その18

更新 2013年12月24日

2013年 年末を迎えて パラグアイより 伊賀上 知雄 2013年12月24日 

パラグアイよりメリークリスマス、謹賀新年を申し上げます。

管理人の小山兄より投稿依頼を受け、何時もの如く安請け合い。何のことはない、与太話とあんな話、こんな話、ちょっといい話等々を硬軟取り混ぜて提供すれば良いことよ、などと思うのが間違いの元、今年もぎりぎりになって苦労しています。

国民650万人の90%強がカソリック教徒と言われているパラグアイ、クリスマスが年間を通じて最大の行事であることはキリスト教圏共通です。12月に入るとクリスマス大売出しとなるのは他ラ米諸国と同様毎年のこと。この4-5年、大手スーパーマーケットが行なう特別クリスマスセールは今年も盛大に行なわれました。この特別セールについて紹介します。

弊員が商社の駐在員として当地に来たのが1979年12月、その頃はスーパーマーケットと言えども、土曜日半ドン、日曜日祝日は完全に閉店、営業時間朝7時から夜7時までという利用者にとっては不便さを感じる営業でした。ところが今では、朝7時から夜10時まで、土日祝日営業、完全休業は元日、復活祭の金曜日、クリスマスと年間に3日と様変わりです。それだけ国民の購買力が上がり、同時に供給力も増えたということでしょう。

前置きはこの位として、本題の特別クリスマスセール。当該スーパーマーケットのクレジットカード保有者が購入する場合、額面金額から30%割引! 更に、特定品目については品目に応じて5%、10%、15%、20%を割引くと、こうですよ。即ち品目によっては売値の5割引き、半値で購入出来ますよ!、御客様如何で御座いますか?という次第。支払は一括払いなら2か月後、分割払いなら最長12か月まで可能という条件も提示されます。事前にTV、新聞、WEBサイトで宣伝を掛けて期待感を盛り上げる、乗せられた消費者がどんと押し寄せるという構図になります。因みに50%引きの商品はシーバス・リーガル12年、高級ワイン、酒類が主で30点位ありました。

この日は朝7時開店、夜零時閉店、17時間営業、従業員も1日に2回勤務するなど極東の何処かの国に棲息していた働き蜂も真っ青です。

弊員もこの割引セールには今年も、体格に優れた三男坊を引き連れ、出向きました。朝6時半に行くも、既に200人近い長蛇の列、途中で遅れて到着する家族も列に入りますから、行列は更に長くなる。一組で大型カート最低2個を確保して買い物をするのは当たり前、先ずカートの確保が一騒動、開店と同時に行列の形が一気に崩壊、我先に中に突入、然もカートが入口脇に纏めて置いてあるから人の流れが出来ない、カートに向かう人、カートを押して出て来る人が互いに当たるのですから先ずここで混乱。先に手を触れた者に使用権が発生しますから阿鼻叫喚とは申しませんが、オバタりアン、コバタリアン(同期生諸姉、深い意味はありませぬ)の迫力にジジイは圧倒されます。

次いで売り場に向かうも上野アメ横真っ青状態、プロモーションの御嬢さんがにっこりと微笑めば世の殿方財布の紐が緩むは万国共通、これはという商品には御嬢さんをきっちり配置して販促を行ない、商品不足が発生しない様に配慮していましたな。当然と言えば当然ですが。

前日には買い物リスト作成、売り場確認を行ない、愚息と分担を決めて効率良く買い物が出来る様にと段取りを整えても人混みの中、そうはどっこい簡単ではありません。買い物を終えてさてレジに向かうもどの列も10組程が行列、然も各組最低カート2個、加えて山盛りですから、カートを押すのも一苦労、レジを通すのも一苦労、レジのお姉さんお兄さんも一苦労、袋詰めのオニイチャンの上手下手もあり、更にレジを出たところでカートを待っている客が居て、駐車場まで同行、其処で空きカートを渡して、一件落着。6時半に到着して終了したのが10時半、4時間の難行苦行でありました。一日分の仕事をした気分です。されど、洗剤清掃用品やら保存食品など2-3か月分の纏め買い、向こう2-3か月は大きな買い物をしないで生鮮食品のみと思えばこれも楽と言えば楽です。

店内で知人の当地大手パスタ会社の経営者夫人と会ったのでやあやあと挨拶、お金に困って居ないのだろうから無理しなくとも良いでしょうにと話したら、あらトモオさん、アタシは一介の主婦ですから、運転手引き連れこの通り纏め買いですよ、女は安売りとなると体が自然に動くんですとの御託宣。古今洋の東西を問わずであります。

購買力が国民に間違いなく付いた、供給体制も出来てきた、人口は綺麗なピラミッド型をしている、8月に就任した新大統領は経済政策を重要視している、牛肉輸出が年間約13億ドルで世界8位に躍進するなど30年前とは様変わりのパラグアイです。

自宅近くにある大型ショッピングモールの入り口の飾りとクリスマスツリーの写真も添付します。

クリスマスを迎える準備完了した拙宅の飾り付け写真も添付します。日中最高気温37度、夜間最低気温30℃の盛夏のクリスマスです。

20期生諸兄諸姉、どうぞ良いクリスマスと新年をお迎え下さい。

ショッピングモール内クリスマスツリー ショッピングモール入口 飾り
家内用神棚 自宅玄関前 点灯したところ
自宅玄関前 暖炉を使ったキリスト生誕の様子
来客用食卓飾り

ニューヨーク便り 高橋 治美 2013年12月22日

 今年ももうクリスマスまであと数日となりました。皆様お元気でいらっしゃいますか?
この数週間、すごく寒い日が続いていて、買いものや飾り付けを見に外にぶらぶらとという感じではなかったので、昨日あたりから気温がゆるんできた今週末は街がとても混雑しています。クリスマス前の安売りはどんどん早くなり、感謝祭を終ると正式にクリスマスの準備となりますが、今年は其の前から始まっていました。感謝祭の次の日はブラックフライデーとよばれ買いものの日とされていて、朝早くからお店が開くのですが、今年は感謝祭当日の夕方から開くお店も出始めていて。店員さん達からゆっくり過ごせないという声が出ていました。
 街角にサンタクロースの格好をした色々な寄付団体、ビラ配りの人達がいて、お店の店員さん達も帽子やトナカイの角などをつけて気分をもりあげますが、このサンタさんの衣装やかぶり物は色々なところで売っていて、こちらの100円ショップみたいな所にもあります。
毎年行われる私達の合唱団のキャロリングでもかぶり物や、サンタさんの服等も用意します。
 さてそういう賑やかなことがすきなNYの人達ですが、毎年サンタさんの格好をする催しというのがあります。
サンタコンとよばれていてサンタさんの格好をして集まります。今年は14日に行われました。サンタさんだけでなく、トナカイ、エルフの格好の人達もいます。
元々はチャリティーの団体主催の様なのですが、協賛はパーティーシティーというパーティーに関するもの、(衣装のみならず紙皿や風船などほとんすべて)を扱うおみせですので、商業目的かもしれませんが、、サンタさんの格好をして楽しく過ごす、という事で 主催者側の発表では321カ所、44の国で行われているということです。
始まりはサンフランシスコで1994年ということです、うたい文句はだれでもサンタになるチャンスがあるということです。
日本では東京、沖縄で行われているということですが、ご覧になった方はいらっしゃいますでしょうか。
どちらかというと参加資格が法的飲酒年齢ということなので飲み歩くという感じで去年の集合場所となったヘルズキッチンあたりは今年は歓迎されず、今年はイーストビレッジの公園で集合でした。
色々な規則が一応あって、子供を泣かせてはいけない、ニコニコしている様に、キャンディやおもちゃなどのプレゼントをあげたり、クリスマスの歌を歌ったりするのが望ましい,等、
なかには 飲み過ぎて気分が悪くなった友人のサンタさんを介抱をすること、バーテンさんから飲み物が提供されたらすぐに支払い、チップもきちんと払いましょう、などというものもあります。
 自分の行動には責任を持ちましょうとはありますが、やはり夜になるとかなりの酔っぱらいがあふれてサンタさん二人が人文字のように支え合ってないとたおれる人、道ばたで、、、みたいなひとも見られニュースのネタになっていました。色々な所から集まるため市内の住民は夕方からは
バーの多い地区には近づかないようにしている人が多くいます。
写真はグランドセントラル駅構内で見かけたサンタさん達です。
 これから年末にかけて日本も忘年会シーズンですね、飲み過ぎには注意して、健康でよいお年をお迎え下さい。

ロンドン便り グレスウェル中川紀代子 2013年12月9日

 20期の皆さんいかがお過ごしですか?又1年があっという間に過ぎ去ろうとしていますね。皆さんの1年はどんな年でしたか?我が家はいろんな健康不安に襲われしんどい1年でした。
 我々の年齢では何も病気がないのが珍しいですが、68歳の夫に色々な病気が見つかり、今までの人生、楽観的で好きなだけ飲んで好きなだけ食べて、行きたいところへ行って、、、と生きてきた彼にツケが回ってきたようで、こんな身体とどううまく付き合っていくべきか、というような精神的な難関にぶち当たりました。今のところ普通に生活してるし、痛くもかゆくもないのですが、今までと違ってヘンという状態で、一時は厭世的になりましたが、夫婦で毎日話し合って、世の中もっと具合が悪くても一生懸命生きている人たちがいるのに、このくらいでめげてはいけない、ポジティブに生きていかなくてはという結論にたどり着くまで少し時間がかかりました。二人で人生の総決算をして、我らの人生まあまあだった、という結論になり、これからは1日1日を大切に生きていこうと決心しました。
 相変わらず月1回は2泊で娘一家のところへ行き、家事育児の手伝いをして疲れて帰って来ます。孫3人はどんどん成長して、4歳半になる双子は今のところバイリンガルで、私の夫には英語、私には日本語で話してくれます。最近幼稚園に行きだしたので英語がどんどん上手になり、日本語は負けてしまいそうです。でも、日々ものすごい量の情報を吸収しているので、私や娘が諦めないでいつも話しかけていれば頭のどこかで蓄えておいて、必要なときに後になっても役に立つような気がします。
 来年2月に息子(メルボルン在住)が遠距離恋愛を実らせて、日本女性と結婚します。でも、メルボルンはあまりに遠く(直行便で23時間)、夫の具合がイマイチなので我々はせっかくの式もパスすることに。無理して行って具合悪くなったら困るので仕方ないです。いずれロンドンでレセプションをしてくれるのを楽しみに待っています。メルボルンは行けなくても、ヨーロッパぐらいなら来年は旅行したいと話しています。ヨーロッパはだいぶ行ってますが、まだまだ行きたいところがありますね。旅行の楽しさは色々ありますが、この年になるとやっぱり美味しい食べ物が一番です。
 さて、個人的な話題ばかりになってしまいましたが、景気も僅か上向きになったそうで(英国日本等)、来年は更なる改善があるように祈っています。皆さんもどうぞお体に気をつけてよい年を迎えてください。最後になりましたが、管理人の小山さん、今年も大変ご苦労さまでした。来年も引き続きよろしくお願いします。

クロアチア紀行 高橋治美 2013年10月7日

 3ヶ月程前になりますが、夏に今人気上昇中のクロアチアへ行ってきました。クロアチアというとドブロブニクの美しい風景を思い描く方が多いと思いますが,欲張ってバスであちこち廻るツアーに参加しました。現地のツアーはとても多くの選択があり、かなり迷いましたが、首都ザグレブから出発スプリットを通りドブロブニク、そしてサラエボ等を廻るツアーを予約してロンドンから友だちと一緒に出発しました。
ザグレブまでは2時間程で到着、ツアーの関係者が同じような時間帯に到着する参加者を待ってホテルに向いました。我々のほかにベルギーからの参加者、ロスからの参加者等。ツアーバスは指定ホテルから朝出発するのでほとんどの人が前日そのホテルに泊まっています。ホテルでツアーガイドさんとお会いして予定等の説明を受け、その日は自由行動。旧市街のツアーは初日の午前中に組み込まれているので、市街地を中心に探索に出かけました。食事をして街中のお店などへ。ツアー中の朝夕は含まれていました。

聖マルコ教会の屋根

さていよいよ朝食の後バスへ、総勢29人で始まった9日間のツアーです、なぜかオーストラリアからの人がほとんどでした。昨日のベルギーからの4人はフランス語、その他は英語なので、ガイドさんは2カ国語で説明を続けています。EUに加盟して7月から通貨がユーロになったということでしたが、まだまだクーナという単位がほとんどで、ユーロで買いものをするとクーナでおつりが返ってきます。このクーナはミンクの種類の動物で通貨の単位にもなっていますがヨーロッパを襲ったペストの時元凶であるネズミを退治する為に持ち込まれたということでした。
有名な聖マルコ教会の屋根の紋章にも描かれています。旧市街の歴史的建造物などをガイドさんと一緒にめぐりながらそのほとんどが近代の戦争で被害を受け修復されているのを目の当たりにしこの国がいかに侵略され続けた歴史を持っているかが感じられます。ガイドさんが説明してくれるベネチア共和国時代からオスマントルコ、歴史では習いましたが色々な国に支配されその文化等を受け入れるという事がどういうことであったかというのは最初に大きな墓地に案内された時に感じられました。日本やアメリカでも一般の墓地というのはありますが、一定の宗教に属している人達の墓地、区画があります。それらは一応区別がありまますが、ここでは色々な宗教が混在しています、例えば十字架の彫刻でもその形に依って違いがあり、それが区切られた狭い同一区画内に一緒に存在しています。次の区画もおなじです。
旧市内を巡ったあと南のプリトゥヴィツェ国立公園をめざしました。ユネスコの世界遺産にも登録されている公園で,クロアチアでは一番大きく古い公園です。大小さまざまな池は高低差があり遊歩道の回りは滝が数えきれない程見られます。カルスト地なので、滝が崖の途中から流れ出ているもの上から流れている物と2段、3段になっている所もおおく、高さも見上げるような物からほんの50cm位等実に様々で美しい所です。夏でもあり人の数はすごかったですが、公園に行き着くまでの道路沿いの景観を含めクロアチアで一番感動した場所でした。全部は廻りきれないため丁度中間地点ぐらいまで歩き、折り返しはボート、トラムで戻りました。前の日にその日の夕食の選択にニジマスがあったのですが、湖ではニジマスが沢山、、、皆で今日の夕食?でもこれは小さすぎるし、、あ、あれがいいね、などと話しながら散策し結構急な坂等も上り、戻ってきたときには汗だくで、誰もがまずはビール、、でした。

       
国立公園に向う途中    公園の入り口にある案内図    
       
       
       

次の日はいよいよ有名な観光地であるスプリットに向かいました、途中トロギールという小さな街に寄りましたが城壁に囲まれていて数分行くともう城壁の端みたいな所です。海岸線はシーフードのお店がならび、美味しいイカのグリルとシーフードパスタを頂いて満足でした。スプリットは古い港で大きなお城がいまは土台のみですが、なかには大きなコインやらオリーブを絞る機械などもありました。海岸線は美しくイタリアに似ています。ただアドリア海のイタリア側には島がなく、クロアチア側には沢山の島がありどうしてかは謎だそうです。ここで夜も美味しいシーフードが。と思っていたのですが、人数が多くホテルの確保が難しく少し離れた場所になったためホテル内での普通の食事でした、残念。

   
トロギール    イカのグリル
   
   
狭い城壁のなかに凝縮された建物 スプリットのお城のコイン (持ち運び不可能)    オリーブを絞る機械

ドブロブニク市に入るには同じ国のなかにも関わらず国境を越えて又入国してという手続きがいります。主要道がボスニア側にはいるためで、これも戦争によってです。しかし我々は観光バスに乗っているためガイドさんがリストを持っていてそれほど時間はかかりませんがこれもその時々で違いが有ると言う事です。途中ボスニア領で休憩しますが物価が安いためみなここで買いものをしていきます。確かにスーパーの品物は換算すると安いようです。但しボスニアではさらに複雑な通貨制度、3種類の通貨が流通しています。マーケットの支払いはまず何で払うか、という事を告げて何でおつりが欲しいということになりますが、毎回希望通りという訳にも行かない様です。慣れているとはいえこのような換算がすぐにできる店員さんに感激、NYのスーパーの店員さんには無理ではないかとおもいました。
ドブロブニクはアドリア海の真珠とも呼ばれ風光明媚な所です。ただ夏なので実に観光客も多くにぎわっていました。まずは旧市街のなかへ、ここも余り広い範囲ではなく城壁のなかには色々な教会があり、メインの通り以外は細い路地になっています。ぐるっと廻った所でお昼、案内所に載っていた蛸、イワシの唐揚げを食べに、蛸のカルパッチョにチーズがかかっていて最初はどういう味がするのだろうと思いましたが、あっさりとしたチーズで美味しかったです。イワシは熱々でした。古い僧院や付属の自然化粧品の売店、港等。見所が満載の場所です。案内がおわると教会の中や城壁の上は次の日にまわすことにしてまずは高台へケーブルカーで登りました。街全体が見え、その向こうの海の深い青の色が印象的です。またホテルの部屋は海岸が見え夕食の前に途中で買ってきたワインを飲みながら 丁度正面に沈む夕日を見る事ができました。

   
チーズの乗った蛸のカルバッチョ イワシの唐揚げ    古い僧院の庭  
   
   
)回廊の彫刻がたのしい この後ろの高台にケーブルカーで    ホテルの窓からの夕日

 次の日は一日自由行動の日でしたので、まずは城壁の上へ、朝の涼しいうちに一巡り、歩くだけで1時間位という事でしたが結構坂もあり、景色を見たり休んだりしながら教会の塔を間近に見たり2時間位かけて一周しました。そして前の日は外からしか見なかった教会に。その後港から遊覧ボートがでていて一時間位というので、近くの島の間をぬけて海のほうから見ましたが、なんと、、島の向こう側、街側からは見えないほんの一角、ヌーディストビーチ(岩ですが)になっていました。ボードからは丸見えでしたが。

   
城壁の上から     海側の景色は美しく、風が心地よい 
   
   
   城壁の丘側 ブラハ教会
   
   
聖イグナチオ教会    大聖堂

中にはティチアーノのフレスコ画

   
   
スポンザ城    ドミニク派僧院 古い井戸 城壁の入り口の門
   
   
ぬけると港へ ボートで海側から    

ザグレブに戻る道でボスニア•ヘルチェゴビナ国を通りました。ドブロブニクに入る為の国境通過と違い入国の国境は結構緊張しました。狭い田舎路がだんだん渋滞してきて、国境の検問はなんだかほったて小屋みたいな所で、ガイドさんが皆のパスポートを持って並んでいます。我々のグループはドブロブニクで他に行く人やクルーズに行く人達がぬけて11人になっていました。ベルギー、オーストラリア、アメリカ、日本のパスポート等ですので問題はないと言う物の、係官がバスに乗って調べる事も時に有るので、我々はバスの中に笑顔で座っている様にというお達しがあり、数ある観光バスの中には引き返すものもあり、無事に通過したときには皆ホッとしました。サラエボに行く途中の話しで、我々のガイドさんも戦争の犠牲者という事が分かりました。彼女は戦時中10歳位でスプリットに疎開していたということでした。ほんの数十年まえの事です。スプリットのホテルが部屋を提供し食べ物等はクロアチア政府と赤十字が提供し普段の生活はそれほど不自由はしなかったという事ですが叔父さんが市内に残っていて連絡をとるのは大変だったそうです。かつてオリンピックを開催したサラエボですが、市内は銃弾の後が生々しく残り、破壊された建物が多く残され、公園だった所はあちこち墓地になっている状態です。ここでは市内でも観光というよりは歴史を学ぶという感じで、戦時中市民が彫ったトンネルを見にいきました。今は入り口付近しか残されていませんが敵兵により市内に入る道が封鎖されていた為に市民が数ヶ月でトンネルを堀りそこを人が出入りし、食料をはこび、時には生きた動物も連れて行き来している様子がビデオで残されていました。そのビデオでは激しく燃え上がっていた市庁舎がきれいに立て直されていましたが、なんとも心の痛む光景です。クロアチアと違いここはイスラム教の人が多く暮らしていますが、戦争になったときには一般市民は宗教と関係なく結婚していても家族が離散させられるなど悲惨な事が多かった様です。この国はまだ復興途中で観光も今ひとつでこれからです。
ザグレブに戻る前に観光に力を入れるクロアチアで現地のガイドさんのアイデアでツアーに組み入れられていたワイナリーにいきました。まだ新しいワイナリーですがなかなか美味しいワインを試飲する事ができました。クロアチアでは夏は観光がありますが、冬は職が無いという状態の人達も多いという事です。バスのガイドさん、現地でのガイドさんほとんどが30〜40位の年齢の方達でこれから観光客を誘致しようという意気込みが感じられました。

   
イスラム教モスクの中 街には中近東の様なバザールが    トンネルの中
   
   
入り口からはるか彼方に街が見える トンネルの所にある歴史博物館    ぶどう畑
   
   
まだ新しい樽 試飲したうちの白ワイン