紀行文 その7

更新 2010年7月3日

バリ島へ 佐藤(旧姓荒川)陽子 2010年6月27日

タイ大好きの私ですが、今回のクーデター騒動には驚き旅行を控えていましたが、バリフリークの友人から誘われて6月はじめに妹と三人でバリへ行ってきました。

成田から7時間余。夜中の到着ですが入国もスムーズに済み、コンビニで水とビールを仕入れて別荘タイプのVillaへ向かいました。
外へ出るとなんともいえないモワッとした空気にホッとします。

朝はメイドが来て朝食を作ってくれ、掃除・洗濯もしてくれます。
この空気の中で何をするでもなくのんびりしました。プールもあるので好きな時にドボン。

この時期はオーストラリアからのお客が多いそうで、日本からの女性ばかりの旅にメイドから"シングル、シングル“とジングルベルを歌うように言われました。

飲み物とお土産を買いに町へ出ました。
通貨はルピア、何しろゼロが多くて大変です。(100ルピアが1円)。
お札も1000・2000・5000・10,000・20,000・50,000・100,000ルピアまで。
みやげ物の値札にはゼロを三つとって表示してあります。
とにかく物価は安かった。(6日間で両替25000円)
食事もインドネシア料理でタイ料理ほど辛くはないけれど、スパイシー。美味しい。

Dyana Villa バリでの宿です 観光のドライヴァーと
イカット織りの実演 インドネシア料理  アヤム(鶏料理です)
インドネシア料理  ナシチャンプル (55000ルピア)
魚、牛肉、鶏肉と色々な料理が盛られています
シーフード 盛り合わせ (75000ルピア)


みやげ物は アタという草の繊維を使って編まれた籠、銀製品、バティック、貝殻細工の装身具どれを見ても選ぶのが楽しい。
ビンタン(星という意味)スーパーにはドリアン、マンゴスチンなどの懐かしい果物や野菜が並んでいて美味しく頂きました。

サヌアツへケチャを見に行きましたが夕日の沈む中、薪の明かりと男声のリズムに合わせて舞うラーマーヤナに感激しました。

夕日の美しさと星の輝きに癒されました。

こんな癒しの旅でしたが、出国のラッシュというか係官の対応には、二度目のバリはないなと思わせるものでした。
夜中の出発にも拘らず、長蛇の列。窓口を開けるでもなくただ忍の一字。
そんな中並びきれない人達が二列になって列もメチャクチャに。一時間以上並びました。
観光を売り物にするならこの状況を何とかして欲しいと思います。

夕日の沈む中 ケチャの鑑賞 ラーマーヤナ物語の一部上演
ケチャ

北京ツアー 源(旧姓関根)恭子 2010年6月6日

こんにちは。
やっと、初夏らしい天候になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、先月、ゴールデンウィーク明けに北京へ行ってきました。

羽田を発って3時間余、渤海の左端に陸地が見えてきました。
眼下に広がる平野は黄土色の長方形に区切られています。
とうとう中国の上空に掛かったのです。5月6日から3泊4日の北京ツアーの始まりでした。
空港から、北京原人の発掘現場、周口店へ。
初めて見る北京は、ポプラや柳の街路樹に、高層マンションやビルの街でした。
所々、昔の姿を残している土塀に囲まれた古い民家も見えましたが、保存地区を除いて近代建築に置き換わるのは時間の問題のように思えました。
バスの車窓から見える北京オリンピックの陸上競技場「鳥の巣」は、思っていたよりもずっと大きくてびっくり。

周口店で発掘された北京原人は25万年から40万年前、石灰岩の洞窟に住んでいたとのこと。
北京の冬は寒そうだけれど、当時はもっと暖かかったのかな・・・。
戦前に発掘が始まり、戦争中のどさくさで,頭蓋骨はすべて行方不明になってしまったとのこと。
発掘に参加した日本人研究者が父親だというツアー参加者が、発掘の様子を記した本を片手にガイドさんと楽しそうに話していました。

2日目は頤和園。清朝6代皇帝乾隆帝が母・崇慶皇太后(孝聖憲皇后)の還暦を祝って造営したものとのこと。
昆明湖といわれる広い湖も人工的に作ったものと聞き、皇帝の権力、スケールの大きさにびっくり。
雨の日も散歩できるような長い渡り廊下の頭上壁には当代一流画家の絵が・・・。
西太后も歩いたのかなと、今NHKで放映している「蒼穹の昴」を思い出しました。

昼食後バスを待っていると、空中をタンポポの綿毛のようなものがふわふわ飛んできました。
頤和園の入り口でバスの車窓から見えたふわふわした柳の花を思い出して、柳かしら、と聞くと、ポプラの綿毛もあるとか。
日本に帰ってきて友人に話すと柳の種は柳絮(りうじょ)といって季語にもなっているとのこと。

昼食後、万里の長城へ。
万里の長城は、秦の始皇帝が作ったと学生時代に習った記憶があるのですが、
現在,観光で見られるものは南方から興った明王朝が元を北方の草原へ追放し、その再来に備え強化したものだとのこと。
私たちが行ったのは北京郊外の八達嶺長城。
入り口からは左右に通路が延びていますが、右側に進む方が一般的でお土産を売りつける人が少ないとのこと。
始めはなだらかな傾斜で下の凸凹に気をつけていれば良かったのが,少し行くと急な上り階段に。
やはり世界的観光地、色々な人種、言葉が飛び交っています。
時間的な問題で、途中の北四楼までしか行けませんでしたが、天気も良く楽しいウォーキングでした。
「今日は天気で良かったですが、冬の積雪の中を歩くのは大変です」という添乗員さんの言葉に、
真冬でも行く人がいるというのにはびっくりでした。

夜は中国雑伎団を見にいきました。
お手玉のようにボールをあやつるジャングリングからはじまって、
傘回し、出初め式のような棒登り、足芸、綱渡りならぬワイヤー渡り、
一台の自転車に10人が乗る曲芸、休憩を挟んであっという間に終わってしまいました。

3日目は、故宮博物院(昔の紫禁城)。
手前の天安門広場は本当にだだっ広い。
紫禁城前の広場は地下道を掘って進入できないように地下まで石が埋め込まれているとのこと。
蒙古系の清朝が漢民族の逆襲を如何に恐れていたかが分かります。
工事中でお宝はほとんど展示されていないとのこと。
5,6年後に再度訪れたら,地下に宝物館ができていますよとのことでした

最終日の4日目、朝食後、ホテルの周りを歩いてみました。
歩行者信号が青でもつっこんでくる車にたいして、赤でも悠々と歩いている人。日
曜日の朝、食堂で朝食を取る人たちや、揚げパンやお粥のテイクアウト店。
開業前の美容院では、パーマの稽古をする人。ちょっと、市民生活を垣間見た感じがしました。

最後の観光は旧市街を残した故同地区を人力三輪車で回ります。
私たちが乗った三輪車の運転手は若いので、一列縦隊で走るのがまどろっこしい模様。
途中、個人宅を訪問、部屋の中を見せてもらいました。
人なつこい猫がいて、家の外までとことこお見送り、飼い主が慌てて迎えに来たのが、微笑ましい感じでした。

名所旧跡と土産店往復の北京ツアーでしたが、初めての中国、やはりそのスケールの大きさにびっくりした4日間でした。

北陸旅行 小山 恵一郎 2010年5月23日

ゴールデンウィークの前半、春の季節感を求めて信州から北陸をめぐるドライブをしてきました。
上信越自動車道から長野自動車道へ入ると姨捨SAがあります。この辺りは4月にも来たのですが、長野市を中心とした善光寺平が一望できる風光明美なところです。
遠方にはこのたびの最後に行く妙高や黒姫が見られます。
幼いころ、名古屋から長野へ行く列車に乗って、車窓からこの風景を見たときに覚えた印象が今でも残っています
しばらく車を走らせ、安曇野へ入りました。ここは間近に北アルプスを望むことができる地で、昔から老後はこのような地に住みたいと思っていたところです。
近くの大王わさび農場へ行きました。湧水の川にゴムボートを出して、川からの風景を眺めることができます。
そのあとで、国営アルプスあづみの公園へ行きました。北アルプスの常念岳を間近に見られるロケーションにある公園ですが、夕刻できれいには見られませんでした

姨捨SAからみた善光寺平 安曇野から見た北アルプスの山々
大王わさび農場を流れる川 黒沢明監督の映画に使われた水車小屋
     
 大王わさび農場のわさび田    国営アルプスあづみの公園のテラスで

翌日はホテルから北アルプスがきれいに眺められる絶好の日和でした。
この旅行で楽しみにしている北アルプスが間近に見える新穂高ロープウェイを目指します。
車で、北アルプスの下を貫く安房トンネルを抜けると天気があやしくなりました。平湯温泉を超え、奥飛騨最奥の新穂高温泉へ入ると雨が降り出しました。
ロープウェイ搭乗口で、上の天気を聞いたら、小雪の天気とのことでした。もう後には引き返せないので、そのままロープウェイに乗りました。
天気は次第に確かに雪景色になり、終点の西穂高駅は、雪で北アルプスなどどこにあるのか見当がつきません。
気温はマイナス6度で、東京では味わえない寒さ。どうしようもなく、そそくさと降りてきました。残念!!
そのあとは、高山へ向かいました。下界はいい天気で、高山の昔から残る街並みを散布しました。
そのあとは富山へ向かいました。
夕食は生簀の料理屋で富山名物に舌鼓を打ちました。
ホタルイカは東京では味わえない絶妙の味です。シロエビは富山でなければ味わえない甘さがある刺身です
私は酒は飲みませんが、その土地土地の地の物のうまさは、そこへ行かなければ味わえませんね。

松本のホテルから見た北アルプス。左側が常念岳 新穂高ロープウェイは雪の中を進む
     
頂上は雪が舞い、何も見えない。気温はマイナス6度 高山、朝市が開かれる場所
     
 高山の昔からの街並み    シロエビの刺身
     
     
 ヤリイカの刺身    ホタルイカなどの刺身

翌日は砺波平野のチューリップ公園を訪れました。
チューリップは、極めて色彩豊かで、まさにパステルカラーです。
高いところから見ると、チューリップで絵が描かれている花壇が見えます。
種類も豊富で、典型的なチューリップやユリの花のような形のものなどいろいろです。
たくさんの人が訪れていましたが、公園ですので、造形美なのです。
平野のチューリップ畑のほうが野趣あふれる姿なのではないかと思います。
残念ながら、そのような姿には出会いませんでした
続いて、高岡市の瑞龍寺に行きました。ここは、加賀2代藩主前田利長の菩提寺です。
2つの大きな門をくぐり、回廊をもつ本堂へたどり着きます。とても立派な寺です。
車を日本海へ進めると、日本の渚百選に選ばれている雨晴海岸にたどり着きます
ここからは遠方に立山連邦を眺めることができます
お昼を新湊のすし屋で済ませ、日本海沿いを北上して、長野市へ向かいました

砺波平野のチューリップ公園 砺波平野のチューリップ公園
     
砺波平野のチューリップ公園 砺波平野のチューリップ公園
     
 瑞龍寺    瑞龍寺
     
     
 雨晴海岸    雨晴海岸の背後に見える立山連邦
     
 流杉PAにて(後ろは立山連邦)    夕暮れの妙高山

翌日もいい天気に恵まれ、妙高山麓、池の平温泉にある、いもり池を訪ねました
ちょうどミズバショウの群落が開花しているところでした
いもり池は、三宝寺池ぐらいの大きさではないかと思います。高山の湿原があり、とても大きなミズバショウの群落です。
たまたま開花の季節に出くわして、見事な姿を見ることができました。貴重な湿原はをずっと保護したいものです。
4日間、幸い天気に恵まれ、四季折々の日本の美しい風景を見ることができました。
都会ではわからない日本のあちらこちらの美しい風景に触れ、心が洗われる旅行はとてもいいものです。

ミズバショウ群落 妙高山とミズバショウ群落
 黒姫山    ミズバショウ
     
ミズバショウ
     
     
 ナウマン象博物館    野尻湖

還暦祝いのスキー旅 比地原正子 2010年4月25日

還暦を祝って今年の1月に夫婦でスイスにスキーに行ってきました。もちろん私は海外のスキーは初めてです。ツェルマットに6泊とミューレンに5泊してマッターホルン周辺とユングフラウなどのベルナーオーバーラント地方の夏のトレッキングコースのほとんどの部分ををゆっくりと滑ってきました。夏には花と緑にあふれていた所も冬には分厚い雪に覆われて一面白一色に変わっていました。トレッキングだと一日がかりで歩いて下るコースをスキーだとわずか2、3時間で滑り降りることができます。スキーはあまり上手くない私なのですがそれでも、目の前に白銀に輝くマッターホルンやアイガーなどを見ながら、広大な斜面を滑り下りるのは本当に胸に迫るものがありました。

知らない事がたくさんありました。まずスイスは夏に行くものと思っていましたが夏はミドルシーズンで冬が込み合うハイシーズンという事で、夏よりホテルは高いし予約も取りにくくなっていました。そして町も乗り物もスキー客や冬の観光客の利便を第一に考えてできていることに気づきました。夏にはどこでも沢山の日本人に出会うのに冬にはほとんど見かけないので、それならば、この森林限界を超えた高所から2000メートル近い標高差を滑るという日本では考えられない程長くてスケールの大きなスキーの醍醐味と冬の観光の感動を、多くの日本人にも知ってもらはなくてはと思いました。

マッターホルンに向かって滑る イタリアのチェルビニアの村の向こうに聳えるモンブラン

1の写真は標高3130mのおなじみのゴルナーグラート展望台から滑り始めて、正面にずっと孤高のマッターホルンを見ながら滑り降りる長いコースです。途中に橋を渡ったり小道を通ったりもしながら疲れたらスキーを持って電車に乗って途中駅からまた滑ることもできます。

ツェルマットのホテルは駅から電気自動車で30分近く山の方にのぼったところにあるので毎日朝食を食べながら朝日がマッターホルンの山頂を染めていくのを目の前に見る事ができました。染めると言うより灼熱の朝日が剣の穂先を焼くと言う感じで、夜明け前のまだ暗い空に一点そこだけが異様に燃えるのを見るのは毎朝見ても心を奪われました。

携帯電話を私は持っていなかったので、はぐれた時は困りました。次の目的地への分岐点に立って待ちましたが会えず、午後も過ぎていて皆どんどん下っているのでこのままでは危険と判断して一人で目的地とは別のフーリという駅へ下ることにしました。フーリは夏にタッチの遅れでロープウェイの終了時間になってしまい山上ホテルまで夕陽を背にはるか遠くの山々を眺めながら稜線を歩いて登った苦い思い出のある駅です。でも今回はうまく落ち合うことができました。

サースフェーの山々を望み一休み マッターホルンへ向かってイタリア側を滑る

4の写真はイタリア側から見たマッターホルンですが(スキーだと簡単にイタリア側に下ることができます)スイス側からの威風堂々とした雄姿を思うと何だか拍子抜けするような感じがしました。

8日目からはそそり立つ断崖絶壁の上にへばりついたような小さな静かな町ミューレンに移動しました。ミューレンは町自体が展望台と言われるようにアイガー、メンヒ、ユングフラウの三山が目の前に迫って一望でき、朝日や夕日に染まる姿は感動的でした。ミューレンのホテルは登山鉄道駅の真前に位置していて、夫が仕事で時々来るせいか、とても眺望の良いテーブルをキープしてくれたり何かと温かくもてなしてくれました。一日を終えてゆっくりとお風呂に入り長い時間をかけて夕食を食べながら窓の外に広がる大パノラマを見ていると疲れも取れてまた明日の元気が湧いてきました。

007の映画で有名な360度回転レストラン付のシルトホルン展望台からもスキーで滑り降りるコースがあり私も思い切って挑戦してみましたが怖くて一度でもう十分の経験でした。初めて来た時は悪天候で諦め、次の時はトラブルのためベルンの日本大使館まで一人で下山したりで、やっと今回シルトホルン展望台に来ることができました。天気も快晴でした。

13日間の旅を終えて今一番に感じるのは、還暦という人生の区切りをこんなに明るく迎えられたことに対する感謝の気持ちです。あらゆるものに感謝したい思いでいっぱいです。

アイガー北壁の下を滑る