更新 2007年4月9日
桜が散ったけれど花曇という今日の天気でしょうか。
先日行ったツアーのお風呂が面白かったので、時間があったら読んで下さいね。
浦島太郎ではないけれど、亀の舟で渡った先が勝浦のホテル浦島。
3月28日に行った1泊2日の『忘帰洞と熊野古道バスの旅』の宿泊地。ホテル浦島の看板『忘帰洞の湯』は、大正初期、元紀州藩の徳川頼倫公が来遊され「帰るのを忘れるほど」
と賞めて名づけられたものとか。
インターネットで行く前に調べたら、熊野灘の荒い風波に侵食されてできた天然の洞窟の中にある露天風呂。もっとも、露天と言っても天井は洞窟の岩だから、厳密に言えば、外(海)に開かれたお風呂と言うところでしょうか。
ホテルに着くと、館内案内図が渡され、その裏が温泉巡り記念スタンプを押す用紙になっているのです。バスの中で添乗員さんから「6個のお風呂全部入ると何か記念品を貰えたと思いました」と聞いていたので、それならば全部回ってみようと闘志?が沸いてきます。
ホテルは本館、右手上の山上館、本館左手上の日昇館、左手下のなぎさ館と4つの建物から成り、私達が泊まったのは海に面したなぎさ館。
面白いのは、本館の廊下に各建物まで病院の様に色別の線が書いてあるのです。本館のロビーからまず2階に上がり、途中売店(お土産屋)の列を横目で見ながら売店が途切れた突き当りで、夕食会場のある日昇館を右手に見て左手に折れていくと今度はゲームコーナーの列、そこを抜けるとやっとエレベーターホールに着いてそこで部屋のある3階まで。本当に迷子になりそうです。
部屋に入り、まず夕食前に一番遠い山上館の近くにある山上露天風呂から挑戦。本館から、山上館まで、長いエスカレーターを3機乗り継いで行くのですが、新宿から大江戸線に乗ったときのことを思い出してしまいました。(地下鉄は下へ下へと行ったのですが・・・。)5分一寸掛かって山上館の入り口にたどり着きました。露天風呂までは又長い渡り廊下を歩いていくのですが、右手に勝浦湾、左手は熊野灘。
露天風呂から海が一望できるかと楽しみにしていったら、残念ながら植え込みが邪魔をして見えるのは空だけ。立ち上がれば海が見えるのですが、それではね。
帰りは、エスカレーターでは時間が掛かりすぎるので、山上館に入り込んでそこ(32階)から1階までエレベーターで下り、次のお目当て亡帰洞へ。忘帰洞は、インターネットの写真にあった通り、一番奥のお風呂からは海が見えます。でも、残念ながら、もう陽が落ちた上に人が多いので、波の音がかすかに聞こえるだけ。
本館への戻り路でハマユウの湯(男性は滝の湯)を発見したので、これで3個目のスタンプをゲット。ホテル側の説明ではスタンプ3個で記念品と言うことだったので、取りあえず何かは貰えそう。夕食時間の7時半に迫っていたので、後は夕食後に挑戦することにして食事に行きました。
食後、9時過ぎ挑戦再開。なぎさ館の端にあるなぎさ元湯露天風呂を最後にするつもりが、10時までと言うので、まず、そこから。デッキのような通路を通って行くのですが、吹きさらしなので冬は寒そう。大きな四角い湯船と、大きなたらいの様な湯船が3,4個。丸い湯船は80cm、60cm、30cmと深さが違い、お湯の熱さも少しずつ違っています。
30cmに挑戦したら、膝までしかなくて・・・。柵の間から対岸の勝浦港の明かりがちらちら見えます。
次は日昇館にある玄武洞。大きな湯船の左側の壁が自然の洞窟。
硫黄泉の濁った湯の中を歩いて奥の方まで行くと隙間があり海の近くまで湯船が繋がっているようです。
さらに、その奥に行くと、もう一つ別の小さなお風呂。
お湯は透明ですが、誰も入っていなかったので、のんびり暗い海を眺めながら波の音を聞いていると、本当に気持ちがゆったりしてきます。
小さな子連れの家族がやってきたのを機にお湯から上がり、最後に内湯の礒の湯に。四角い湯船がふたつ並んだお風呂。記念スタンプ6個全部揃ったので部屋に戻る途中、日昇館となぎさ館共通のロビーで記念品を頂いたら、何と温泉の素(湯の花)。
翌朝は、忘帰洞までは遠くて行く気がしないので、玄武洞へ。
忙しかったけれど、結構面白かった温泉スタンプラリーでした。
桜の開花宣言第一号は東京でしたね。
2月の暖かさからはこのまま春に・・・、とも思えたのですが、やはり寒の戻りがあり風が冷たい日が続いた気がします。
お元気ですか。
実は、3月12日から2泊3日、駆け足のツアーで四国へ行ってきました。
四国は南国のイメージがあったのに、高松空港へ着き、一歩建物から出たとき、思わず口から出たのは、『寒い』の一言。
辺りを見回すと、平地の中に、所々に低い山がぽつぽつ。
ア〜、これが四国なのか、が第一印象でした。
バスに乗って、まずは金毘羅さんへ。
階段が多いので大変ですよ、とバスガイドさんから聞かされていたのに、実際は、専任ガイドさんが少し行っては立ち止まって話してくれるので、興味深く聞いて上っているうちに上まで行ってしまった感じです。
金毘羅さんの金は本当は隷書体(エをEの下の棒を伸ばした形に替えた文字)で「人が長く平和にの意味が込められている」のだとか。
途中、右と左に分かれたところでは、「左手から上ってしまう人もいますが、実は右側から行くと一段下りているので、786段マイナス1段で、悩むを取り去るになるのですよ。」
可愛い犬の銅像は「自分で来られない人は金毘羅さんにお参りする人に頼んで自分の飼い犬を代参で連れて行ってもらったことを表しているのです。」
帰り道は途中から坂道を降りて行ったのですが、最後の方で一寸急になった所で、「ここからは注意してくださいね、山本リンダ坂と言うのですから」えっ、ア~『どうにも停まらない』か、でも今の若い子には通じないよね、と思ってしまったのは私一人でしょうか。
一泊目の宿泊地は道後温泉。
夕食後、道後温泉駅近くにあるカラクリ時計を見に行きました。
7時の時報と共にまず正面にマドンナと思われるはかま姿の女学生、その下は清と坊ちゃんなのでしょうか、右脇には人力車の車夫、そして、何と台座の上部から時計が持ち上がったと思ったらお風呂に入っている坊主頭の中学生達。あらあらと言っている内に時計が下がり始め、登場人物たちが消えていきます。
その後、夜は駅舎向かいに展示してあるSLを模した坊ちゃん列車を見てから、皇族用のお風呂・又新殿 (ゆうしんでん)を見学に共同浴場の道後温泉本館に行きました。
今の子達には漱石の坊ちゃんが泳いだ温泉と言うよりは、『千とちひろの神隠し』 と言った方が分かりやすいのかもしれません。
又新殿は昔旅館には温泉が引いていなかったので、天皇陛下が温泉に入りに来るので作られたとか。
大正天皇が1度、昭和天皇が2度来られたとの事。御影石では最高と言われる庵治石を使ったお風呂で洗い場には鷺のレリーフが彫ってありました。
たった3度の為に作ったと思えば無駄だけれど、ちゃんと見学料を取って見せているから元は取れたのかしら。
2日目のメインは四万十川舟下り、足摺岬に泊まって、3日目桂浜で坂本竜馬の銅像を眺めて大歩危の渓谷美をちょこっと眺めて高松から羽田に帰ってきました。
愛媛県出身のバスガイドさん、香川県を走っている時もそれなりに一生懸命話していたのですが、愛媛に入ってからは更に熱が加わった話し振りで、「松山に通称坊ちゃん球場と呼ばれる球場があり、その傍に子規記念館があるのですが、その訳をご存知ですか。
実は、正岡子規は英語のbaseballを野球、pitcherを投手、batterを打者等の日本語に訳した人で・・・。」
「私の家はみかん農家ですが、宇和島では子供たちもみかんを取るのを手伝う為に学校が休みになるのです。
みかんの木は山の斜面に植えられているので、取るのも運ぶのも結構大変なんです。」
その言葉に車窓から外を見ると本当に斜面に植えられているのでみかんの木まで行くのも大変な感じです。
史実やお土産の話から、自分の体験談まで、本当に次から次へと興味深い話が良く出てくるものだと感心する位、今回のツアーのバスガイドさんは一生懸命で好感の持てる人でした。
初めて九州の地を踏みました。
今まで旅行といえば黙って着いていくパック旅行ばかり。時刻表も読めない私が選んだのは「楽天トラベル」。それしか選択の余地が無い状態でのどたばた旅行。
羽田ではチケットレスの扱いに迷い、時間ぎりぎりスタートから走りに走る。発着及び宿は安くて便が多い理由で2泊とも福岡。到着した一日目は柳川での舟下り。空気は冷たくても陽射しは暖かな70分はのんびりして素敵。川を下りながら頂いたうなぎのセイロ蒸しと甘酒は思い出の味。下船して地元の魚屋さんで、有明海産の穴じゃこのから揚げや海茸の粕漬けを立ち食い。美味。夕刻天神に戻って、いざ夕飯。タクシーの運ちゃんに「中州の屋台へ」と告げたら、大きな声で反対され、車中からチラ見のみ。現地の人は絶対行かないそう。その代わり紹介された和食店「松村」が良かった。白魚の踊り、辛子蓮根、佐賀牛、すっぽんの土瓶蒸等々。3800円+お酒代。満足満足
翌朝、8時にスタートして2枚綴りの格安JRチケットで長崎へ。吉野ケ里遺跡を右手に麦焼酎の原料の広大な畑を左に2時間。着いた長崎は雨でした。昼食はちゃんぽん。1080円。まぁまぁかな。タクシー3時間コースをお願いして、観光スタート。しっとりとぬれた町は情緒豊かで、ああ九州!を実感する。しかし原爆記念館やグラバー邸、眼鏡橋をそそくさに、福砂屋本店へ、五三焼を求める。1本2500円位。次は鼈甲やさんで下車。本物は素敵。でも高くて何も買えない。さてその日の夕食はネットで検索した店へ。お目当ては「うちわえび」。これが地元の人でも全く知られていない存在。イセエビがぺっちゃんこになった姿で、活きているのをまずお刺身、次は塩茹で。一緒に注文した河豚が見劣り(味劣りする)感あり。最後は九州名物の焼き鳥で締める。程よい酔い加減で岐路に。満足満足。
3日目も天気予報どおり寒空。博多から唐津へ向かう。焼き物好きなら一度は手にしたい唐津焼。あるある山ほどある。空気は萩の街に似てる。沢山並んでいるが欲しいものは高い。作家物を見て、これくらいなら自分でも焼けるかも知れない、と大きな錯覚で自分を納得させ、小さなグイ呑のみ購入。玄海灘をバックにした唐津城は遠くから見ると凛々しい。眺めながら虹ノ松原名物、松露饅頭をぱくつく。昼食は呼子名物の烏賊の姿つくり。ランチセットで3000円だったか。透き通って綺麗だが、身が薄いので味がわからない。もう一つ。強い風に後押し出されるように滞在3時間で唐津を発つ。
福岡空港でこれも目的の明太子を求める。東京のスーパーで売っているメーカー以外を味見して8つ購入。1050円(これが美味しいのだが、帰宅後裏を見たらヤンキー鱈だった)午後4時頃の飛行機は満席。最後尾の席におばさん3人並び、季節限定のポンカンジュースで乾杯。
概ね満足な旅行だったが、暫く体重計に乗らないこと、と自戒を込めて3人目で申し合わせた。
赴任
1996年5月に赴任しました。夫の赴任後8ヶ月です。
総選挙を前にハルタルと呼ばれるゼネストが頻繁に行われていました。赴任前の荷物出しでは業者の見積り誤りで容量オーバーで家財が送れなくなるところでした。この荷だしには、国内倉庫にあずける物とダッカへ送る物との引越作業が2回ありました。
ダッカでは通関がうまく行かずに2週間近く荷物の引き取りに時間を取られました。“明日は必ず荷物が引き取れます。”といわれ待機していたのにもかかわらず届かず、数日後には“100%大丈夫”と言われ届かず、その次には“120%大丈夫”といわれましたが、結局2週間後になりました。ゼネストの影響で勤務時間が極端に短くなっていた為です。
引き取った荷物には、破損も紛失もあり、ガックリしました。その上、国内の宅急便並みの梱包で届けられたのには驚きました。
それでも待ちに待った荷物が届き家の中もやっと我家と思えるようになって来ました。
湿気
ダッカでまず驚いたのはその湿気のすごさです。120%あるのではと思うほどの湿気と熱気です。天井では一年中扇風機が回っています。この湿気対策には除湿機が必需品で日本から持ち込みました。
停電が多いので私の持参した最新の物では停電で止まったままになってしまいスイッチを入れなおさなければなりません、その点前任者が残していってくれた旧式の物は電気が通ればスイッチが入るので便利でした。
最新の物がいつでも便利という事では無いということを身にしみて感じました。
というのも、停電は日常茶飯事で留守中、夜中でも起こります。湿気を放っておくとタンスの中も壁もすぐにカビだらけです。
ゴルフ場
ゴルフ場ですが、雨季には田んぼ状態になります。ボールはドロに埋まってしまうのでボールボーイを雇います。よい子にあたればボールをなくさずにすみますが、悪い子にあたると足の指の間にボールを挟んで持っていかれてしまいます。
彼らの足の指の強さは抜群です。小さな川に棒が一本渡されていてその上を渡っていくのですもの。
そんな彼らの履物はビーチサンダルです。下駄のように鼻緒も売られています。
乾季には土間のようになります。土をたたいた時の手の痺れはもの凄いです。
湿気と暑さでわが身に起こったことです。初めてゴルフに出かけて帰ってきたらブラジャーの下にあせもが出来ていました。
写真はクルミトラカントリークラブのコース図です。軍が所有していますが、審査を通ればメンバーになれます。緑の大地から上る太陽をかたどったバングラデシュの国旗が左上です。日本の国旗と色違いですね。
これから何度かに分けてバングラデシュの生活を書きたいと思います。
今日は最初にバングラデシュを訪ねたときのことです。
1996年3月に娘とその友人の3人で福岡からバンコク経由でバングラデシュの首都ダッカへ到着しました。私達だけでは不安なのでバンコクまで夫に迎えに来てもらいました。もの凄い行列の入国審査を終え、空港の玄関に立って運転手を探し、それから車を取りに行ってやっと車に乗り込めます。雑踏から向けられる視線、熱風とにおい!これはもの凄い所だ…
空港ビルから出て駐車場を通って国道に出るまでの間、バングラデシュの人々の出迎えを受けました。車の窓ガラスにべたっと手をつき何か頂戴と言っているようです。子供を抱いた女もいます。花を持った子供もいます。
やっとの思いで社宅に到着しました。
使用人が沢山います。皆笑顔で迎えてくれています。なんだか、空港での緊張からやっと解放されたようでした。
家は広い。(上下階で600u、庭は300u)二階建ての二階に居室があるのでガンガンに熱せられた居室はムッとして、エアコンを入れても間に合わない。汗びっしょり。
夕飯の時間になり、ベアラー(料理以外の家の中の仕事をする人)が呼びに来ました。前任の夫人がコックをよく仕込んでいたので何も言わなくてもそれなりのお客用の日本料理が出されます。
階下のもの凄く広い食堂のもの凄くデカイ(この表現がぴったり)テーブルに4人分のセッティングがちんまりと置かれていました。
お土産を買いに行きましたが、刺繍製品が多くて手が込んでいます。これが世界的に有名なノクシカタ刺繍です。この作品は布全体に刺し子が施され、更に刺繍がされています。今ではフェアトレイドの店などで日本でも手に入るようです。
洋服は試着してから購入するように日本を発つ前に注意されていました。首や腕が通らない可能性があるのだそうです。サリーとかサロワカミューズなどが娘達の目に留まったようで買い求めました。
アクセサリーもありましたが、ネックレスなどは止め金具のよいものがなく、紐を結わく物や、S字フック状の物が多かったです。
外食もしましたが、お酒は持ち込みOKなのです。水も氷も全て持ち込みました。
インド料理、タイ料理、韓国料理、イタリア料理などがダッカ在住日本人の行く人気レストランのようでした。
イスラム教国なので原則的に酒と豚はだめなはずですが、イタリア料理屋ではピッザにはハムなどがのっていましたし、韓国料理屋では豚の焼肉がありました。ドイツ人経営の肉屋には豚肉も売られていました。他のイスラム教国では考えられないことです。
こんなに寛容な(?)バングラデシュの人々を独立運動に向かわせたのはパキスタンが自分達の言語であるウルドゥ語を押し付けようとしたからなのだそうです。ベンガル語には誇りを持っているのです。ノーベル文学賞のタゴールの詩も愛されています。
2月21日はベンガル語国語化運動の日という祝日でもあります。
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サバールー独立記念塔 | ノクシカタ刺繍の前で(博物館にて) |
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バリダラの道で |