その14     

更新 2011年9月17日

パラグアイフェスティバルのお知らせ 伊賀上知雄 2011年9月17日

パラグアイフェスティバルのポスターが出来ました。10月2日(日)に光が丘公園ケヤキ広場で開催されるパラグアイフェスティバルにおいでください。詳細は下記のメールをご覧ください

パラグアイ便り 伊賀上知雄 2011年9月2日

日本は9月に入って、朝晩は多少なりとも冷気を感じる頃でしょうか。当地は暑かったり寒かったりの冬場がそろそろ終わり、連日最高気温30度という日々になりました。20期生の皆様如何御過ごしでしょうか。

野田新政権が発足しましたが、東日本大震災からの復旧・復興がどんどん進み、国としての課題を解決して日本が良くなることを遥か南米より切に願っています。

回転木馬などと海外メディアから揶揄されるここ数年の日本の総理大臣交代劇ですが、一方で、ちょっとなあと疑問符の付く人物が大統領となって4年も5年も座り続けて何もしない、出来ないでその間国民は迷惑を被るというのもこれまた困りものと、南米生活30年の経験から感じるところであります。

さてさて政治の話をする為にパラグアイ便りを書いた訳ではありません。南米と言っても12カ国ありまして(除く仏領ギアナ)、各国それぞれに特徴があるのは当然です。実は来月10月2日(日)10時から16時まで、練馬区光が丘公園、けやき広場(公園内体育館前の広場)で「パラグアイ・フェスティバル in Tokyo」なるイベントが開催されるので、これ御紹介したいと思い海外便りを差し上げる次第です。物理的にも心理的にも日本から遠く、馴染みの無い国ですが、これを機会に関心を持って頂ければと思う次第です。

詳細は以下に記載の通りで、発起人の一人で今回のイベント実行の中心となっている方は昨年までJICA(国際協力機構)アスンシオン事務所次長を勤めた方の夫人で、然もパラグアイでは最も歴史有る移住地のラ・コルメナ出身です。勿論のこと私もこの御夫妻とは当地でも親しくつきあっておりました。

当日はパラグアイの食、文化、日本との絆を紹介することになっています。私も家内も若し日本に居るならイベントに馳せ参じ、家内はパラグアイ独特の刺繍作成や伝統料理の実演を行ない、私がその説明役ということで協力したいところです。成田を飛び立ってから30時間を掛けて漸く到着する遠いパラグアイですが、意外に日本人のメンタリティに調和する部分が多い国であり国民です。パラグアイに駐在経験のある圧倒的多数の方々は、少なくとも私の周囲の方々は全員ですが、行って良かった、機会があればまた行きたいという印象を持ち、当地に住みついてしまう方(筆者もその一人でしょうと外野席から声が飛んで来そうですが)が結構居ます。

時間と関心のある方、是非御運び頂ければ幸甚です。以下、実行委員会から寄せられた案内です。


「パラグアイ・フェスティバル in Tokyo」を以下により開催しますのでご案内いたします。
多くの皆様のご来場をお待ちしております。

 ・日時: 2011年10月2日(日曜日) 10時―16時
 ・場所: 練馬区光が丘公園
 ・主催: パラグアイフェスティバル実行委員会
 ・後援団体: 外務省、在日パラグアイ共和国大使館、練馬区、(社)日本パラグアイ協会、(財)海外日系人協会、(NPO)ヒッポファミリークラブ
 ・協賛団体: JICA地球ひろば、常石ホールディングス、アルファインテル南米交流、第一商事ほか
 ・協力団体: ギアリンクス、箱根植木株式会社ほか

「パラグアイ・フェスティバルの目的と内容」

日本から一番遠いパラグアイ国が大の親日国だということをご存知ですか?
パラグアイは、南米の心臓(コラソン)といわれる、文化・自然の豊かな、人の優しい、開発途上の魅力的な国だと知っておられますか?
また、パラグアイに移住したたくさんの日本人とその子孫(日系人)が、パラグアイの人と一緒になって、東日本大震災への心のこもった支援活動を行っていることをご存知ですか?

日本では知らない方がほとんどの南米のパラグアイ国を、「食」と「文化」と「日本との絆」をテーマに、楽しく知ってもらうことを目的とするフェスティバルです。
また、当イベントの収益金は、パラグアイの貧困層支援ならびに、東日本大震災支援のために使われます。
ぜひとも、ご来場の上、パラグアイをいっぱい楽しんでください。

◎「パラグアイの食を楽しむ」コーナー
 伝統料理の展示・販売・実演を行います。

◎「パラグアイの文化を遊ぶ」コーナー
 美しい刺繍製品など、民芸品の展示・販売・指導を行うほか、野外ステージにて、民族音楽(パラグアイハープ)、民族舞踊(ビン・ダンス)の実演やお子様向けのゲームなどを行います。
 サッカー選手(アルディージャ新潟の小澤英明選手)との交流も計画中です。

◎「日本との絆を知る」コーナー
 日本人移住者や日系社会の活躍、青年海外協力隊などJICAの国際協力、ミタイ基金による貧困層支援、パラグアイからの東日本大震災復興支援のための義捐金募金活動や、日本人農家の大豆を使った豆腐支援プロジェクトなどを紹介します。

以上

ロンドン便り  グレスウェル中川紀代子 2011年5月9日

20期の皆さんいかがお過ごしですか?未曾有の大地震の後、ほぼ通常通りの生活に戻られていればいいなと思いますが。それにしても、被災地で亡くなった方々、怪我をされたり避難所生活を余儀なくされている方々のことを考えると胸が締め付けられます。1日も早く安らかな日常が訪れますよう願ってやみません。地震や津波だけでも大変なのに、原発の問題まで起こり、東京近辺の人たちまで不便な生活を強いられてしまいましたね。我々の年代は社会の色々なところで、下の人たちを引っ張っていかなければならず、自分たちがめげている暇もなかったと思います。10年以上も続いた不況からやっと立ち直りかけていたのに、何と言う不運!でも、敗戦の焼け野原からみごとに復活した国だし、天災のたびに復興してきたその大和魂で又立派な国に甦って欲しいです。頑張れ、ニッポン!

イギリスでも、日本への義援金集めが沢山行われ、チャリティーコンサートやバザーなどの催しもあちこちで行われて多額の義援金が集まっているようです。日本は金持ちの国だから寄付金は要らないんじゃないかと皮肉を言う人もいましたが、あのものすごい津波の映像をニュースで見せられた人たちは義援金を送らずにはいられなかったようです。

震災後日本のニュースが毎日続きましたが、リビア攻撃が始まったらとたんに日本のことは後回しにされ、まだまだ津波の被害が増えそうだし原発の問題も収束しそうにないのに、時々しか報道されなくなり、メディアのあり方に疑問を持ちました。最近では、ロイヤルウェディング、ビンラディン殺害。じつに色々なことが起こる世の中です。最近はリアルタイムでニュース画像が入ってくるのですが、メディアが報道したいように報道するだけで、視聴者はもっと客観的に懐疑的に受け止めないと、それこそテロリストの洗脳ビデオみたいに、事実とかけはなれたことを信じてしまいそうです。大地震、大津波、原発での爆発など、これでもか、これでもか、と見せられたら、日本って随分ひどい国でとても人間が住めるところではないとか思った人が多かったのではないでしょうか。

さて、4月29日のロイヤルウェディングですが、キャメロン首相がこの日を祝日にしたので随分盛り上がって、全国で5000くらいのストリートパーティーがあったらしいです。ストリートパーティーというのは、庶民が住んでいるところの道路を許可を得て通行止めにして、近所の人たちとお祝いするという習わしで、我が家の前の通りでも(3間先)やってました(私は参加しませんでしたが)。世界中に放映されたので、皆さんも見られたと思います。式場となったウェストミンスター寺院の前で何日も前からキャンプして待っているマニアの人たち以外にも、ものすごい数の人たちがロンドンに押し寄せて(もちろん旅行客も)ケイトとウィリアムの姿を見ようと集まっていましたね。私は、見ないことにはコメントできないので、寺院の式だけはまじめにTVで見ました。キリスト教徒でない人には退屈な聖書朗読とか讃美歌とかは適当に見ましたけど。

イギリスも膨大な赤字を抱えて、政府が非常に厳しい緊縮財政を行っているので、国民の反感を買わないように、結婚式の費用(約13億6400万円)を王室とミドルトン家でもち、警備の費用(ほぼ7億円)だけ税金でまかなったそうです。王室が国一番の金持ちなのでわかりますが、ミドルトン家は北部出身のブルーカラー階級だったのに、ケイトの父親がオンラインでパーティーグッズ販売を始めたら随分当たったそうで、今はかなり裕福で、ないのは貴族の称号だけ。娘が王室に嫁ぐのは貴族との接点を持つまたとないチャンスだったようです。私にとって印象深かったのは、ケイトの両親、妹、弟が結構きちんとしていて落ち着いて見えたことです。妹もスタイル抜群で可愛いし、弟も立派に聖書朗読をそつなくこなしたし。こちらのしきたりで、父親が娘を嫁にやるという意味で、花嫁と一緒に入場しますが、世界中の人が見ていると思うととても緊張するのだと思いますが、あの父親は立派でしたね。

イギリスの王室は日本の皇室と違ってスキャンダルだらけ。チャールズとダイアナの離婚でかなり人気がなくなり、ダイアナの事故死でどん底に落ちましたね。その後女王が一生懸命名誉(人気)回復に精を出した結果、少しづつ戻って来ているようです。でも、チャールズがカミラと結婚したときはかなりの人が白けましたね。女王が退位したら、ウィリアムに王位を継がせたいと思っている庶民が結構いるそうです。今回の結婚式も名誉挽回の一貫として王家で知恵を絞ったらしいです。若いカップルはラブラブみたいだし、ほぼ同い年で、ケイトもダイアナのように未熟ではないので上手くいくのではと思っています。さしづめ、もうケイトも29歳だし、なるべく早く御懐妊が待たれるのでしょうね。外野はうるさいですね。雅子様を破壊したのはこういう当たり前の期待だったのだと思いますね。女性を子供を産む機械にしか考えない古臭い習慣風習。それも、男子優先の不平等。女王が君臨する国でもまだそうなんです。変えようという動きはありますけどまだまだ時間がかかりそうです。自粛ムードの日本ですが、皇太子ご夫妻には出席して欲しかったですね。それから、元首相のトニーブレアとゴードンブラウンが招待されなかったのはおかしいです。祝日にしといて、これはプライベートな結婚式だとか、二人の元首相にはガーター勲章の称号がないとか、保守党の政治的な陰謀にしか見えません。現反対政党党首まで招待されてるのですから。

以上、久し振りの投稿です。祖国ニッポンの速やかな復興を毎日毎日祈っています。皆さんお元気で。

パラグアイ便り 伊賀上 智雄 2011年1月1日

同期生各位

今年もアスンシオンは36-37℃の蒸し暑いクリスマスを迎え、そしてその蒸し暑いままの新年となりました。暑さで日中は頭がクラクラします。南米でのクリスマスと新年を迎えること30回(今までの人生の半分)、いい加減に慣れたろうと当地の友人達は簡単に言いますが、新年はきりりと引き締まっ た冷気と静謐さの元で迎えてこそと思うのが日本人の心情と説明するも、言葉ではなかなか判って貰えません。

同期生諸兄諸姉全員が還暦を迎えた後の初めての元旦となりますが、新年はやはり気分一新、今年も良い年でありたいな、良い年にしたいと思うのは自然の気持ちであろうと思います。

我が家も愚息達が独り立ちするまで残り僅か数年、一家全員無事で迎える新年を神仏に感謝しています。

さてさて、海外に住んで居ると、好むと好まざるとに関わらず、日の丸を意識しなければなりませんが、当地から日本を見ていて2010年に感じたことを少々。
1)日本の国力低下は何時まで続くのだろうか?
2)日本は今や自分で何も決めることの出来ない国家となってしまったのか?
3)日本の安全保障(広義の意味で)は大丈夫?
4)日本の良さと堂々たる主張を改めて世界にどんどん発信する必要がある時期が到来した。
なんて分不相応なことを時々思っています。

一方当国含めた南米の状況や如何にと見れば、これが結構元気一杯です。当国は農産物の価格上昇という神風に助けられた一面はありますが、2010年経済成長率14.5%(中銀発表)で、米州で1番となりました。ブラジルはルーラ大統領側近が次期大統領となり成長路線を継続するのは明らかで、五輪 、サッカーW杯開催という国としての一大イベントを控えていますから元気印のブラジルというイメージを前面に強く打ち出して行くのは間違いありません。鉱山落盤事故で一躍知名度の上がったチリも実業家出身が大統領となって経済活性化に更に取り組むのは間違いありません。銅を始めとする鉱物資源、農林水産業 牧畜業は盛んで付加価値の高い製品輸出に長年取り組んでいますから成長路線は継続するでしょう。アルゼンチンは元々世界で唯一、食糧もエネルギーも自国内で完全調達できる国、輸出に頼らなくても生きて行ける国として知られておりますが、成長路線を走って国の威信を更に高めようとしています。ラテン社会はいい加減とい うイメージが語られますが、弊員は南米生活30年を超えて感じるのは決していい加減な人々ばかりではないという現実です。実際に国を企業をきちんと動かしている人々の能力の高さはこれは刮目すべきものがあります。彼らの大半は一流と言われる高校・大学を卒業しており、学校当局も社会の負託に応えるべく教育水準を高く 維持しています。これから先、南米の勢いは増して行くものと見ています。この勢い、エネルギーを日本に分けることが出来ればとも思います。

2011年、心身共に健康で参りたいと念じています。20期生諸兄諸姉、どうぞ良い年を御迎え下さい。

伊賀上 知雄

クリスマス 高橋(旧姓佐藤)治美 2010年12月23日

20期の皆様
  あっというまに一年が過ぎ12月となりました。一年が早いですね。お元気でお過ごしでしょうか。
  日中でも氷点下の日々が続いていましたが、この数日やっと最高気温が氷点下を少し上回り今日は少し温かいと感じる日です。25日には雪が降るという予報もでていてホワイトクリスマスになるかもしれません。

  世の中景気はあまり良くないのですが、この季節だけは皆さん買いものにでかけます。どこも早々とセールをしていて、プレゼントをセールで買うなんて、と思いますが、この国では普段から正価で買うということはスマートな人のすることではなく、いかに同じものを安く買うかという情報があふれています。お店ではいまは40%引きのところが多くクリスマス前の一週間は一年で最も売り上げのある時期です。でも買いものもクリスマス精神に貢献しているという事をご存知でしょうか。一つの商品を誰かが買った場合お店は売り上げからいくらかを寄付に回すというところもかなりあります。

  日本ではクリスマスというと華やかなイメージがあるかとおもいますが、キリストの誕生日であり、本来のキリスト教の精神にしたがって 一人一人が何が自分に出来るかを考える時でもあります。ですからこの時期もっとも活発なのが寄付活動。救世軍の人たちが街頭で鈴を鳴らして寄付集めをしていますし、サンタクロースの格好をした人も。色々な慈善団体からの電話も数多くかかる様になります。子供達も色々な形で協力します。

NYでは冬の寒さが厳しいので、毎年12月にはいるとコートドライブが始まります。小さくなって着られなくなったコート、また形が少し古くなったので、クローゼットに眠ったままになっているコートなど。ターミナル駅、警察署、コート専門店など色々な所が協力し大きな回収箱が設置されます。
http://www.newyorkled.com/moreNYseasonal_christmas-Coat-Drive.htm 

テレビなどでもスターなどの人が自分のコートを寄付し皆に呼びかけています。集まった沢山のコートは路上生活者など必要な人たちに寄付されます。
コート類はかさばるので、あまり遠いところに持って行くのは大変なので、私は今年は近くの警察署に持っていきました。病院の小児病棟などでは入院している子供達にもおもちゃがプレゼントされます。それらはやはり色々な人が呼びかけてあつまった物です。こちらはスポーツ選手等が率先して寄付したりしています。

  物やお金を寄付をするという事ができなくても自分が出来ることはと考えたときに自分の持っている特技を活かして人々をちょっと幸せな気分にしてあげられることもあります。学校の近くに施設や病院があるところは子供達が訪問して歌ったりします。ここではキリスト教の方ばかりではありませんので、ハヌカというユダヤ教のお祝いの歌、スペイン系の方たちの陽気なクリスマスソングなどを取り混ぜて歌ったりもします。

  私の所属する合唱団でも毎年ニュージャージー側にある病院にキャロリングに行きます。日本人の合唱団ですが、歌うのは英語の諸人こぞりて等の賛美歌です、合唱団らしく4部合唱でうたいながら8階から1階まで病室の廊下をまわります。この時期家に返りたくても病院にいる方たちにクリスマス気分を味わって頂きます。ほとんどの方がベッドから手を振って下さいますし、酸素ボンベを押しながら廊下まで出てきて一緒に歌ってくださったかたも。とても良いお声でした。2時間半ほどかかりますが職員の方たちもいつも楽しみに待っていて下さいますので,私達も皆さんにお会いできるのを楽しみに毎年続けています。集中治療室でも眠った様に思える患者さんが手を動かしたりして感動しました。

  冬至を迎えて一番暗い季節ですからクリスマスの時期は誰もが明るくしたいという気持ちになります。町中の飾りの華やかさも道行く人たちの気持ちを明るく楽しくしてくれます。オフィスのビル等はどこもこれいに飾られています。下の写真は在NY総領事館の入っているビルの外の飾り付けです。大きなナッツクラッカーのお人形が沢山、他の季節にはしまっておくのが大変そうに思います。もう一つは メトロポリタン美術館のインフォメーションの飾り付けです。今週は柊の赤い実がとてもきれいです。

  クリスマスが終るとすぐにお正月ですね。2011年が皆様にとってより良い年になります様に。

パース便り マグラー原口節子 2010年12月8日

20期の皆様、師走の日々如何お過ごしですか。
今年もやってまいりました、クリスマスシーズンが。
“またか”というある種の諦めと苛立ちと責任感が入り混じったような毎年のクリスマスの呪縛に取りつかれた私は、気ばかりが焦って年甲斐もなくあたふたとしている状態なのであります。 もう還暦を迎えたのだから(私は今年!)少しはリラックスしてもいい筈なのに、やはり性格なのでしょうね、日常は手抜きをしまくっているのに行事となると頑張ってしまうのですよ。 ああ、因果な性格ですよね。
ではこのホームページの投稿は? いえいえ“またか”なんてこれっぽっちも思っていませんよ。 ゆったりと軽やかーに書いています。ハイ。

さて今年の日本の夏は記録的な猛暑だったとか。 パースの今年の冬も例年にない寒さで私もユニクロのヒートテックの愛用者になってしまいました。 世界中で異常気象によるであろう自然災害が続出した一年だったけれど、ここパースでも3月には凄まじい雹の襲来があったのです。 強風、稲光、雷雨と共にゴルフボールほどの大きさの雹が降ってくる、正に天変地異。 普通ならパラパラと聞こえる音がその時ばかりはバンバン、ゴンゴンとまるで宇宙からの襲撃を受けているようでした。 地域によってはそれが凄まじく、たまたま不運にもその地域に駐車していた下の息子の車なんか、もう無惨にも車体はボコボコ、レアウインドウは機関銃の連続掃射を受けたような有様。 幸い?というかちょうど車を買い替える時期にきていた息子にとっては小さなショックで済みましたけどね。 とにかく降水量も半端でなく、我が家でもガレージに水が溢れ出し、一時は床上浸水の恐怖さえ味わいました。 屋根が落ちた家、ガラス窓が割れた家、土砂が流れ込んだ家なども多く、西オーストラリア州大学では約100年前の貴重なステンドグラスが割れたり、図書館には大量の水が流れ込んだりと、それはそれは広範囲にわたり大きな被害を被りました。 でもあれだけの被害なのにひどい怪我人がでなかったのは不幸中の幸いでした。

2010年、他のビッグニュースといえば労働党のジュリア ギラードがオーストラリア初の女性首相になったことと私が還暦を迎えたことでーす。 もうすでに61歳になった人もいらっしゃる中ちょっと時間差がありますが、私にとってこの1年はあらゆるところで60歳という年齢を意識、“もう60歳だから”と“まだ60歳だから”をその時の状況と心理状態によってよく使い分けましたよ。 言い訳と自己弁護に!

さて去年は20期生が還暦を祝いましたけど、我が家では今年私の祝還暦を記念して家族4人でベトナムとアンコールワットに2週間行ってきました。 なぜベトナムにしたかというと、まず英語圏でない国がいい、英語が簡単に通じるところは面白くない、そういう環境だと家族の結束が強まるんじゃないか、 という私の密かなたくらみがあったからです。 ヨーロッパは高いからアジア、 カンボジアのアンコールワットには興味があったからもうそうなればベトナムしかないでしょ。 そんな訳で私が決めたのだけれど、もういっぱしの大人になっている(歳だけは!)二人の息子が果たして親と一緒に旅行なんかするだろうか と心配したのは全くの取り越し苦労。 「いいよ」と二言返事で快諾。 ああ、親がお金を出すと(飛行機代)いとも簡単にくっついてくる息子たち! 喜んでいいのか、嘆いていいのか、ま、でも2週間彼らの時間をばっちり買い取り、久しぶりに二人の息子を私が独占できたんだから(彼女たちから)やっぱり嬉しかったでーす。 上の息子と暮らしている彼女にはちょっと悪い気もしたけど ネ。  とにかく忙しい息子たち、彼らの日程を調整したり格安航空チケットを探したりとちょっと手間取ったりしたけど、無事私の誕生日の前日に出発。 行く前に友人たちが、24時間それも2週間毎日家族と顔を付き合わせていたらきっと口喧嘩が耐えないわよ なんて脅かしてくれましたが、いやいやそんな心配は全くご無用、私の還暦祝いという大義名分のおかげで、私が行きたいところ、食べたいもの、したいこと、誰も文句を言わず、いや言わせず、3人の男僕を従えているような、もう二度と味わえないであろう女王様気分を満喫できた、気持だけは贅沢な最高の祝還暦家族旅行でした。

シンガポール経由でハノイ、ホイアン、ホーチミンと北から南に下ってアンコールワットに行きましたが、ベトナムには世界遺産になっている風光明媚な場所や昔の王朝時代の遺跡も多く見どころ満載、それとどこへ行っても食べ物が美味しく全員満足でした。 なんせ旅行中にまずい食べ物にあたるほどイヤなことはありませんよね。 何かソンをした気分になって、それが口喧嘩のもとになるんですから。 ま、今回に限っては食べ物の恨み、つらみはなく全員の胃袋を幸せいっぱいにしてくれました。  ベトナム戦争の痕跡が残る遺跡やベトコンが隠れていたホーチミンの近くのクチ村の地下トンネルなどを見学した時は、息子たちは興味津々。それもその筈、彼らにとっては生まれる前のお話、真っ暗な狭いトンネルもちょっと不気味だけど入ってみたいという単なる好奇心をかきたてる迷路のようなもの。  草むらに仕掛けられた落とし穴だって落ちたら槍が両側から突き刺さるようになって見るも恐ろしい罠だって、“ウォースゴイ!”と一応は驚きの表情を見せたけど、彼らにとっては現実感がない何かゲームの世界の出来事のように見えたんじゃないかしら。 だって戦いのゲームソフトなんかで小さい時によく遊んでいたもの。
 
でも、私は・・ そうあの時代を知っている。 新聞やテレビの報道で、そして週刊誌の写真などであの戦争の悲惨さを見ている。 世界中で反戦デモもあったあの頃。 世界中の若者がフォークソングを歌っていたではありませんか。何らかの形で反戦を表現してお互い感じ合った連帯感。 何か刹那的でもあり、光と影があった時代。 そんな中、何か今までの価値観や既成概念が大きく揺れ動き、新しい時代の大きな波にのまれるかのように、あの頃私は夢中でそして真剣に生きていた気がする。 人生とは、愛とは、自分とは、今から思うとすごく青臭いことを一生懸命手探りで追求していた時代。 そう、私にとってベトナム戦争の時代は1つの青春の1ページ。 な~んてそんなことを母親が考えているなんてつゆほども知らず当時の私の歳をすでに追い越している息子たちが、生まれる前の戦争の話をガイドから面白そうに聞いているのを見ながら、ベトナム戦争と私の青春が頭の中で錯綜してちょっぴり感慨深い思いに浸ってしまった、いや落ち入ってしまった60歳の私でした。

ところで私ここで60歳になるの待ちわびていたんですよ。 なぜかって、そうシニアカードをもらえるからなんです。 とにかく沢山の特典がある嬉しいカードなのです。 まずバス、電車が朝9時から午後3時まで無料。 シティの駐車料金は物凄く高いからこれには大助かり。 それに1年に1回は長距離バスと列車も無料。 それと映画、コンサート、あらゆる施設の入場料、ゴルフフィーまでも割引。 あるスーパーでは火曜日に行くと5%の割引等等で、なんとも嬉しい60歳以上のシニアの活動の場を広げてくれるシニア応援カードなのです。

だからというわけではないけれど、とにかくここは元気な高齢者が多いです。 私が所属するテニスクラブも多分半分以上は60歳以上じゃないかしら。 ゴルフだって80歳代がまだまだ頑張っているし、私はしないけど社交ダンスのクラブなんかで第2、第3の人生のパートナーとめぐり合ったカップルも何人か知っているし、ブリッジクラブやクラシックコンサートなんかもう派手な色彩の服をまとった高齢者の集まりって言ってもいいくらい。 それに地域のコミュニティでボランティアをする(されるじゃなくて)高齢者も多く、どうも若者中心の文化がはびこっているように感じる日本とはちがう風景がここでは沢山見られるように思います。

若者といえば今この時期はリーバーズといって高校卒業と大学入試が終わったことを祝う若者たちにとってのゴールデンタイム。 受験勉強と高校の厳しい制約から解放され、これから来年の2月まで長~い夏休み。 ここの法律では18才から飲酒できるけど高校卒業時は皆17歳。 だからアルコールは一切飲まない、なんて野暮なことは、20期生のみなさんなら思わないですよ ね!

ここでは大学に合格しても入学を1,2年延ばす人も多いのですよ。 とにかく勉強しなければ進級も卒業もできないのが大学だから、その前に海外に行っていろいろな経験をしたいのでしょう。 それにここは大学に入っても、もし学部が自分に合わなかったりしたら翌年学部を変えることが割合簡単にできるのです。 勿論成績いかんによりますけどね。 だから将来自分が本当にしたい事を見定めていない学生や、違うことを勉強したくなった学生にとっては新たに出発できるチャンスが与えられるので学生の可能性を広げてくれると思います。
現にうちの息子たちも大学1年が終了した時点で学部を変えたし、上の息子なんか入った学部が全く自分のやりたい分野ではなかったことに気付き、その大学にはやりたい分野の学部がなかったので2年目から違う大学に行ったのですよ。 高校卒業時に将来本当にしたい事がわかっていれば初めからそこに行けばよかったのですが、ま、1年寄り道したとはいえ、ここは進路変更のチャンスが与えられるので今では二人とも自分の選んだ道に納得し満足しているようです。

それと大学卒業しても日本のようにすぐに就職する必要はなく、やはり海外に1年から3年ぐらい行く若者が多いです。 大企業や政府機関などにはGraduate Programといって新卒者を対象にした、主に資格を有する専門職に多いのですが、研修期間を設けて採用するところが多いのです。 その枠で入りたい人は卒業後3年間ぐらいの猶予があるので(会社によって異なるが)日本のように何年度卒業の一斉入社ということはありません。 うちの下の息子も大学を出て1年は旅行すると決めこんでいたので去年はヨーロッパなどを回り、今年からGraduate Programのある会社に就職でき、3歳年上の同期もいれば1歳下の先輩もいる中で新社会人スタートをしました。

日本では今の若者は余りにも内向きで海外に出たがらないとか、新卒者の就職難の話とかを最近よく聞きますが、日本ももっと柔軟な大学制度と入社制度があれば、もっとのびのびと自由に自分の人生の選択ができるのではないかしら。 そしたら言葉や文化の違う外国に住みたくないとか、留学してまで苦労したくないとか、その間の年月が就職に不利になるとか、大学生活の半分を就活にあてるとか、そんな内向き志向な若者だって減るんじゃないかしら。 何かもったいない気がしてなりません。 人生で一番若いエネルギーに満ちている年齢の時にそれを活かしきれていないような気がして。 勿論日本の社会のしくみにも問題があるけど、若者自身の心がちょっと萎えているようなそんな気がするのは私だけかしら。  これからの日本を背負っていくなら、やはり一度は日本の外に出て外から日本を見るべし。 そしたら国内からでは見えなかった、世界の中の日本という国や、アジア人としての日本人、そして詰まるところ自分自身のアイデンティティが見えてくること間違いなし。 これっていろんな意味で人生の面白みを倍増させますよ! と 若かりし頃留学経験をした私は思うのです。  
ああ、それにしても私を夢中にさせた「坂の上の雲」、すがすがしさと瑞々しいエネルギーと誇りさえ感じた読後感。 今はNHKで放映されているけど、(大抵本が映像化されるとがっかりすることが多いけど、これは正に私が描いたイメージそのまま!) あの頃の明治の男は一体どこへ行ってしまったのだ~~! が今の私の切なる叫びでーす。

何はともあれ皆さん、明日の夢を信じて

    Merry Christmas & A Happy New Year !!