お便り その12

更新 2022年2月13日

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富浦の昔と今 関屋 収 2022年2月12日

 昔の大泉に無くて、今の大泉に有るものなあに?附属中学、階段教室、人工芝の運動場そしてプール。
 それでは、今の大泉に無くて、昔の大泉にあったものなあに?2年生の榛名湖畔の寮と林間学校と1年生の富浦臨海学校。
 榛名湖畔の寮(山荘)は都立高校が独自に持っていた施設で、2年生の夏休み2クラスずつで林間学校。榛名山にハイキングに行ったり、
ボートに乗ったり、キャンプファイアをしたり、楽しかったですね。
 一方、富浦の臨海学校はプールの無かった大泉高校では、1年生が2つに分かれて全員、3泊4日のスケジュールで前期、
後期に分かれ参加しました。行く前に石神井高校のプールで指導を受け、泳力によってA班からE班に分けられました。
臨海学校3日目にはA・B班は2時間、E班も30分の遠泳を行うすばらしい体育教育でした。
200名を超える生徒の命を預かる行事ですから体育科の先生は堤先生、清水先生、山谷先生はじめ総動員。
前後期各40名程度の卒業生が助教として招聘され指導のお手伝いをしました。

1965年 我が期のA班の集合写真 遠泳風景:白帽子が生徒、黒帽子が助教

 当時は、9時両国駅集合、10時3分発内房線で12時24分富浦駅着という記録が残されており、
自宅を出発して宿舎に着くまでは5、6時間の長旅でした。現在では、首都高、アクアライン、館山縦貫道が完成し、
富浦駅のすぐそばまで横浜市金沢区の我が家から車で1時間半で行くことができます。
コロナ下で安全に行けるドライブコースを探していた我々は、一昨年の12月、昨年の10月に2回ほど富浦を訪ねました。
富浦は、内房館山の手前で、現在は南房総市の一員となっています。館山縦貫道の現下の最終出口があり、
道の駅やドライブインが集結し、美味しい高級な枇杷の産地として有名で賑わっています。

 海の風景は、館山市との境にある大房岬(だいぶみさき)に囲まれた比較的静穏な海で、臨海学校の好立地です。
遠泳の時に目標物にしていた人工島は波に洗われ、昔より丸くなっていましたが、健在でした。
体操や指導で臨海学校のベースとなった豊岡海岸は、地球温暖化や台風の影響でしょうか、少し狭くなったように見えました。
しかし、海はやっぱりとても美しい。

富浦の海:沖合に丸くなった人工島 豊岡海岸:体操や指導を受けた海岸

 富浦駅に立ち寄ってみましたが、昔は典型的な地方の国鉄駅でしたが、今はきれいでモダンな駅舎が建っており、
観光や合宿用宿舎などでこの町が元気にやっている証と見ました。
50数年前に、臨海学校の生徒と先生合わせて250名強を泊めて下さった民宿光崎旅館、
今は光崎館というコンクリート3階建ての立派な旅館になっていました。
お隣には、バスケットやバレーボールのできる私設の「光崎アリーナ」が建てられております。
温暖化や強い日差しで海水浴の人口が減っている現在も、各種アスリートの合宿施設として力強く経営されている姿を見て
心から嬉しく思いました。ただ、2年半前2019年9月にこの地域を襲った台風15号の傷跡か、
ブルーシートの屋根の家がまだたくさん残っていることに、改めて気候変動の恐ろしさを実感しました。

富浦駅:モダンな駅舎になっています 2019年台風15号で被害を受けました
光崎館は立派なコンクリート3階建に 光崎館の合宿用施設アリーナ

 私は、57年前に高校1年生として臨海学校に参加し、大学生・社会人になってからも助教として14回お手伝いをさせていただきました。
毎年4日間か7日間、寝食を共にした助教会の絆は強いものです。同期では、尾崎彰夫、小笠原信一、
同期会幹事の中川恵や山口達夫の各氏らと長くご一緒しました。今だにお付き合い、ご指導いただいている先輩の杉山武彦さんや
山本章さんなどとの出会いもこの富浦でした。沢山の出会い、沢山の思い出をくれたこの町とこの海を愛し、また訪ねることを誓い富浦をあとにしました。

マグナカルタご覧になりませんか 小林憲一 2022年2月6日 

(この投稿は「いずみ会HP」に掲載したものの再掲です)
 10年ほど前ですが、かみさんと2週間ぐらいの日程でイギリスを周遊した時のことです。ソールズベリーという町からバスでストーンヘンジへ出かけ、
またソールズベリーへ戻ってきたところ、宿のあるブリストルへ帰るには時間があったので市内見物をかねて散歩に出ました。
ぶらぶら歩いていくと教会があるので入って見学することにしました。
 教会内部はほとんど人もおらず、身廊、中央ドームを経て内陣の裏側に達したところ、妙齢の女性がこちらを見ながらにこにこ微笑んでいます。
ここからの会話は、実際はまあまあ流ちょうな日本語と中学生程度の英語の間の何十回にわたる翻訳の過程を経て成立したものですが、
時間の節約のため日本語で表記します。彼女が「ここには国宝があります。見ていきませんか」「マグナカルタがあるんです」と言うのです。
見ると扉が半分開いていて、その向こうには小さな展示室があるようです。
しかし「こんな田舎に本物のマグナカルタがあるのか」「見たことはないけどあるとすれば大英博物館じゃないのか」という疑念が沸いてきます。
これがロンドンの裏横丁で一癖ありそうなおじさんに、「旦那、ダンヒルの書類バックのいいのがありますぜ。安くしときますぜ」と言われたら
100%偽物でしょうけど、田舎の教会でどうみてもボランティアの品の良いおばさんにそう言われると、むげに断るわけにもいきません。
時間もあるし、一人£2~3の寄付で見学できるということなので、入ってみることにしました。
 マグナカルタという言葉は大泉高校の世界史の時間に習い、言葉としては知っていますがそれ以上の知識はありません。
ただ、大憲章というくらいだから、想定するイメージは非常に大切な文章が書かれた立派な書物。よく高名な教会に展示されている、
皮で装丁された厚くて大きく、表紙は金文字で刻印された王様用の聖書のようなものといったところでしょうか。
しかし、彼女が「これがマグナカルタです」と誇らしげに指差す先には、たった一枚の紙があるだけです。
大きさは新聞紙1ページ大(だったような気がする)で、しかも手書き。「こりゃ一杯くわされた。
おばちゃんいくらなんでもこれがマグナカルタというのはひどいんじゃないの。アジア人だからといってバカにするにもほどがある」という
こちらの心の叫びが聞こえたかどうかわかりませんが、説明が始まりました。
 昔、王は戦争をするたびに通常の税とは別に戦費のための追加の税徴収を繰り返し行った。王は一言命令を発すればそれで済むが、
国民は度重なる税の追加徴収に苦しんでおり貴族などの重臣も同様の苦しみを味わっていた。
ある時、また追加徴収が行われようとしたので重臣が王に反旗を翻して、「追加徴収は重臣たちが同意した時だけに限る」と王の権限を制限する要求を決議した。
双方で協議の末、結局王が折れて重臣たちの要求が通ることになった。この意味合いは非常に大きく、王と国民の力関係にも大影響を与えることになる。
そのため、全国津々浦々まで火急的速やかに、この取り決めを周知しなければならない。しかし時は、グーテンベルクの印刷技術の発明の200年以上前である。
そこで要点を簡潔にまとめた通達文を何十人かが手書きで同時に作成し、全国へ向けて発送した。従ってその時点ではマグナカルタは何十枚も存在したが、
現在ではわずか数枚しか残っていない。ここに展示されているマグナカルタは保存状態が最も良いとされており、
大英博物館のものはこれに比べるとはるかに見劣りがする。これを見ることができるあなた方は幸せです。

 マグナカルタは一つだけと思っていたのですが、複数あったのですね。世界史の先生、教えてくれないんだもの。
ひょっとしたら教えてくれたけど、こちらが頭に入れなかっただけかもしれませんが。 いずれにしろ、私にとってこの衝撃は大きかったです。
歴史上のものが複製されたり、写本が作られたりすることは往々にしてあるものですが、オリジナルが複数存在していたとは。
モン・サン・ミシェルよりマチュピチュよりこちらの方がはるかに印象に残っています。
 その二年後、ニューヨークのメトロポリタン美術館で絵を見ていた時のこと、なんか懐かしい感じのする絵に出会いました。
説明書きを見るとジョン・コンスタブル作「ソールズベリーの教会」と書いてあります。おお、あのマグナカルタの教会だと思い出しました。
あとで分かったことですが、あの教会も、その教会を描いた絵も、そして描いた画家もけっこう有名だったようです。
こんな偶然の出会いはいいものですね。なんか得した気がします。
そして2021年2月、丸の内の三菱一号館美術館で「コンスタブル展」が始まりました。しかし、緊急事態宣言のため美術館は閉鎖中で見に行くことができません。
早くコロナ禍が終息し、世の中が落ち着いて、ソールズベリーやニューヨークへ旅行に行ける時期が来るとよいのですが。
 旅の費用は大丈夫なの? そう、それが一番の問題なのです。


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