その17     

更新 2013年7月27日

アメリカ 大自然とジャズと美術館 3拍子の旅 マグラー原口節子 2013年7月12日

20期の皆様お変わりありませんか。

梅雨も明け本格的な夏の到来と共に開かれた7月4日の同期会には、大勢の方たちが参加し盛会だったようで、残念ながら参加できなかった私としては、HPの写真を眺めながら、懐かしき顔を発見しては一人楽しませてもらいました。 それにしても圧倒的な男性軍の数。ああ、行けばよかった!(笑)

毎年真夏のパースからお便りしているので、たまには冬の朝の1日をちょっとご紹介。 7月に入ると朝晩の冷え込みも厳しくなってきて最低気温が4,5度の日が多くなっています。 早朝ウォーキングをしている身にとっては、(腰痛改善のために始めたウォーキングはもうかれこれ4,5年になります。)つい暖かい布団のぬくもりの誘惑に負けそうになりますが、そこは「エイ!」と気合を入れ、毎朝緩みがちな心と戦って日の出前のまだ暗い外に飛び出しています。 一旦外に出たらもう躊躇なし。 我が家はちょっと高台にあるので、そこから夜明け前の何ともいえぬ幻想的な神秘的な世界を一望の下に見渡せることができて、ああ、この景色があるから起きられるんだ、とヘンに納得できるぐらい素晴らしい景観が広がっているのです。 まだ暗闇の世界が支配している空と、はるか遠くの地平線との境界線に帯状に広がるあのオレンジ色の光、そして点々と灯っている街の灯とが絶妙なコントラストでそれは素晴らしいパノラマの世界を展開してくれるのです。 そしてしばらく行くと遠く眼下に見える公園の湖上から冷気の為に霧(霞?もや?)を発生しているのが見え、その先から太陽が顔を出し始めるのです。 朝日を体いっぱいに浴びて、「さあ、今日もいい日でありますように!」って祈りつつ私の一日が始まるんですよ。 思えばこういう自然の営みや美しさを毎日身近に実感できる<贅沢>があるからこそ、こうして何十年も私から言わせれば<田舎の街>パースに住んでいられるのかなあって最近思ったりしています。 

さてさて本題の旅行記ですよね。 4月から5月にかけて4週間夫とアメリカ旅行をしてきました。 なぜアメリカかというと、夫曰く、4年前行った時と比べてオーストラリアドルが俄然強くなっているから、今行くとお得だからなんですって。 “バーゲン”とか“お得”という響きに弱い私は、いとも簡単に夫の暗示にのっかってしまったという次第です。 でもよく考えてみたら前と比べたらお得感があるだけで、決して得したわけではありませんよね。 ちなみに4年前は1Aドルに対しUSドルは65セント、4月はなんと1ドル5セントでした!

余り乗り気ではなかった私が妥協してあげたように話しをもっていったから、今回の旅は私の希望を取り入れ大雑把なプランを私が設定。 前半は大自然を、後半はジャズと美術館という文化的なものを楽しもうと大きくざっくり分けてみました。 なんせ広大な国アメリカだから限られた日にちと予算とですべての計画を実行するのは勿論不可能、でもそれが結構できちゃうから不思議。 いかに安く効率よく移動するか、いかに便利でお手頃なホテルを見つけるか、こういうところに遺憾なく才能を発揮できちゃうのがうちの夫。 私はその夫が調べ上げたり、取り寄せたりした資料などを見て、「これはよくない、これはきつい」 といちゃもんを、いや意見やアドバイスを与えるだけという、いたってラクチンな役割を担って行ってきました。

まずはサンフランシスコ。 ああ、ここでは何よりも私の魔のサイクリング体験を聞いてください。 一応サイクリングコースなるものがあったので地図を頼りに初めはスイスイとまずはフィッシャーマンワースの辺りから海岸沿いを風を切ってルンルン気分で走りぬけ、結構きつかった丘も無事に上り詰めゴールデンゲイトブリッジへ。 そして遠ざかるサンフランシスコの街並みを眺めながら長い橋を渡り、サウスリートという昔は漁村だった小さなリゾート地に到着。 そこまでが大体3時間ちょっと。 そこでやめとけばよかったのです。 後から聞いたら殆どの人がそこからフェリーで(自転車ごと)サンフランシスコに戻るとのこと。 実は夫もレンタカーをとりに行かなければならない時間があったため、そこから戻らざるをえなかったのです。 私はというと、久しぶりのサイクリングに気をよくして、天気は快晴、体調良好, 気分も上々と、そこで戻る理由いっさいなしで、夫の忠告にも頑として従わずに次の町まで行ってそこから最終フェリーで戻るから大丈夫よと自信満々で別れてしまったのです。

ああ、その後が大変だったのです。 初めは私の前にも自転車に乗った観光客らしき人たちがちらほら見えたし、道も単純だったからルンルン気分で鼻歌など歌いながらスイスイ。 そのうち道が分かれだし、「えっ、地図と違うじゃん!!」 はたと周りを見るとなんと私一人! 大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせ、たまたま前から歩いてきた地元の人に地図を見せると、「この地図あまりよくないわねえ」 などと言いながらも指差して道順を教えてくれたのです。 その通りに走っていくとどうもサイクリングロードではないんじゃないかという疑惑の念をぬぐいきれなくて、それに最終フェリーの時間も気になってきて、段々焦りの色が濃くなり、今度は必死に歩いている人を探し、(住宅街で猫一匹歩いていない!)目的地のティブロンの町のフェリー乗り場を聞くと、「ここから遠いわよ、最低一時間以上はかかるわね。」 と言うではありませんか。 それからの私の焦りよう! 教えられた道を走っているものの感じる違和感、そして募る焦燥感。 いやこの道じゃないと確信してからはもうきっと物凄い形相で走ったと思う。 まるで獲物を探すかのように必死に辺りを見回し人探し。 ちょっと先に停まっていた車の運転席に人を見つけた時は脱兎の勢いで走りより聞いてみると、「そこのハイウェイに乗るとティブロンまで一直線ですぐだよ。」 と教えてくれたのです。 さらっと言ったその人、車での行き方だったんですよね。 でも私は何が何でも行かなくてはとの思いから、私は車ではなく自転車に乗っていることを意識の外に追いやって、なんと必死のあまり車がビュンビュンと走っているハイウェイに入ってしまったのです。 でもちょっと走ってすぐに転倒! これはヤバイ!危ない!と実感し、道路沿いに続く藪の向こうにちらりと一般道路が見えたので、もう自転車を押して必死の思いで藪を横切り普通の道路に出たんです。 その間再び自転車から転げ落ちること2,3回。 左手の親指の爪がはがれていたのにも気がつかず、その後は本当に必死にペダルをこいでこいで、周りの景色なんか目にも入らず、ただ一目散にフェリー乗り場を目指し、何とか最終フェリーに間に合ったという、楽しいはずのサイクリングの裏にこんな凄惨な体験があったのです。 フー、思い出しただけでも疲れる。  それにしても“火事場の馬鹿力”とはよくいったもので、人間逼迫すると物凄いエネルギーを出せるんですね。 あの時はもう無我夢中で走りましたが、後から振り返ってあの長~~い行程をこの年齢でよく走った、よく頑張った、とちょっと達成感など感じたりしちゃいましたが、それも無事に帰還できたからですよね。 そのあと2,3日ふくらはぎが痛くてすぐには立ち上がれなかったという罰はきちんと受けましたから。

フェリーから見るアルカトラス島 アルカトラス島の刑務所
     
自転車で渡るゴールデンゲイトブリッジ ロンバートストリート - 世界一曲がりくねった坂道


さてその後はサンフランシスコから車で4時間ほどにあるヨセミテ国立公園へ。 ヨセミテ渓谷の花崗岩の絶壁や北米で一番高いといわれるヨセミテ滝、そしてセコイアと呼ばれるアメリカ杉の巨木が林立するマリポサ樹林などの観光名所を訪れ、2,3日、ふくらはぎの痛さも忘れゆっくりと散策してきました。 マリポサ樹林で一番大きい木は推定樹齢1800年だそうで、下から見上げると直径2メートルはありそうな大枝が大きく広がっているその勇壮な姿は見ごたえがあります。 あちこちに自由奔放に動き回るリスの姿も見られ、その無邪気さ、可愛さは平和そのもの。 幸せそうなここのリスは一生食いっぱぐれがないだろうな なんて考えたりしてました。 

ヨセミテ滝 花崗岩壁
     
ヨセミテバレーと滝 マリポサ樹林の巨大セコイア.


そこから車でロスに行き、今度はワイオミング州にあるイエローストーン国立公園に行くためユタ州にあるソルトレイクシティまで飛行機で。 前に冬季オリンピックが開かれたその街はモルモン教の本部があるせいか宗教色の強い印象を受けたけど、雪山に囲まれたそれは美しい(本当に塵一つ落ちていない!)透明感のある街でした。

石油王ポールゲッティ美術館 ポールゲッティ美術館から見渡せるロスアンゼルスの街
ポールゲッティ美術館のセザンヌのりんご ポールゲッティ美術館のゴッホのアイリス
     
モルモン教大聖堂     ホテルから見たソルトレイクシティの街並
     
     
 梅が綺麗だった大聖堂の庭    


イエローストーン国立公園はソルトレイクシティから北へ車で5,6時間。世界で最初に認定された国立公園とのことで、アメリカ最大の火山地帯でここ10年ほど地震も多発しているらしいです。 広大な敷地内にはまだ雪があちこちに残り、生憎雪でまだ一部の道路が閉鎖されて行けない場所もあったけれど、4年前に訪れ余りの雄大さに驚いたあのグランドキャニオンとそっくりな峡谷(その名もイエローストーンのグランドキャニオン)や滝や川あり、カナダのロッキー山脈バンフ国立公園を想起させる山々や大森林や湖あり、温泉あり、それに間欠泉も定期的に空中高く噴き出し、更に野性動物の宝庫ときている、まさに変化に富んだ大自然のオンパレード。 いろいろな地熱現象が見られ、あちこちから白い蒸気が上昇している様は日本の温泉地みたい。 ここの地熱で温められた温泉は美しい神秘的な青緑色を放っているのがあってすごく幻想的。 でも茶色のどろどろした泥水の泥温泉がブツブツと湧き出ている様はちょっと不気味で、深い地の底から怪物でも出てくるような感じ。 とにかくあちこちで地熱活動が活発に行われている様子がうかがえて珍しくおもしろいところでした。 地底にはアメリカのみならず地球さえも脅かすほどの、超巨大火山が眠っているそうで、初めて爆発したのは210万年前だとか。 この地底に巨大マグマが溜まっていると思うと超コワッ!

敷地内は車で移動するようになっていますが、入って初めて野生のバイソンを見つけた時はまるで子供のように喚声をあげてしまいましたが、でも奥に入るといるわ、いるわ、バイソンだらけ。 あちらさんも観光客には慣れているらしく全く動ぜず悠々と草を食べている様からなぜか“泰然自若”の4文字熟語が浮かんできました。 でも近寄るとやはり野性なので危険だそうです。 あとエルクと呼ばれる鹿もすぐ傍で見られ、キツネとオオカミは川の対岸にいたのを見つけ(観光客の車が何台か止まっていると必ず何かがいます。)残念ながらクマにはお目にかかれませんでした。

あちこちから立ち上る白い蒸気の水煙 様々なバクテリアの成長による緑色の水たまり
     
ボコボコ湧き出る池 90分ごとに噴き出る間欠泉
     
バイソンの群れ 平然と車道を歩くバイソン
     
キャニオン峡谷 一面氷に覆われたイエロストーン湖
     
雪の残るイエローストーン川 美しい雪景色


旅行前半でヨセミテとイエローストーンでとにかく大自然を思う存分満喫。 そろそろ文化的、都会的な雰囲気が恋しくなってきた頃にちょうどいいタイミングで今度はジャズを求めてシカゴ、ニューオリンズ、ニューヨークにいざ行かん。 数年前にジャズピアノをちょっとかじったことから、ビルエバンズやオスカーピーターソンなどのCDを聴くこともあって、アメリカに行くなら本場のジャズを聴いてみたいなあと思ったのが今回の旅行の目的というか、条件のひとつだったのです。 でも決してジャズ通ではありませんので。 すっかりヨーロッパで鉄道の旅のとりこになってしまった私は、今回もどこかで鉄道に乗りたい希望は捨てきれず、いろいろ夫がオンラインで調べて、時間的にも料金的にもこのルートしかないということでシカゴとニューオリンズ間だけ1泊の鉄道の旅にしたのです。 でも検索中なんと飛行機も列車の部屋の料金も随時変わるのにはびっくり。 翌日に料金が倍になっている時もあったんですよ。 それでも安い時のタイミングは絶対逃さないで予約する才能があるのがうちの夫。

ニューオリンズは何年か前のハリケーンカトリーナの大被害を被った街だけど、今はすっかり復興して、世界中から観光客が集まっているようです。 有名なフレンチクオター地区は(ここはハリケーンの被害を受けなかったそう)18世紀にはフランス領だったことも影響してか、フランスニースの裏通りの雰囲気が漂っていて、それを発見した時の私の嬉しさ、そしてすっかり気に入ってしまいました。 ここに来たら絶対行きたかったところは、ジャズ発祥の地ニューオリンズならではの伝統的なディキシーランドスタイルのジャズが聴けるというプリザベーションホール。 古くて狭いホールだけどジャズファンの観光客で超満員。 演奏者と観客が一体となったのりにのった時間でしたよ。 夕方になるとバーやレストランでは勿論、路上でも生のジャズ演奏が聴けて、正にジャズが街中に溢れているという感じ。 ムーディーなピアノバーから賑やかな演奏で賑わうパブまで色々なところに顔を出し、すっかりジャズに酔いしれた、そして本当に酔っ払ってしまった数日間でした。

ジャクソン広場の前で この人本当に動かない!
     
ジャクソン広場とセントルイス大聖堂 有名なカフェ ド モンド
     
ミシシッピ川から見たニューオリンズの中心部 ジャズクラブバー”Paddy O'brien”の前で。 赤いドリンクはニューオリ
ンズ特有の飲み物”ハリケーン


ニューオリンズからはニューヨークまで直接飛ぶつもりでしたが、地図を広げるとどうしても途中にあるワシントンの文字が目に入ってしまって結局3泊しました。 でも正解でした。 やはりアメリカの首都だけあって整然として威厳があってそして緑も多い美しい街でした。 もう少し早い時期だったらポトマック川の桜並木を散策できたのにとちょっと残念。  ニュースでよく見るお馴染みのホワイトハウスや国会議事堂、財務省など政府関係の建物の前はやはり観光客も多く、何だかアメリカの威力を見せつけられている感じ。 でもアメリカの力をもっと感じたのがスミソニアン博物館群。 計19の博物館と美術館からなり、勿論世界最大級とのこと。 それもすべて入館無料なんですよ。 芸術、科学、文化、歴史に注ぐアメリカの力と情熱を感じざるを得ませんでした。 夫はもう子供のように航空宇宙博物館に夢中になり、その間私は向かい側のナショナルギャラリーで大好きなヨーロッパの印象派たちの絵画を思いのままに楽しむことができました。
  
あとワシントンでは夫の希望でアーリントン墓地にも行ってきましたが、初めは南北戦争での戦没者のための墓地だったそうでその敷地の広大さにまずびっくり。 第1次、第2次世界大戦やベトナム戦争の戦没者は勿論、ケネディ大統領とその家族や、スペースシャトルの犠牲者などの墓石も。 緑の芝生にズラリと並ぶ白い墓石。 ドミノ倒ししたらさぞ壮観だろうな、なんて不謹慎なこと考えたりして。 その反面いやに熱心に見て回る夫。 そうか先の大戦では連合国側だったんですよねえ、なんてヘンなところで納得。 よくテレビで見る外国の要人が公式訪問した時に顕花をする無名戦士の墓の前では衛兵の交代式が厳粛に行われていました。 墓地の敷地の外のちょっと離れたところには硫黄島の戦いでアメリカの海兵隊が星条旗を掲揚している像(高さ10メートル以上の巨大な像)があってアメリカ人の観光客が誇らしげにその前で記念写真を撮っていましたが、それを見た時は、やはり私は日本人なんですね、日本の立場から見てしまい、とても悲しい気持ちになってしまいました。 前にクリントイーストウッドが硫黄島の戦いを日本とアメリカ両方の視点から描いた映画を製作しましたよね。 戦争に限らず立場を変えていろいろな問題を双方の視点から見ることは難しいけど必要で大切なことですよね。 このアーリントン墓地で実感したことは、戦争で亡くなった人たちを慰霊追悼する気持ちと、戦争で大切な人を失った人たちの悲しみは、敵国でも味方国でも同じ ということでした。

ホワイトハウス 国会議事堂
     
航空宇宙博物館内のアポロ15号の宇宙服
     
ペンタゴンの建物 アーリントン墓地
     
硫黄島の星条旗掲揚の像


さて最後の訪問地、ニューヨークはなんと35年ぶり。 ここでの目標は5つ。 メトロポリタン美術館とモマ近代美術館での絵画鑑賞。 昔上ったワールドトレードセンターの跡地、グランドゼロに行くこと。 ハドソン川からニューヨークの夜景を見ること。 東京時代に隣に住んでいたアメリカ人に25年ぶりに再会すること。 そして昔の知り合いがやっているというジャズクラブに行ってニューヨークジャズを堪能することでした。 4泊したので無事にすべてをクリア。 特に印象的だったのがメトロポリタン美術館。 世界中から集められたありとあらゆる時代と文明の芸術品の数々にはもう圧倒され続け。 日本コレクションでも狩野派の人たちの屏風絵や、掛け軸、浮世絵、仏像など多数あって、世界中からの膨大のコレクションを目の当たりにして、ここでもアメリカの力を感じざるをえませんでした。 ゆっくり鑑賞したかったら3,4日はかかるでしょう。 あの規模で私立の美術館ときいて又びっくりでした。 とにかく私はそのアメリカの力のおかげでワシントンでもニューヨークでも思う存分、気の済むまで好きな絵を鑑賞できて、もう夢心地気分でシアワセ~でした。  ちなみに美術館内ではいつも夫とは出口で待ち合わせの時間を決めて別行動です。 あとはホテルがマンハッタンの中心部だったのでとにかくどこへ行くにも歩いた、歩いた、マンハッタンを縦横無尽に歩き尽くした感じです。 それでも全く疲れなかったのはなぜ?  大都会の喧騒も心地よく、懐かしく妙にしっくりきたあのノスタルジアは何?  やはり長年静か過ぎて刺激のない田舎の街パースに住んでいるからなのでしょうね。 都会の空気に触れると血が騒ぐのですよ!

     
 グランドゼロ    国連ビル
     
     
 タイムズスクエア    セントラルパークでのブレイクダンス
     
メトロポリタン美術館のセザンヌのりんご メトロポリタン美術館のセザンヌのりんご
     
メトロポリタン美術館のゴッホの花瓶のアイリス モマ近代美術館のセザンヌのりんご

ま、そんなわけで又平穏なパースに戻ってきたわけですが、旅行もいいけど、いつもの日常生活に戻ってホッとするところがあるのは、やはり年をとった証拠でしょうか! それでは皆さん元気に不快指数の高い夏を乗り切ってくださいね。 

師走のパースから マグラー原口節子 2012年12月19日

日本では衆議院選挙も終わり、いよいよ今年も残り少なくなってきましたが、皆様如何お過ごしですか。

例年ならここパースから張り切って(?)クリスマスシーズンの様子をお知らせするのですが、今年は全くクリスマス気分とはほど遠く、クリスマスが来る実感も湧かず、我が家では初めてクリスマスツリーも飾らない、ミンスパイも作らない、友人達を呼んでクリスマスドリンクもしない、と まあこの時期の主婦としては全くの体たらくの私であります。

というのも8月に契約し実際に10月から始まったキッチン改修工事が延々とこの時期になっても続いていて全く落ち着かない状態が数ヶ月も続いているからなのです。 いえ厳密にいうと5月に家のレンガの外壁すべてをしっくいに塗り替える工事をしているのでかれこれ8ヶ月ほどガタガタ状態が続いているでしょうか。 本来ならキッチンは11月の半ばには終わる予定だったのに、本来なら新しいキッチンで料理の腕を振るっている筈なのに、本来ならクリスマスドリンクとキッチン披露パーティーを兼ねて楽しい時間が持てた筈なのに・・・  ああ、それなのにです。  とにかく今回のキッチン工事に関しては、<予定><順調>という言葉に見放されたようです。

8月にデザインをしてもらって契約したキャビネットメーカーがすべてを統括してキッチンに係わるすべての業者のコーディネーター兼スーパーバイザーになってきちんと工程表なるものがあって工事を進めてくれるものだと思っていたのが大きな誤解!  キャビネットメーカーはそれこそキャビネットを作るだけ。 上に乗っかるベンチでさえ別のメーカー。 その他すべてのものも我々自身が手配しなくてはならなかったのです。 何回もショールームや店に足を運び、サンプルやカタログを集め、一つのものを選ぶのに2,3の見積もりをとり、業者と連絡をし合い、もうそれにかかった時間とエネルギーは膨大なもの。 電気屋さんと水道やさんも含め、いろいろな業者さん同士の横の連絡調整がなかなかスムーズにいかず、誰かが何かの都合でキャンセルすれば仕事の手順から他の業者さんも来られなくなることもしばしばで、何日間も誰も来ない日もあり、ただいたずらに時間が過ぎていくことも多々あり。

キッチンのすべてを取り壊したから工事が始まった時の騒音と埃は半端じゃあありません。 まるで部屋中に火山灰が降ったようで来る日も来る日も掃除に明け暮れ、同じスペースにある居間とダイニングも使えず、それよりも とにかくキッチンがないのだから超不自由な生活を強いられ、私のストレスも最高潮に達した時にです。 上の息子が、今まで住んでいた借家のオーナーの都合で家を出なくてはいけなくなって、急遽彼女と新しいところを探すまでという期限付きで、我が家に舞い戻ってきたのであります。(彼女は彼女の実家に)それも山のような荷物と大きなグレイハウンド犬とウサギを引き連れて!! 皆さん、グレイハウンド犬ってご存知ですか。 元来ウサギなどを狩る狩猟犬なんですよ。息子の犬はウサギを追いかけるドッグレースに出ていて引退した犬ですが、その犬とウサギを一緒に飼っているんですからもう呆れ果てます。 我が家に来てからは勿論別々の場所を確保してあげて絶対に犬をウサギに近づけないようにしていますけどね。
とにかくガタガタゴチャゴチャ状態のところに息子<たち>がやってきたものですから一時期もう家の中はひっちゃかめっちゃか状態でした。

そんな混乱状態が続く中、ストレスを解消し、心身のバランスを保たせてくれたのがテニスと今年に年甲斐もなく入ったバンドでした。 オージーのボーカル女性(日本語ペラペラ)とあとは日本人で計5人のバンドなのです。 リードギターとベースギターが男性、ドラムとキーボードの私が女性。 長年クラシックピアノを弾いている私にとっては、初め誘われた時はちょっと抵抗もあったし、何より気恥ずかしさとそして何より平均年齢を上げてしまう罪悪感もあって(私が一番年上!)躊躇したけれど、やってみてこれが楽しい! この歳になってバンドに入るなんて夢にも思わなかったけれど、新しいことに挑戦できたことに今は強引に誘ってくれたメンバーに感謝でーす。 実は先日恒例の日本人会の忘年会で200人以上の観客の前で初演奏。 緊張はしたけれどそれ以上に楽しむことができて自分でもびっくり。 ピアノと違ってグループで一緒に演奏するおもしろさと人前で演奏する楽しさを知ってしまったのです。 これ結構クセになりそう!
曲目は60年代、70年代のポップス中心で、「マイガール」や「Have you ever seen the rain」の他、日本の懐かし昭和メロディーと題して、「ブルーライトヨコハマ」や「恋の季節」「蒼い星屑」など青春時代を彷彿させる曲ばかりを何曲か披露。 南極砕氷船「しらせ」の若い乗組員たちは、“あ、この曲両親がよく歌っていた!” と喜んでいたそうな。  

さてさて日本の自民党圧勝のニュースはこちらでも大きく取り上げられ、今夜のニュースでは、安部政権は原発を継続するだろうからウラン会社の株が上昇したと伝えていました。 安部内閣は日本の株価や為替相場のみならず海外にも影響を与えているようですね。 

パースでは前にも書いたように中国経済が少し下降気味とはいえまだまだ資源ブームの影響で物価が高く、リタイヤビザでいらした日本人たちもこれだけ高くなったらここにいる意味がないと帰国されたり、タイやマレーシアに移る人も結構増えています。

ギラード首相は最近 アジアとのさらなる経済強化をめざし、“アジアの世紀におけるオーストラリア”という白書を発表したのですが、その中で中国語や日本語などアジアの主要言語によりいっそう力を入れると云っています。 もともとオーストラリアでは日本語熱が高く、私も息子たちが卒業した私立の男子校で日本語のアシスタント教師をしていますが、このニュースは日本語課の先生達を安堵させました。 というのも資源ブームの大の立役者中国の影響で近い将来中国語が日本語に代わるのではないかと危惧していたからなんです。でもこの白書のおかげで、中国語のクラスが新設されても日本語のクラスがなくなることはないでしょう。 パートタイムの私にはそうしょっちゅうクラスがあるわけではないけれど、私にとっては唯一頭脳活性化、ボケ防止の場なので学校側がもうやめてくれと云うまでは居座っちゃおと思っていまーす。

さて来年はどんな年になるのかしら。 とにかく何より皆が健康で元気に過ごせたら幸せですよね。
     Merry Christmas & A Happy New Year !!

ロンドン便り グレスウェル中川紀代子 2012年12月16日

目まぐるしくまた1年が過ぎ去ろうとしています。20期の皆さんはいかがお過ごしでしょうか?我々にとっては瞬く間の1年ですが、昨年12月18日に生まれた3人目の孫(娘)は、日1日と着実に育ち、もう1歳になります。すばらしい成長ぶりです。

相変わらず景気は悪く、ユーロの危機が取りざたされ、アラブの春もまだまだ本物でなく、人命が日々失われエスカレートするばかり。クリスマスなのに明るい話題がありません。きのうはアメリカで20歳男が小学校に押し入り、20人以上の子供たちや教師たちを銃で殺しまくったというニュース。先週は、ウィリアム王子の妃ケイトがひどいつわりで私立病院に入院していたら、オーストラリアのラジオ局のDJ男女がこともあろうに、女王とチャールズ皇太子の物まねをして、夜当番のナースをだまし、ケイトの病状を聞きだしたとか。そこで終われば、馬鹿なナースだなあ、くらいなのですが、このナースが自殺したと言うので、事はどんどん大きくなり、ロンドン警視庁までが捜査に乗り出して、そのDJたちに事情聴取するとかいうんですから、いったいどうなってるの?みんなみんな狂っています。

2011年の統計の結果が出て、この10年でロンドンの白人人口は全体(820万人)の半分以下になったそうです。(58%から45%へ)統計でこの数ですから、統計に参加していなかったりとか不法滞在の人たちを入れればもっとたくさんの人たちが非白人の英国人となります。どうりで、ロンドン中心部に出かけると、ほとんど英語が聞こえないし、店などでも、ちゃんとした英語を喋る白人にはなかなかお目にかかれません。政府も最近、移民が増えて英語力が乏しくて社会問題になっているので、やっとヴィザの種類によっては英語のテストをしたり、英国に帰化する人には英語検定したりしだしました。日本人の駐在員の奥さんたちも英語のテストをされるそうです。でも、問題はもうすでにこの国にずっと住んでいる人たちで、英語が出来ない人たちです。例えば、医者に会ったりするのにも、常識で考えて、自分が通訳を連れて行くべきなのに、国の費用で通訳をつけたりしてるのですから、国保が膨大な赤字をかかえているのも当然です。戦後、国保だけでなく、理想的な福祉制度を作りましたが、あまりに寛容すぎて、その恩恵を受けるひとたちの割合が、税金を払って支える人たちに比べてどんどん増えて、もう成り立たなくなっています。もちろん、福祉を悪用する人たちもたくさんいて、取り締まるのが追いつかない状態です。

そうは言っても、英国としては、女王の即位60周年とオリンピック、パラリンピックを滞りなく行えた(テロもなく)ので、自己満足の年だったみたいです。ケイト妃の懐妊もめでたいし、もし女の子と分かれば、すぐ法律を変えて、チャールズ、ウィリアムの次(ハリーより先)に王位継承権があるようにするらしいです。日本よりずっと進んでいますね。

それでは皆さん、来年も健康管理しながら有意義な老後を楽しみましょう。皆さんとご家族にとって良い年となるよう祈っています。
最後になりましたが、管理人の小山さん、1年間お世話様でした。お陰さまで20期の輪が着実に広がっていて嬉しい限りです。来年もよろしくお願いします。

ニューヨークのクリスマス風景 高橋 治美 2012年12月11日

皆様いかがお過ごしでしょうか。今年もあっという間に一年が過ぎ、と毎年言っている様に思います。
クリスマスの時期になるときれいに飾り付けられた街に誘われて人通りも多くなりますが、混雑を避けて裏通りを歩いてという事がだんだん多くなって来たのは年のせいでしょうか。
東北地方でまた地震があったということで東京もかなりの揺れが有った様ですが皆様のお宅は被害はございませんでしたでしょうか?

先日のハリケーンであちこち被害が出たNY地区ではまだ回復していない所もあります。市内、近郊の交通網は一応復旧しましたが、ダウンタウンのビルは未だに入れず、別の場所でしかも発電機を使ってオフィスワークをしている所もありますし、直接の被害を受けた海岸沿いの地域はまだ手つかず状態で避難生活を余儀なくされている人達が多くいます。
水の被害のひどさというのは東北の地震の津波の被害を思い出させる物で今回のハリケーンの被害と重ね合わせて日本はもっと大変だったのでしょうね、という声をかけて下さる方もいらっしゃいます。
日本の復旧はまだまだとおもいますが、NYでは今はやはりハリケーンの被災に目が向き、所属する合唱団で続けている「東北の地震、津波」に対しての募金活動もこのクリスマス前はハリケーンサンディの被災者の為の寄付を募りました。NJ側のモールで1時間程でしたが200ドル近い寄付が集まりました。
これは全額アメリカ赤十字に寄付をします。この募金活動のあと19年間この団で続けている病院の8階から下までクリスマスキャロルを歌いながら歩くという事を今年もおこないました。
この時期に病院にいることを余儀なくされていらっしゃるかたに取っては歌声が聞こえるという事は外の楽しさを感じる事で集中治療室の患者さんで涙を流してくださるかたもいらして我々も思わず胸が熱くなりました。 もう一つの主に年末に参加する合唱団では昨日癌治療で高名なスローンケタリングという病院でメサイアの抜粋を歌う機会がありました。とても暖かい歓迎を受けて我々も心暖まる時間でした。

自分たちに何が出来るかということで色々な所に寄付をすることや品物を届ける、片付けの手伝いをするなどは日常的に行われていることですがクリスマス時期は寒さのなかで困らない様にということで、さらに活発になります。日本でも大分ボランティア活動が活発になって来た様ですね。家の掃除、修理、ペンキ塗りなどを被災地を回ってする方が見受けられるのは同じですが、今回ここで みんなの注目を集めた事の一つは写真の修復でした。大切な写真が水や泥をかぶってしまっているのをボランティアの写真専攻の学生さん等が各自の技術を活かし修復しています。大事な思い出がよみがえったことに涙する方達もいました。日本でも津波の被害地域で写真を探している方達の映像を映していました、こういう技術はおそらく日本の方が優れているのではないかとおもいます。
日本でもこう言う活動をしている方がいらっしゃるといいですね。また、人々が一番買い物をするこの時期、デパートや小売店ではお客さんが支払った何ドルにつき1ドルを寄付ということも見受けられます。被害がなくクリスマスの買いものをしている人達にとっても支払いの内のいくらかが被災者の役に立ててもらえるというのは少々罪悪感を減らす有り難い寄付のしかたです。

華やいだ楽しい季節のなか色々なニュースが入ってきますが、穏やかな年の瀬と新年を迎えられます様にお祈り申し上げます。

全体をカラーでかざったビル NJのショッピングセンターにて募金活動、買い物客が足を止めて
募金をしてくれました