レースは初めての参加でしたから、目標は完走すること、時間は二の次としました。60-70分は自己トレーニングでは走れていたし、レース前トレーニングでも無理なく10KMを4-5回こなしましたから完走の自信はあったのですが、一人で走るのと集団で競争もある走りというのはまた別 ですし、結構上り下りのあるアスファルト舗装上を走るのですから、決して無理しない、完走することを念頭に臨みました。

いやはや参加者の皆さん飛ばしますね。驚きました。私はスタート時に前からエイヤで数えて1000人位のところに位置していたんですが、後ろからどんどん抜いて行くのです。結局上から三分の二程度の順位でゴールだった様子です。2KM辺りからはペース上げすぎてへばった人達が歩き始めるので彼ら を抜きつつも、息が上がらない、会話の出来る速度を守って走りました。1.5KM毎に給水場所があってミネラル水ボトルを受け取れる様になっていまして、飲みながら且つ頭に水を掛けて走るというスタイルの参加者が多かったです。私も3KMの給水場所から毎回それを行ないました。

きつかったのは前半3.5KMから4.5KMのだらだら続く上り坂と、後半7.5KMから9KMのやはりだらだら続く上り坂でした。丁度前半後半それぞれに疲れを感じる場所でした。これ以外の上り下りはきついとは感じませんでした。

トップランナーは30分27秒でゴール、昨年に次いで2連覇でした。30分と言うと私は5KMの少し手前をトロトロ走っていた頃です。私の62分45秒は1KMを平均6分16.5秒で走ったので年齢の割りには良い数字ですよ、立派なものですと後刻日本で体育教師をしていた当地在住の方から御世辞 半分でしょうか、言われました。悪い気はしませんでした。来年は還暦(2月生まれです)なので、60歳以上のカテゴリーで参加、目標は60分を切ることと目標を家族に告げたら、白い目で見られてしまいました。心肺機能・足腰の衰えを防ぎ健康維持するのは家族に対する責任であると大見得を切って対抗しましたが・・・・ 。

完走しての感想です。(オヤジギャグではありません)
1)ジジイでも結構やれる、まだまだ若いモンには負けない!!!
2)日頃の積み重ねは効果大。(小さなトレーニング、ジョギングを疎かにしない)
3)些か疲れるものだ。然し来年はもっと良い走りをするぞ。

出発前自宅にて 6.5KM経過