その24

更新 2019年12月20日

滞在中のニューヨークから マグラー原口節子 2019年12月20日

年の瀬も差し迫った今日この頃ですが同期の皆様如何お過ごしですか。
例年なら“真夏のパースからこんにちは“ ですが今、零下2度のニューヨークに来ています。
マンハッタンに彼女と住んでいる息子のアパートに着いた日は初雪も降る寒さ。
今年はクリスマスも新年もついでに私の誕生日もここで迎えることにして、40度を度々超えるパースに戻るのは1月中旬です。
一年中で私が一番嫌いなあの忙しいクリスマスシーズンにパースから逃れられて今最高の解放感を味わっています!

でも昨年は我が家に激震が走った一年でした。夫が病気になりその後手術、治療としばらく心休まらない日々が続き、
私の楽しみであるテニスもゴルフも度々キャンセル、バンド活動も中止、例年の海外便りもパスした次第です。
でも今年になって夫の体調も良くなり、1月にメルボルンで開催されるテニスオーストラリアオープンで錦織選手や
大坂ナオミの試合を観戦しに行ったり、5月6月は30年ぶりの北海道旅行、そして今回もこうして長丁場になるニューヨークにも
来られるようになりました。 もしかして病気前の夫の時よりも旅行しているかもしれません。本当に幸せなことです。
前は全てが当たり前だと感じていたことが夫の病気を機に日常生活の些細な事さえとても有り難く感じられ、
何気なく過ぎてゆく時間がとても愛おしく思われる今日この頃です。

さて今年のオーストラリアは特に山火事が多く発生してシドニーのあるニューサウスウェールズ州や
クイーンズランド州などの東海岸では相当な被害がありました。それにやはり東海岸では干ばつが酷く牧場では多くの牛が死にました。
山火事でのコアラもそうですが、映像で見る動物達の死骸は痛ましいものです。
温暖化による異常気象の影響は世界あちこちで起こっていますよね。
でも残念ながらオーストラリアの温暖化対策は他の国より遅れをとっています。
マドリッドで行われたCOP25では日本と並んで不名誉な化石賞を貰いました。
世界が温暖化対策に取り組んでいるのにオーストラリアでは火力発電を増やそうとしているのですから。

でも州によって環境問題のとり組み方はそれぞれ違いパースのある西オーストラリア州ではプラスティック廃絶運動が盛んで、
去年からショッピングのビニール袋が有料となり、みんな布の袋を持参しています。私も車の中にいくつもの袋を入れていますが、
毎回ついうっかり店に持って行くのを忘れ、慌てて車に取りに戻ることを自分でも呆れるぐらい繰り返しています。
これは私の歳のせいか性格なのか....

ファーストフードなどでも今では紙スプーン、紙コップが使われ、マイカップを持参すると値引きしてくれるカフェもあります。
小さな一人一人の行いが大切なんですね。
連邦政府の政策は簡単には変えられませんが、私達の日常生活の中でこれは環境に悪いからやめようとか、
これは地球に優しいとか常にそういう意識を持って生活することが求められると思います。

さてさて飲み会も多いこの時期、古希を迎えた皆さんは勿論暴飲暴食などの無謀な事はしないと思いますが、
というよりはできないですよね、若い時の丈夫な胃腸もそれなりに年を重ねますものね!(苦笑)
今ある健康に感謝してどうかよいお年をお迎えください。

MERRY CHRISTMAS & A HAPPY NEW YEAR ! ! !

大泉高校20期生の皆様 伊賀上 知雄 2019年12月19日

今年10月に開催された古稀同期会に参加出来ませんで大変失礼しました。
持病である腰痛が悪化、長途の旅に耐えられそうになく、加えて日本は公共交通機関が非常に発達しているとは申せ、
電車の乗り換え、名所旧跡訪問、百貨店・書店ブラブラで結構な歩数をこなさねばならず、腰への負担が大きいと判断し、
医師の勧めもあって訪日を残念乍ら断念しました。
20期HPで小田切先生の御元気な様子並びに諸兄諸姉の元気で溌剌とされている情景を拝見しました。
幹事の皆様の毎々の御尽力に感謝申し上げます。

恒例により今年の年末年始の御挨拶を申し上げます。

日本の元号が天皇陛下の御代替わりに伴い平成から令和に代わり、新しいすがすがしい気分になったのは
小生だけではないだろうと思います。平成年間はざっと指を折っただけでも、今上陛下皇后陛下御成婚、阪神淡路大震災、
地下鉄サリン事件、オウム真理教幹部逮捕・裁判、在ペルー日本大使公邸占拠事件、小泉総理大臣北朝鮮電撃訪問、
リーマンショック、悠仁親王殿下御誕生、民主党政権誕生自民党下野、東日本大震災、自民党政権復帰民主党下野、モリカケ騒動、
米国トランプ大統領誕生、英国ジョンソン首相誕生、消費税値上げ、上皇陛下御譲位、その他その他の事柄があったなと思うところです。

今年11月17日は日本・パラグアイ修好百周年の記念すべき年に当たりまして、幾つもの記念行事が当地で開催されました。
百年前というと1919年、大正8年となりますが、此の年は第一次世界大戦のドイツに対する講和条約「ヴェルサイユ条約」が
締結されています。因みに南米ではボリビア、ブラジル、エクアドル、ペルー、ウルグアイの5ヵ国が此の条約に調印しており、
パラグアイは調印していません。

令和に元号が替わったことに伴い、当地の友人知人からは元号とは今や日本独特の制度らしいが歴史や意味するところは何か、
誰が選考して決めるのか、令和の意味は何かという質問が暫く続きました。
日本で生まれ育って教育を受けてきた日本人なら当然に知っているだろうという姿勢でしてね、
日の丸を背負っている者の一人として下手を打つ訳には到底参らず、丁寧な説明を幾度繰り返したことか(笑&汗)。
大泉高校時代の日本史佐々木先生の授業内容が基本として頭の片隅に残っていたので非常に助かりました。
カソリック教徒が圧倒的に多い国とて、元号の歴史をローマ史にちょいと絡めると結構受けました。世界史のクマさんこと小島先生にも感謝です。

事の序に申し上げますと、日本の皇室が男系で125代継続しているというのは共和制諸国の方々にとっては驚愕するに値する事実であり、
到底乗り越えることの出来ない高い壁にして、渡ることの出来ない底深い谷に該当すると申しても良いでしょう。
極端な話、共和制の国に於いては橋の下の乞食であっても何かの弾みで稀なる幸運と偶然に恵まれたら
大統領に選出されることも理屈上は可能です。翻って天皇陛下という地位は純然たる血統の世界であり、
世界の大富豪、権力者、独裁者が望んでも天皇たる地位に就くことは不可能です。
然も天皇陛下には政治権力は無いのだよ、憲法に定められている国事行為をこなすだけとも言うと、
何故だ?という驚きと同時に疑問が必ずと言って良い程に寄せられます。

上皇陛下上皇后陛下御夫妻が皇太子殿下同妃殿下時代に御来パされたのをはじめとして、過去パラグアイには
常陸宮殿下御夫妻、故高円宮殿下、同妃殿下、秋篠宮殿下、秋篠宮家眞子内親王殿下が御来パされており、
パラグアイ側は政府民間共にまことに丁寧にして真摯な対応をしており、在留邦人の一人として、
斯様な皇室の外交力が日本人社会の安全にも繋がっているのだなと実感する次第です。

さて、日本のメディアにはなかなか紹介されない今年の南米の主たる出来事あんな話こんな話を幾つか。

ボリビアのエボ・モラレス大統領が16年間の政権の後、先の大統領選挙で開票不正が行なわれたとの疑惑が発生、
結局メキシコに亡命しました。亡命先のメキシコから亡命用の航空機が提供され、
其れに搭乗してモラレス前大統領はボリビアを後にしました。この航空機、ボリビアを出た後、
実はパラグアイに3時間程立ち寄ったのです。表向き、飛行航路許可確認作業と食糧、燃料を搭載する為となっていますが、
食糧・燃料なぞはボリビアで十分過ぎる位に搭載可能だろうと当然の指摘がありました。
実際に積み込まれたのは現〇マだったんだろうという噂が直ぐに飛び交いました。
何しろモラレス前大統領はボリビアで麻薬の総元締めと言われた人物で、当国も麻薬栽培取引の闇組織があり、
互いに連携しているとの噂は昔からあり、亡命用の軍資金を積み込んだのだろうというものです。
亡命者は亡命先での生活費や活動費を自分で賄うということになっていますから其れなりの資金を持参するということで
当地でも積み込んだのではという当然の観測です。
モラレス前大統領はメキシコの後にキューバに行き滞在していましたが、12日にアルゼンティンに亡命しました。
アルゼンティンに再び反米左派政権が誕生したからでありましょうし、アルゼンティン政府は政治的発言をしない様に
求めているとしていますが、果たして本音かとついつい疑ってしまいます。因みに所謂バチカン銀行と呼ばれる組織がありますが、
モラレス前大統領は自分と愛人の分と合計して3億ドル近い預金があることは周知の事実であり、
その他にスイス、マイアミは当然としてカリブ諸国に此の10倍以上を軽く超える想像を絶する隠し財産があるのでしょう。
だからこそメキシコもアルゼンティンも然るべき持参金期待、お互い明日はと受け入れたという事情があるのでしょう。
誰もが公には口にしませんが、仲間内の集まりでは話の種に必ず出ますね。
嘗て中米ニカラグアで軍事独裁政権を親子三代で43年間握っていたソモサ一族の次男であるアナスタシオ・ソモサ元大統領は
1979年に当地に亡命しましたが、当時の当国大統領アルフレド・ストロエスネルも軍人出身の長期安定政権
(平たく言えば軍事独裁政権)でして、表向きの大義名分は「好意と友情」となっていますが、実態は持参金付きの亡命受け入れでした。
ソモサ元大統領が住んでいた大邸宅は高級住宅街の一角にありました。
話の序に申し上げますと此のソモサ元大統領は1980年9月にアスンシオン市内で白昼ベンツで移動中にRPG-7で暗殺されました。
小生下宿から徒歩10分も掛からない場所でして、警察が下宿先にも調査に来たのを覚えています。
RPG-7直撃弾を受けていますから本人も運転手も遺体はぼろぼろだったそうです。其処で小咄が出回りましたので御紹介します。
身元確認の為に当時ソモサと懇ろな生活を営んでいた愛人が呼ばれ警察鑑識立ち合いの下で遺体確認が行なわれたのです。
最初に見せられた遺体の一物を見て愛人は此れはソモサのではないわ、運転手のだわとのたもうたとか・・・お粗末でした。

隣国アルゼンティンではまたまた反米左派ポピュリスト大統領(政権)が誕生しました。
俗にペロニズムと称される労働者保護を強調する政党の影響が強い政権です。
大統領はフェルナンデス氏、副大統領が元大統領のクリスティーナ・キルチネル氏で此の方は大統領在職中は
中華人民共和国との親密振りが目立ちまた社会保障費増を図る一方で公的対外債務処理で米国と対立する、
そして汚職やマネーロンダリングで私服を肥やしたとメディアから攻撃を受ける、
挙句に訴追されるなど毀誉褒貶が常に付きまとっている烈女猛女と申すべき方です。
前政権のマクリ大統領は実業界出身の中道右派勢力でして市場原理に基づく秩序ある財政を目指していたものの、
遥か以前からのペロニズム政権の悪しき負の遺産がマクリ大統領時代に顕在化、政権交代に繋がったと言えます。
年明け以降新政権の舵取りから目が離せません。
アルゼンティンは世界で唯一、食糧もエネルギーも完全に自給自足できる国と言われており、
第一次世界大戦では欧州戦線への食糧供給基地として存在感を示し、富の蓄積が行なわれました。
首都ブエノスアイレス市には1911年(明治44年)にスペイン語圏でしかも南米で最初の地下鉄が開通運行開始されています。
因みに日本で一番古いとされている地下鉄は銀座線ですが、此方は1927年(昭和2年)開業です。
また世界三大オペラハウスと言われているテアトロコロン(コロン劇場)が現在の姿で竣工したのは1908年(明治41年)、
指揮者として著名なアルトゥール・トスカニーニも指揮棒を振っています。掛かる豊かな国でありながら、
第二次大戦後にペロン大統領が誕生してポピュリズムが浸透したのがアルゼンティンの足を未だに引っ張っていると観る方々は
少なくありません。

小生が1991年11月から1998年10月まで8年間駐在したチリではほぼ30年振りに夜間外出禁止令が発令されました。
此れは本当に驚きでした。事の起こりはサンチアゴ市内地下鉄の料金値上げに反対した勢力が更に行動を拡大して
暴動騒ぎになったが為にピニェラ大統領は事態鎮静化の為に夜間外出禁止令を発動したものです。
嘗てアジェンデ大統領をクーデターで倒したピノチェット大統領時代以来の夜間外出禁止令発動でしたので
地元チリの新聞のみならず当地の新聞でも大々的に報道されました。
チリ在住の友人知人に聞いたところでは暴動を主導したのは左翼勢力であるが、左翼勢力内部でも
行き過ぎた暴動は控えるべきとの意見もあったようで一枚岩ではなく全くまとまりのない勝手な動きをしていた様子で、
チリの左翼勢力の何時もの行動が伺われたとのことでした。アジェンデ政権が南米に誕生したとき、世界的に新左翼運動が
盛んな時代背景もあり、当時のメディアは普通選挙により南米で共産党が政権を取得したと大きな報道がありました。
アジェンデ大統領は極度の社会主義者で共産党と共に政権運営をしたのは御案内の通りです。
当時のチリでは社会党の方が共産党よりも過激な左派政党と言われた時代でして、過激な政策を展開した結果極度のインフレ、
物資不足を招いてしまい内乱状態になり、軍は政治に関与してはならないというチリ軍部の掟に背いて
とうとうピノチェットを中心とする軍部がクーデターに踏み切ったのは歴史が示すところであり、
深田祐介氏「革命商人」にも記述されています。
チリ在勤中に親しく付き合っていたどちらかと言えばインテリ階層に属する方々は異口同音に、
あの時点でクーデターが失敗していたら間違いなくチリは内戦状態に突入し、国家として崩壊したに違いない
と語っていたのが印象的でした。ピノチェット政権時代に駐在経験をした方々の話を伺うと来客出張員アテンドで
2次会となった折は帰宅時間が気になって気になって仕方無かったそうです。
外出禁止令発動時間までに帰宅できそうにないという場合は止むを得ず来客や出張員の宿泊ホテルに投宿する羽目となり
当然朝帰りと相成るので奥方と揉めたとかの笑い話もありました。
今回のこの騒動でチリ開催予定であったAPECやCOP25の国際会議は中止となり、
COP25はスペインで開催に変更になったのはメディア報道の通りです。

ベネズエラではマドゥロ大統領の専制体制は継続しており、パラグアイはかれこれ1年前に国交断絶、
カラカス市内のパラグアイ大使館閉鎖を行なっています。ベネズエラからは南米各国に難民移民が流出していて
其の流れは未だに変わらず、国連難民高等弁務官事務所発表によれば今年10月時点で450万人を超える難民が
国外脱出しています。2018年以降は脱出先は隣国コロンビアが最大で150万人、ペルーが80万人、チリは30万人、
エクアドルも30万人、アルゼンティン15万人、ブラジルが20万人弱(何れも概数)と言われており、
当国にも1万人近い人々が来ているのでは?と噂されています。
注意すべきは全員が全員必ずしもベネズエラ国籍保有者とは限らないことです。
何故か、嘗てベネズエラは豊富な原油産出量を背景にした南米の最先進国と言われており、
日本よりも遥かに早く首都カラカスには高速道路が建設され、また原油精製技術は非常に高く石油関連技術者が
各国から集まりました。好景気であったベネズエラを目指して中南米各国から移民が集まったのも当然の流れでした。
古来人類は良い生活、安全な生活を目指すものであり陸続きで然も行き先の土地では労働力を求めている、
一方で現在の居住地では新たな展望が開けないとなればベネズエラに行こうかと考える人々は自然に発生し移動したのです。
ベネズエラに移住した方々にも家庭があり、新たに家庭を築いた、そして子供達が生まれたとなると
子供達の国籍は出生地主義でベネズエラとなりますが、親は元の国籍のままという事例は多いでしょう。
さすればこの度の難民は多数はベネズエラ国籍でしょうけどそうでない国籍の方々も当然に含まれていると考えるべきで、
であれば親元の国を目指して脱出をとなります。単に隣国であるからという理由でなく御先祖の国であるという理由で
コロンビア、ペルー等にに向かったというのは有り得ますし、入国して居住ビザ取得も他国籍保有者よりも容易になります。
一方でベネズエラの富裕階層はベネズエラが好景気に沸いていた頃からパナマやマイアミ他に住居(含む別荘)を有し
外貨預金勘定も開設しており、国が如何なる状況になろうとも生活はしてゆける態勢にしているのも周知の事実です。
ラテン世界何処の国でも富裕層は同様です。結局苦労するのは低所得者階層という図式です。
それでも国外に脱出できるならまだしも出来ない人々も当然乍ら存在しますね。
ラテン世界の社会構造を考慮すると、何事につけても二極分化の体制はこのまま継続するのだろうな、
貧困対策だ、医療改革だ、教育改革だと左右何れが政権を握っても政府は口当たりの良い話をするけど
何れの政権も本気かね?とついつい疑ってしまうところです。

ウルグアイでは大統領選挙が決戦投票となり保守系政権誕生、コロンビアでは大規模暴動が発生、
当地でも前大統領に対してブラジル警察が逮捕状をインターポール経由で請求するなど、
細かくみれば今年の話題には事欠きませんが、政治経済が揺れ動いていても一般庶民は逞しく生き延びているのも
南米社会の構図でもあります。
平成から令和に代わり、小生自身も南米に足を踏み入れて丁度40年になりましたので各国につき主だったところを
独断と偏見で記述してしまいました。読み難い部分は何卒の御寛恕を御願いします。

大統領府前、近所のショッピングモール2ヵ所、そして自宅のクリスマスツリーの飾りの写真添付します。
南米のクリスマス、新年は盛夏の祝祭日となりますが、小生自身は未だに慣れません。
特に新年は身を切る様な寒気の中で初詣を済ませて熱々の雑煮を頂き、暖かい炬燵で蜜柑を食べるという風景であること
日本人にとっては必須と思うところです。

来年は56年振りの東京五輪、パラリンピック開催、成功裡に終了することを願っています。
前回は我々が大泉高校に入学する前年の開催でした。あの時の感動が蘇る大会になってほしいものです。

令和弐年、20期生諸氏の御健勝を祈ります。

メリークリスマス 謹賀新年
Merry Christmas and A Happy New Year
Feliz Navidad y Prospero Añó Nuevo



伊賀上知雄
アスンシオンにて。

大統領府前 大統領府前
     
 Shopping del Sol というショッピングセンター    Shopping del Sol というショッピングセンター
     
Paseo Galeria というショッピングセンター Paseo Galeria というショッピングセンター
 拙宅    

ロンドン便り グレスウェル中川紀代子 2019年12月15日

皆さんいかがお過ごしですか。楽しかった同期会からもう2か月が過ぎてしまいましたね。
このまま時間がどんどん経ってしまうと、あっという間に次の同期会になってしまいそうです。
世話人の皆さんには本当にご苦労様でした。小田切先生もお元気そうでこちらが負けてしまいそうでした。ご立派です。

さて、12日に総選挙をした英国ですが、ジョンソン首相率いる保守党が圧倒的多数で勝利しました。
国を二分した国民投票から3年、EUを出るだ出ないだで3年間も時間と国費を無駄にしたんですからね。
国民投票はわずかの差で離脱派が勝ったわけですが、肝心の政府を担っている人たちも残留派が多く、EUはもちろん、
分担金を沢山払っている大国の英国を離脱させたくないのは当たり前、
27か国のうちほとんどの中小国はEUからの補助金で潤っている状態、経済も好況なのはドイツと英国位、
イタリア、スペイン、ポルトガルなどは不景気で、ギリシャなど破産寸前でEUに救ってもらっているんですから、
どうしても英国に離脱してほしくないわけです。
その上国内では、メイ首相が色んな案を出しても、議会が聞く耳もなく、ことごとく反対して全く妥協案が可決しなかったですね。
子供が駄々こねているようなものでした。ジョンソン首相になって妥協案を出しても、又議会が全部否定。
結局総選挙をして国民に問うしかない、ということになったわけです。

前評判は色々ありましたが、Brexit(EU離脱)を前面に押し出したジョンソン首相の保守党が勝ちましたね。私もほっとしました。
問題山積なのにこのBrexit関連に時間と労力を費やして3年間も無駄にしたのですからね。
EU残留派の人達もいい加減ウンザリだったのでしょう。労働党のコービン党首はあまりに左寄り(ロシアとの関係もあるとか)なので、
大衆受けせず、その上選挙に興味のなかった若い人たちも投票したと聞いています。
さて、政治はこれからが勝負、Brexitはもちろん、山積する諸問題を解決すべくジョンソン首相には頑張って欲しいものです。

ところで、私はと言うと、どうにか一人で2019年を乗り切りました。
一人暮らしは会話がないし淋しい気持ちはありますが、家族や友達に電話攻撃をかけたり、
オバタリアンのランチやイベントに出かけたり、新たに年金生活者のローカルグループに入会して活動に参加したり、
亡き夫の仲良し夫婦たちも誘ってくれたり気にかけてくれてるので、うつにもならず元気にしています。
人生何事もポジティならないと。
一番の悩みの種は庭仕事で、近くに住むイギリス人の友達(ガーデニングが趣味)と隣人たちのお陰で大分できるようになりました。
もうすぐクリスマス、23日から30日まではプリモスの娘一家と過ごします。4人の孫たちから未来のエネルギーをもらいに行きます。

では、20期の皆さん、どうぞお元気で新しい年を迎えてください。
小山さん、関屋さん、川口さんはじめ世話人の方々、大変お世話様でした。来年もどうぞよろしくお願いします。

ニューヨーク便り 高橋治美 2019年12月13日

今年も後少しという時期になりましたね。
今年の大泉の同期会も幹事さんたちのご尽力により盛会で、楽しい時間を過ごすことができました。
我々の時代では古希といってもまだまだ元気な人が多いですが、次の会にも元気で出席できるように健康が一番大事かと思います。
一年を振り返って今年は眼の手術をしましたので、こちらの医療状況を簡単にですが書いてみたいと思います。

まずは健康保険が必要となりますが、企業で働いている人はグループ保険に会社が加入してある程度の保険料を
会社が払ってくれるところが多いです。個人やフリーランスの人は自分で加入しなければなりません。
今問題になっていますが、例えば個人で旅行者のガイドをしている人、ヨガ教室の先生など、は自分でかけますが、
掛け金は保険会社によってですが、大手の保険会社では1ヶ月$1300(一人)ほどになり掛けるのは難しいです。
オバマ政権が導入した低所得者でも掛けられる保険というのはそれに比べるとかなり月々が安いものでした。
しかし不安定な収入の人はそれでも掛けられず、掛けてないと罰金が掛かかった(今年は罰金無し)こともあり、まだ問題もあります。
NYでは存続していますが、収入などの規定があり、かけられない人もNYで60万人と言われています。
今後どうなるか、関心が高いです。収入が基準に達してない人が緊急の時に手術などが必要になった場合は
メディケイドという制度がありますが、本来は国民の人達用ですが、人道的に使用されることもあります。
通常ですと、緊急で病院に行っても保険がないと受け付けてもらえないことが多いです。

65歳以上はメディケアという医療保険が年金と連動して受けられます。勿論年金の掛け金を払っていたことが条件ですが
(この年齢でも働いている人は会社の保険を選べます)、メディケアの保険料は人によって違い、
前年度の税金申告の額によって決まります。
そして年金から直接差し引かれます。年末(丁度昨日郵便が)に年金事務所からお知らせがきます。
1ヶ月の保険料は私の場合は来年は530ドルちょっとになります。
しかしながらこの保険、普通の風邪、湿疹などで医者に行き薬を処方してもらう分には医者代はただ、薬は数ドルですが、
年一回の健康診断の項目は年々減って行っています。ただし医者が必要と認めた場合には追加料金がかかりません。
女性の場合には乳がん健診年一回、骨の密度検査2年に一回が含まれます。
ホームドクターはこの保険をとってくれるところが多いですが、専門医(眼、皮膚科、胃腸カメラ、など)はメデイケアを扱わないところも多く、
今まで大手の保険を掛けていた人でもメデイケアになって医者を代えなくてはならないことも多々あります。
そしてメデイケアでは支払われないことに対しては追加の保険である程度賄うことができます。
通常この追加保険をかけています。この追加保険は色々な保険会社で出していますが、一般的な団体で、
地域によって金額が異なりますが、現在私の住んでいる地域では掛け金が1ヶ月300ドルほどになります。
医者の検査、専門医などはこちらで支払われます。また薬の保険料も追加で1ヶ月60ドルほどですが、
薬の保険は選ぶ段階があり、現在特に内科的に(ガンなどの)持病がなく、薬をもらってないので、
ある金額までは自費で払うという設定の金額を高くして月々の掛け金の一番安い保険金額にしています。
歯も保険がありますが、保険で治療できる範囲が少なくクラウンやインプラントは保険が効かず、
一年に1、2回のクリーニングと麻酔などのみであるので個人ではかけない人も多く、私もかけてはいません。

今年は白内障の手術をしました。2年ほど前、眼の専門医から緑内障が出てきたので目薬を処方されたのですが
この薬がとても高く(医者は処方する場合にはメデイケアで賄えるか調べてくれることもありますが、
種類が多いので薬局に取りに行って初めて金額が判明することも多いです)1ヶ月分で最初の処方では800ドルと言われ、
流石に薬局の人も医者に別のものを、ということで連絡を取ってくれ、次が158ドル、しかし年間にしたらかなりの金額です。
処方薬の種類によって新薬、ジェネリックなどありますが、効き目はやはり新薬良いですが、高いです。
結局製薬会社から直接買うということで1ヶ月分45ドルという方法で使っていました。
しかしこの眼医者は予約をキャンセルすることが多く、取り直すのもなかなか混んでいてできない状態でしたが、
前にかかっていた眼医者(どこの専門医でもオフィスは数人の医者で使っています)にいた医師
(その眼医者は持っていた保険が使えなくなったために代えざるを得なかったのですが)が別に眼医者を開いた情報を得て、
そちらに代えたところ、検査結果は私の目は緑内障はそれほどひどくないが白内障に依って視力が落ちてきているということで、
視力の弱い左目を先に手術することになりました。
医者の質は様々ですから選ぶことが大事になってきますがまずは自分の持っている保険を取り扱っているかどうかを確かめることになります。

開業医の眼医者では月に一回程(医者に依ってはもっと多いですが)、手術をする日があり、
その医師の属している医療機関の病院の施設を借りて手術をします。
私の場合では、市内の「眼、耳、喉病院」で指定された時間にかかりつけの眼医者がきて行われました。
手術に先だって眼医者で診察を受けるのは勿論ですが、ホームドクターで血液検査と心電図の30日以内の結果が必要になります。
この検査は眼の手術をするために義務付けられています。結果は直接眼医者に連絡され、そして白内障のレンズの支払いをします。
遠近のレンズにしたので病院と眼医者(折半になるようです)に支払いを済ませ、(単焦点であればメデイケアで全額カバーされます)
前日に病院から電話で問診があり手術時間が知らされ、その2時間前に受付に行く必要があります。
左目の時は10時に指定されたのですが一緒にしてもらう緑内障のレーザー治療の部屋の遅れて病院から帰るのが2時過ぎとなり、
待ち時間がとても長く、右目を先月行った時には朝の希望を出したら、なんと7時半、(ということで5時半に病院受付)でしたが、
時間通りでした。病院に着くと問診をもう一度チェックして、リストバンドをつけられ、着替え、
荷物全てはビニール袋に自分で封をして預かってもらい帰る時に渡されます。
全てに置いて名前がつけられて何人もの看護婦などが間違えの無いように、分厚いファイルをチェックして血圧を測り、
麻酔医の説明あり、目薬を4種類ぐらい3回ほどさして最初にレーザー室で緑内障治療、その後白内障の手術室に行きました。
手術は眠っている間に終わり、回復室(準備室のような個別室)に移され、飲み物や(コーヒーも有り)、クラッカーなどをもらえます。
麻酔をかける処置(手術のみならず胃腸のカメラなどでも)の後はかならず付き添いの人が必要で来てもらうまでは帰れません。
透明のプラスティックの眼帯というよりは保護版みたいなものを絆創膏で留めて次の日に眼医者に行きその場で日中は保護版は外し、
夜寝ている間のみ一週間程度つけるだけになりますが、3種類の目薬は一週間一日3回、一週間後から2種類となり、
三週間後に眼医者で検査をします。その後は定期検査になります。

再来週にもう一度検査がありますが、高校時代からコンタクトレンズを使用していたのがいらなくなってとても楽になりました。
よく見えるのでとても嬉しいです。
日本の健康保険は米国に比べると毎月が安く、治療も行き届いているということで、
癌や長期治療が必要になった方は日本に帰られることが多いですが、実際はどうなのでしょうか?
介護保険や後期高齢者保険など追加もあるようですが受けられる治療を考えると釣り合っていると言えるのでしょうか?
こちらは介護保険はまた別ですが、また別の機会に少し書いてみたいと思います。
予防が一番大事なことだと思いますので、心身共に元気でいるよう心がけたいと思います。

みなさまどうぞ新しい年を元気で迎えられますように。

1700年代のオーナメントです