紀行文 その17

更新 2013年6月29日

ドイツロマンチック街道とスイスの旅 源恭子 2013年6月23日

ドイツロマンチック街道とスイス、行きたかった場所満載のツアーに出発。
5月7日成田10:25スイス航空の飛行機で無事離陸、と思っていると、「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」と、ドラマの中でよく見かけるシチュエーションが発生し、1時間位経った時に「急病人がいるので成田に引き返す」との機長談話…。本当に成田に戻り着陸、「そのまま機内でお待ち下さい」とのアナウンス。こういう時ツアーはどうなるのかと心配し夫と話していたが、幸いにも3時間遅れで出発し、チューリッヒでのトランジットもうまく行き、フランクフルト空港に1時間遅れで到着。暗い中バスで、ライン川沿いの道路わきを鉄道が走っているリューデスハイ
ムのホテルに到着。旅に出た興奮か眠れないでいると15分間隔ぐらいでゴォっと音がするので、起き上がって外を見ると貨物列車が…。

5月8日。ヴュルツブルクへ向け出発。ドライバーは陽気なドイツ人のアレックスさん。ヴュルツブルクはロマンチック街道北の入口でシーボルトの生まれた町とか。でも、現地ではあまりシーボルトは知られていないとのこと。バスは、レジデンツ(領主の館)の前の駐車場に停まる。レジデンツに入ったところは、馬車が乗り付けられる土間と白壁に金で装飾した階段室。領主は客の序列により挨拶を受ける場所を変えたとのこと。家来の時は階段の上で腰に手を当てて見下ろし、ローマ教皇を迎える時は最下段まで平身低頭で降りていったのか等、思っただけでも楽しくなる。階段の上り口の反対側が居室入口。最初に入った部屋は、鏡の間を模した豪華な部屋になっている。権力を握ると、豪華さで圧倒させようという気持ちが働くのだろうか…。以前訪れたベルサイユ宮殿やシェー
ンブルン宮殿を思い出す。

レジデンツを出て街を歩く。ガイドさんの指さす方を見ると、大聖堂と大聖堂博物館の間にミニチュアの建築模型が置かれている。視覚障害者の人たちが触れて感じるためのもので、主な建物の前には置かれているとのこと。
市場を表すマルクト広場を通ってマイン橋へ。川沿いの眺めを楽しんだ後、ドイツ初めてのランチを食べに行く。大きな茹でたポテトがどんと置かれた右側にフランクフルトソーセージとザワークラウトのワンプレートランチ。

「ロマンチック街道」は、観光開発で第二次大戦後、ドイツのヴュルツブルクからフュッセンまでの366kmのコースとして設定されたものだとのこと。ゆるい丘陵地帯に青い麦畑が広がっている。時々、黄色い菜の花畑が出てきて、緑と黄色、そして大地の茶色がパッチワークのように広がっている。時たま遠くの方に、赤い屋根の民家と教会の尖塔が見える。木々の緑は芽が出たばかりの薄緑から黄緑、鮮やかな緑色、そして常緑樹の濃い緑が混ざって本当に美しい。

今日、二つ目の観光地で宿泊地のローテンブルクに到着。城壁内のホテル・ゴルドナー・ヒルシュに荷物を置いて観光に。三十年戦争の最中1631年、占領した敵軍の将軍が3.25リットルジョッキのワインを一気に飲み干せば町を破壊しないと宣言したので、当時の市長が死を覚悟して飲み干したとか。この故事を伝える時計台は修復中とのことで、残念ながら覆いが掛かっていた。街はおとぎ話の中を歩いているようで、お店の看板やショーウィンドウを見ているだけでも楽しい。
城壁に登る。狭い回廊の所々に空いている窓から見えるのは緑の畑。眼を転じて街の方を見ると、3階建ての建物の上の階にも扉が付いている。昔は倉庫で積み上げていった上の方の荷袋を出す時に使ったのだとか。

夕食後、市民会館の階段のあたりを民族衣装をつけた子供たちが走り回っている。お祭りの予行練習の集まったのだとか。夜の7時半を過ぎてもまだ明るい。翌日もロマンチック街道を通る。
昔風の家が並ぶ村の狭い道や、両側に麦畑と菜の花畑が広がる道をバスは走って行く。桜のように白っぽい花が咲いているのはアーモンドだとか。花ざかりの八重桜をたくさん見たのにはびっくり。風力発電や太陽光発電のパネルが並んでいるのを見ると、ドイツが自然エネルギーを大切にしようとしていることを思い出す。
街道から外れたために中世の町並みが残されている小さな町、ディンケルスビュール。朝早くなので、道端には、ずらりと車が停まっている。車がなければ人々の生活が成り立たないとは思うが、中世の街にはそぐなわない感じでちょっと残念。

スイスとの国境近くホーエンシュバンガウに近づいてくるにつれ、山や針葉樹が多くなってくる。左側の車窓から山の中腹に憧れのノイシュバンシュタイン城が見えてきた。
中世に建てられたと思っていたノイシュバンシュタイン城だが、大部分は1868~73年に当時南ドイツにあったバイエルン王国の国王ルードヴィヒ2世が自分の理想とした中世ドイツの騎士の城を体現するために造られた夢の城だったとのこと。国家財政を考えず、城の建設に費用を惜しまず注ぎこんだ結果、ルードヴィヒ2世は軟禁され、ある日散歩と称して湖に出たまま帰らない人となり、死の真相はいまだ解明されていないとのこと。
ノイシュバンシュタイン城へ観光バスは入れないとのことで乗り換える。バス停で降り城を左に見ながら、城の外観が一番美しく見えるマリエン橋へ。シーズンにはまだ早いそうだが、「河童橋だね」という位、人で溢れている。城は修復中と聞いていたが、何日か前に覆いが取れたとのことで、深い谷を越えた山の中腹に美しい姿を見ることが出来た。景色を満喫して、昼食を取る。
食後、予約時間に遅れると入れてもらえないと添乗員さんに脅かされていたが入場時間の書いてあるチケットのバーコードをかざして中に入るシステムに納得。ガイドレシーバーを受け取り、狭い入口から螺旋階段を上がって行く。どこまで続くのかと思った頃、広間にたどり着く。執務室や寝室、窓から湖を眺め、最後は芸術家の間。舞台があるが、そこで芝居が上演されることはなかったとか。

次は牧場の中にあるヴィース教会。村の老婦人がもらいうけた修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像が涙を流したとの噂から巡礼者が後を絶たず、ついに立派な教会がたてられたとのこと。ここでは、ノインシュバインシュタイン城で夫が頼まれてカメラのシャッターを押してあげた人に遭遇。ドイツだけを回るツアーに参加しているとのこと。中はロココ様式の白壁に金銀の装飾が美しい。
今夜は、ノインシュバインシュタイン城を見上げられる場所、シュヴァンガウに泊まる。ホテルと言っても、民宿みたいな感じで、冬はスキー客、夏はお城見物や登山客を泊めるのかな。

     
     

夕飯は、スワンの置物のあるホテル内のレストラン。食後、近くを散策。鳥の巣箱のようなものが閉まった店の前に。郵便受けに欲しいわ、とツアー仲間の一人のお姉さんが言うとどうやって持ち帰るのと実際的な妹さんの受け答えがおかしい。
5月10日は朝から雨。しばらくバスを進めたところで運転手のアレックスさんが宿に財布を忘れたらしいと探し始める。添乗員の高橋さんがお金なら貸してあげると言っていたが、幸い座席の後ろ側に落ちていたのを発見。アレックスさんは大声で話すので内緒ごとは出来そうもない。
ドイツからスイスへ。スイスはEU連合に加盟していないので、税関を通る必要があるとのこと。添乗員さんが免税手続きの書類をまとめて持って行き通関手続き。ただし、シェンゲン協定加盟国なのでパスポートを見せる必要はないとのこと。15年前の訪欧時は、国境を超えるたびにパスポートを提示していたのを考えるとずい分楽になっている。
昼食後ザンクト・ガレン修道院へ。併設の図書館が中世の文献を多数収蔵しているので有名なのだとか。
スイスに入ったとは言っても、ドイツとの連続。家の建て方が少し違った位で風景はあまり変わらない。でもその内に、雪を抱いた高い山が見えだして、スイスに来たんだという感慨がわいてくる。インターラーケンで夕食。
「スイスの川の水は白っぽいと思いませんか」との添乗員さんの言葉に傍らの流れを見ると、確かに白っぽい。氷河から流れ込んだ粒子が反射しているからだとのこと。

マッターホルンのふもとの町ツェルマットは、ガソリン自動車の乗り入れを禁止しているとのことで、一つ手前の駅で電車に乗る。駅から荷物は、電気自動車がホテルまで運んでくれる。昔は馬車だったとか。ツェルマットって、山のふもとの「村」と思っていたら、ブランドショップが建ち並ぶリゾート地。夕食の前に街を散策。マーモットの群像や暁のマッターホルンを見る場所、ねずみ返しの家など。

翌日早朝、霧雨の降る中、万に一つの僥倖を頼んで暁のマッターホルンを見に行くが…。
朝食を食べ、マッターホルン観光に出かける頃には雨は止んできたものの、どんよりと曇り空。ゴルナーグラート鉄道で標高3089mにある展望台に。雲の上に出ると青空が見え始め、とうとうマッターホルンが顔を見せてくれる。展望台を出たところで、セントバーナードと一緒にマッターホルンを背景に記念写真。

次はスイスの首都ベルン観光。薔薇公園の黒いチューリップが咲いている傍らを通りながらチューリップが投機の対象だったこともあるという話を聞き、ベルンの街を俯瞰。最初に出会った動物を街の名前につけようとしたらクマだったということで、今でもクマが飼われているくま公園。通りの中央に幾つも設置されている彫刻に飾られた噴水を見ながらベルンの通りをからくり時計の所まで行く。マネキンの頭や手だけを棒の先に付けた人々が近寄ってくる。何かのパフォーマンス?思わず差し出されたマネキンの手と握手。

グリンデルワルト、アイガーの見える部屋は、2組に1部屋ということで、手近の人同士でじゃんけん。見事勝ち取った部屋はゆったりした造り。翌朝窓から外を眺めると、巨大な山肌が見えてびっくり。
5月12日ローテルブルテンで電車を乗り換え、ロープウェイやケーブルを乗り継いでシルトホルン展望台へ。途中1638mのミューレンで4℃、2973mのシルトホルン展望台は氷点下11℃、残念ながら雲が出てきて下に見えるはずのアレッチ氷河は見えず、あれがメンヒとみている内に頂上に雲が…

一旦グリンデルワルドまで戻って昼食後オプショナルツアー。線路脇に見えるのは蕗の花。スイスの人は蕗の薹(とう)を食べる習慣がないので取る人がいないなど、日本の旅行社に勤めていたがスイスが気に入って定住したという乗りの良いツアーガイドさんの説明を聞きながらユングフラウ鉄道に乗ってスフィンクス展望台へ。山をくりぬいた鉄道は、あっという間に3454mのユングフラウヨッホ展望台駅に。さらにエレベーターで昇った3571mの展望台からの眺望は残念ながら雲の中。氷の美術館や写真で鉄道を作った様子を見る。

最近インド人観光客が多くなったので展望台のレストランにカレーのメニューが加わったとか、展望台にあるブランドの時計ショップでは中国人観光客がどっさりお土産を買っていくなどの最近の様子を聞きながら、日本からの観光客はお行儀がよいので評判が良いと嬉しそうにツアーガイドさん。
「しょっちゅう食事や軽食で起こされた」と夫は文句を言っていたが、帰りは何のトラブルもなくチューリッヒからスイス航空で成田へ。あっという間の6泊8日のツアーでした。

タイツアー  佐藤(荒川)陽子・他3名    2013年6月1日

タイに大泉高校卒20期生4人で旅行してきました。

5月11日(土)、22時30分、羽田国際線ターミナルJALの受付で集合し、搭乗手続を済ます。タイ在住が長かったアラコがコンダクター。くっついて行くのは旧1年4組昔お嬢さんの会の3名(カトー、クロ、私)。コンダクターアラコのマイレイジのお陰で、JALのサクララウンジに行く。ここから通常とはちょっと違う豪華な旅行の雰囲気が漂い始める。飲み物、食べ物が無料で食べ放題、飲み放題。出発まで、ソファーで寝ている人もいれば、雑誌を読む人もいる。
25時45分羽田発で、バンコクへ向けて離陸。飛行機の座席は一番後ろがよいとのことで、一番後ろの座席に予約が入れてあった。トイレが近く、窓側の席もとりやすいし、もし空いていれば、何人分かの座席をもらって寝ることもできるとのこと。また、翼に邪魔されず、窓からの景色も堪能できる。さすが、旅慣れたコンダクターは考えることが違う。トイレに何回か立って、気分転換。座席には一人ひとりにモニターが付いていて、好きな映画が好きな時に見られ、音楽も聞けた。

5月12日(日)の朝、6時05分にスワンナプーム国際空港到着。広々とした、綺麗な飛行場。荷物を受け取って、出口Cに移動すると、ホテルまでマイクロバスで送り届けてくれるガイドさんが待っていた。「車がすぐ来ます」とのことで、建物の外に出た。途端に暑い。外で待つこと15 分くらいしてやっとマイクロバスが来た。今晩から3泊するザ・インペリアル・クイーンズ・パーク・ホテルまで送迎してくれた。7時半より利用できるアーリーチェックインのお陰で、部屋に入り、荷物を置くと着替えて、しばし休憩。
10時ごろペットボトルにミネラルウォーターを入れてホテルを出発。ホテルから公園を抜けて、最寄りのプロムポン駅へ。

公園ではジョギングする人、トレーニングマシンで体を動かす人、セパタクロウをする人がいた。駅ではコインを入れて、切符を買う。紙幣しかない場合は窓口で両替してくれる。スカイトレインから地下鉄に乗り替え、カムベーンペット駅で降りて、ウイークエンドマーケットへ。地下鉄では黒い円形のプラスチックコイン(トークン)を買う。トークンを改札口にタッチすると、自動的に扉が開く。改札口を出る時はトークンを穴の中に入れると自動的に没収される。
ウィークエンドマーケットは、タイシルクの布・袋、陶磁器、果物、子ども服、婦人服、Tシャツ何でもありの市場。食べ物を扱っている屋台も出ているが、地元でない我々はお腹を壊すといけないので、何一つ飲まず、食べずで、買い物だけした。

その後、もときた地下鉄のスクンビット駅まで戻り、14時ごろ、駅前のターミナル21というビルの中にあるタイ料理、中華料理、イタリアン、ジュース、アイスクリームなど何でもありのビュッフェ形式のフードコートで食事をすることにした。席がないくらい混んでいた。
フードコートでは、まず、どのコーナーでも使えるカードを買い、コーナーごとに注文し、カードで精算。余った額は返金してくれる。タイ語は全く分からず、文字も読めず、英語もなかなか通じないので、コミュニケーションが難しい。
昼食後はホテルに戻り、部屋で少し休んだ。ホテルの中にキングスベニアという服飾の店があり、オーナーはタエコさんという日本人。皆、デザインが気に入り、ネクタイ、スカーフ、化粧ポーチ、袋物など、タイシルクや象さん柄を中心に大量に買った。
その後、夕飯を食べにタイスキの店へ。タイスキとはタイ式すき焼きの略なのだが、すき焼きと言うよりしゃぶしゃぶで、出汁が入っている鍋に肉や魚、野菜などを入れて食べる。飲み物はスイカジュースを注文した。スイカジュースは甘くて美味しい!最後の締めは鍋にご飯と卵を入れて、おじやに。もうお腹がいっぱいでほとんど食べられなかった。

5月13日(月)、ホテルで朝食を済ませると、7時半にホテルから出発するツアーバスに乗り、バンコク市内観光へ。バスは混雑する道路を走り、船着き場へ。渡し船で川を渡って、暁の寺院を訪ねる。
 

民族衣装を借りて、写真を写す。その後、市内を見下ろすことのできる塔に登る。空高く急な階段が続く。

お寺を見学した後、再び、渡し船に乗り、今度は対岸にある涅槃仏寺院へ。

こちらのお参りは、まず蝋燭に火をつけ、線香を焚き、蓮の花を飾り、最後に仏像に金紙を貼りつける。皆、何やら願い事をしていた。

市内観光のツアーバスは、最後に僧侶がいないエメラルド寺院を訪ねる。

 エメラルド寺院

エメラルド寺院とその隣にある王宮を見た後、バスに乗り、我々は、パヤタイ駅まで行った。
駅前にあるエンポリアムというデパートの中で、バンコクに長く住んでいるアラコのお友だちのつるちゃんと合流して、一緒に飲茶料理の店に。ビールが大好きなお友だちで、ご主人の仕事での関係で18年もの間バンコクに住んでいるとのこと。バンコクの現在事情を教えてくれ、お土産を買うのを手伝ってくれた。スーパーマーケットでバナナポッキーやチョコレートを買うとよいと教えられた。つるちゃんと別れ、一旦ホテルに帰って休憩。
夜は、再びホテルを出発し、プロンポン駅からスカイトレインでオリエンタルホテルのディナーショウへ。会場は川の対岸にあり、ホテルのシャトル船に乗って川を渡った。ネオンがともり幻想的な雰囲気。

豪華な食事をしながら、タイ民族舞踊を鑑賞。お客さんの入りは今一つ。若い舞踏家がダンスを披露してくれる。メニューと一緒に英語で書かれた解説書が配られ、踊りの内容が分かるようになっていた。若い女性の指先を反らす優しい綺麗な手の動きと男性の荒々しい動き。ロープを手に巻いたタイ古式のボクシングの演武もあった。
8時ごろに終了し、渡し船に再び乗り、プロンポン駅までスカイトレインに乗って、ホテルに戻った。バンコクのタクシーは危ないので乗らない方がよいとのこと。公共交通機関はどれもきれいで安心。駅から直行できる公園がすでに閉まっていたので、タイマッサージの店が並ぶ怪しい通りを通って、ホテルに帰った。切符の買い方も改札口を通過する仕方も2日目には大分スムースになった。電車が利用できると、街歩きも大分板に着く。バンコクの町は清潔でゴミ一つ落ちていない。インフラが整備されている。クーラーで建物の中や電車はガンガンに冷やされている。物価は思ったほど安くはない。円安になっていたので、1万円で2800バーツくらいだった。

5月14日(火)朝、7時に迎えのツアーバスが来るので、6時から朝食をとった。ツアーバスで、水上マーケットに向かう。バンコクは河口に発展した町なので、川が市の中央を流れ、また運河が張り巡らされている。途中、ココナッツ工場を見学した。ココナッツ工場見学と言っても、ココナッツの実を煮詰めて砂糖にする工程を見せてくれるだけだけれど。
ココナッツ工場を後にして、一路、南に向かう。途中、海が見える。巨大な塩田が広がっていた。
水上マーケットのある地区は、観光地になっているが、家々には生活している人々がいて、運河に面した家はお花を飾って綺麗にしている。勢いのよいモーターボートで一周する。モーターボートを降りて、買い物をした。果物や食料品を売っているボートが出ている。クロちゃんがシルク布を扱っている店でタイシルク布を求める。帰ってから息子さんとご主人にネクタイを作るそうだ。
 

その後、ツアーバスは市街地に戻り、大きな駐車場のある免税店に連れて行かれた。そこで、午前中のツアーは解散となったので、皆で昼食をとる。昼食はビュッフェ式で、タイ料理が中心だが、チョコレートファンテンまであった。免税店は若い中国人観光客であふれていた。ブランド品を買うために長蛇の列ができていた。免税店で買った品物は、空港で、受け取ることになっていた。私も何か買いたかったが、あまりの混雑ぶりに諦めた。
15時に出発するアユタヤ行きのツアーバスに乗った。バスは高速道路を北上し、アユタヤ遺跡に向かった。こちらの運転士さんは皆運転上手というか、危ない。互いに狭いところをぎりぎり割り込んだり、スピードを出したりする。16時ごろ、一旦バスは象に乗る場所に停車した。象使いのお兄さんがいて、2人用のいすが用意され、ゆったり歩く象に乗ることができた。

日本でいえば8月の一番暑い日といった感じで、日差しが強く炎天下での象乗り体験であったが、風は爽やかだった。16時30分ごろから、アユタヤの遺跡を見学。世界遺産に指定されている。レンガを積んだだけの遺跡はところどころビルマ軍との戦争で破壊されており、また、年月を経て、傾いていた。我が国でいうと江戸時代初期に作られたものとのことであった。

 アユタヤの遺跡で

夕食はアユタヤ唯一のホテルでタイ料理のディナー。今回の旅は、毎食、ビュッフェやフルコース。
飲み物はココナッツジュースを注文した。ちょっと癖がある味だった。その後、アユタヤ遺跡のライトアップをみる。真っ暗な中に幻想的な遺跡が照らし出される。

5月15日(水) 今日は一日自由行動の日。朝食を済ますと、願い事が叶うというお寺まで、電車を乗り継いで行った。お寺の隣には大きな学校があって、英語と中国語を学ぼうというスローガンが書かれていた。夏休みが終わって、そろそろ学校が始まるようだった。

電車で戻って、エンポリアムで、また、つるちゃんと合流。お買い物に付き合ってくれる。専門店街でジム・トンプソンのタイシルクのネクタイや子ども服、サンダルを、スーパーマーケットではチョコレートや乾燥マンゴ、バナナポッキーなどを買う。昼食は、つるちゃんが乗ってきたお抱え運転手つきのベンツに乗せてもらい、スーパートップスまで行き、その中にあるレストランでタイ料理を食べる。その後、アラコやつるちゃん行きつけのマンハッタンホテルのコットンの店で、化粧ポーチ、鏡付きの口紅入れを買う。象さん柄がかわいい。
 お買い物を満喫した後、つるちゃんの車で、ホテルに戻った。ホテルの部屋でシャワーを浴びたり、帰りの支度をした後、18時にチェックアウト。18時半になると、空港行きのマイクロバスが迎えに来た。ホテルのロビーにはグランドピアノが置かれ、なじみの曲が演奏されていた。空港に向かうマイクロバスの中では、運転手とガイドさんがタイの国歌を歌ってくれた。国際空港に程なくつき、免税店をちょっと見た後、JALのサクラルームでゆったりと過ごした。21時45分発、羽田行きの飛行機に搭乗する。帰りは偏西風の関係で5時間余り。東南アジアは近いね。あっという間に着いてしまった。朝5時半には東京に。
 楽しかったタイ旅行も終わり。明日からまた日常に戻る。次回は「台湾へ行こうね」と約束して別れた。